2016年06月23日

大河の流れ(big river)


大河の流れ(big river) 


riverrrrrr1234.jpg


yuyuyuyuooi.jpg


syreamsbbbbb1.jpg

river on the morning

syreamsbbbbb1222333.jpg

river on the evening


wide river122.jpg

riverrrrrrrrrr234.jpg

緑野の流れ 
susukiiiiii1222333.jpg

rrrrrrvvvvv1122.jpg

wideriver345.jpg

wide river1.jpg

大河の岸



この流れの抽象画がつづくのはソフトのためである。波というので抽象画になりやすい、ソフトも二つとか三つとか使いこなすとさらに増える、一つだとたりないのである。
これは自分のオリジナルのものではない、インターネットから変えたものである。
でも実際は元の絵はわからないから何か著作権で指摘されにくいだろう。
抽象画は元の原画と全然違ったものとなっているからである



タグ:大河

2016年06月24日

イギリスのこと (EUからの離脱か残留かー株はギャンブル)


イギリスのこと


(EUからの離脱か残留かー株はギャンブル)


 1191年、第3回十字軍の途上にキプロス島沖を航行していたイングランド王率いる船団の一部がキプロス島に漂着し、僭称帝により捕虜とされてしまう。これに対してイングランド王リチャード1世(獅子心王)はキプロスをわずか5日で攻め落とし、以後キプロスの領有権はイギリス王に帰することになる

 キプロスがなぜ英国領になっているのか?その歴史も古い、十字軍の時代に関係していた

 シェイクスピアの「オセロ」では、 
主人公であるヴェネチアの将軍オセロが、 
当時ヴェネチア領だったキプロスをトルコ艦隊から 
防衛するために現地に派遣される。 

恋物語と悲劇はさておき、実際の歴史においては16世紀後半に 
オスマントルコ帝国がヴェネチアからキプロスを奪い取り、 
イギリスに獲られるまでの間保持した。

キプロスになぜそんな古い時代からイギリスが関係していたのかとなる。
キプロスに一時自分はイスラエルから船に乗って6時間くらいよった。
その時イスラエルで働いていた青年とかオランダでレストランで働いている青年とかに出会った。自分にとってそんなところまで日本人がいるうというのも驚きだった。
世界中どこに行っても日本人にあわないことはない、そういう時代になったのである。

イギリスというと大英帝国の時代があり七つの海を支配した。それは太平洋戦争の時まで継続していた。シンガポールや香港とかが英国領であったこともそうである。
ミャンマーなどもそうであり英語をしゃべっている。
自分の姉は従軍看護婦としてマレーシアのジョホールバルの病院に四年間いた。
そこはシンガポールのすぐ近くだった。その病院はイギリスの赤十字の病院だった。
日本はいち早くシンガポールを攻略したのである。
つまり大英帝国のイギリスに勝ったということは世界でまれな驚くべきことだったのである。アジアはその時ほとんど植民地だったからである。

大英帝国の跡は世界中に残っている、エジプトもそうでありエジプトポンドが紙幣として通用するというとき英国領になっていたからである。つまりポンドが当時のドルだったのである。ドルが世界の果てまでアフリカの奥地まで通用しているのと同じだったのであるエジフトでロバに乗った少年がワンドーラーくれというのがそうである。
アメリカだってイギリスから派生したものだからイギリスが一時世界を支配していたのである。そのイギリスに日本が勝ったということは世界で驚きだったのである。
イギリスは産業革命の発祥の地であり鉄道も蒸気機関車もイギリスで最初に作られた。
でも今になると中国に原発を作ってもらうとか日本の企業が進出しているとか斜陽国家になった。
だからなぜこれほどEU残留か離脱かで騒いでいるのかわからない、それほど世界に影響するのかということである。
金で世界の国力を計ればドルであり円でありマルク(ドイツ)であり最近は中国の元になるポンドはもう世界的通貨ではないだろう。

そもそもヨーロッパはわかりにくい、なぜあれだけの国があり多様なのかとなる
多様なるが故に文化もルネサンスのようなものが生れた。ルネサンスはイスラムの文化も入りヨーロッパの歴史と文化の成果として華開いた。ヨーロッパの強みは常にそうした外国からの外部からの文化が流入して発展してきたのである。
だからそこで争いもあったが戦争があったがそれだけではない文化も混じり合って発展した。ヨーロッパの王室がたいがい親戚関係にあるというのもそうである。
それは日本の戦国時代とにていて縁戚関係を結び同盟関係を結んでいたのである。
EUはそういうヨーロッパの歴史があり必然的に生れた連合である。
ただヨーロッパ自体が今や斜陽化している、中国に鉄道とか原発を注文しているというのもそうである。アメリカが中国の鉄道を作らせるというのもそうである。
中国は前とは違う、めざましく発展しているからである。

ではなぜEUから残留か離脱かで世界市場にこれほど影響するのか?それが良くわからない
EU全体に影響するからでありイギリス一国で今そんなに影響するのかということである。資源として石油がそれほどとれているわけでもないし何がそんなに影響するのかとなる。とてもイギリス一国で世界に影響を与える時代は終わっているからである。
それよりEU全体が弱体化するから影響する、EUが分裂の連鎖反応があるからこそ世界に影響するとなる。EUが維持できるかできないとなるから問題になる。
つまり今やイギリスがあって世界があるのではなく、EUがあってイギリスがあるということではとないか?

いづれにしろ残留派の女性議員が銃で撃たれ死んだということが残留派に有利となったと言われる、このことでも株とう世界市場は予測できないギャンブルだと思った。
世界で常に何か予測できないことが起きる、残留か離脱かなどは何か最初から争っていても議員が死ぬということは誰も予測できないのである。
それによって世界市場に影響するということは予測できないから株も予測できない
それはどんな優秀なアナリストでもできない、つまり世界でも日本でもそうだが予測できないことが起きる、津波や原発事故もそうであり一身上でもそうである。
ここ十年自分が経験したこともそうだった。予測しえないことが次々に起きて苦しんだのである。それは自分だけではない避難した人とかもそうである。
人間には社会でも世界でも予測し得ないことが起きる、それは誰も予測しえないのである人間の寿命も自分もわからない、予測し得ないのである。
鳩山邦夫氏が67で死んだのかというのも驚きだけとただ60代で必ず死亡欄に地域別でも一人は死んでいるのである。それをいつも自分は見ているから恐怖なのである。
60代で一割死んでいるとなると死ぬ確率が増える、でも以前として何才まで生きるかは予測できないのである。これからもだから予測し得ないことが一身上でも外部でも起きる

今回なぜイギリスのことが注目したかというと為替で日本円を買っていたからである。
少ない額でもこれもはじめてやることであり110円の時買ったから円安になればいいと見ていたのである。株でも為替の投資でも自分が金を出すと世界のことでも真剣になって関心をもつことを知ったのである。それは何かあると自分の懐が痛むからであ。
貯金しているとそういうことはないのである。でも実際は貯金も市場の変動に影響しているのである。それがグローバル資本主義なのである。
人間はいくら堅実に生きるにしてもギャンブルのようなことがある
それは人生でも社会でも予測し得ないことが起きるからギャンブルになるのである。
ある時は一か八かの賭けになる。それは平凡な人生でも起きる
それか運命を決める、そういう場に誰でも立たされるからギャンブルになる。
だからいくらギャンブルを拒否しようとしてもできないのである。


キプロス危機を貨幣の歴史からふりかえる (文明の十字路-キプロス)
タグ:イギリス
posted by 老鶯 at 09:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

イギリスのEU離脱も格差や移民問題で世界共通だった (富を産み出すのは労働ではなく技術革新になった)


イギリスのEU離脱も格差や移民問題で世界共通だった


(富を産み出すのは労働ではなく技術革新になった)



