八木沢峠の麓ー大古林道の岩
(避難して人の住んでいない森の中の家の道の不思議)
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子だくさん岩
屋敷林木蔭の長く涼しかな
清流の朝の岸辺に藤と岩
山の藤高みに垂れて風そよぐ
ひんやりと苔むす岩に谷の風
ひんやりと苔の常陰黒揚羽
老鶯や木立の囲みユッサの湯
庭の石ここに変わらず黒揚羽
森の中人住む道行き橋わたる今は空家や夏になれども
橲原から八木沢の麓の大胡林道に行ってきた。
不思議なのは途中あの辺は避難している人が住んでいない、道が一本通じていて小川があり橋をわたる、そこに家が一軒あり前は田んぼだった。
清流が絶え間なく流れてひびいているいい場所である。
その一軒の家に行く道はなんとも不思議なのである。
それはなんというか人が住んで生活していたぬくもりがあるようにな道である。
森の中や山の中の人の住んでいない道とは違う。
何よりそれは一軒の家に通じている道だからである。
森の中の一軒の家に通じる道
この道を行けば家族がいる
アトホームである
清流がひびき藤の花が垂れている
この道はただの道ではない
家族が待っている道
家族のあたたかさに通じている道
今人は住んでいなくてもそれを感じる
この辺で起きていることは以前として不思議である。
あの辺は放射線量が高いから一部壊したり住んでいない
住んでいなくても以前として家があるから住んでいるように錯覚する
一二軒は実際に住んでいた
だから全然人が住んでいないというわけではない
でも90バーセントは住んでいない
車がひっきりなしに行き交っているからちょっと外の人は気づかないかもしれない
まるっきり人が住んでいない避難区域とは違うからである。
人がかつて住んでいた、そしてまだ空家があり住むかもしれない、何かそこは自然の道ではない、人間的な道なのである。
大古林道は電動自転車のマウテンバイクで上った。荒れているから上りつらい、杉の木も倒れていたり例の大きな岩のある所までは行くの難儀である
ただあの岩は貫祿がある、写真に撮った三つの石は迫力がある
それから大きな岩一つにその脇に七つくらいの小さな石が並んでいた
それは写真にとっていなかったので失敗した、名付けると子だくさん岩なのである。
なかなかあそこには行けない、残念なのは花は何も咲いていなかった
春だとキクザキイチゲとか少し過ぎると延齢草が咲く、あういう場所に咲くのはなんとも神秘的である
ユッサの湯に回り休憩した、あそこは休憩場所にいい、老鶯が鳴いているというのもなにかにあっている、それでゆっくり湯にひたればいいのだがあそこの湯には入ったことがない、700円は高い、福祉の湯は300円だからである。
食事がとれるのがあそこはいい、あと畳の部屋があり寝ころべるのがいい
庭には石が変わらずある、つくづく自分は変わるのが嫌になった、人でも自然でも変わらないものがあるのがいい、年取ると変わることが精神的ショックにさえなる
だから避難した老人は辛いことは確かなのである。
石は変わらない象徴なのである。
今回は日影の道を行ったのでそれほど疲れない、まともに日ざしを日中に受けると危険である。タオルを頭にかぶり帽子をかぶり日ざしを防いだ、砂漠の住民の恰好になるのもわかった。今年は陽差し恐怖症になっているからだ。
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