2016年06月29日

創価公明の限界と共産党が伸びるのはなぜ? (世界的共通の問題は貧富の格差)


創価公明の限界と共産党が伸びるのはなぜ?


(世界的共通の問題は貧富の格差)


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公明の票が減るのはなぜか?それは宗教だからである。宗教だから縛りが強く票が固定ししていたがそれ以上は伸びないし減っている。
創価公明とは一体であり選挙も宗教活動の主要な活動して日々の信心がある。
ちょっと上の幹部になると毎日が票をとるための活動になる。
一軒一軒回ってあるくのは票をとるためである。創価内部でも実際に活動しているのは数十万単位だろう。
あとは座談会にもなにもしない、会員というだけで何もしない、膨大な幽霊会員なのである。そういう幽霊会員の存在価値は選挙のときに幽霊ではない、一票に結びつけるのが日々の幹部の活動となる。宗教などとは何ら関係ない、何かやましいことをしているとかそうした心の内面とは何の関係もない、そんなこと問うていたらまず人は集まらない、ただ一票になればいいだけである。
実際に選挙が最大の仏教の戦いなのである。それで選挙の時は池田先生のためにと集まり題目をあげて選挙戦を闘う、それが創価の最大の戦いであり目的である。
政治と宗教が完全に一体化しているのが創価であり公明である。
その池田会長が死んだのかわからないけどもう指導力を失ったから票も減ったとなる
創価公明がすでに30年前でも限界に達していた、会員数も票も頭打ちになっていたのである。800万票とったがそれが限界でありあとは減るだけなのである。

第一宗教が日蓮のように一人で時の権力者に諫言するならいい、創価は集団で権力をとるために活動している。「権力奪取」「権力掌握」福運がつくという言葉しか幹部の会合ではでてこない。だから普通だったらこの団体はなんなのだろうと疑問になる。
それが宗教なのかという疑問になる。普通だったら考えるが考えない
宗教というと何か高等な感じがするがそういうことは創価については全くないしカルト宗教団体ではみんなそうである。まず人を集める会員を増やすことが第一であり数は権力であるから数で権力をとることを目指す、それは別に民主主義なら許される。
選挙で権力が後退するのが民主主義だからである。
ただ民主主義でも怖いのはイギリスがEUから離脱する国民投票でわかったように愚民主義におちいるのである。多数がすべて正しい訳でもなく肝心の離脱派が得するというこでもないから後悔しているとなる。ナチスもヒットラーも民主主義の選挙で選ばれたのだから民主主義が選挙が国民を正しく導くとは限らないのである。
ただそうでないと戦争になるら投票で決めことにしただけなのである。

創価公明とかカルト宗教団体の問題は宗教自体が本来権力をもつものではなかった。
それはシャカとかキリストを見ればわかる、何の権力ももっていない、体一つしかない寝る場所もない乞食のような状態だった。
もし師に習えば今のようなあくことなく権力を求めることは異常なのである。
なぜなら宗教となると権力で押しつけることはあってならないことである。
人間はそもそも権力関係になると上下関係ができてそこに平等性は失われる
例えはなぜ創価が執拗に権力を求めるのかというと権力で宗教をおしつけ支配するためである。
人間は雇われる人と雇う人にも権力関係が上下関係が生れる、お前やめさせるぞと言えば従わざるをえない、宗教もそうして権力あるものにおしつけられるのである。
それは歴史的にもキリスト教でもカトリックなどはそういう歴史が露骨にあったから政教分離がヨーロッパから必然的に生れた、フランス革命は宗教を否定して人権主義になったのである。宗教の縛りから離脱しようとしたのである。

ただそうはいっても底辺層になる実と宗教ともイデオロギーなどむずかしいものとは何の関係もないのである。何か困ったら助けてくれる援助してくれる、相談にのってくれるということで勢力を伸ばしているのである。
そういう人たちは別に他に頼る所があれば人があればいいのであり簡単にのりかえるだろう。
金をいくらかでも困ったからとくれたり貸せばそっちにのりかえる、なぜなら宗教とかイデオロギーとは関係ないからである。
なぜ創価と共産が競合するのかというと底辺層を票田にしているからである。
生活保護とかの市営住宅には創価か共産党のどっちかに入っているのが多い
まずそういう底辺層が普通の人とつきあえないのである。
生活保護は生活保護者とつきあうし他の人とはつきあわないのである。
なんというか生活保護者には差別的感情があるからそうなる
最近はエホバがそういう底辺層に食い込んでいる、この前猫十匹飼っているのは創価だと書いたがエホバだった。今はエホバがしつこいのである。
あれも何が目的なのかわからない、宗教とあっても何か裏がある。
教会でもアメリカから援助されてはじまったから政治的に画策するものがある。
だから内村鑑三は無教会になったのである。