●グローバル資本主義で起きている共通の格差問題

格差が日本以上に固定化しているイギリスのロンドンでは、同じような職業や収入の人たちが特定の地域に集まって、どのような家に生まれたかによって将来の職業まで決まってしまう。東京もロンドンのように金持ちと貧乏人が異なる場所に住み、まったく別の価値観を持って生きる社会に近づき始めているということでしょう」


現在、上位一パーセントが所有する富は、世界の総資産の半分に迫りつつあり、このままいけば二〇一六年には、一パーセントと残り九九パーセントの資産額が肩を並べるという

貧困層は世界に数十億人居ますが、その数十億人を合わせたよりも上位80人の富の方が多いというのは凄まじいですね。というか、70億人しか人間は居ないのに、その半分が貧困状態と言うのは異常だと思います。1%の超富裕層が世界の富を99%も抑えているわけで、この1%が今の世界を政治や文化、情報の面でもコントロールしていると言えるでしょう。

上位40人を平均すると、たった1人で10万世帯分の資産を保有している」「上位40人の資産は、全世帯の下から53%程度が保有する資産に相当する」と指摘。 

「アベノミクスが一握りの超富裕層への富の一極集中を生み出した」とただしました。 



格差社会というのは実はグローバル社会では世界的な共通の問題である。
イギリスのEU離脱も富裕層と上流階級と底辺層の対立があるという。
底辺層は移民が流入して治安が悪くなるなど嫌がっているしまた若い人の失業率はEUではみんな30パーセントとかさらに高い、底辺層の職か移民に奪われているとなるとその不満が大きくなる。

一方で富裕層とか上流階級にとっては別に働くのは移民を入れてもいいし安いならそれでいい、そこでグローバルに底辺層の賃金低下が起きてくる。
要するにグローバル資本主義とは多国籍企業にとって都合のいいものなのである。
働くものが別に自国民にこだわる必要がない、安く働いてもらえる人がいい、それが極端化すると機械の方がいいとなり機械化が頭脳分野でもコンピュターによってすすめられる働くものが別に自国民とかにこだわらないだけではない、人間にこだわる必要もないのである。つまりロボットの方が都合がいいとなる
現実に機械によって膨大な失業が起きていることは確かなのである。でも人間の労働が必要だから労働はなくなることがない、どうしても人間にしかできないことは残るのである
それとベーシックインカムが現実に実行される国まで出てきたのは機械が人間にとって代わり仕事がない収入がないと困るからである。
現代はこうして底辺層が二重に生れる要素が拡大したのである。
移民の問題はイギリスでもEUでも深刻である。イギリスノ空港で黒人がいたが売店で食べ物をチョコレートのようなものを盗んでいた。空港でそんなことするのと見ていたが黒人はアフリカ系なのかわからないがそういう人も多く入ってくる。
それはどこの国でも同じである、ただ外国人だけが盗むとは限らない、まず盗みは常にどこでもある。だから経営する人は従業員の盗みを経験しているから人を雇うのが嫌だといって一人で食堂をしている人がいる。

ともかくそうした底辺層が入ってくると治安が悪くなる、この辺では津波や原発事故などで外部から未だに除染があり南相馬市だげで8千人も入っている。
そこで入れ墨した人をみかける、郵便局にも露に腕に入れ墨した人を見た。他でもみんなみかけているしいわきでは殺人事件も起きた、昔なら飯場とかでありそこで何か金でもめて殺人事件になった。それだけ治安が悪くなり風紀が乱れる
それで嫌がある市民もいる。ただそのために経済的効果も生れている。
これもまた多少移民問題とにている。どうしても人を呼び込まざるを得ない状態が生れているからである。
日本でもいたるところで人手不足だからなんとか補うために移民を入れようとしている
人手不足は深刻であり会社さえつぶれているし介護関係などでも南相馬市で自分の近くに新しく施設をつくっても人が集まらないから開かれないのである。
建物は作っても人手不足で開くことができないのである。


●富を産み出すのは何なのか?

貧富の格差は別に先進国だけではない、世界的に起きている、というより数パーセントの富裕層が世界の富を独占している、その富を得ているのは多国籍企業でありその多国籍企業こそが国家より権力をもっている。東電は多国籍企業と違うが国家なみの権力をもっていた。そこに政治家から官僚からマスコミからと富を得ていたのである。
政治家とか官僚とかマスコミを考えればこういう人たちは別に富を産み出さないのであるブローカーとか斡旋業なのかもしれない、現実に富を産み出しているのは大企業であり多国籍企業なのである。それは世界的に同じなのである。
中国だって官僚が政治家が金持ちになれるのは企業に対して許認可権とかの権力をもちワイロをもらうからである。富を産み出しているのは企業でありそこに働く人たちである。官僚でもあとは税金をとるだけであり何か自身で富を産み出すことはしないだろう。
だから中国でも古来から人民は税金で収奪されるだけだと嘆いていた。
炭でも拾った栃の実まで税としてとられていたのである。それは結局現代でも変わりなかったのである。そういうことは日本の封建時代でも江戸時代でも侍を働かざるものとして安藤昌益 『自然真営道』で批判していた。
一時それが極端化して共産革命では中国の文化革命で官僚も地方の農民として働かされたカンボジアでも同じだった。知識人も否定されたから過酷な労働をさせられたのである。共産主義が貧富の格差を解消するわけでもなかった。それは中国をみればわかる。

ともかくなぜイギリスがEUから離脱したいのか決めたのか?
それが貧富の格差であり底辺層の移民に対する不満だとなるとそれはイギリスだけの問題でない、世界的な問題であり日本の問題でもある。
アメリカの問題でもある。なぜトランプが人気があるかというと貧富の格差がアメリカでも大きいからその不満がトランプ人気やサンダース人気になった。
アメリカの格差問題も深刻なのである。だからこれはグローバル資本主義の世界的問題として認識するようになったのである。
グローバル資本主義のもたらす欠陥が負の部分が増大したから顕著になりもう限界にきたから底辺層の反撃がはじまった、それは後進国だけではない、先進国でもどこでも同じなのである。グローバル資本主義はグローバルだからこそグローバルに共通の問題に直面している。

国を富ませるというとき国全体のレベルを上げてGDPをあげて国全体を富ませて株でもあげてトリブルダウンさせて下層にも金を回す富を回すという方法がある。
それがアベノミックスであるがこれがいいのかどうかはまた議論がある。
もう一方は金持ちの富に税金を高くしたり金持ちの金を貧民に回す方法があるがこれは社会主義的方法であり民主とか共産とかの方法である。
これは下層にはいいものである。富の分配を平等にするからである。これにもまた問題がある。共産主義が富む者がいなくなりみんな貧乏人になるとも言われる
それはソビエト連邦の崩壊とかで実験ずみである。共産主義経済は全体の富を産み出さないからみんな貧乏になるのである。
この二つの方法にはそれぞれいい面と欠陥がある。

そもそも何が富をう産み出すのか?今までは勤勉な労働が富を産み出すとしていた。
でも現代はそうなのか?現代の富はどこから生れているのか?
わかりやすいのは石油とかの資源をもっている国が富を産み出していることはわかる。
そこでカナダでも石油が世界で四位の石油産出国だからと自分も投資した。
それはわかりやすいからである。でもアメリカが有望だというときシェール石油とかがあってもハイテクなどグーグルなどIT産業が世界を支配するからそこで富を産み出している富を産み出すのは現代では資源もあるが労働もあるが何か頭脳的なものや機械などを作ることなど過去の富とは違う、知識や技術などでありその方面でのイノベーションだとなる

