2016年06月17日

津波で流された右田の松原の写真一枚 (影となってしまった松原の写真)


津波で流された右田の松原の写真一枚


(影となってしまった松原の写真)


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今になればこの写真も貴重である。右田の松原は全く消失したからだ。偶然整理のために掃除していたらでてきた。
偲ぶものは何もない、一本松は残っているが松原は松原としてあったとき
風景となっていた。それは陸前高田市でも同じである。
一本松というとき街道とかにあるけど海側はみんな松原として潮風から米の害を防ぐとか防風林としてあったからである。

この写真まさに影の松原でありそれが影絵のように右田の松原を偲ぶとなる
右田の松原はないが影のように記憶として写真に残っている
ともかく何も残っていないのだから貴重だとなる

松原の向こうには刈田が見えて集落があった所の森も見える
それらはみんななくなったのである。
写真とかはあとで貴重なものとなることがある
こんなに変化したとき全くその風景が見られなくなったので貴重になったのである。

タグ:右田の松原
posted by 老鶯 at 17:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

学問は問うことが考えることが大事 (武田邦彦氏の経済の説明で知ったことー権力に操作される情報)


学問は問うことが考えることが大事


(武田邦彦氏の経済の説明で知ったことー権力に操作される情報)


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水の配分総量が10ならば金持ちに5を配分すればあとは2とか下流は1になってしまうだろう。
でももし高度成長時代のようだったら20を水を配分すれば金持ちが5を配分しても下流でもおおくなのである


経済学部を出たとても自分は何の勉強もしていない、基礎的なこともわからない。
自分は受験勉強などで学問自体に興味を失っていた、そして何か自分で考えたことがないのである。
学問というとき学ぶはまねるでありあとは問うことである。
この問うということがいかに大事なことか知るべきである。
その問いの答えは用意されているのである

「なぜ人間は死ぬのか?」

これと人生最大の問いなのである。その答えはあるがキリスト教でしか解決できない
その他にこの世には無数の問題があり問いがある
なぜなのかということが無数にありとても一人の人間にわかることではない

ただ人間はいかに考えることが大事なことか知るべきである。
考えない人間があまりにも多すぎるのである。
学問とは自分の思考力をつけないかぎりわからない、最近たまった本を整理しているがいたるところに線を引いていた。そこが大事だと思って線を引いていたのだがそれを読んだ記憶すらないのである。
人間は本を読んでも読んでいないということが多いのである。
本は買っても読んでも読んでいない、もちろん心に入ってそれが自分なりに消化しているものもある。
ただこの本にこんなことが書いてあったのかということがはじめて読むように感心していることはほとんど読んでいても読んでいないということである。

理系的なもの特に経済には今や欠かせない、あらゆることが数値化しているからである。自分の場合は数字になると苦手である、だから数式とか化学式とかがでてくるとわからなくなる。
でも数学にしても基本的には考えることなのである。
この世のことでも経済でも数学的に考えることである。それがこの世を解明するすべてにならないにしても必要なのである。
だからグラフから経済を説いている武田邦彦氏の解説はわかりやすいのである。


現代の経済の問題は高度成長時代が終わったときからGDPは増えても収入は増えなくなった。
それを水で例えると水が出る量は10として一定であり増えないのである。
水の量が高度成長のように増えれば全体的に配分する水の量は増える
その中で貧富の差があっても20が5人に配分されればやはり全体的に水の量は多くなる、収入は多くなるのである。
今はそういうことがない、水の量は一定なのである。
ただGDPはあがりつづけているから実際は水の量が収入も増えている、でもバブル崩壊の時期からその増えた分が配分されない、政府が勝手に使ったり金持ちだけに配分されるようになった。日本は実際は豊なのだけど増えた収入が金が配分されないのである。

日本は借金が膨大だとというけどそれも国の借金ではなく政府の借金である。
だから政権が変われば政策を帰れば変えればその国から借り上げ借金を返せば一人350万にもなるという。
これも不思議な話である。このことはマスコミでもどこでも言わないというのも不思議だという。
金はあるけど国民から借りたものだから返すべきだという、みんなそれより国に莫大な借金があるからそれを国民が返さなければならないと思っている
それでその財源として消費税とか税を上げることもやむをえないと言われそうなのかとなり納得する、だけど国民から借りた金が莫大であり金はあるのである。
それは消費税を上げることではない、まずその国民から借りた金を返すべきだという
確かにこんなふうに経済を考えて主張している人はいない
これも政府にだまされてそうなっているのか?

