2016年05月26日

スーパーで毎日買い物して考える (日本は貧乏になり外国産のものを食べられなくなるのか?)



スーパーで毎日買い物して考える


(日本は貧乏になり外国産のものを食べられなくなるのか?)


アスバラガスは好きなので食べていたが今細く貧弱だし150円でも高いから買わない
メキシコ産は安く入っていたが入っていない、日本や地元だと高くなる。
原町の同じスーバーだは品数があり安いから得である。
スーパーが一軒で品数が少ないから買い物では損である
でも車がある人はこの辺では原町も相馬市もあるから困らない
アスバラガスの代わりにブロッコリーを買って食べる、ブロッコリーは150円以下でも食べる量があるから得である。これは結構栄養があるらしい。
野菜不足になっているのが気がかりである。野菜はもともと好きでなかった。
その代わり果物は何でも好きで食べている、フィリンヒンでバナナの病気になり品不足になりバナナが高くなり食べられなくなる。
バナナは一番安い、エクアドル産が240円で5本とかまだ安いようだ
アメリカのオレンジも400円くらいで78個あるみたいで安いのか、葡萄は結構高いのかもしれない、チリ産とかある。鮭はロシア産のがいい、鰻は中国産は安いけど何を食べさせているかわからないので不安である。

鰻は子供のとき近くでとれたものを食べていた。自分の父親と鰻とりに行ったことを覚えている、田んぼの畦にミミズをつけた棒を入れて鰻をとるのだがじっとして待っている時間が長いなかなかとれるものではない、ただそんなことして鰻がとれていた時代があった鰻を料理するとき頭をさしてもっているのが自分だった。
つるつるするから新聞紙でつかみそれを裂いて料理するのが家族総出でしていた。
それから鮎も良くとってきて食べた、その頃の鮎は大きくうまかったのである。
天然だからうまかった。川でも遊んだが今は鮎も小さくなりうまくない、それは最近ずっーとそうだった、ただ鮎釣りをしていたが食べるためではない釣りを楽しむためだった。自分は釣りはしないしなじめない、じっと待っているのが嫌なのである。
性格的に向いていない、良くあうして何もしないで待っていられると思う

子供のときバナナはこの辺で売っていなかった、たまたま秋祭りとかでバナナのたたき売りとかあった。バナナは高級品でまずこの辺では売っていなかった。
父親が病気になったとき仙台までバナナを買いに行ったのが姉だった。
仙台にはバナナは常時売っていたとなる
ともかく物が少ない時代だから食べ物もいろいろなかった。第一外国産がなかった。
外国産が入るようになったのは高度成長時代からだろう。
日本の電器製品などが売れ始めた時からである。
そこが外貨が入り外国産のものを買うようになれた。
菓子でもクッキーとかオランダ産で安いから買った。
結局地元のものをどれだけ食べているかとなると少ない
野菜は最近地元産のものが出てきている
一個500円の大きなトマトも売っていたがそれはうまくても高いから買わない
そんな高いものを地方で買う人がいるというのも金がある人がいるなと思う
地元では松川浦の魚を食べていた、石鰈などがうまかった。これは年越しの魚でこの辺では食べる習慣かあった。高いから滅多に食べないものだった。
松川浦の漁師は二日くらいすぎたものは食べないとか言っていた。常に新鮮なものを食べていたのである。それも放射能汚染で魚をとることさえできなくなった。

経済というときむずかしい理論ではない、日々の生活なのである。だから本当は経済学が一番身近なものかもしれない、ただ食糧となるものは工業製品とは違う。
天候などに左右され値段が一定しない、二倍三倍にも野菜がなったりする
そして不安なのは日本で売るものが電器製品とかなくなるとこうした外国産の果物でも何でも買えなくなるという不安がある、要するに今でも円安であり外国産でも高いとなる
どうしたって交通費がかかるから高くなる、日本が貧乏国になったというとき食べ物もそんなに贅沢つづけられるのかとう不安がある。
グローバル経済では売れるものがなかったら外国から買うことができなくなる
資源国なら石油であれ何であれ売ることができる。日本だと電器製品とか車とか売れなくなるとたちまち貧乏になる、その兆候がすでに現れている
日本は貧乏国になっているから贅沢できなくなっている
バナナすら高級品となり昔にもどるかもしれない。
その時国産の価値があがるかもしれない、でもそれだってやはり遠くのものは交通費がかかるということで贅沢できないとなるかもしれない、では地元で我慢すると言っても品数が少なすぎるのである。だからとても贅沢を覚えたからそれだけの食糧では耐えられないだろう。
小麦だって高くなりパンも高くなる、すると米でがまんするほかないという人もでてくるだろう。
リンゴだけは果物として好きでありそれが青森でとれているからそうなる。でも今は一個二百円とか高い、リンゴでも高くなるだろう。
マグロは高いからすでに鮭にきりかえるとかしている。実際は日本は貧乏になっている
ただこの辺では原発避難民はぜいたくしていると言われる、これも変だなと思う。