●富を産み出すのは現代は技術革新

自分の経験ではヤマハのJPY-Rはロードの機能もあり電動自転車でもあり坂を上るとき楽でありこれは前のと比べると速さも倍になり軽いから軽快に走る、体の負担も軽減された倍速になり軽く進むから遠くにゆくのに楽だと実感してまた遠くに自転車旅行したくなったのである。
今までの電動自転車はこぐ回数が多くなるがこれは半分ですんでさらに倍速になっているから乗っていて気持いいのである。
こういう技術革新したものが出てくることが消費を増やす、これは老人でもロードに親しめるとなる。老人が金を使わないというとき何かそうした使うものがでていないのである最近話題になっている自動運転できる車が将来現実になったら高くても死ぬ前に乗ってみたいとまでなる。つまり技術革新したものはそれだけ魅力があということである。
それはテレビが普及したときそうである。どれだけテレビに熱中したかわかる。
全国民がテレビの前にかじりついていたのである。テレビはそれだけの魅力があったのである。

次ぎに車がそういう魅力があって普及した。パソコンでもそうである。ただこれは庶民全部には普及しなかったがそれでも今はインターネットが普通になり普及した。
今はどちらかというとスマホが全盛である。
ともかくそうした技術革新がやはり現代の富を産み出しているのである。
今までのような勤勉な労働力ではない、何かの発明であり技術革新が富を産み出す、それがグローバル資本主義の競争に勝つものでありそれによって富が産み出される
つまり多国籍企業に莫大な富をもたらす、でもその技術革新は底辺層が産み出さない
一部の多国籍企業の優秀な頭脳が産み出すのである。
例えば3Dプリンターが話題になるがそこで旧来の技術者がいらなくなるという問題が生れるし農業でもドローンで農薬をまくなどするようになる。すると旧来の農業労働も軽減されるし人手不足も補えるのである。
スーパーの自動支払機でもそうである。お釣りがででくるしお釣りを残すと警告音でるとか人間よりミスがないと感心したのである。

だから格差が広がるというときその問題の核心は何かとなると底辺層は貧乏人は働かないから怠け者だからだという自己責任とも言えない、貧乏人にもいろいろある。
当然あの人は貧乏になってもしかたがないという人もいるしなぜあの人はあんなに働いているのに貧乏なのだという人もいる。
現代の格差はもともと金持ちで資産家なら金持ちになりやすいというのもある。
金持ちの子はまた金持ちになりやすいのはそれは昔からそうである。
第一富は一代では築きにくい、せんぞか土地をもちその土地を受け継ぎ次代のものが豊になる。そういう家代々で積み重ねて豊になるからその富をうらやむことは問題である。
そんなことしていたらこの世に金持ちなど生れない、みんな何でも平等にしろというとき結局共産主義のようにみんな貧乏でいいとなってしまうからである。
そうしたら誰も努力などしないからみんな貧乏になるのが共産主義なのである。

ヨーロッパでは貴族階級がありその子弟は家庭教師などをつけて教育されるからそこから天才が数多く生れた。それは学校教育とは違ってる個性を開発できる教育だったのである学校は何でも平等を目指すから共産主義的なのである。
日本には天才が生れにくいというときそういう環境も影響しているのである。
とにかく団結力があってもみんな同じでないとだめだとなり平等を第一にする社会だからである。大陸では中国でもヨーロッパでもアメリカでもぬきんでた天才が生れる
その天才が発明して技術革新が起きるからそこで富が産み出されるのである。
だから金持ちが全部悪いとはならない、ただ現代の富が集中するのはそれでたけではない金融という株式でもうけることはそれは何かを産み出しているのとは違う。
何か物を作り出してもいないし発明もしていない、金のやりとりだけで利益を産んでいるから批判されるのである。
その金を基にまた富を産み出せばいいのだがそれもできないとなると何で金持ちになっているのたとなる。
なぜ貧富の格差が生れのかというとそれは現代のグローバル資本主義であるがだからといって共産党に票を入れてもその格差は解消しないし富を産み出されずみんな貧乏になるということも知るべきである。

ttttnnn122.jpg

ヤマハーYPJ-R 
タグ:格差問題
posted by 老鶯 at 22:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2016年06月25日

黒い百合(金持ちと貧乏人の人類の永遠のテーマ?)



黒い百合(金持ちと貧乏人の人類の永遠のテーマ?)


bbblll1.jpg

緑陰に休めば来る尾長かな

夕月やしきり飛び交う夏燕

馬駆ける野馬追い近し夏雲雀

原町のレストランの窓夏燕

風を切りロードに走る夏燕

薔薇あまた庭に咲くかな肥料やる

老鶯や根を張る樹の太しかな


黒き百合さして我が家に日々来る女(ヒト)そめだたず苦労多しも

その女の苦労の絶えず老けにけり黒百合さしぬ我が見ゆるかな

その女の植えにし薔薇のまた咲くと明日また来たらむ我が庭を見る


その女性は苦労人である。だから十年くらい年齢よりふけて見える、なぜその女性が貧乏なのかわからない、結構働き者のようにも見えるからである。
造園関係の会社で働いていたので花とかには詳しい、それで庭を作ってもらった。
小さな畑で毎日働いている。ただこれは趣味である、なぜならそこに金をつぎこんでもその金に見合うものはとれない、自分から見ると贅沢だとなってしまう。
ただ野菜を作ることが好きなきである。農業が好きでしているとなる
農家の出だし体力もある。ただ耕すとかは人に頼んでいるのである。

金持ちと貧乏人というとき本当に和解しないのか?ただ金持ちを貧乏人はうらやむだけなのか?
これも結局その人の考え方が左右する、もう徹底して金持ちを批判して金持ちは悪だとする人がいる、そういう人は金持ちと敵対するしかないから家の中で雇ったりしたら危険になる、家の中に入るとその差が大きいので問題が起きやすいのである。
なんでこの家でぜいたくしているんだとなる。それがはっきり見えるから危険になる
それで俳優の女性の家から宝石などを盗んで訴えられたお手伝いさんがいた。
ともかく何か家の中に入り働くと問題が起きやすいのである。そういう事件が日常的に起きている。
自分は別に雇っているというものでもない、ただ毎日その女性は来ている

金持ちの家にきて例えば広い庭があるとしてその庭を掃除したり花や樹の世話とか水をやるとか掃除するとかき仕事があるとたらそんなことただ使われているだけで嫌だと思う人がいる。
一方で自分の庭でなくても花を見れるし広い庭にいると気持いいと考える人もいる。
他人の庭でも自分の庭にも思えるともなる、別に花は金持ちの家に咲くとしても同じように美しいからである。
「この花きれいだね」とともにその美を見て喜ぶのである。
そこにともに豊かさを享受しているのである。
でもそういうふうに考えないとしたらこの家ではいろいろな花を買えるとか自分には庭もない花も買えないとか不満だらけになるのである。

金持ちと貧乏人を考えるとき金持ちにあやかった方が実は得である。貧乏人同士ではただ不満ばかりを言うだけになる、何か困ったことがあっても金の問題があっても相手に金がないので解決しないのである。
共産主義がみんなで平等で貧乏になるという社会である。それもつまらない社会だと思う
田舎でも金持ちがいるということは何かその土地に金持ちになるものがある、農家だって金持ちの人はいる。それには金持ちになるものをもっていてる、浪江の広い畑をもってとれた野菜を平に今のいわきに売って娘を3人大学に出したという農家の人がそうである
その人は表彰されたように農民として優れているからそうなった。
そういうふうにして豊になった人をうらやむということはひひがみである。
田舎でもその土地から実りがあり豊かさをもたらすことをその農民は示していのである。そういうふうにして豊になった人を否定したら自分たちも決して豊にはならないのである
ただ株でもうけたとか公務員はたいしたこともしていないのにき給料がいいとか恵まれているとか不満がでる、それは富を得るのに不公平だとなりそうなる
でもまた先祖が努力して残したものを受け継ぎ発展させることも否定できない
なぜなら人間はとても一代では豊になれない、先祖が良ければやはり恩恵があって当然だとなる、先祖の努力や福を否定することはできない、ただ都会などでも土地だけを引き継ぎ地主などが批判されるのは土地だけをもっていて金持ちなっているからだとなる
ただ土地を受け継いだだけで実際は次の代では努力もしていないからだろう。

