2016年05月28日

限りない川の流れの変化( a variety of river)



限りない川の流れの変化(  a variety of river)


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川の流れの変化がこんなにつづけて作れたのは結局ソフトのためだった。
photoshopの波に変化させるとみんな違った風になるからである
何か抽象画でもソフトでも使えるのは一部である。
ただ抽象画でもパソコンの絵画はソフトを使いこなせないとまずできない

でもその肝心のソフトを使いこなすことがむずかしいのである。
これは本当に本でもわかりにくいし直接教えてくれる所があるといいが
そういう場所がない、今パソコンは誰でも使えるとしても
ソフトを使いこなすことが容易ではない
それは一般的にそうである。めんどうになってしまうのである。

ソフトは前にも書いたけど人間の脳とにている
人間の脳は生涯で20パーセントしか使わないとか言われるときそうである。
ソフトもphotoshopのようなものになるとみんな使いこなせない,それは脳の機能と同じなのである。だからパソコンは人間の脳と密接に関係している
それで将来はパソコンでitで人間に代わって仕事するというのもあながち空想の世界ではない、実際に現実化しているからである。
小説までインターネットとかitを駆使して書いたというのもそうである。
何か本でもすべてが独創的ではない、誰かの書いたことなどを書いているのも多い
つまりすでに言われたことを書いているのも多い
それだけすでに膨大な知識の経験の蓄積がありそれをくりかえしているだけだともなる
三分の二くらいは過去にすでに書かれた知識とかなっている
つまり同じようなことを思い同じようなことを書いている人がいるのである。

ともかく川ということでこれだけ変化があるのかというのも自分でして不思議である。
自然には確かにそれだけの変化があるが見えないということがある。
川というのは一様ではない、一本一本の川は違っている
外国になるとさらに大河もあるから違っている
そういう世界の川を現すとそれだけの変化があっても不思議ではない
ただ現実の川と抽象画の川は違っている
でも抽象画でも何かそれとにた現実の実際に流れている川をイメージするのである。

タグ:川の流れ

石巻もパチンコか、繁盛したのはパチンコ屋 (津波や原発事故で仕事を奪われたことが深刻)


石巻もパチンコか、繁盛したのはパチンコ屋


(津波や原発事故で仕事を奪われたことが深刻)



朝6時から行列「パチンコ天国」で「ギャンブル」しない人たち ―震災後の石巻市のパチンコ事情 (Yahoo!ニュース) 

「そんな店本当にあるんですか」――東北のある都市では、業界団体の職員ですら驚くほど早い時間からパチンコ屋が営業している。開店は朝7時。それも1店舗だけではない。市内の半数がこうなのだ。異動してきた全国チェーンの店員たちは口々に言う。 
 「こんな地域があるなんて信じられませんでした」「間違いなく、日本一でしょ」。 

 

 普通の田舎なら農作業できるから忙しいでしょ 
石巻は津波塩害で農地ダメになったり、除塩しても土の作り直しは時間かかるし元通りってわけにはいかないから、 
やっぱり暇になる人は出てくると思うよ 

身の回りにある自然を 
楽しむ術なんだが、そんな知恵を持ってる 
奴は他者へ伝えないしパチキ行ってる奴は 
 こんな浪費に満足してる… 
ホントに終わってる  

恐ろしいのは田舎へのパチンコの入り込み方の根深さよ 
娯楽が少ない田舎に徹底的に食い込んでる 

兄夫婦が父親が遺した遺産2千万を2年で亡くした 
親子四人でパチンコしてると近所で噂になってたらしい 
 マジに何を考えてんだよ 

 朝からパチンコする余裕があるのに未だにボランティアに頼る連中もいる



石巻に行って聞いたこと書いたけど意外と原発事故のこの辺とにていた。
保険金とか何かで一億円も入った人がいたとか聞いた。
一軒に500万の義援金はでた。保険金も特別措置で相当もらったときいた。
原発事故では補償金もらった人が潤った。でも津波ではそうではないと思っていた。
でもやはり原発事故と同じように津波でも相当に義援金やらもらったのだろう。
ただ実際のところはわからない、そんなにもらえるのかという疑問もある
直接話を聞いた人はそのことを言っていたから噂ではない