なにか政府そのものが権力を持つものが国民を操作する、マスコミでもそうである。
肝心なことを言わない、舛添知事のことでもあいつは問題がありと指摘していた人がいたのである。
その声は大きくならなかった。それはなぜなのか、大きな声にならないように仕組まれていたのである。大きな声になるのはマスコミを通さないとならないという現代社会の問題がある。
ところがマスコミは裏の様々な団体によって操作されるから真実は明らかにされない
第一良くどん底の貧困者のことを書いているけどそれも真意がそもそもわからないのである。それがどういう事情でそうなったのかとかわからないが特別の貧困者のことを話題にする、するとそれを読んでそんなひどい人がいるのかとなる
でも本当のことは直接聞いたことでもないし真意はわからないのである。
つまりマスコミを人の注意をむけるたに極端なことを話題にするのである。
すると極端なことが今の社会の状態なのだと錯覚する、自分でもそうである。
そこに報道が社会の現状を正確に伝えないことになる。

なぜ舛添知事が問題があることがわかっていたのに厚生大臣までなったのか?
そのこともやはり回りがそうさせたのである。特にマスコミがそうである。
マスコミで名前を売りマスコミが舛添という人物を中味がないのに大きくしたからである

東京都知事の舛添が東京都民から嫌悪の目で見られている

今批判されるようなことがすでに言われていた。ではなぜ支持されたのかという謎であるそこにこれもまた今の自民党政権とか公明党がかかわってそうなった。
だから今になると自公政権が批判されている

そして原発事故でも安全神話が作られたのは自民党の時代でありそれはマスコミであれあらゆるものが官僚でも一体となり作られたのである。
そのために原発は危険だと主張した人がいてもその声が大きくならない、それだけ安全神話がもう国民に浸透していたのである。
それは空気のようなものになっていた。だから安全でないというとそんなことを言うのはもう変わり者だとなってとりあげられることもなかったのである。
本を出してもSFの小説のように見ていた。自分もそうだった、原発の近くにあっても危険だと感じなかったのである。
もちろん原発で仕事している人が多いからその人たちは上から安全だと言えと支持されていた。だからこの辺では安全を疑うこともできなかったとなる

経済の問題でも政府によって権力によって作られたものであり経済の実体を言わない
金は余っているし借金が膨大だから国民は消費税とか税金で返すほかないと思っているのである。そう思わされているだけなのである。
確かに高度成長時代が終わったとしても金が増えたしそれは国民の借金なのだから返せば国民が豊になるということを誰も言わない、それは原発の安全神話と同じなのである。
それが大きな声とならないのはなぜなのか?
そう政府とか団体とか権力をもつもの官僚手もマスコミでもそう誘導されているからだとなる
そんなことを言うものは変わり者だとなって相手になされないのである。
だから何かが大きな声になるというのはどうしてなのかとなる
いかに真実でもその声が大きくならなければ片隅に追いやられ変わり者として排除されるだけなのである。
一体舛添知事でももちあげたのは誰なのか?それが問題なのである。そこにも大きな責任があったのである。なぜならそういうことは知事になる前にすでに指摘されていたからである。だから今になってこれほど糾弾しているのかとなる
それは原発の安全神話でも同じだったのである。

経済再生の科学05 お金の量と豊かさ(武田邦彦)

タグ:国の借金
posted by 老鶯 at 11:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題