ともかく金持ちと貧乏人が敵対するでなく何か和解する方法を見いだす、それは双方の歩み寄りが必要なのだと思う。もちろん巨万の富を貯えるというのは問題外だろう。
そんな巨額の金をもつということはどうしても異常でありそれに対する不満は当然だとなる
金でもその人がどういう使い方をするかというのも問題になる、ギャンブルとか女遊びだとか浪費していると批判されるだろう。何か社会に貢献しないと批判される
ともかく現代は金の力が大きくなりすぎたのである。金が人を支配して金持ちと貧乏人が離反してしまう。
ただ田舎だと金持ちは目だちうらやまれる、だからどうしても田舎は平等を追求することが強いられるのである。
大金持ちは都会にいるが田舎には住めないだろう。それは目だちすぎるからである。
金持ちと貧乏と貧富の問題は人類の永遠のテーマなのだろう。
それ故に共産主義革命があり多大の人命が失われた。それは貧富の格差だったが中国ではそれは解決していない、信じられない巨万の富を今度は共産党の幹部がたくわえたからである。この問題を解決することがあるのか?



タグ:黒百合

2016年06月26日

知っていることと理解すること違う (知ることより理解深めること)


知っていることと理解すること違う


(知ることより理解深めること)


知っていることと理解することは違う、知っていることは膨大になるけどそれは単に知っているということであり理解しているわけではない、現代はグローバルに知ることが膨大になる、でも外国になると理解することがむずかしくなる
例えば人間でもあの人を知っているというのとあの人を理解しているというのは相当に違う、まず一人の人間がどういう人なのか理解することがむずかしい
それは家族ですらそうであり、家族でも生い立ちとか境遇が違ってるからである。
夫婦でもそうである。知ることは容易なのだけど理解することがむずかしい

一人の人間を理解するには時間が必要である。理解できないのは時間がないからである。少なくても二三年とか付き合わないとその人のことはわからない。
だからその人がどういう人なのか簡単に判断できないのである。
江戸時代とか村のような狭い社会だったらあの人がどういう人かなど知り尽くしていたろう。でも村以外の人と交わるときその人がどういう人か理解できないから警戒するのは当然だった。
現代はそうしてその人をどういう人か理解できないままに交流することが多くなった。
そしたらどうしてその人を信用できるのか?それでうるさく保証人などが要求される
その人のことを知らないのだから書類選考したり何を判断基準にするか採用する方でも困るからである。
自分も失敗したのは知らない人を家に入れて働いてもらって大損害を受けた。
何か同じ町であり田舎ではそんなことをするとは思わなかったのである。
ただその人が金に困っていたことはわかっていた。
もう一人は親の代からつきあいがあった人だったがその人が金に困っていることがわからなかった。事業で成功した人とばかり思っていた。
なぜならその人はそういうふうに吹聴していたからである。それで病気のとき借金を要求されて苦しられたのである。

いろいろな事件があってもその事件を知ることができてもなぜそうなったのかは理解すことがむずかしい、あらゆることで理解することはむずかしい。あることについて正否があり人についての評価でもそうである。
それは知ることができてもそもそも理解することがむずかしいからである。
現代とは知ることは世界的に膨大になっている、でも理解することは少ない
江戸時代あたりは狭い範囲で生きているから知ることも少ないが理解することはかえって人でも回りのことでも深いものがあった。
それは人間についてもでもその土地のことでもなんでもそうである。
現代は何でも広く浅くであり理解を深めることがしにくいのである。

人を理解するとき、understandとあり下に立つなのである。これもどういうわけで生れた言葉なのかわからないけどヨーロッパは貴族社会だけどそもそも人を理解するにはその下に立たないと理解できない、上からの目線では人は人は理解できない、今度のイギリスの離脱問題でも底辺で働くイギリス人のことがわからない、上流階級は別に移民でもいいとなり残留になったという。そのしっペ返しが投票に現れた。
移民に職を奪われるとか底辺層のことを理解していない、つまりunderstand 下に立って理解しないということなのである。
それも政治家でも何でも下に立たないからそこに底辺で苦しんでいる人たちのことが理解できず無視する、まず貧乏だって今では外見的にはわからない、でも貧乏に苦しんでいる人が増えた。ただ貧乏だからといって生活保護でも人様々でありその事情は良く接してみないとわからないのである。
現代はともかく広くグローバルに交わるのだけど理解することがむずかしい
そこに様々な誤解や軋轢が生れる、外国人が大量に入ればますますそうなる
言葉も理解しないというとどうして理解できるのかとなる
つまり移民問題はただ安い労働力として考える、ロボットのように考える、相手は人間なのだから理解し合わないとまずたがいに協力はできないのである。
だから移民は問題なのである。機械の方がそれならいいとなる。

理解するというとき本当に自分は家が傾くほど本を買ったけど理解していなかった。びっしりと線を引いていてもそのことを全く忘れていて理解していなかった。理解しているのもあったが多くは深く理解していなかった。
そして今になると二三行を読むだけでその言っていることを深く理解できる
老人は理解力とか洞察力が深まる、若い人には行動があっても理解力がないのである。
若いときはどうしても行動が先になる。それは正しいことである。
旅をするということは行動なのである。旅しているときとか何か行動しているときそのことについて理解できない、でもあとで理解することが深まってくる
人生でもその時々にこうどうするのだがその意味が理解できないが老人になりふりかえるとりかいできなるのである。あれはそういうことだったのかと理解できる
歴史でも百年たってふりかえり理解が深まる、最近明治維新について見直されているのはそのためである。

人間は多く知ることではない、あることについての理解を深めることである。それは人間についてでもそうであり社会についてもそうである。
そうしないと浅薄なもので物事を判断するようになってしまう、つまり数が多いとかナチスのようなファシズムになりやすいのが現代である。何か感情的に煽情的なものとしてあおられそれで全員は理解しないで行動することになる
それはカルト宗教団体がこれほど増えているのもそうである。題目を唱えればいいというのはまさにファシズムである。それは何も考える必要がないからである。
すべてはハイルヒットラーで終わりになる。
ホピュリズムになりやすいのがまた民主主義なのである。多数決がすべてだとなるとそうなる、なぜなら庶民は知ることはできても理解できないからである。
そして現代では理解できないことが多すぎるのである。
原発事故もそうして起きたのである。庶民にとって原子力とか核となると理解不能になるからである。

知っていることをいかに増えても結局人間は賢くなれない、互いに理解しあうとき相手との和解があり平和もありうる、貧富の格差が問題になっているが今は金持ちと貧乏人は交わらない、するとたがいに金持ちのことも貧乏人のことも理解できないのである。
理解できないとそこにただ敵対関係だけになるのである。
だから金持ちと貧乏人を分けるマルクスの階級闘争の思想は危険だったのである。
現代がそうなりつつあるから危険なのである。
イギリスの離脱問題でも残留派は金持ちに貴族に多いというとき下で働くイギリス人の庶民のことが理解していなかったのである。

新しく建てられた家には誰が住んでいるのか? (南相馬市鹿島区の新住宅街の謎ーやはり船主だった人なのか?)



新しく建てられた家には誰が住んでいるのか?


(南相馬市鹿島区の新住宅街の謎ーやはり船主だった人なのか?)


