2016年06月15日

抽象画(夕暮れの山) mountains on the evening



抽象画(夕暮れの山) mountains on the evening


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a Shinto shrine=japanese shrine




これは二つのソフトを使ってできた、一つのソフトだと限られてくる
ソフトはみんな違っている、ソフトによってさらに変化ができる
抽象画はソフトに左右されるのである。

As for all the software which has been limited to when this is one software made using two software, the abstract picture which can change more depends on the software different softly.

最初のグラデーションからこれは変化したのである。
グラデーションも無数にあるから無数の変化が生れる
抽象画がきりないのである。

This changed from the first gradation.
I cut it, and there is not the abstract picture which innumerable changes are born as because there is innumerable gradation.


連作として創作すると見応えがあり一つの作品となる
なぜなら必ず抽象画は変化するからである。
だから連作になって一つの作品となる

This is because it is worth seeing, and the abstract picture changes by all means when I create it as repeated cultivation if it is why which becomes one work.
Therefore it is planted over and over, and it becomes one work
タグ:夕暮れの山

2016年06月16日

梅雨の日(暮らしの跡は建物に残っているー家は記憶である)


梅雨の日

(暮らしの跡は建物に残っているー家は記憶である)


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廃屋と化した町医者の医院

我が母のこの医院に通いしを廃屋となり

五月の庭に咲きしも誰か見むあわれかな

この裏路地の道我が日々通り行きしも

今日雨しととふりこの医院の思うかな

母は言いにしこの先生の優しきと

かつて老人のここに集まりしを

その母も遂には死して帰らざるかな



この医院は誰も住んでいない、この建物を見るといかにも町の診療所という感じである。自分の母はこの医院に良く通っていたのである。
だから今になると不思議な感じになる、母は手押し車を押してこの医院に来ていた。
自分も一緒に来たことがあった。
この医院は相当古いのかもしれない、建物の感じではそうである。
廃墟趣味とかで訪ねる人がいるけどそれはなぜなのか?
やはり悪趣味というのではなくそこに人間が住んでいたということで魅力を感じる

要するに人間の生活を刻んだ過去が建物に残っている、何か思い出すにしても思い出すものがないとなかなかできない、もしこの古い建物が取り壊されればなかなかここに医院があったということすら思い出すことができないのである。
つまり過去の記憶が建物がなくなると消えてしまうのである。
これも街中にある一つの過去の記憶として残っている
いかにも街の医院であり何か素朴な感じがした。
今までは注意していなかったが母が死んだことでこの医院のことをふりかえったのである
人が死ぬとその死んだ人の跡をたどる、相続で戸籍でその跡をたどったことを書いた。
母の前の夫が東京の人でありその跡を戸籍からたどった経験は不思議だった。
両親とかなるとその足跡をたどりたくなるのは自分の人生とも深くかかわっているからである。

この医院に通ったということは何気ないことであり特別なことではない、でも何か人間が死ぬとそうした何気ないことが人生の一こまでも記憶として刻まれていることを感じる
それぞれの街で生活すること、村でも生活することはそこに人間の記憶が刻まれているのである
だから原発事故の避難区域になったような所でもそこに生活した人々の記憶が刻まれている
でもこれがただ日々何気なく生活しているときは意識しないのである。
人が死ぬとなぜかそれが貴重な人生の時間のようになるのである。
だからそうして暮らしていた街には愛着あり村でもそうだが他に移るということが辛いとなるのである。これは若い人と老人では全く違ったものとなる。
若い人は他でも新しい生活がはじめられるからである。

ともかく何か人間は当り前に普通にあるものを意識しない、ただこうしてなくなると失われると意識するのである。
死んだ人でもやはり記憶をたどりその人を浮かんでくるのである。
そして建物は家は形となって残っている記憶なのである。だから建物がなくなると記憶も消えてしまうのである。
故郷とはそうしてここに生きた人たちの記憶が刻まれている場所なのである。
ただその記憶にしても普通は意識しないのである。

こうして人がいなくなり廃屋となりここに医者がいて町の人が通っていたなと思い出すのである。廃墟趣味というときそこがかつて人が住んだということで何か人の匂いが以前としてするからひかれるのである。
ただ他にも廃屋があくけど庭があっても人が住んでいないと本当に淋しいなとなる。
庭に置かれた石でも人間の匂いがふるからである。人が住まないと本当に自然にある石より淋しいものとなる
そういうことがこの辺の原発避難区域とかで起きているのである。
町自体が村自体が廃墟化したからである。家自体が遺跡のようにも見えたのである。
家とはともかく記憶が形となって留まっている、そこに家の意味があったともなる
家が失われると共に記憶も消えてしまうのである。

タグ:廃屋i

2016年06月17日

学問は問うことが考えることが大事 (武田邦彦氏の経済の説明で知ったことー権力に操作される情報)


学問は問うことが考えることが大事


(武田邦彦氏の経済の説明で知ったことー権力に操作される情報)


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水の配分総量が10ならば金持ちに5を配分すればあとは2とか下流は1になってしまうだろう。
でももし高度成長時代のようだったら20を水を配分すれば金持ちが5を配分しても下流でもおおくなのである


経済学部を出たとても自分は何の勉強もしていない、基礎的なこともわからない。
自分は受験勉強などで学問自体に興味を失っていた、そして何か自分で考えたことがないのである。
学問というとき学ぶはまねるでありあとは問うことである。
この問うということがいかに大事なことか知るべきである。
その問いの答えは用意されているのである

「なぜ人間は死ぬのか?」

これと人生最大の問いなのである。その答えはあるがキリスト教でしか解決できない
その他にこの世には無数の問題があり問いがある
なぜなのかということが無数にありとても一人の人間にわかることではない

