アイリスと夏菊(詩)
(乱れた世に詩は切なる祈りともなる)
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アイリスと夏菊
ジューマンアイリスに
橙の夏菊が映える
その白い清楚な花冠
光をあびて静かに咲く
ああ ここを乱さずあれ
何故に横暴な人の踏み入れ
花園は荒らされしや
ここは乱れに乱れぬ
そして今は祈りともなる
ここに落ち着きその清楚なる
アイリスと夏菊の調和して
長くもここに咲きつづけよと
それは今や切なる我が願い
そこにアイリスの清楚な白に
橙の夏菊が映える
ある家の庭を見れば
一本の松の根を下ろし
奥に紫菖蒲のひそまり咲きて
やはり夏菊が映えている
ここに穏やかな日々のあれ
いがみあい憎しみ合い
そして乱れに乱れた世
花園は踏みにじられ荒らされぬ
痛く傷つけられた心よ
踏みにじられた心よ
人はいつか定着を望む
花園に木蔭の涼しく
石はそこに影なし休みぬ
そはここに動かざれ
そしていつまでも花は
その美しさを保ち咲きてあれ
それは今は切なる祈りともなる
乱れ荒れ果てたる世となれば
人は切にそのように平和を願う
平和の尊さを知る
つくづくこの辺で起きたことは何なのか?まるで地獄だったしその継続もある
津波の被害もまさに地獄である。これも何なのかわからなかった
そして自分に起きたこともそうである。
ここで書いてきたけど信じられない異常なことも連続だった
それは金にまつわり起きたことである。
そういう異常なことが苦しみが受けると人間は変わる
ハンス・カロッサの詩は戦争を経験して書いた詩だった。
人間は戦争などを経験するとまるっきり変わってしまう
アフガニスタンの少女の願いは戦争のない平和があることが切なる願いとなる。
ただ戦争がなくなって欲しいというだけである。
その他はいろいすあってもまず戦争がなくなって欲しいというのが願いとなる
その気持がこの辺で自分の一身上に起きたことでわかる
この辺は自分でもまさに地獄だった、病気でも同情もなにもない、火事場泥棒であり津波の被害の情況と同じだった。
病気をいいことに借金を要求してきたりとさんざんな目にあってきた。
ただ非情しかない世であり人間である。
そういう経験すると人は変わる、ありふれた平凡なことが尊いものとなりその価値を知るそしてそれは切なる祈りともなる。
故郷を失った人たちもそうであり津波の被害にあった人たちもそうであり自分だと一身上に起きたことの非情である。
普通でも人間はいがみあい傷つけあう修羅だということは変わらなかった。
ただこの辺では極端なものとして全体に現実化したのである。
こういうとき花を見ているといがみあいにくしみあいはない
乱れることなく静かに光をあびて咲いている、それは当たり前のことかもしれないが
これだけいろいろなことに苦しめられ乱れるとなんと平和に咲いているのかと見る
ともかく回りに起きたことでも自分の一身上にい起きたことでも一体これは何なのだとふりかえる、そしてただ花が平和に咲いていることを切に願い祈りともなる
いつまでも乱されずに咲いていて欲しいとなる
この辺では当り前にあるものが失われた。そしてその尊さを知った。
人間はなぜこの世でこれほど平和がないのか?
それは人間は平和の価値を知らないからである。
本当に平和とか知るために天国を知るために地獄を知らねばならないとなる
なぜなら天国にいたらそれが当り前となりその価値を尊さを知り得ようがないからである地獄の対比で天国もあり天国は地獄があって輝きを増すとさえなる
地上が僕らにとって
故郷になるには
血がにじまねばならぬ
あまたの血とあまたの涙が
(ハンス・カロッサ)
戦争を体験したからこの詩が生れた、この辺も戦争状態のようだったのである。
ただ現代というのはどこまでも金でもめる。この辺で補償金でもめているのもそうである自分の一身上の苦しみも非情も金のために起きたことである。
戦争となると金というより人が死んでいるし街も破壊される
シリアのような状態になる。血がにじまねばならぬというとき戦争では人が死ぬからである。
この辺では津波では多数死んだ、それは戦争とは違っていてもにているのである。
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