この辺でわからないことは次々に新しい家が建ったことである。それも結構立派な家が多い、外から見るとまるで高級住宅街ができたのである。その地域は土地もいい場所である一部には豪邸という感じのもある。
その値段はわからないが土地の値段が高くなっていると言われからやはり相当な額だろうそれを鹿島区の人が建てたのかという疑問があった。
確かに津波の被害にあった人でも家をなくした人でも金をもっている人はいる。
でもどのくらいの数かわからないが百軒とか新しい家でできてそこま一つの街になるようだとそんなに金をもっている人がいるのかと不思議だった。
だからいつもその家々見てどういう人が入っているのか謎だった。
どういう人たち住んでいるのかわからないのである。

一方で25000万で土地付きで売り出している所もある。それなら入り安いと感じていた。
ただそうではなく豪邸もあるその額にしていくらになるかわからないがその安い住宅とは違うのが新しい街を形成する
その人たちどういう人たちなのかと不思議だったのである。
そんなにみんな金を持っているのかという疑問だった。
海老の人は屋形の方に家を建てたが借金で苦しいという。津波の被害にあった人だった。でも借金までしてあれだけの家を建てるとは思えない。
それなりに金に余裕がないと建てないだろ。

今日また話の面白い人と話した

「あそこに家建てた人は船主だよ」
「やっぱりそうなの、自分の近くにも船主だった人が家を建てたんだな」
「どこに行くんだとといったら海に行くんだと言っていたよ」
「海ということは船をもっている人なんだ、そうか、それでわかった」

自分がわかったというとき原発事故以後漁業権をもっている船主の人は大金が入った
それは漁業権を東電に売り渡してから船主には補償金がずっと入っていたし原発事故以後も金が入っている、それは他の人と比べると段違いに大きいのである。
そのことで磯部でも船主がいて立派な家を建てていると回りの人がうらやましがっていたのである。原発御殿とも言われた
別にみんなが漁業権をもっているわけではない、近くに住んでいてもそうである。だから何か近くでもそういう船主などに反発があった。
それは原発事故が起きるまで自分もわからなかった。何か漁業は苦しいと訴える人がいてそうなのかなと同情していたのである。
相馬総合病院に入院していたときも浪江の請戸の人がいて特等室に入り家を建てると言っていた。その人も船主だったのだろう。

いわきでは双葉とか大熊とかから避難して家を建てる人が多く地元の人から反発があった双葉とか大熊は小高などとは違って補償金の額が違うからである。もう住めないとなる家から土地からあらゆるものに補償金がでるからである。
狭い私道のようなものまで補償金が出たというからだ。あらゆるものに補償金が出るのである。
ここでも磯部の人が家を建てているという、磯部の船主だった人なのだろうとなる
他にも港があった所の人が家を建てている、その内訳はわからない。
この辺ではいわきとは違いそんなことで騒がない、第一良くどういう人が住んでいるのかわからない。もちろん船主以外の人も家を建てている
でもこんなに一つの街ができるほど新しい家が建つことが不思議だったのである。
その解答の一つはやはり津波の被害にあった港がある所で船主だった人が建てているというのは納得がいく、それならこれからも補償金が入るし生活できる
つまり海に行くというとき船主だからである。別に家がなくなっても船主だと船があれば漁業ができる、浪江の請戸港の船が鹿島の烏崎の港に停泊していたからである。
港に家がなくても船があればこれからも漁業はできるのである。

ただ一方では団地形式の復興住宅に入る人もいる、一軒家の復興住宅に入った人もいるしさらに復興住宅を作っている。団地形式の復興団地は原町では相当な数である。
そっちの方の数が百倍くらいに多い、一軒屋を建てるのそれから比べると少ない
やはりそれだけの金をもたないと家は建てられない、その家にしても2500万くらいのと立派な大きな家の値段は三倍くらい違うかもしれない
つまり同じ津波の被害者でもまたその他の人でも家を見れば差がある。
どんな家に住んでいるかでその人の暮らしを判断しやすい、やはり立派な家に住んでいる人は金をもっているとみる。
ただその住んでいる場所も左右する、立派な家が建って一つの新しい街となった所は土地がいい場所なのである。だから土地の値段も高いはずである。
自分が原発事故前に70坪7百万と立て札に書いてあったのは一番いい土地だったのである
そこはいつまでも売れなかった。今になるとその土地の値段はどのくらいになったのか?軽く倍以上になったかもしれない、それで土地を売った人は大きな金が入ったことは確かである。

それにしても何かここでも複雑な気持になる。もし立派な家を建てた人たちが船主が多いとしたら地元でも反発する人が多くなるだろう。
なぜあの人たちが金をもらいいい暮らしがつづけられるのかとなる。
漁業権を東電に売り渡したのは漁業権をもっている人たちだった。
海は漁業権をもっている漁師だけのものかということを前に書いた。
もし海を守ってくれるならいいが東電に売り渡して補償金をもらっていたのだから海は魚をとる俺たちのものだと言えるのかとなる
ただ魚をとれれば今ではありがたく食べるとなる。もし漁業権とかで補償金をもらわないならもっとその魚あ貴重てものとしてありがたく食べただろう。
この辺は補償金問題でもめたが最も反発されているのは漁業権をもっている船主とかである。海側に住んでいても船をもっていない人はもらえないからである。

だから何かこれもこの辺が複雑な気持になる、ただここでそういうことは表面化していないし実際はわからない、でもやはりこれだけ新しい立派な家が建つということはそれなりの理由があると思った。そんなに立派な家を建てられるのかという金を持っているのかという疑問だったのである。
補償金にしても土地をもっていたり人によって違ってくる。軽く億の金をもらった人は多いことは確かである。でもそれが全部ではないのである。
だから復興団地に入る人もいて差ができる。それはいわきでも楢葉とか他は少ない、大熊とかは額が違う、もう住めない所もあるからだ。それで内部でも補償金問題でもめているのである。
補償金でも一様ではないのである。ただこの辺では一番補償金でもめたのである。

南相馬市ではあまり漁業権をもっていたから船主で金をもらっていたからと回りでは騒がない、でも磯部の人も家を建てていたとかわかるとやはり船主などで金が入ったなのかとなる、ただ数が多いから実際の所はわからない、そうみれば納得することは確かである。話した人は金をもっているらしいが80を越えているしいつ死ぬかわからないと小高の街内の住宅を借りて住むという。そこは長屋風の住宅などもあり街内にあるから便利だと思った。
街内でもスーパーもなにもないのだから住んでも不便である。
もう年だから家を建ててもそこに長く住むわけでもないから建てないと言っていた。
もう年取ると先がないから家があるとかえってその後をどうしていいか困るのである。
子供が離れてすむと余計にそうなる、今や空家が全国で800万軒と異常な状態になっているからだ。
どうせ死が近いなら何かをもつということは家でも負担になるのである。何もない方が気楽だとなってしまう。そういう所が若い人と老人の差が顕著に出るのである。

posted by 老鶯 at 21:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2016年06月27日

イギリスのEUからの離脱と日本の市町村合併の共通性 (小高は南相馬市から見捨てられる?)


イギリスのEUからの離脱と日本の市町村合併の共通性


(小高は南相馬市から見捨てられる?)