ともかく創価公明は宗教の縛りがあり一定の票を確保していたがそれが故に限界が40年前からでも出ていたのである。だからもうこれからは衰退する一方である。
池田会長が死んだのかわからないけどそのためにはすでに内部で権力争いはじまっているすでに創価というのは巨大な権力だから内部で権力争いが生まれる
そこは宗教など関係ない生臭い所である、宗教そのものが何か嫌われるのは全く本来の宗教が目指したものとはあまりにも違ったものになっているからである。
共産が伸びて自民の脅威となるときそれは時代を反映している。自民公明政権に反発しても野党が弱体化しているから票が入れる先がない、いろいろアベノミックスでも上流階級だけが豊になるだけだったとか、タックスヘイブン問題とか上流階級が得しただけで下流階級は底辺は何の得もないと不満が募っている
それはアメリカでもサンダースとか社会主義者が人気になったしトランプでもそうである貧富の差があまりにも拡大した結果としてそうなった。、それはグローバル資本主義の多国籍企業支配のためでありあとは時給いくらかで奴隷のように使われだけだとなっているからである。
共産党しか日本では不満の受け皿がなくなったから伸びているだけで共産党を支持しているわけではないだろう。

近代社会は政教分離であり政経分離でもあり合理的なものとして経済とか豊かさを追求しているのである。何かというと罰があたるとか地獄に落ちるとかもちだしていたら合理的経済の豊かさを追求できないからである。
だからそもそも自民党と創価が一体となった政権は異常なのである。それは前近代的なものでありあわないのである。
罰があたると地獄に落ちるとは何なのか?それすらわからないで敵対するものに宗教で呪詛するから異常なのである。
自民党でもいづれ公明党や創価と一体化することには限界がでてくるし創価自体が内部の権力争いで分裂して衰退してゆく、そういう兆候は池田会長が死に体となりすでに現れている。

いづれにしろ共産党が伸びるというときそれは自民公明に不満があってもその票の受け皿がないからである。共産党を支持しているわけでなくても不満があっても実際にそれではどこに票を入れるのかとなるからだ。自分などはどっちの味方でもないから棄権する他ないのかとなってしまう。
今世界自体も大きな変革の時代にきているし国内でもそうである。
そして対外的にも何か大きな事が起こり日本も変革を迫られるのである。
共産党が伸びたというときそういう変革期にあるからでありまた別な党派も生まれる
一方で極端な右よりになり安倍首相が戦争する危険性を危惧する。
それはEUのイギリスの離脱問題でも共通した課題をグローバル資本主義でかかえているのである。
米ソ冷戦のときのように右とか左に明確に分けられないのである。
ただ貧富の差の拡大が共通の課題としてあり共産党が伸びるというのもそのためである。
タグ:創価公明
posted by 老鶯 at 14:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2016年06月30日

底辺層の不満は根強い (余裕がないと金持ちへの怒りにもなる)


底辺層の不満は根強い


(余裕がないと金持ちへの怒りにもなる)


富裕層は底辺層のことがわからない、交わらないからわからない。政治家でも実際に交わらないからわからない。
例えはなぜそんなに不満を言うのだろうと不思議に思うことがある。
自転車屋で障害者の息子がパンクを修理してもらったらチューブまで交換して金をとられたと不満を言う、それは自転車屋で良くあることだし自分は別に文句を言わない、たいした金ではないからである。
そのことを延々と言いその自転車屋の悪口までなりもう行かないとも言っている。
その自転車屋が病気らしいのだけどそれにも同情しないのである。
そんなことで恨みまでもつことがわからない、ただ底辺層になるとそんなことまで余裕がないからこだわっているということである。
むしろ自分は同情して金をとられてもいいなと思っている、それは余裕があるからだとなりそんなところに底辺層との差が生まれる