ただ人間はいかに考えることが大事なことか知るべきである。
考えない人間があまりにも多すぎるのである。
学問とは自分の思考力をつけないかぎりわからない、最近たまった本を整理しているがいたるところに線を引いていた。そこが大事だと思って線を引いていたのだがそれを読んだ記憶すらないのである。
人間は本を読んでも読んでいないということが多いのである。
本は買っても読んでも読んでいない、もちろん心に入ってそれが自分なりに消化しているものもある。
ただこの本にこんなことが書いてあったのかということがはじめて読むように感心していることはほとんど読んでいても読んでいないということである。

理系的なもの特に経済には今や欠かせない、あらゆることが数値化しているからである。自分の場合は数字になると苦手である、だから数式とか化学式とかがでてくるとわからなくなる。
でも数学にしても基本的には考えることなのである。
この世のことでも経済でも数学的に考えることである。それがこの世を解明するすべてにならないにしても必要なのである。
だからグラフから経済を説いている武田邦彦氏の解説はわかりやすいのである。


現代の経済の問題は高度成長時代が終わったときからGDPは増えても収入は増えなくなった。
それを水で例えると水が出る量は10として一定であり増えないのである。
水の量が高度成長のように増えれば全体的に配分する水の量は増える
その中で貧富の差があっても20が5人に配分されればやはり全体的に水の量は多くなる、収入は多くなるのである。
今はそういうことがない、水の量は一定なのである。
ただGDPはあがりつづけているから実際は水の量が収入も増えている、でもバブル崩壊の時期からその増えた分が配分されない、政府が勝手に使ったり金持ちだけに配分されるようになった。日本は実際は豊なのだけど増えた収入が金が配分されないのである。

日本は借金が膨大だとというけどそれも国の借金ではなく政府の借金である。
だから政権が変われば政策を帰れば変えればその国から借り上げ借金を返せば一人350万にもなるという。
これも不思議な話である。このことはマスコミでもどこでも言わないというのも不思議だという。
金はあるけど国民から借りたものだから返すべきだという、みんなそれより国に莫大な借金があるからそれを国民が返さなければならないと思っている
それでその財源として消費税とか税を上げることもやむをえないと言われそうなのかとなり納得する、だけど国民から借りた金が莫大であり金はあるのである。
それは消費税を上げることではない、まずその国民から借りた金を返すべきだという
確かにこんなふうに経済を考えて主張している人はいない
これも政府にだまされてそうなっているのか?

なにか政府そのものが権力を持つものが国民を操作する、マスコミでもそうである。
肝心なことを言わない、舛添知事のことでもあいつは問題がありと指摘していた人がいたのである。
その声は大きくならなかった。それはなぜなのか、大きな声にならないように仕組まれていたのである。大きな声になるのはマスコミを通さないとならないという現代社会の問題がある。
ところがマスコミは裏の様々な団体によって操作されるから真実は明らかにされない
第一良くどん底の貧困者のことを書いているけどそれも真意がそもそもわからないのである。それがどういう事情でそうなったのかとかわからないが特別の貧困者のことを話題にする、するとそれを読んでそんなひどい人がいるのかとなる
でも本当のことは直接聞いたことでもないし真意はわからないのである。
つまりマスコミを人の注意をむけるたに極端なことを話題にするのである。
すると極端なことが今の社会の状態なのだと錯覚する、自分でもそうである。
そこに報道が社会の現状を正確に伝えないことになる。

なぜ舛添知事が問題があることがわかっていたのに厚生大臣までなったのか?
そのこともやはり回りがそうさせたのである。特にマスコミがそうである。
マスコミで名前を売りマスコミが舛添という人物を中味がないのに大きくしたからである

東京都知事の舛添が東京都民から嫌悪の目で見られている

今批判されるようなことがすでに言われていた。ではなぜ支持されたのかという謎であるそこにこれもまた今の自民党政権とか公明党がかかわってそうなった。
だから今になると自公政権が批判されている

そして原発事故でも安全神話が作られたのは自民党の時代でありそれはマスコミであれあらゆるものが官僚でも一体となり作られたのである。
そのために原発は危険だと主張した人がいてもその声が大きくならない、それだけ安全神話がもう国民に浸透していたのである。
それは空気のようなものになっていた。だから安全でないというとそんなことを言うのはもう変わり者だとなってとりあげられることもなかったのである。
本を出してもSFの小説のように見ていた。自分もそうだった、原発の近くにあっても危険だと感じなかったのである。
もちろん原発で仕事している人が多いからその人たちは上から安全だと言えと支持されていた。だからこの辺では安全を疑うこともできなかったとなる

経済の問題でも政府によって権力によって作られたものであり経済の実体を言わない
金は余っているし借金が膨大だから国民は消費税とか税金で返すほかないと思っているのである。そう思わされているだけなのである。
確かに高度成長時代が終わったとしても金が増えたしそれは国民の借金なのだから返せば国民が豊になるということを誰も言わない、それは原発の安全神話と同じなのである。
それが大きな声とならないのはなぜなのか?
そう政府とか団体とか権力をもつもの官僚手もマスコミでもそう誘導されているからだとなる
そんなことを言うものは変わり者だとなって相手になされないのである。
だから何かが大きな声になるというのはどうしてなのかとなる
いかに真実でもその声が大きくならなければ片隅に追いやられ変わり者として排除されるだけなのである。
一体舛添知事でももちあげたのは誰なのか?それが問題なのである。そこにも大きな責任があったのである。なぜならそういうことは知事になる前にすでに指摘されていたからである。だから今になってこれほど糾弾しているのかとなる
それは原発の安全神話でも同じだったのである。

経済再生の科学05 お金の量と豊かさ(武田邦彦)

タグ:国の借金
posted by 老鶯 at 11:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

津波で流された右田の松原の写真一枚 (影となってしまった松原の写真)


津波で流された右田の松原の写真一枚


(影となってしまった松原の写真)