これも外国だから何か複雑で日本ではわかりにくいとなる
それもそうなのだがこの辺が直面している問題と共通性がある。
市町村合併は小規模でもEUとにている。
合併してからいろいろと不満が出ている
南相馬市だと小高ー原町ー鹿島と合併したが結局原町がもともと原町市であり
人口も5万とか多かった。
すると合併したら原町中心になり小高や鹿島は原町に付属するようなものになった。
それが顕著になったのは原発事故が起きてからである。

一番もめたのは補償金の問題であった。
補償金によって小高ー原町ー鹿島は分断されたのである。
原町では最初仮払補償金を市の財政から払うとき反対した人がいた。
その時から南相馬市は分断されていたのである。
財政にしても南相馬市になればどう配分するかで問題になる。
結果的には原町中心の予算配分になり鹿島区などは不満だった。

今度は小高が見捨てられるというときそれも南相馬市全体の一部として小高があり
小高独自の自治はもうできない、南相馬市の支持に従わねばならない
でもこういう緊急自体になると小高が存続できるかできないかとなると
小高自体の自治が必要になってくる。上からでも下からでも小高としての自治がなかったら復興できないのである。
南相馬市全体で考えるとき小高はめんどうだからもう若い人も帰らないから見捨てるほかないとか性差としてもなりかねないのである。
でも小高町として自治体として独立に機能していれば小高町をみんなでなんとかしようという具体的な政策も実行できるのである。


他では浜通りは小さな町でも合併しなかった。双葉町とか大熊町とかきぼか小さくても合併しない、他でも富岡でも楢葉でもそうである。
それは原発マネーで財政が豊かだったからである。
合併したのは財政問題があったからである。
ただ飯館村などは所得が福島県で最低だったのに合併しなかった。
つまり飯館村は飯館村の独自の村作りをするときめて合併しなかったのである。
財政的には苦しいけどそういうふうに決めたのである。

合併するにしろしないにしろメリットとデメリットはあった。
それは今のイギリスのEU離脱問題とにているのである。
飯館村はスコットランドである。独自の村作りしたいということでそうした。
ただ違うのはEUに残留したいというのは違っている
南相馬市はEUであり合併したのは経済的財政的問題だったから同じだった。
飯館村が南相馬市と合併しなかったのは貧乏でも独自の道を歩むためだった。
それはそれで納得する、南相馬市と合併したらそうはいかなくなった。
そのことを原発事故後小高区に具体的に示されたのである。
小高が復興するには小高自体で自治が必要でありそれがないから南相馬市の支持でやるほかないからできないとなる
それで南相馬市から見捨てられるというときそれは独自の道を歩めない自治体がないからそうなる。

イギリスももともと連合国だった。それがイギリスにまとまり大英帝国までに発展した。それはさらにEUに合併したのである。その事情はイギリス一国では衰退したからEUに入ることで経済的に発展しようとしたのである。
EUから離脱すれば経済的メリットは受けられないからである。
ただグローバル化した、広域社会になった現代では一市町村のエゴは通じないということがある。熊本県が批判されたのは放射性廃棄物の処理を引き受けなかったことである。
そして東北は地震が多いから危険であり地震がないとした企業を誘致した。そういう一つの県のエゴであれ広域社会になると許されない、江戸時代だったら他の藩のことはどうでもいいとなるが現代ではそうはならない
広域社会でありグローバル社会になると責任もそれだけ広いものになるのである。
イギリスは移民だけではない日本の企業でも1300社も受け入れていたのである。
そしたら日本でもその影響を受ける、世界でも受ける、イギリスが勝手に離脱していいいのかとなる。つまりもはや一市町村と一国でも勝手にならないのがグローバル社会である

ただグローバル社会がいいとかは別問題としてある。それぞれの国が独自の道を歩むという選択もあるしそれが悪いとも言えない、それは飯館村が合併しなかった理由とにているそういうジレンマに陥っているのがイギリスである。それは他の国でも同じなのである。グローバル社会になったとき同じ問題をかかえているのである。
ともかく小高が南相馬市から見捨てられるというとき自治が失われてしまっていたからだというのもわかる
一方で現代は広域社会だから一市町村が財政的メリットがあるからと勝手に原発を誘致してもらっても困るのである。
広域的にトータルに考えねばならない、小高が原野化している地域が広い、そこを放置しているといつかは国のものになる。税金を払わないとならないとか売るとやがては国のものになり国の勝手にされるのである。放射性廃棄物場にされる
それも南相馬市では困るとなる、飯館村では自分の土地を国に売って金が欲しいという人がいた。そうなると放射性廃棄物処理場にされてそれが南相馬市まで泥となって流れてくる。今でも飯館村から放射性物質が泥となり真野川とか川を通じて流れてきているからだ

今回の原発事故では私的に利益を確保するということと公的な問題としての土地や海の問題があった。漁業権も漁師が海が自分たちのものだから東電に売り渡した。
でもそれによって汚染されたのだから責任がある。海もそうだしそれぞれの土地でも土地は公的な性質がある、みんな土地でも海でもつながっているからである。
私的に占有するこなどできないのである。一区画の土地でも全体とつながって存在しているからである。
イギリスがこれから混乱状態になるというときここはすでにそうした混乱状態が継続しているのである。
浜通りが双葉町でも大熊町でも浪江町でも広域的に考えて問題解決にあたるべきだというときもそうである。それはEUとしてあることである。
原発事故の被害は広範囲になったからである。個々の市町村で処理できない問題だったのである。ただ個々の市町村であれ地域であれ個人であれ利益を追求しているだけでは問題が解決しない、個々にであれ地域であれ利益を追求すれば全体が保てなくなる
でも実際は公的でない個々の問題として補償金は追求されている。
特に南相馬市では小高と原町と鹿島は分断されたというとき一体感が失われた。
他は一つの町として追求しているけど南相馬市はそうならなかったのである。
タグ:市町村合併
posted by 老鶯 at 14:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2016年06月28日

女性が貧乏底辺化する原因 人間の幸不幸は最後までわからない



女性が貧乏底辺化する原因


人間の幸不幸は最後までわからない


●夫に恵まれない

●離婚している

●容姿が悪い

●その人の資質

●実家とか資産や遺産がない

●子供に恵まれない


女性が幸不幸になる原因は何か?女性の場合どうしても容姿とかが大きく作用しているだろう。女性で見た目が良いといい男性とめぐりあう度合いが大きくなる
自分は人と接していないから実際はそういう方面ではうとい
ただ最近知った女性をみるとこの条件があてはまっているように見える
女性はやはり夫に恵まれないと貧乏になり底辺化しやすい
それは容姿が大きく関係しているかもしれない、自分のあった女性は容姿が良くない
そして離婚している、ともかく現代は離婚している人が本当に多い
三分の一は離婚している、戦前などは離婚しても離婚できない、生活できないからであるだから人間はそもそも他人が一緒になれば離婚も増える
離婚してすぐ生活保護を受けていた人もいた。子供がいたので女性は生活保護を受けやすい、これも離婚を促進しているのだろう。
今は女性はいろいろと社会的にも援助されるからである。

人間は貧乏になるというときその人の資質が関係している。それは学歴とかも関係ない、その人の資質が大きく関係している、人間は頭脳でも体力でもそもそも差が大きいのである、自分などは体力も頭脳もだめだった。だから普通であれば底辺化していた。
ただ自分が恵まれたのは家族に恵まれたから底辺化しなかっただけである。
家に資産があるとか金持ちだと資質が悪くても底辺化しない
まず学歴があっても東大出ても高卒の方が仕事ができるとかあり現実の社会で活躍できるかはその人の資質なのである。

近くのトラック運転手は若いときに家を建てた。30代で建てた、なぜできたかというとトラックは一台運んでいくらと歩合制である。それを人よりも多く運んだから金をためた。ただその時は高度成長時代であり給料も常に上がっていた時代である。
その時は事業をしてもたいがいうまくいっていた時代なのである。
その人は何か人を指導する親分肌の人ということもあり会社で上に立つようになった。
それはその人の資質なのである。もう一人同じ仕事でも働いても役にたたず生活保護になった。どんな仕事でも資質がないとものにならない、大工とかでも何でもそうである
男は仕事ができるということは資質なのだろう。女性は容姿が大きく作用する