経済というときいろいろあるが基本は日々の食べ物から考えるのがいいかもしれない、それは毎日のことであり身近なものだからである。
貧乏国になればせめて食べることすらできなくなる、もう外国産のものは昔のバナナのように高級品になる、その時日本はどうなるのか?
日本は無理して贅沢な生活をしてきたともいえる、なぜなら借金までしてみんな贅沢しているからである。
アベノミックスとは金融の操作で景気を良くみせているにすぎないという。
日銀で紙幣を増刷してばらまいてもそれは紙なのだからそんなことで景気が良くなるのかとなる
つまりそうしたみせかけのものもはある日崩壊してゆく
それは借金してまで事業の成功者を装っていた人と同じである。
最後は借金で首がまわらなくなり破産してしまう。

日本の経済はそういう危険な状態にある、下流老人とか本当に現実に多いし67才くらいの人が同じ世代の人に詐欺をしたとかある、ぎりぎりの生活を強いられている人が増えたのである。とても国民年金などでは生活できない、厚生年金の平均15万というのもいろいろ引かれるからたりないのである。
老人が金もっているというとき一割くらいでありあとはぎりぎりなのである。
ただ一旦贅沢を覚えるとそこから生活の質を落とせない
だから借金してまで贅沢しているのである。家を建てるときもたいがい借金しているのである。そういう話は常に聞いてきたからである。
車を二台、軽トラックなどもっているから農家では車代がかかる、農業も金がかかる
農機具代になるとさらに金がかかり農業をやめた人も多い
放射能汚染されて田んぼはやはりかなり荒地のまま残っているのは農業をやたのだろう。趣味で農業やるとさらに金がかかる、野菜とるとしてもその十倍くらい金がかかっているのである。肥料だ苗だ種だとか金がかかっているのである。他から趣味で農業やるのは相当な贅沢なのである。

スーバーで自動化した計算機械には本当に感心した。小銭をいくら入れても正確に計算してお釣りを出す、お釣りを忘れることもない、お釣りをとっていってくださいと警告音を出すからである。
今日大量の小銭を整理するために入れたら一つ古い使えないコインが交じっていた。
そしたら機械か停止したのである。係の人が中を点検したちそのコインがでてきてとったら正常にもどったのである。
それはまさに異物だったのである。異物を入れたら機械が停止した。そして異物を排除したら正常にもどったのである。
こうして異物を認識することは優れていると思う
人間でもガンは異物だからその異物を認識して自動的に排除するようなものを作れれば凄いと思う゛本能的に異物を排除するというのは動物でもしている。毒なものは食べてわかり吐いたり食べないことはしている
実際機械のことを自分は嫌っているがこれには感心した。機械は人間より優れていることがある、それで医療でも何でも人間が仕事を失うと騒がれている
それは本当だろう。こうした機械が出回れば人手不足も補える、この辺では人手不足で苦しんでいるからである。
機械は実際は人間より優れている面がいろいろある。抽象画を大量に作ったがphotoshopなど優れている、これも機械でありソフトを使い粉こなすことで新しい芸術の創造ができたのである。ただこの場合は機械を使ってもソフトでも人間の審美眼などは機械にはもていなから人間の力が本当は大きいのである。
ただ機械的なルーチンワークとかレジなどは機械化できるのである。それが自動小銭選別機とかなるのかで実感したのである。
介護のときおかゆつくる電器製品には助けられた。これを鍋でしていたら手間だった
こういう点で家事は楽になった。主婦は料理は以前としてめんどうでもその他は相当に家事は楽になったのである。
それでも自分は以前として追われた生活なのである。介護がなくても何かそうである。
家事にはそれだけいろいろ仕事がまだあるからそうなる。



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posted by 老鶯 at 16:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題