なぜチューブまで取りかえたんだ、金がないのに

それが怒りまでになっている、富裕層だったらそんなことこだわらないのである
でも現代の経済は非情である。この人が金持ちか貧乏かなど見ていないのである。
その金の分をどんな人でも要求するのである。
それが世界中でそうなっている、相手が貧乏だからといってその金の分しか払わない
もしそんなことしたら経済が成り立たなくなるだろう。
この人は貧乏だから医者が金を安くするとかならないだろう。そういう温情は情をかけるということは昔の方があっただろう。
でも現代は金が非常に支配する社会なのである。それが世界的になっているのがグローバル資本主義である。
ただ自分にしても一般的にもそういうことはありうる、自分は特にそうだったから理解できないことはない、
自分に自由になる金はやはり小使い数万とかの単位である。だから百万使うとなると怖いのである。
そしてやはり前だったらチューブに交換しなくてもいいと自分もなっていたから同じだったのである。
やはり人間は金があれば余裕が生まれる、これはどうにもならないのである。
今は清貧ということはありえない、最低でも金がかかるからである。
日本では福祉があり生活保護を受ければ医療費とか無料になるとかで後進国よりはいいとなる。つまり富裕層がいたときその税金を高くして貧乏人に回すことで平等を計っている

ただその人が食べるものを比較するとその人の方が贅沢しているのも現代的である。
自分が外食しているのは料理に時間がかかるからである。でも普通外食はぜいたくになるでもそこは700円くらいだから贅沢とは言えないのである。
この辺でもお前は贅沢だなとなる
ただテレビで見ていたらサラリーマンの小使いが減って昼食が500円くらいになったというのも日本も貧乏になったなと思う。
まず500円ではランチでも満足なものが食べられないと思う。せいぜい弁当しかなくなる
こういうことだとすると底辺層だけではない日本人全体の不満が大きくなっている
格差社会であり富裕層への不満か大きくなる。
そして高度成長期のように中間層がアメリカでも日本でも没落したことが大きいのである月給が増えないので家計がぎりぎりになっている
やはり人間は金銭的にも時間的にも余裕がないと心もすさんでくることは否めない
自分が苦しんでいるとききた人たちも余裕がないから助けようがないのである。
一人は事業に失敗して多額の借金があり一人は問題をかかえて貧乏であるとかそんな人がもう何もできない、相手が瀕死の状態でも何もできない、自分が苦しいから自分の苦しさをなんとかしてくれという人は人を助けることなどできないのである。

現代ではそうして貧困化すると余裕がない人があふれることになり犯罪も増えてくる
その恨みや不満の対象が金持ちに向かってくるから金持ちは危険なものになってくる
高度成長時代は最初は貧乏でもみんなれなりの豊かな生活を享受できるという将来があった。年々月給があがっていたからである。
事業をしても成功する人が多かった。今は何か事業を起こすにしてもすでにいろいろなものができあがっているから成功しにくい、なんでもすでにあるじゃないかとなる
これ以上なにか欲しい物があるのかという状態にもなっている
でも物があってもまた買えないという貧乏人が増えている、それは昔の貧乏人とは違うがやはり何かと不満をつのらせる人が増えてきたのである。
それは自己責任だともならない、そういう貧富の差も固定化しているからである。

要するに現代は物があふれて過剰であるというとき物を売るということに限界が生じている、だから何か閉塞した感じになる、国民総生産だってもう上がらない、ゼロサム社会である。
こういう社会は中世にもどるという人もいる。人間は物の世界から精神世界へ内面の世界へ向かってゆく、それは宗教的哲学的芸術的なものへと向かうともなる
ただカルト宗教が創価でもそうだが戦後の焼け野原から高度成長時代へと物質的豊かさを目指して会員も増えた、それもある程度達すると今度は精神的内面的なものに向かうのである。
ともかく今の政治的状態は何かそういう時代を反映している。
貧困層というが創価はそうだというときなぜ自民党と一緒になっているのか?
本当は底辺層は野党のはずなのである。自民と一緒になることは相当な矛盾である。
ただこの世の中は必ず矛盾なのである。
格差社会になると対立が激化して内戦状態になることさえありうる
犯罪も増えるし富裕層にとっても住みにくい社会になる。
全体の富を増やすということでは共産主義より資本主義の方が優れている
でも配分をうまくやらないと今のような極端な格差社会になると社会自体が治安が悪くなったり社会全体の和が保てなくなる
こういう時代の変わり目にはやはりそれにみあった政党が生まれればいいのだができないそこにも政治経済でも何か閉塞感を感じる時代なのである。
それは世界的にももう中国もだめだブラジルもだめだとか資本主義も限界にきている。
世界自体がどこの国もアメリカでも内向きになり閉塞感が強くなっているのである。

タグ:底辺層
posted by 老鶯 at 20:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題