誤解が多いのは原発事故でみんな多額の補償金をもらっているという誤解である。
補償金は30キロ圏内で線引きされたから30キロ圏内はそれなりにもらった。
飯館村は避難区域になったのだから別である
多額の補償金をもらったのは避難区域になった所である。
30キロ圏内と避難区域になった所が多額の補償金をもらったのである
原町の石神辺りも山側で避難区域になった所がある、そこも避難区域と同じようにもらった。
今度家を新築するとか聞いたからやはりあの辺は相当もらったのかもしれない
原町でも放射線量は街内などは低いが山側は高かったのである。 
ただ30キロ圏内の原町についてはどのくらいもらったか本当にわからない
山側は相当にもらったことはわかる。

イオンの隣に大きな空きができたビルがあるがあそこにパチンコ屋ができてまた拡張した中には食堂まである。大型の娯楽施設である。中は知らないがパチンコだけではない。
他にもこの辺ではパチンコ屋が増えた、それが東北の津波の被害地でもそうだったのだ
石巻は人口15万として東京の人から見ると小さいというが東北では15万の都市となると10くらいしかないかもしれない、自分の近くでも5万の都市でも大きいと思う
その感覚の差が大きいのである。
15万の都市でそれだけパチンコをする人が多いとなるとパチンコ屋も増える
石巻では未だに店を開かないとか商店街はさびれているし復興しているのかとなる
でもパチンコ屋が繁盛しているという矛盾がある
それが復興なのかとなる、でも原発事故周辺でも事情は同じである。

繁盛しているのはパチンコ屋とホテルである

ホテルも増えた、山の方にも通信設備のそろったホテルができたりここもにもあホテルがかできたのかとか以前としてプレハブの宿泊所も増えている
除染関係とか工事関係で以前として8千人くらいが南相馬市で外部から入ってきているという。
その人たちで経済的には活況を呈しているとはなる

そして今回の震災で意外と問題だったのは仕事を奪われたということである。
農業していた人も石巻だと漁業関係の仕事も奪われた
すると何もすることがないからパチンコ屋だとなった
仮設の狭い所にいるのが嫌だということもある。
別に働かなくても補償金をたんまりもらっているから働く必要がない
働いているのはほとんど外部の人たちである。

原発事故では自分の所は30キロからはずれていた。
避難してきた小高の人たちがパチンコ屋におしかけたのである。
そして親戚の人がパチンコ屋で働いていた、借金しているから働いていた。
そこで人手がたりないと言っていた
その時からどこも人手がたりなくなっていたのである。
自分はその時介護や病気で苦しかったので腹が立った
その時はただ異常自体であり混乱していた。
でも避難してきた人たちは自覚しないだろうが回りで介護関係とか病院とかでも避難してきた人たちで混雑して地元の人が迷惑したということがあった。
一挙に二万も避難したイワキではパニックになったこともわかる
避難した人たちそういうことを自覚しない
かえって金が俺たちはあるんだよとか威張っていたというのも異常である
それは全部とは言えないが何か思わぬ金が入ると人間は傲慢になるのだろう
結局現代の最大の権力は金だからである。
金があるものがなんといおうが偉いという社会なのである。
金のないものは全く相手にされないのが現実である。

第一この辺で避難して仮設に住んでいても別に回りの人の援助など必要ないのである。
買い物はスーパーでしているし食糧に困らないからである。
もし食べるものもないので米を下さい、野菜を下さいとかなれば違ってくるがそんなことはない、金さえあればスーパーでいくらでもあるとなるからだ
昔は隣近所でわずかのものでも借りたりもらったりしていたのはそれだけ物がない時代だったからだろう。江戸時代のようなその日暮らしであり計り売りだったのもそのためである。
そういうことが隣近所で助け合うということがなくこれまた親戚といっても交流がないからしかたがないが「おばちゃんは金があるんだから金でめんどうみてもらへ」と血相を変えて狂気のように去って行った女性がいたがそういう金のみを追及する時代である。
極端になるとみんなそうなるのである。現実がそういう社会になっているのだ。