女性の場合はまた生んだ子供にも幸不幸が作用する、その人は障害者をもったことで子供にも苦労した。他の人をみると子供が事業して贅沢な暮らしをしているとかある。
頭のいい子が生れるといい所に就職すると親は楽になるし贅沢もできる
現代はできの悪い子が生れるとその影響も大きい、ニートなどがどこにでもいて増えているからである。するといつまでも子供の世話をせざるをえなくなるのである。
その人が底辺化したのは上に書いたことがみんなあてはまっていたのである。
ただその女性の資質をみると悪くはない、考え方がしっかりしているし体は丈夫だし資質が悪くはない、ただ容姿は悪い、太っていて不細工で若いときだと嫌だとはなっていただろう。ただ精神的な面を見るとしっかりしているのである。
女性でも容姿が良くても精神的薄弱な人が結構いる、そういう人は苦難に弱い、苦難をのりきれないことがあるだろう。自分もそうだが社会的適応性がないとなる
その女性はとにかく人に頼むことやたよることがうまい、交渉力がある。
女性だからとはなるがそれだけでもない、だから男性には好かれるタイプのように見えるでも容姿が悪いから若かったら嫌だとなってしまう。

その人は飲食店で働いていたが給料を半年分もらいなかった。そこは元暴力団員とかが関係していた。要するに飲食業にはブラックが多いというときそうだった。
給料未払いというのもそういう所にはあるのだろう。
そういう底辺にはブラックが多いのである。今だと派遣とかかそうである。底辺化することはブラックな所で働かせられるということでもある
そしてブラックな所を転々とするということがありぬけられないのである。
その女性は底辺化する条件がみんなあてはまっていた。ただ資質として容姿が悪くても精神的には悪いとはなっていない、心がひどく曲がってしまった女性もいるがそうはなっていないのである。


ただつくづく人間の幸不幸はわからない、女性で容姿が悪いから必ず不幸になるとも限らない、美人だから幸福になるとも限らない、あんな美人で結婚してすぐに乳ガンになった芸能人がいたりいろいろある。人間は最後になるまで何が幸不幸かわからないのである。幸福の原因と思えたもが不幸の原因にもなったりする、金持ちの姉妹が餓死したとかいろいろあるだろう。老人になるとそのカルマが結果として現れる
つまり幸福の原因が不幸になる原因だったともなる。苦労していればそんなことにはならなかった。何の苦労もしないから苦難をのりきれなかったとなる
金持ちの家がみんな幸福といえばそうでもない、何か不幸をかかえているというのも多いからだ。
鳩山邦夫氏なども大金持ちであり大臣にもなったが67才で死んだのかとなる。それもはかないとなる。大金持ちでもみんな死ぬから同じじゃないかともなる
死というのは誰にでも平等なのである。結局なんであれ人間はみんな死ぬとなる
自分も同じ世代の人が近くで結構死んでいるから死が身近になる
だから大きな家とか財産でもいらないとなる、かえって負担になる。
金があればいいがこれももし遺産とか相続になると子供がいたらもめるし金が災いを呼ぶことは普通にある。だから何が幸不幸なのかわほからなくなるのだ。

人間いろいろ不幸があっても健康がそこなわれると最大の不幸になる。大金持ちでも徳州会の徳田氏のように大病院をもっていても身動きがとれない口もきけないとなると最も不幸にしか見えないのである。これも何か皮肉だなとつくづく思う。
どんな高価な治療を受けられるにしても優秀な医者に看護師に囲まれていてもあれを見ただけで不幸だなとなる、何か人生は最後までの見ないとわからない
自分の姉は資質的に優れていたけど最後は認知症になり悲惨だった。
自分は優秀だったと最後まで言って死んだ、いくら優秀だったとと言っても認知症になることは馬鹿になる痴呆になることだから悲惨だったのである。
ただ人間の最後は認知症になる人も多いのである。90以上になると半分はなる。
だから長生きすることもみんないいとはならないリスクがある。
だから人間の幸不幸は最後までわからないのである。運不運もある。
津波で死んだ人たちもやはり運不運かあった。事故で死ぬということも不運である。
要するに人間の幸不幸も幸福の原因が不幸の原因ともなるし不幸の原因が幸福の原因ともなるからわからないのである。

若い人と老人を比べるとその差は歴然とする、老人にとって若さはあまりにもまぶしいものである。もう絶対に手にいれることができないものとなっているからだ。
若いときは当り前にあるその貴重なものを感じない、失ってみてはじめていかに青春などあっという間にすぎるから思い知らされる、そしてその時は二度と帰ってこないのであるそしてみんな必ず後悔している、どんな人も老人になって後悔しない人はいないのである有効に活かされなかった時間や様様なもことで悔いているのである。
でもまた老人が不幸かとなるとそうでもない、前にも書いてきたけど本を読むにしても今までわからなかったことがすぐにわかる、理解力とか洞察力とかかえって創造力さえ老人の方があるともなる、それはいろいろ個々人によって積み重ねたものが華開くからである自分は才能がなくても我ながらいいものが俳句とか短歌とか詩でも作れたなと自分で感心しているのが不思議である。
ともかく老人になとその時何が幸福で不幸だったかもわかる、不幸と思えたが幸福になったり幸福だと思っていたことが不幸だったともなる、確かに自分の場合も自分を幸福にしていたものが不幸の原因になった。家族に恵まれたが家族の介護になってひどいめにあった。
幸福にしていたものが反転して不幸の原因になっていたともなる

結婚しない人が増えているけどそれも若いときはいい、年取ってくると誰も頼る者がいない、現代のような情のない社会では特にそうである。
金があったとしても病気になったらその金をとってやうとする人しか来ないのである。
実際そのことで自分がいかに悲惨なものになったかを経験して書いた。
つまり若いときは将来どうなるか見えないからのんきにしているのである。
今がいいけりゃいいとなっているらだ、人間は将来の不幸をリアルにイメージできないのである、だからこそノン日りしているともなる。
津波だってもし想像力を働かせていたら危険な海岸沿いには住まなかったろう。
今になるとそんなことも批判されるがやはり個々人の人生でもそうなのである。
将来いかに悲惨なことになるか想像できないからのんびりしている。


だから人間の幸不幸は最後までみないとわからないのである。
原発事故にしても実際は原発で回りの人は恩恵を受けていたが事故になり反転した。
恩恵と思えたもが不幸の原因となったのである。そういうことはいろいろ社会的にも個人的にせある。社会的にも何か幸福になり不幸になるかわからないのである。
江戸時代がし貧乏でもそこには幸福なものがありみんないい顔をしていたというとき何か時代的なものの影響があった。現代人と比べるとそうになる、これだけ豊でも現代人は鬱病だとかみんな不幸な顔しているのかとなる、豊になっても幸福とも言えないとなるのである。だから貧乏がいいというわけではない、極端にして考えるべきではない、
人間の幸不幸がわからないということなのである。

グローバル資本主義の何が問題なのか? (移民などにより国家民族文化共同体の崩壊)



グローバル資本主義の何が問題なのか?