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今になればこの写真も貴重である。右田の松原は全く消失したからだ。偶然整理のために掃除していたらでてきた。
偲ぶものは何もない、一本松は残っているが松原は松原としてあったとき
風景となっていた。それは陸前高田市でも同じである。
一本松というとき街道とかにあるけど海側はみんな松原として潮風から米の害を防ぐとか防風林としてあったからである。

この写真まさに影の松原でありそれが影絵のように右田の松原を偲ぶとなる
右田の松原はないが影のように記憶として写真に残っている
ともかく何も残っていないのだから貴重だとなる

松原の向こうには刈田が見えて集落があった所の森も見える
それらはみんななくなったのである。
写真とかはあとで貴重なものとなることがある
こんなに変化したとき全くその風景が見られなくなったので貴重になったのである。

タグ:右田の松原
posted by 老鶯 at 17:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

2016年06月18日

具象画から具象画の変化


具象画から具象画の変化

It is the change of the representational painting from a representational painting

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tunnel of undersea



パソコンだと具象画から抽象画に変化できる、そして具象画から具象画もできる
ただ具象画になるとかなり操作して作らねばならない
これは一旦抽象画して川から河口になったからそれで具象画を付け加えた。

This which I considerably operated it when it was only to a representational painting and must make which there was marked abstraction once, and when it was a PC, I could vary from a representational painting to an abstract picture and the representational painting added a representational painting to the river mouth in it from a representational painting from the river because it was

谷間の具象画も具象画から変化させたのである。
ただこれもあとで手直している。具象画になるとどうしてもあとで作り直すのが多くなる要するに抽象画でも具象画から切り離されてありえないのである。

I changed the representational painting of the valley from a representational painting.
I only adjust this later. It is that, in brief, cannot be separated in the abstract picture by a representational painting either that it increase to remake later by all means when it becomes the representational painting.

抽象画でも自然にあるものをイメージするからそうなる
ただ抽象画の場合は具象画のように形にとらわれないから変化が無限になる
それで作品の数が無限大になってしまうのである。

The number of the work becomes infinite in it that a change becomes infinite because I am not only seized with form like a representational painting in the case of an abstract picture that it is so because even an abstract picture images a thing in nature.

タグ:河口

薔薇(真夏になっている)


薔薇(真夏になっている)


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新築の家の増えしも夏雲雀

蕾より薔薇の開くや朝日さす

一輪の薔薇咲きあまたつぼみかな

知る女の暑さの中に畑仕事

木蔭にそ日がな休みぬ庭の石

復興や田んぼの増えて夏の月


真夏になっている、陽差しが今年はずっと真夏だった。
この辺は新築の家が増えた、そして新築の家が立ち並んだ所が一つの街のようになっている
だから前よりかえって活気がでている
田舎でもやはり一万だと今は活気がない
街は必要であり田んぼとか畑だけだったらあまり住みたくないとなる
田舎と都会がほどよく混在している所が今は住みやすいのである。

知っている女性が畑でこの暑いのに仕事している、草取りがかかせないのである。
ただその畑からなにももらったことがない
前にも書いたけど一の収穫を得るのに十倍もの金がかかっているのである。
ただその女性は畑仕事が好きでしているのである。
自分はただその畑仕事の大変さを聞いているだけである

別にしなければ金もかからないし野菜は買った方が安上がりである。
自分で作るとなるとかえって金がかかるのである。
趣味でする方が金がかかる、もし貧乏な時代だったらこんなことを言っていらないだろう。
その暑いさなかにとれた野菜で日々の糧となればそうなる
こんなふうに見ていたらしかられるだろう。


自分は木蔭で石のように休んでいればいいとなる
でも自分の家の作りは失敗している
北側に窓がないから風通しが悪く暑いのである。
隣がトタン屋根になっていてその照り返しでまた暑い
二階はいつもいるが暑いのである。
下も風通しが悪いから暑いから夏向きではない家である。
今からクーラーもしたくないから困る

今年き夏はこれからどうなるのか?
干ばつになるのか?これまた大変である。
それとも7月になくと梅雨が本格化して雨がふるのか?
何か今年は最初から4月から暑く真夏化していたのである。

今年は良くこんなに薔薇が咲いたと思う、肥料の土作りをしていないときだったからである。
もしかしたら何回かやった薔薇専用の液体の肥料がきいたのか?
こんなに咲くということが不思議だからである。
まず花のことを土でもしるのは容易ではない、相当な知識と経験が必要になる。

タグ:薔薇

2016年06月19日

人間は私利私欲から離れられない (舛添知事も政治家も美辞麗句を並べるだけだった)


人間は私利私欲から離れられない


(舛添知事も政治家も美辞麗句を並べるだけだった)


舛添知事はその生い立ちからして素質からして別にぼっちゃんでもないし力量がありのしあがってきたとなる、前の鳩山首相とは違ってる。
あの人なら東大でも出れるだろうとなる。専属の家庭教師でも何でも金でできるものはできるからである。
舛添知事は貧乏だったというときその当時はみんなそうだけど奨学金もらって東大を出た体力もあってその体力があることがまた女性遍歴になった。
自分などは体力もないし精神的にもだめだとなるとそういう人のことは理解できない
ただ天才がいてそういう人は別に努力しなくてもいろいろなことができる
そもそもなぜ次の総理候補とまで言われた人がここまで責められて墜落したのか?


