2016年06月25日

黒い百合(金持ちと貧乏人の人類の永遠のテーマ?)



黒い百合(金持ちと貧乏人の人類の永遠のテーマ?)


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緑陰に休めば来る尾長かな

夕月やしきり飛び交う夏燕

馬駆ける野馬追い近し夏雲雀

原町のレストランの窓夏燕

風を切りロードに走る夏燕

薔薇あまた庭に咲くかな肥料やる

老鶯や根を張る樹の太しかな


黒き百合さして我が家に日々来る女(ヒト)そめだたず苦労多しも

その女の苦労の絶えず老けにけり黒百合さしぬ我が見ゆるかな

その女の植えにし薔薇のまた咲くと明日また来たらむ我が庭を見る


その女性は苦労人である。だから十年くらい年齢よりふけて見える、なぜその女性が貧乏なのかわからない、結構働き者のようにも見えるからである。
造園関係の会社で働いていたので花とかには詳しい、それで庭を作ってもらった。
小さな畑で毎日働いている。ただこれは趣味である、なぜならそこに金をつぎこんでもその金に見合うものはとれない、自分から見ると贅沢だとなってしまう。
ただ野菜を作ることが好きなきである。農業が好きでしているとなる
農家の出だし体力もある。ただ耕すとかは人に頼んでいるのである。

金持ちと貧乏人というとき本当に和解しないのか?ただ金持ちを貧乏人はうらやむだけなのか?
これも結局その人の考え方が左右する、もう徹底して金持ちを批判して金持ちは悪だとする人がいる、そういう人は金持ちと敵対するしかないから家の中で雇ったりしたら危険になる、家の中に入るとその差が大きいので問題が起きやすいのである。
なんでこの家でぜいたくしているんだとなる。それがはっきり見えるから危険になる
それで俳優の女性の家から宝石などを盗んで訴えられたお手伝いさんがいた。
ともかく何か家の中に入り働くと問題が起きやすいのである。そういう事件が日常的に起きている。
自分は別に雇っているというものでもない、ただ毎日その女性は来ている

金持ちの家にきて例えば広い庭があるとしてその庭を掃除したり花や樹の世話とか水をやるとか掃除するとかき仕事があるとたらそんなことただ使われているだけで嫌だと思う人がいる。
一方で自分の庭でなくても花を見れるし広い庭にいると気持いいと考える人もいる。
他人の庭でも自分の庭にも思えるともなる、別に花は金持ちの家に咲くとしても同じように美しいからである。
「この花きれいだね」とともにその美を見て喜ぶのである。
そこにともに豊かさを享受しているのである。
でもそういうふうに考えないとしたらこの家ではいろいろな花を買えるとか自分には庭もない花も買えないとか不満だらけになるのである。

金持ちと貧乏人を考えるとき金持ちにあやかった方が実は得である。貧乏人同士ではただ不満ばかりを言うだけになる、何か困ったことがあっても金の問題があっても相手に金がないので解決しないのである。
共産主義がみんなで平等で貧乏になるという社会である。それもつまらない社会だと思う
田舎でも金持ちがいるということは何かその土地に金持ちになるものがある、農家だって金持ちの人はいる。それには金持ちになるものをもっていてる、浪江の広い畑をもってとれた野菜を平に今のいわきに売って娘を3人大学に出したという農家の人がそうである
その人は表彰されたように農民として優れているからそうなった。
そういうふうにして豊になった人をうらやむということはひひがみである。
田舎でもその土地から実りがあり豊かさをもたらすことをその農民は示していのである。そういうふうにして豊になった人を否定したら自分たちも決して豊にはならないのである
ただ株でもうけたとか公務員はたいしたこともしていないのにき給料がいいとか恵まれているとか不満がでる、それは富を得るのに不公平だとなりそうなる
でもまた先祖が努力して残したものを受け継ぎ発展させることも否定できない
なぜなら人間はとても一代では豊になれない、先祖が良ければやはり恩恵があって当然だとなる、先祖の努力や福を否定することはできない、ただ都会などでも土地だけを引き継ぎ地主などが批判されるのは土地だけをもっていて金持ちなっているからだとなる
ただ土地を受け継いだだけで実際は次の代では努力もしていないからだろう。

ともかく金持ちと貧乏人が敵対するでなく何か和解する方法を見いだす、それは双方の歩み寄りが必要なのだと思う。もちろん巨万の富を貯えるというのは問題外だろう。
そんな巨額の金をもつということはどうしても異常でありそれに対する不満は当然だとなる
金でもその人がどういう使い方をするかというのも問題になる、ギャンブルとか女遊びだとか浪費していると批判されるだろう。何か社会に貢献しないと批判される
ともかく現代は金の力が大きくなりすぎたのである。金が人を支配して金持ちと貧乏人が離反してしまう。
ただ田舎だと金持ちは目だちうらやまれる、だからどうしても田舎は平等を追求することが強いられるのである。
大金持ちは都会にいるが田舎には住めないだろう。それは目だちすぎるからである。
金持ちと貧乏と貧富の問題は人類の永遠のテーマなのだろう。
それ故に共産主義革命があり多大の人命が失われた。それは貧富の格差だったが中国ではそれは解決していない、信じられない巨万の富を今度は共産党の幹部がたくわえたからである。この問題を解決することがあるのか?



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