ただではそうして金があるからといって避難して人たちがは次々に新築の家を建てて地元の人はうらやましく見ているだけとなると不満になる
でもこれまた家を建てているのは建て売り住宅でありそれは昔のように地元の大工さんが建てているのではない、全国展開している建て売り住宅の会社が家を一週間くらいで組み立てるだけなのである。
地元の人は家を建てるのでも別に避難した人たちのために働いているのてはないのであるそしたら地元の人たちに感謝するということもないのである。
そういう広域社会に住んでいるのである。

最近熊本ナンバーの車を見た、熊本で地震被害があったけど熊本の人も働いているのかと思った。そういう全国の人が来て働いている時代である。
そして地元の人は毎日パチンコ屋で遊んでいるというのも矛盾なのである。
それはここだけの話ではない、津波の被害地でもそうだった
ただ津波の被害地は原発事故のように補償金をもらっていないから働かないと苦しいと見ていたし現実にそういう苦しさを訴える人もいたからそんなにないと思っていたのである
人間はお前は金を与えるから何もしなくていい、働かなくていいとされるのもいいようで辛いとなる。毎日することがないからギャンブルだとなる
漁師がこの港に魚をとらないでいるのは何なのだろうと自問していた。
魚をとらない漁師は漁師ではない、米を野菜を作らない農民は農民ではない、家を作らない大工は大工ではない、その人は人間として何の誇りがプライドがもてるのかとなる
飯館村でもギャンブラーになったというときそうである。
までいな生活をしていた人たちがギャンブラーの浪費家になったという矛盾がある

農家だったら必ずなにかしら仕事があるだろう、毎日草むしりだけは欠かせない、それだけで相当な労働である。他にもいろいろすることがある
第一家事だけでも家があればいろいろある、女性の場合は家事が仮設でもあるから暇ということはなかったのかもしれない、自分は家事に追われていることを書いたきた
介護が終わっても以前として家事に追われている、狭い庭でも手入れして水やるだけで手間なのである。全部一人だからそうなる
いづれにしろ人間は仕事がないならいくら金をもらっても誇りも何ももてなくなる
ギャンブラーになったとしてそんなこと誇れないだろ。

ではただ漁師だった人が農民だった人が大工だった人が何か他に仕事できるかとなるとむずかしい、大工なんかは外に出てもできるから有利である。
農民は土地から離れて何もできないからである。
いづれにしろ人間は仕事をもつことによって仕事に精進することによって人間が作られるということがある
でも学問すると言っても普通の人は簡単にできない、芸術といっても別にこれも才能だけではない、日頃から積み重ねであり何でも人間は能力を開発しない限り能力は生れないのである。天才は別にしてみんな能力を開発することで才能が華開く
才能は生まれつき与えられているわけではない、能力を開発しない限り能力は生れないのである。それはどんな分野でも同じなのである。
芸術が生まれつきの才能だと思っているが違う。ずっーと抽象画をパソコンで描いてきたが自分は全く絵の才能がないのに描けているという不思議を味わったからである。
それはパソコンというart(技術)が生れて成し得たことだったのである。
その評価はともかく自分自身が不思議に思ってしているのである。

いづれにしろこの辺に起きていることは以前として様々な人間の問題の場所なのである。何か当たり前のことを問い直す場でもある。
一漁師が魚もとらない自分は何なのだろうと問うときその人は哲学しているのである。
一しょみんか哲学など関係ない学問など関係ないとしているがこの辺ではそうなっているのである。様々な人間の問題が提起された場所なのである。 

タグ:パチンコ屋
posted by 老鶯 at 09:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連