女性問題がありそのことは知られていた。公私混同というけど私生活が公的なものに必ず反映する、私生活がふしだらなものは公でもふしだらになる
そもそもその区別はできない、東京都知事のような役職には品格が求められるとか責められた。
政治家に品格を求める?そんなことが国会議員でも問われるのか?
政治家に求めるものが庶民では何なのか?まさか宗教者ならそうなるが政治家にそんなことが求められるのか、庶民がそんなことを求めて要求して一票を投じるのか?
政治家に求められているのは利権である。道路を作ってくれとか新幹線を作って駅を作ってくれとか保育所を増やしてくれとか時給をあげてくれとか直接日々の生活にかかわることであり何か抽象的な品格など求めるだろか
政治家はたいがい利権にかかわり汚いといの通説である。

人間はどうしても欲があるから私生活でも公的なものでも欲がでてくる。
その欲に負けて問題を起こす、今回もそうだった。
それが舛添知事が「せこい」ということで責められているのはそんな人格と品格がないものは東京都知事にふさわしくないというのも解せないのである。
だからこそただマスコミで有名だからといって都民は投票したのである。
青島とかの前の知事もそうである。あの人にどんな品格があるのか、漫才師かコメデアンだろう。要するに庶民にとって東京都の知事でも政治家でも人格とか品格を求めているのか?そういう人格と品格とは普通の社会では表にでてこない
庶民は俗的なものでありその俗世ににあった人間は理解する、あいつも俺と変わりないなということで理解する、だからこそ芸能人がテレビを占有しているのである。
政治家もマスコミもそういう低俗なものにあわせる、視聴率をとるためにはそうなるからテレビでも低俗になり政治家も低俗になる。政治家もそうした低俗なものから選ばれるのだから人格と品格は関係ないのである。

ただ舛添知事の場合は女性関係で乱れていたことはわかっていたのである。
それがなぜ知事になるときに暴かれて責められなかったのが謎である。
例えば公明党とか創価は宗教団体だか婦人部はモラルに厳しいから反対したというがそれも定かではない、まずカルト宗教団体にモラルを求めることは無理である。
なぜあれほどの会員がいるのかとなると低俗な庶民の要求に合わせているから政治と同じなのである。エホバとかもみんなそうである。なぜ誰でも人を見ず会員にすることを目的にしているのか?それはこの世で数で権力をもつためだとなる
数は力であり民主主義では権力である。創価などはそれをあからさまにして実行している10分の一が活動していてもあとは幽霊会員であり選挙の一票としてカウントされだけの人でありその幽霊会員に一票入れさせるのか幹部の日々の活動だからである。

舛添知事は何をまちがったのか?なぜこれほど責められたのか?政治資金ならもっとおおがかりにごまかしても責められていない議員が多いからである。
人格が品格が東京都知事にはそぐわないというのもだからわからないのである。
結局何か金銭的にも精神的にも余裕がない人は上に立つべきではない、重要な仕事はまかせられないということはある。
舛添知事は女性関係の乱れで離婚して子供に養育費を一億になるくらい払いつづけねばならないとか一カ月40万以上払わなければならないとかなると金銭的に余裕がなく追い詰められる、するとなんとか節約したり公金に手を出すということでてくる。
ただそのやり方がせこかったというだけである。

まず借金しているとか金に追い詰められている人は怖い、事業に失敗して借金した人が自分の所にきてひどいめにあったことを書いてきた。
相手が病気だろうが何だろうが頭の中は借金を返すことしかないから怖いのである。
そこから殺人までになるのも普通にある。犯罪の動機が借金が多いのである。
だから借金があるかどうかを調べるのである。
借金をしている人と共同の事業したりするのも危険がある。そういう人が上に立ったらまして東京都知事のような大きな権力をもったらどうなるのか?
それが舛添知事の女性関係にあったのでありその金を支払うためにあれだけせこいをことをして公金を使っていたともなる

人間は権力をもつと変わる、大金が入ったりすると人格まで変わる、なんか自分が偉くなったと錯覚するのである。やはり金である程度は買えるものが多いからである。
金で従わすことができるものがふ多いし今の時代は金で動かせるからである。現実に社会は金で動いている、金でマスコミも買われているから真実は報道されないのである。
舛添はやはり金銭欲、名誉欲とか何かそういうことが人一倍強い人間だった。
またそれをかなえるだけの力量ももっていたのである。
もともと戦前などは政治家は金持ちの篤志家がしていたのでありそれもいい面はあった。そういう人は金をもっているから公金をだましとるなどしないからである。

今は市町村の議員でも金目あてになっているからかえって腐敗したとなる
金とか権力にまつわわるとどうしても人間は欲があるから腐敗しやすい
弁護士なども大きな遺産とか利権にかかわるからかえってその欲にまどわれされるようになる。それでモラルも失うことも多くなる
人間はつくづく欲から離れられないのである。利権から離れられない、そこに諸悪の原因がある。
舛添は自分の私欲のために東京都知事を利用した、自分が偉くなりアメリカで大金を使い凱旋パレードをしていた。自分が王様になったような気分になっていたのである。
権力はあくまでも何かを政策などを実行させるために都民や国民から委託されたものである。ただ自分が偉くなり都民が自分のためにあるように錯覚した。
自分の私利私欲が優先してしまったのである。それもやはり金銭的にでも余裕がないと人間はそうなる

そしてそもそも東京都知事となると全国からの寄せ集めであり東京に愛着をもつ人は少ない、すると余計に東京都民といってもその人たちと直接かかわるということもない
自分の名声とか金のためにとか利用すればいいとなりやすい、東京都民を愛せと言っても一千万人のよそ者でありできない、それより趣味の絵画でも何でも自分の私利私欲が優先する。政治家自体が一票とるために選挙では平身低頭するがあとは威張っているだけだとなる。
良く国民のために、都民のために、市民のために・・・選挙のとき絶叫していも選挙の時だけでありみんなもそれを知っている、私利私欲が優先するのが人間であり政治家は美辞麗句を言うだけだとなる、舛添は本に書いているが美辞麗句だであり政治家は私利私欲になっていはいけないと言っているし政治資金について厳しいことを言っていたが自分も同じだった。ただそれがせこいということで批判された、それもあんなに自分で政治資金を私利私欲に使ってはならない、厳しく責められるべきだと言っていたからである。


美辞麗句や理想を語る人間ほど悪人な可能性が高い理由とは


これも一理ある、カルト宗教団体になぜだまされるのか?美辞麗句をならべたてる
その実はブラックそのものであり権力を我が物にしたいだけだとなる
つまりこの世の中建て前と本音があり本音は隠され美辞麗句が並べ立てられているだけだとなる、それはあらゆる人に職業でもそうだろう。
何か買ってもらうたに誇大に宣伝したりいろいろといいことばかりを言うが実際の所は効果がわからないのが多いのである。人間はだからみんなジキルとハイドになっているのである。
タグ:舛添
posted by 老鶯 at 13:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2016年06月20日

立葵(ヤマハの 電動ロードーYPJ-Rを買う)



立葵(ヤマハの 電動ロードーYPJ-Rを買う)


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ここはクリック拡大しないと映えない(大画面)

写真を見て気づいた、石が一つあったのを・・・

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これもクリック拡大

後ろは津波があった八沢浦-原野化したまま



立葵電動ロードに走りさる

立葵夏菊映えて野の広し

軽快にロードに涼し風を切る

夏菊や花に囲まれ石一つ


25万したけどヤマトの電動自転車のロードのYPJ-Rを買った。
今日一日乗った感想はこれは電動がなくても高級なロードである。
20万クラスのロードなのだ。8キロの八万のロードに前乗ったがこれは全く使い物にならない、軽いにしてもちょとした段差がひびくのである。
安定しないし坂になると普通の自転車よりきつくなる
この買い物は失敗だった。自分は自転車で旅したのは40才からだから詳しくない

今回のYPJ-Rはまず作りが安定しているからブレないのである。
そもそも作りが全く違っている、工学的にも練られて作られているのだろう。
タイヤも細いにしてもそんなにでこぼこにひびかない、ロードだけど軽いのではなく重厚な感覚なのである。
普通に走って20キロは平均的に出るから早い、前からすると倍の速さである。

ロードはだから結構危険な乗り物である。ちょっとしたことで大怪我にもなるし死ぬことあるなと実感した。
自分はだから国道とかの車道は走らない、また下り坂などを下るときもスピードを出しすぎる危険である。ブレーキがきかなかったら即死ぬ怖さである。
前の電動自転車で坂で転んだときあったがこたいしたことがなかった。
同じヤマハでもマウテンバイクの電動自転車だったからである。
今度の全然違う、まず普通に走って20キロでる、30キロも出るとなるとこれは原付バイクと同じである。スピードが出ることは怖いことなのである。

バッテリーは2・5Aであり少ないが平地ではバッテリーはへらないしなくてもロードだから早い、15キロあっても重さは感じないのである。
作りがロードでありいい部品を使っているからである。
ただ坂になると特に急な坂ではバッテリーはへるから一つではたりなくなる
ハイモードにするとすぐに減ってしまう、でも標準モードにして上ればそれほど減らないでも坂を上るとしたら予備のが一つ必要である。
電源装置を携帯すると結構重くはなるしキャリーはつけられない
でもこれは長距離用である。スピードがでるし軽く乗れるからである。
今までの電動自転車の倍の速さが常時でることはそれだけ遠くに行くには便利である。
ただ国道を行くのは車道を走るのは危険でからひかえる
田舎では歩道でも走っていいからである。誰も歩いていないからである。


自転車の醍醐味はロードにある、ただ自分は遅かったので今になると体力も落ちて苦しいでも最後に何年か近くでもいいから乗れたら幸せである。
ただ危険だからよほどこれは注意しないとまずいと思った。
今この辺はトラックが多いから余計に危険なのである。どこでも走っているからである。
老人は金を使わないというとき老人にふさわしいものが売っていない、作られていないというのは本当である。若者向きしかメーカーで作らないというのもそうである。
金をもっていても使うものがない、庭作りでまた30万とか使った。
老人に向いているのは庭作りとか自転車とか他にもある、盆栽などは今は少数派である。一番多いのはカラオケの仲間である。

自分はこれまでの旅行でもその他老後は作品の総まとめでありこれも手間でありかなりの時間がかかる、なんとか介護が終わったのでそこに集中したい。
いづれにしろ何か買っても使いこなせないのが多くなった。
老人は何かを買ってもそれを使いこなすことが容易でなくなる
体力的にもそうであり新技術のものでもめんどうでしたくなくなる
パソコンでもいろいろ新しい技術があってもなかなか理解できなくなる
新しいことを理解しようとすると疲れるのである。
だから庭作りなどは一番適している、いつも身近で楽しめるからである。
それでも小さな庭でも手入れするのが今度はめんどうになる。
家事から料理から介護が終わってもやることが多すぎるのである。

ともかく物が売れないというがこうした新技術の商品が出れば老人向きのものが出れば売れると思う。
いくら老人が使いたくないといっても新しい技術の商品の魅力は大きいからである。
でも自分はあと何年か自転車に乗れるがそのあとはできなくなる
これが最後の自転車になるのかと思う。
タグ:YPJ-R

2016年06月21日

自転車屋のことなど (それぞれの人生でふりかえるもの)


自転車屋のことなど


(それぞれの人生でふりかえるもの)


話を聞いておきながらネット通販で買われてしまうのは、 
その差額に見合うだけの話をできなかったから、かもしれないよ。 
ちゃんと説明したつもりでも、 
事前にネットで予習された内容と同じだったら価値ゼロですから。

しかし貧乏人相手に売り上げ作るのは大変だよ。 
生活必需品の自転車ではなく趣味の自転車に嵌ってる客の方が金離れはいいな。 
ママチャリ買えるくらいのパーツを買ってくれる。


自転車屋には実質的に免許ないに等しく、 
その腕の良し悪しはピンキリなわけで、 
部品のもつマージンを食いつぶす整備を 
やっても、高級品なら客にバレないわけ。 
修理できなくても、 
修理でかえって調子が悪くなっても、 
安物だからといって済ませることが出来るし。


最近の自転車屋の増え方見たら戦国時代みたいですね 
京都ですけど、半径50メートル以内に色んな自転車屋がひしめいてる地域がありますよ 
イオンに、あさひ、地場の自転車チェーンが二つ、昔からやってる自転車屋 
明らかに供給過剰だと思うんですけど、体力ある所はここでちょっとでも勝負しないと生き残れないと踏んでるんでしょうか



自転車はすでに20台くらいのったかもしれない、ヤマハの電動自転車は三台目だから高いのはスポーツタイプは全部のっている。もう一台はハナソニックである。これは毎日買い物に使っている。婦人用の作りであり遠出にいいというがそれもできるがかえって日常の買い物に使えた。スポーツタイプではないからだ。
ロードは8万の一台買ったけどこれは使えないものだった。ロードは高いものと安いものでは相当な差がある。
それがヤマハのYPJ-Rにのってわかった。これ自体がバッテリーなくても相当に高級な自転車に思えた。走りが全然違うからである。
軽く前の倍の速度がでるし乗っていて疲れないからこれは長距離にはいいと思った。
だからこれで遠出をためしてみたい、ただ早いから危険である。スピードは坂ではひかえいた方がいい。
一回頭を売って死ぬような経験をしている。前の歯が三本折れた。それは新しい自転車を買ったばかりのときだったのである。
その事故を起こした場所はいつも走っている普通の場所だったのである。
自転車でもなにか事故はどこで起きるかわからない、危ないところでも起きない時は起きない、意外なところで起きるときは起きる。

自転車屋が駅前にあったのは引き込み線があり荷物を貨物列車で運んでいた時代があった物流が駅中心の時代があった。それで駅前通りがあったのである。
引き込み線というとき、原町紡績に原紡に母が十年勤めていたけどそこの門に引き込み線があった。鉄道輸送が主だかそうなっていたのである。
原町でも駅前通りが繁盛したが今はどこもシャッター通りになってしまった。鹿島で駅前通りができたのは新しいのである。
広い通りがそうであり実は脇に細い道がありそこに商店があった。角屋(すみやーかどや)とかある時は道の角でありそこが場所がいいので繁盛した。
その頃は車がない歩きの社会だったからそうなる。自分の家も店屋だったが道の角にあって場所が良くて一時繁盛した。
かつて繁盛した裏町通りである。裏町にどこでも小さな店があり繁盛していたのである。今や自分の町では店屋があるのかとなる、隣が市だからみんな買い物は車で行くからそんな小さな店は消失した。
なにしろ歩いて買い物するとなる街内でも遠くには行けないのである。
その頃は自転車すら貴重品だった。一生に一台使いいつも丁寧に磨いていたのである。
戦後十年くらいの市町村を再現するといかに変わったか驚く。
ほとんどその記憶となるものすらなく消失しているからである。
ただそこには何か人間的なもの人間臭いものが満ちていたことは確かである。

今自分の街ではもう一軒しか自転車屋が残っていない、その人も病気だとかなるといつやめるかもしれない、今でもやめたらあとが困ると言って原町とかで修理してもらっている人もいる。でも自転車を買ってもらわないとしてくれないとか言われたという。
商売になればみんなそうなる。だから京都では自転車が増えて競争してつぶれているとかなると都会と田舎はそれだけ差がある。
ただ田舎のことを考えるとなぜ自転車がやっていけるのか不思議である。
こんなことを調べるのはネットが向いている、修理がその主な収入だというとき自転車はそれなりのスキルがないとできない、ここの自転車屋はバイクも修理している
田舎だとなんでも屋にならないと商売できない

自転車屋が他の商店とは違い一応まだ成り立っているのはスキルをもっているからである自転車を買っても必ずあとで修理がありパンクもあり世話になる。
だから通販ではあとで困るから自転車は一回買ったがあとは買ってない
つまり自転車屋は街の技術者であり買うだけではすまされないので成り立っている
他の仕事は例えば書店などは今は自分の街には一軒もなくなった。
なぜそうなったのかというとまず書店などはなんのスキルもいらない、売る本が何かもわからない、理解していない、第一商売で売るものを知らないで売れるわけがない
ただ配られたものを売り売れなかったら返せばいいとかなっているのだからなんのスキルもいらなかったのである。何の苦労もないのである。
自分の売る本の説明ができないのだから楽でありこんな商売はなくなっても当然だと思うこれはネット通販とかでとって変わられたのも当然だとなる
ただ物を右から左に運ぶような仕事は機械にとって変わられる、スキルが必要ないからである。

自分はバッテリーを安いものがネットにあったけどこれも住所とか書かなければならないからめんどうでやめた。それより一軒ある自転車に世話になるので買うことにした。
その自転車でもなくなること自分が困るからである。
そしてネット通販にも疑問がある。そこでは誰がもうけいてるのか?
東京に拠点があるのが普通であり地方には金が回らないとなればますます地方は衰退するすると地方に住んでいる自分でもみんな困るのである。
ただそうはいってもやはり何かメリットがなければ商売は成り立たない、地方でも田舎でも自転車屋でもスキルがありサービスが受けられるということで商売が成り立つ
ただあらゆるものが全国ではない、グローバルな競争を強いられるとき何か特徴がないものは消失する。味噌だっていろいろな味噌があり地元で作っていても自分はいちいち出汁(だし)を入れるのがめんどうでしていない、なぜなら家事に追われているからである。
だから自分は家事をするというとき何を買うかであり料理することではないのである。
その買うものを知る買うものを選ぶことが仕事になっているのである。それだけ物が増えているからである。料理に使うものの種類が多いからである。

いづれにしろいろいろ老人になると過去をふりかえる、自転車も自分の人生の一部だったとなとふりかえる、自転車旅行も相当にしたからふりかえる、そうして回想するのが老人の仕事になる、それを創作に結びつけて作品化するのが仕事である。
それぞれの人生は郷土史でもありその一こまなのである。
自分が自転車にこだわるのはそれが自然とマッチするからである。風を感じたり暑いときは木蔭を行くと涼しさを感じたりする。車だと遮断しているから感じないのである。
これは実際は贅沢である。仕事には今や車が不可欠だからである。
ロードは走っていて一番気持いいものだった。これなら遠出しても負担がからないかもしれない、何か今までの乗ったものと比べると新幹線に乗った感じなのである。
ママチャリとかは普通車でありクロスバイクとかちょっと早いのは急行列車でありさらに特急列車ににたものがあるが今回のロードはバッテリーつきだから新幹線に乗った気分に例えられる、最後に乗るのが新幹線だったということにもなる。



タグ:自転車屋
posted by 老鶯 at 16:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2016年06月22日

歴史文化を喪失させた廃藩置県 (東京からみちのくへ帰る旅)


歴史文化を喪失させた廃藩置県


(東京からみちのくへ帰る旅)


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東京の思い出というと四年間大学にいたとしても神奈川県であり離れていたからほとんどない、でも旅では必ずよる

東京駅皇居によれば日の本の国をし思ふ秋晴れの日

輝やきて銀杏の散りぬ東京駅明治の世より古りにけるかも

皇居があればそうなる。東京駅から皇居へと日本の中心だと考える
でも東京から昔を偲べないのはなぜなのかとなる、人間は何か過去でも残っていないと昔を偲べない、だから建物が城でも残っていれば偲べるのである。
そもそも地方だと城が今でも中心としてある。熊本城が地震で破壊されたときなんとか復興しようとする、それは城が以前として街の中心として象徴化しているからである。
それは歴史の継続なのである。会津でも城が中心であり大阪だって大坂城がありあの城跡の石垣に当時を偲べる
江戸城となると確かにその跡があっても日本の中心としてあった江戸城から当時を偲べる感覚にならない。他にも大名屋敷があったがそれも何もなくなった。
大名屋敷の広さは甲子園なみだったというとき驚く、それだけ広い場所があったというだけでも驚くだろう。テレビで見ていても実感できないのである。
歴史を偲ぶというとき何か偲ぶものがないとできない、その点京都には歴史を偲ぶものが残っているから違っている

明治維新というのが今見直されているのは無理がありそれが弊害を生んだのである。
そう強いられたということもあるが天皇は大事でもあれほど持ち上げたこともそうである天皇制と民主主義となると合わないのである。忠君愛国となると天皇が親であり民はその子でありとなる、それは民主主義とは相反したものだからである。
そうした無理をした矛盾が太平洋戦争であれひきづっていたのである。
それを一番象徴していたのが廃藩置県なのである。
これはもともとあった藩を廃止して武士をなくして平民として国を国民国家にした。
そこで昔から培った歴史の継続が失われたのである。
江戸時代の300年は日本の歴史が培われた時代でありそれを一挙に廃止したことが今でも弊害となっている。

人間がアイディンティティをもつとき今のような県単位ではない、もっと小さな範囲で自然であれ歴史でもアイディンティティをもつのである。
福島県でもハマ、ナカ、アイヅとありこれは天候も風土も歴史も違っている
まず会津となると浜通りからすれば全く違った風土であり山国であり雪もふるからアイディンティティが違っている、会津から形成されるアイディンティティは会津らしいものとなる、福島県は会津県と二本松県と磐城県とかになっていた
それはどこでも藩の延長として県を考えていたのである。それが無理して福島県に統一された。そこで歴史の継続とか風土を地理を無視した大きな県となってしまったのである。そもそもなぜ福島県なのか?福島がとをして出てきたのかもその歴史をたどっても定かではない、そのこと自体が福島県という名になじめないことが一体感をもてないものになっている。
それは他でもそうである。茨城県の由来は

茨城郡条には、「穴に住み人をおびやかす土賊の佐伯を滅ぼすために、イバラを穴に仕掛け、追い込んでイバラに身をかけさせた」とある。また、『万葉集』にも「みちのへの茨(うまら)の末(うれ)に延(ほ)ほ豆のからまる君をはかれか行かむ」という歌があり、この故事にちなむ茨城(うばらき)という地名がみられる。

これは中央から大和政権の蝦夷征服から名付けられた、これも違和感がある。こうした名前は差別的にも思えるし地元からすると嫌だともなる
むしろ常陸国というのがありそれがふさわしいとなる。
それより東京圏は関東であり鎌倉時代から作られた所である。東京というのは鎌倉時代には湿地帯である。このことも歴史を錯覚させている。鎌倉というと狭い領域だからである江戸というとその百倍とか広くなり人口も増えたからである。
鎌倉時代が実際は歴史の基盤を造ったのであり陸奥にしてもそうである。
陸奥の子孫はたいがい鎌倉から移住した武士の子孫である。相馬市でも千葉氏から分かれたものでありか鎌倉時代から継続されている、南相馬市の鹿島区の岩松氏は鎌倉から出ていてその由来がはっきりしいる、それが相馬地方の最初の支配者だったのである。
それは東北では鎌倉から各地に移住した人たちがその子孫になっている。

そして江戸時代には関八州というのがあり群馬とか栃木県とかもその中に入っていたのか、常陸国も一部はその中に入っていた。地理的にも歴史的にも関八州は一つの領域としてあった。そこには天領が多いというとき東京の回りには城がないのもそのためである。
小田原城は北条氏の城であり関八州とは違う。茨城県に笠間藩はある。
でも福島県になると城が大きな城があるから違っている

関八州家紋

上野=群馬
下野=栃木
常陸=茨城
武蔵=東京
下総・上総・安房=千葉
相模=神奈川


@取手市・つくばみらい市・常総市付近は旧下総国です。

A神奈川県では川崎市全域と、横浜市の戸塚・泉・瀬谷・栄の各区および港南区の西半分を除いた地域は旧武蔵国です。

AB埼玉県は全域が旧武蔵国です。

雉子鳴くや関八州を一呑に 小林一茶 



関八州というと感覚的に江戸時代には庶民にもあったということである。
つまりみちのくと陸奥国と境を分けるのは関八州である。みちのくというときそれは関八州を離れた地域であり白河の関がそうである。
それで芭蕉の時代でもそうであり白河からがみちのくへの旅だったのである。

ともかく県単位でイメージできないというときそれは廃藩置県の無理した区分が行政がそうさせた。それはイスラム、中東の世界がヨーロッパの強国によって国境を無理やりつくられたのとにている。藩単位で城が中心としてあった歴史が廃藩置県で喪失した。
福島県などは特に地理的にも歴史的にも一体感がない、会津は会津としてあればわかりやすいのである。
第一人間がアイディンティティをもつというとき余り広い範囲になるともちにくいのである。ちょうど相馬藩くらいの広さがいい、この範囲は自転車で行ける範囲だからである。それでも実際にその地形は複雑であり魅力がある。だからあきないということがある。
その中でアイディンティティを作るということで詩にしたのである。
会津となると別な国なのである。それは古代からそうだった。

 会津嶺の 国をさ遠み 逢はなはば 偲ひにせもと 紐結ばさね

古代から会津は一つの国としてあった。国と出ている所は万葉集でも少ないだろう。会津はそれだけ国として成り立った歴史が古いのである。

いづれにしろ明治維新の負の部分も大きかった。それが今になって見直されているのである。太平洋戦争までは明治維新の継続であり太平洋戦争に負けた結果として明治維新が見直されるようになったのである。
明治維新からここ140年間とか過ぎれば歴史が見直される、これは西欧化でありアメリカ化が極端にすすられた時代である。その反発として太平洋戦争があった。
それは奈良時代に唐風文化が席巻したとにている。次ぎに平安時代が国風文化になった。つまり次の時代は国風文化の時代なのである。日本の歴史と伝統が見直され新しい時代を再構築するのである。新しい日本文明を作る時代なのである。
それは日本のアイディンティティを作る基盤が必要である。それが東京にはない、経済力や工業力があっても自然がないから文化が生れない、耕すべき大地もないから文化が生れない、像で考えろと言ってもその肝心の像とすべき自然がない、毎日高層ビルを見上げているだけでは文化は生れないのである。
それは戦前からの国家主義ではない、まず日本文明のアイディンティティを作り直すことである。それは東京ではできない、それぞれの地方からはじまるのである。
日本の教育が実は各地の藩校で行われていた言うとき東京中心ではない、明治維新の時に無理やりに東京中心の中央集権が行われた、標準語も普及したのである。
その時すでに各地の歴史とか文化も失われていった。それは欧米とかに対抗するためにそうなった。

だから歴史を文化を見直すというときまず各地の藩があり城がありそこをアイディンティティ化して次ぎに更に広い範囲に拡張する、それは県とかになるが県は無理して作られたからどうしてもアイディンティティが持ちにくい、それからさらに古代の国へ拡張する、東北だったら陸奥がみちのくがそうなる、それは関八州の領域とは区別されるのである。大和にしてももともと奈良であり奈良の風土があり形成された
それが象徴されているのが

大和は 国のまほろば たたなづく 青垣山ごもれる 大和し 美し

こういうふうに美しい場所が故郷、国のまほろばなのである。それが東京のようになったらありえないのである。高層ビルに囲まれていたらありえないのである。
東京はなにか怪物的であり巨大な胃袋になっている。物質的なものしかないのである。
そこでアイディンティティを作ろうとしてもその基盤がないのである。
だから東京はその歴史と風土から形成されたものが失われているからそこから国家主義に飛躍する。文化がなくて中央の権力が肥大化する。時代をふりかえれば奈良であれ平安であれ鎌倉時代であれ文化を作ってきた。国家というときそういう文化があって国家なので国が誇るべきはアイディンティティは軍事力や経済力ではない、それが必要であっても時代が過ぎれば文化がその時代の成果であったことがわかる。

言葉が文化というときアメリカなどは英語でありもともとはイギリスから派生したものである。確かにアメリカ英語となり違っているが基本的にはイギリスの文化である。
アメリカはモンゴルとにている、軍事力があり技術力はある、でも文化がない、モンゴルは拡大するだけだった。そこに人種も関係なく人材を東洋した世界国家である。
でも文化は形成されない、ただ拡大するだけだった。それはアメリカとにているのだ。
それは一過性で終わった。ローマとも違っている、ローマには文化があったからその文化が継承されている。第一英語の基はゲルマンでありドイツ語である。そしたらその文化の影響を確実に受けているのである。
もちろん日本も漢字の影響が大きいけど純日本の大和言葉は失っていないのである。


ともかく上野駅から常磐線でみちのくへ向かう、その電車にのってみちのくへ行くという感覚は秋の日だった。大都会から離れまだ家が多いが地平に夕日が輝き沈んでゆく、その時東京の雑踏から解放された気分になる。
そして淋しさを感じみちのくへ帰るのである。その光景は心に残っている、秋にふさわしいのがみちのくだともなる、季節によってその感じ方は違っている
芭蕉は春にみちのくに向かった、その道のりは遠かった。
東北についてもやはり新たな歴史の継続としてアイディンティティを作る時代である。
それは古代から継続した風土から歴史から作られるのである。

上野駅い出で広がる地平かな秋の夕日の輝き没るかも

タグ:廃藩置県