(移民などにより国家民族文化共同体の崩壊)


国家とは何かとなとこれも定義するのはむずかしい。国家とは一つの共同体である。
では共同体にはどういうものがあるかというと「政治的共同体」「経済的共同体」「民族的共同体」文化的共同体」「宗教的共同体」・・・とかある。
国家はそうしたものの総合としての共同体である。
ヨーロッパが複雑なのは共同体が重層的になっているからである。
EUができたのも元をたどればローマ帝国とかの共同体にさかのぼるしヨーロッパではそうした大きな統合された共同体が歴史的に生成して変化してきた。
宗教的共同体というときキリスト教圏を形成した共同体でありそれはローマ帝国のカトリック共同体を形成した。あとでプロテスタント共同体と二分化した。
アイルランドはカトリックでありイングランドと争ったのもそのためである。

そしてイギリスのEUからの離脱では何が問題になっているのか?
移民だというときそれは世界的に起きている問題である。日本でも人手不足で移民を受け入れる他ないとされている、今の政権は実行しようとしている。
移民はそもそもなぜこんなに増えたのかというと交通の発達で物理的条件がとりはらわれたからである。どこの国へでも飛行機でその日のうちに行けるとなると帆船とかで一年かけて日本に来たという時代とはあまりにも違っているのである。
そもそもだから人はこんなに移動していない、人は簡単に移動できなかったのである。
アメリカに移住するにも大西洋をわたるのに命がけだったら人は簡単には移動しない。
そういう物理的条件に制約されなくなったとき人が自由に世界を行き来することができるようになったとき移民の問題が発生した。
つまり国境が交通の発達で消失したのである。

このことは経済活動するには最適化した。国境がなく人種も関係なく企業は経済活動ができる。企業は土地にしばられるものではなく民族の制約もなく活動できる。
そして多国籍企業にとっては自分たちの商品を売り金儲けすることが目的だから国とか国境とか民族とか宗教とかにこだわっていたら活動できないからである。
いちいちこの国がどういう国田とか人種がどうだとか考えていたら活動できない、要するに商品を売り金儲けできればいいのが会社だからである。
現代ではどこの国に属しているというより日本だってみんな会社員であり会社に属して生活している。すると会社共同体が一番重要になっているのは世界共通である。
つまり経済共同体が共同体となっているというとき会社のか国家のようになってしまう。東電なんかも一つの国家のように巨大だったのである。他にも大企業となると国家のようになる。そこで経団連が力をもち経団連の言うなりに国家もなる。
それは多国籍企業として世界でも国家を越えたものとして力をもつ
イギリスに日本の会社が1300社が進出していたというのも驚きである。ヨーロッパの拠点として利用していたのである。

この多国籍企業はどういう目的の共同体かというと第一に商品をどこの国でも民族とか人種とかに関係なく売り金もうけるすること意外にはない、そこではいかにして利益を上げるかが最大の問題である、すると労働者でも安い労働力がいいと世界に進出するしまた世界からも呼び込む、人間というものを何か働くロボットのように考えている
または部品のように考えているのである。いかに安く使い利益をあげるかとなり人間も考える、要するに人間より機械やロボットの方が多国籍企業にとっては都合がいいのである人間は機械でないしロボットでもないからめんどうになる。そのめんどうさこそが人間たる所以なのである。
だから今の会社の働かせ方なども機械の部品とかロボットのように会社ではみている。
時給いくらとか働かせるのはそうであり外国人が安いからそっちの方が利益があがるとかなり人間というものを気軽に考える、ところが人間である故にそこに摩擦が生れるのである。

現実に宮城県のある村ではトヨタの工場になり半分がそこで働くとなるとそこはトヨタ村になってしまう。トヨタなしでは村が成り立たなくなる、東電でもそうであり原発がなくなると市町村も成り立たなくなるとかなる。そういうことは世界でも起きているのがグローバル社会である。
トヨタ村になった町になった社会は原発村となった町となったらそこにこれまであった共同体はそうした大企業の社員であり昔の農村共同体とは違ってしまった。
東電の社員のようになってしまっていた。だから東電が補償金を払い今度はそれで生活しようとしているのもそのためである。
昔のように一地域が農村共同体となっていた時代とは違うのである。
だから浪江の人が会社員だったが二本松に会社が移ったので家族もそこに移るとなる。
その土地に根付くというよりみんな会社員だから会社に属していて世界にも移動するとなる、それが多国籍企業と化したグローバル社会なのである。

「経済共同体」に特価したものがグローバル資本主義である。
それが交通の発達で可能になったのだけど人間は機械でもロボットでもないし部品でもないしモノでもない、人間を現すのは様々な要素をもっていて部品化できないのだが現代はそもそも部品化されてしまった。
移民は生産する機械でもないし様々な要素をもったアイディンティティをもった複雑なのだから地元の人とも軋轢が生れたのである。
経済的一単位とか部品のようにしているのが現代だというときそこにこそ問題があったのである。
それは国内でもあったことが世界的に拡大しただけでありグローバル資本主義がそこから必然的に拡大したともなる。人間は経済人間化した結果そうなったのである。
それは世界共通の問題でありグローバル資本主義に反対する運動の一旦としてイギリスのEUからの離脱問題でも移民反対のナショナリズムが起きている
そのナショナリズムというとき単に経済的利益だけではないもの、文化的なもの民族的なもの歴史的な共同体としての反発が起きている
ただこれも矛盾している面がある、スコットランドはそうした歴史的民族的文化的アイディンティティの強い共同体であるがEUに経済的メリットがあるから残留派になっていた。
一方でロンドンを中心とした所は移民が多い、ここはもともと残留派だと思ったが離脱派が多かったのは移民が多いためである。それで今度はロンドンは独立してEUに残るべきだと主張する
その人たちは多国籍企業からグローバル資本主義で利益を得ていた貴族階級である。
離脱派は底辺労働者として移民と競合している人たちだったという。
日本だって政治家とか経団連では大企業の幹部はグローバル資本主義で利益を得たいから移民に賛成なのである。でも底辺層が増えたから移民と競合するようになるから日本でもこれから同じ問題が起きるのである。
ともかくEUからの離脱派かこれほど騒ぐのはやはりグローバル資本主義が曲がり角にきたからそうなった。世界的にナショナリズムが勃興しているのもそのためでありそれは世界的にそうなのである。世界的なグローバル資本主義が転換を迫られているからこれだ騒ぎになったのである。

ヨーロッパの国家意識はおおむね民族と結びついている。
自分が何人かを決めるのは、単にパスポートに表示された国籍ではない、実際に言語であり共通の文化であり伝統であり日常の習慣である。
過去において外来者は一世代か二世代で完全に吸収された。
だが旧植民地からの移住者は全く異質なのでただ彼らを社会にとりこむだけではすまない彼らが存在することによって社会は自己規定観念そのものを変えざるをえないのである。
「ヨーロッパ、民族のモザイク」フローラ・ルイス

このことがまさにバスボート一つで自由にどこの国に出入りできても軋轢をうむ原因なのである。人間はそれが故に人間なである。
グローバル資本主義とか多国籍企業社会になれば言語は一つ、英語だけとか便利だし国境とか民族とか人種などはない方がいい、そしたら人間が人間たる所以が喪失するのであるそれは人間が経済人間になることの反抗でもある。
イギリスにはイギリスの文化がり習慣があるというときEUにそれを否定されることが嫌だというときそうである。
イギリス国内でもスコットランドの根深い対立もそうした歴史と文化と伝統の対立がありそうなる。それも否定できない、日本だって日本語から英語にすればいいとかなったら反対があるのは当然である。経済的に発展するには英語の方がいいと日本語を使わなかったらその人は日本人なのかとなるだろう。

国際人とは何かとか無国籍の方がいいと言う人がいるけどその人は一体何になるのか?
その人は何の特色もない骨なし人間のようになってしまわないか?
その人の個性はアイディンティティは国内でも一地域から作られる、相馬藩でも小さいがそうであり会津などは特に山国だからアイディンティティを作りやすい、その風土に見合った文化が作りやすいのである。
たがいに地域的にそうして個性とアイディンティティ育むときそこに文化の多様性が生れる、ヨーロッパの特徴がそういう多様性にありまた総合性にある
それでイスラ文化をとりいれたルネサンスが華開いたのである。
ヨーロッパの強みはその多様性にあり総合性にあった。グローバル資本主義になるとそういうものがEU内でも失われかねないからイギリスの離脱もあるし次にはスペインとかイタリアとかにも連鎖するのである。

posted by 老鶯 at 20:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2016年06月29日

抽象画( a port)

a port


evenigport.jpg


evenigport22.jpg

evenigport2233.jpg

evenigport223344.jpg

抽象画は一連のものととして作りやすい
要するに変化の芸術だからである
これも最初のが原画である
それが変化したのである

なんとなく港をイメージする
ステンドグラスのようにもなっている

タグ: