2016年05月24日

抽象画(溶岩の流れ) streams of lava


抽象画(溶岩の流れ)

streams of lava

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溶岩から生命が芽生える




抽象画お元になるのは今までの自分でもそうだしいくらでもある
一つのもの百にも変化するかもしれない、変化の芸術だからそうなる
抽象画は無限の変化なのである。

今回は溶岩の流れである。前の自分の抽象画を元に作った
抽象画は色そのものが何かを現している
具象画が形とか造形美があるが抽象画にはないからである。
抽象画には定まったものはないということである。常に変化するものとしてある。
だからかえって創作にゆきづまることもないのかもしれない
具象画だとどうしても形にとらわれるからそんなに大量生産できないのである。
タグ:溶岩

2016年05月25日

共同的世界観の喪失が現代の暗黒を産み原発事故も起きた (弱肉強食の資本主義的価値観の変革が必要)



共同的世界観の喪失が現代の暗黒を産み原発事故も起きた


(弱肉強食の資本主義的価値観の変革が必要)


近代がというとき近代以前が何だったんだろうとなる。近代が何のかを知るには近代の前は何だったのだろう、時代的にどういう世界だったのだろうとなる
それは日本史でも現代史があるが現代を知るには江戸時代と対比するとわかりやすくなる江戸時代はすべていいとかではなくその時代時代の共同的世界観がありそれと対比して現代をみるのである。
それは外国でも同じである。ヨーロッパだったら中世が一千年とかありローマ帝国もあり共同的世界観の中に生きていた時代が長いのである。それはエジプト文明までさかのぼるそれが暗黒時代というのは歴史的見方としては一概には言えない
近代の19世紀でも20世紀でも見ればわかる
これは一体何なのだろうとなる、なぜこれほどの世界大戦があり大量の殺戮が全世界で行われたのかとなる、それこそ近代の200百年は世界史では最大の暗黒時代だったとなる
こんなに世界大戦があり死ぬ必要があったのかとなる
一体その原因は何だったのかとなる、それは日本だけではない世界的に起きたから世界的問題なのである。

抑圧された国民は現実から目をそらし自分を見失う、そうしたむっつりとした空虚な国民の顔は機能障害社会に共通した不安と恐れを示している
 国民の顔に承認を見つけられない故に全体主義指導者は拡大を試みる以外に生き残る道はないと確信する、つまり、政治哲学の正しさを証明するには,他の国や民族ですらこれに従っているのたと国民に示す他なくなっているのである
 (地球の掟ーアル、ゴア)

だからこの指摘は重要である。近代とは大きく見れば原始時代の先住民族の世界観からはじまった共同的世界観の破壊と喪失にあった。
なぜなら共同的世界観に生きていた時代はそこに社会全体には一つの規範があり調和していたのである。先住民族でもそういう自然と密接に密着した生活していたからその土地土地で生きて世界観をもっていたのである。それは実際は貴重な人類の遺産だったが近代になりないがしろにされ見捨てられた。
そういう土地土地に根ざした世界観に生きていた先住民族というときそれを現代的に見れば地方に生きる人々のことでもある


「人々はやまをこよなく愛してをりその土地のために戦う決意をしいる、そういう人がいなくなれば山の守り手は全くいなくなる、聖書の教えは自然を愛し自然を大切にする人間と結びついている時に公害から守られ、安全な道徳的な存在であり続けられる」

乱暴な石炭の露天掘りをやめさようとした人のアメリカでの話である。

このことは原発事故で現実化したものとしてこの辺では現れたのである。
ただ違っているのはすでに近代化したとき世界では工業化したのであり土地に根ざす農業は大事にされなくなった。
例えば近代化とかグローバル化とか貨幣経済の過度の拡大が人間にどう影響したかとなるとともかくあらゆるものが金になったというときそれとう日々実感している

自分の苦しみのときも金だけを求めてきたのである。一人は強盗とさほど変わりなかった現代はそれだけ格差社会であり金に困窮している人が多いのである。
だから借金している人も本当に多い、どれだけの人が借金しているのか?
身近でもこの人も借金かとなることはわかるだろう。なんでこんなにみんな借金しているのか?それだけ金に追われる生活だからである。
そして江戸時代とかその後でも金だけがすべてではないことがあったろう
今はみんなが金さえあればまずいいと考えている、例えば農民でもそうだろう
農民だったらまず買うというより作物を自ら作って満たそうとするだろう
最初にそう考えるが現代では金があればいい、まず買うことができるからとなる
品物はいくらでもスーバーにある、金さえあればどんなものでも手に入るとなる
なにやかにやと言っても金だよとなるのが現実である。
自分も毎日買い物に追われているのである。いかに買うものを選ぶかを知ることが日々の生活で大事になる
何かを作ることではない、ただ買うことになるから金が重要になるのである。

それでこの辺では原発避難民は補償金を多くもらったからもらわない人と対立するようになったのである。実際に避難民の方が金をもらったから威張っているというのも奇妙である。金があるやつが何であれ偉いとまでなってしまうのが現実なのである。
くだらない、教養もない、あくどい人間でも金さえあれば資本主義社会では偉いとなっているのだ。
いくら地位があってももしその地位が金につながらなければ何も評価されないのである。すべてが金によってしか評価されない時代である。
金によってあらゆることが操作される、金の前にすべての人は屈伏する時代である。
それで世界で資本主義で金をにぎっているものが世界を支配しているとなりユダヤ人陰謀論とかでてくる、イルミナティがどうだフリーメーソンがどうだとかいろいろ陰謀論がでてくるのである。
資本主義社会、グローバル化社会を生きることは金の支配から脱せられなければどうにもならないからである。いくら否定しても現実に金が絶大な効力を発する社会である。

その人は事業に失敗した、事業というのは商売の世界でもある、その人は技術者ではあったが商売には事業の経営者には向いていなかった。
自分が病気になっときチャンスとなりあらゆることでこの人も金を要求してきた。最初から金をふんだくればいいとしか考えていなかったのである。
入院するときも保証人が必要でありそれで恩をきせて対価を要求する
それはあらゆることでそうだったのである。頭には多額の借金を返すことしかない
そうした病気とかも関係ない、相手が病気にあれば弱みにつけこんで金を要求する、借金を要求するのには最適だったのである。同情もなにもないのである。
まず借金した人はそもそも人間としてのモラルが崩壊する、借金が原因の犯罪が一番多いように思うからである。追い詰められているから何をするかわからないということであるそういう恐怖を自分は家族の介護で経験したのである。

資本主義は共同的世界観を追及するというより世界が弱肉強食の世界になっている
金があるものが勝者でありそれがなんであれそうであり金のないものは敗者である。
金のないものは資本主義社会では相手にされないということである。
そういうことが日々はグローバルに行われているのがグローバル資本主義だとなる
それこそ暗黒時代ではないか?中世もそうにしろ現代もさらなる暗黒時代ではないかともなる、何か共同の世界観などというより金が最大の価値になったことである。

この辺では先住民族のように住んでいる土地をこよなく愛しているということはなかったというより地方といってもかつての先住民とはかけ離れたものとなっているからだ。
地方に住んでもやはりグローバル社会資本主義に金が最大の力がある社会に住んでいるのである。
だから限界集落のようにな僻地でも宅配便がありバソンコで一発でボタンを押せば品物が届くということがある、それは金さえあれば僻地でも食糧さえ調達できてしまうのかとなる
だから先住民とかはもういない、それは縄文人とかと同じであり絶滅したのである。
この辺ではだから東電の原発を歓迎したのである。双葉町の「原子力とともにある未来」という看板がそうだった。
漁業組合でも漁業権が大きな権利であり原発前も原発後も補償金で潤っているのである。漁業権を東電に売り渡して多額の補償金を得ていたのである。
海を私物化したともいえる、海は別に漁業者だけのものではないからである。

キリスト教の一神教がイスラム教でも森を破壊したということなどないのである。
宗教はみんな自然との調和を説いているからである。
共同の世界観というとき自然との調和と価値の共同性が必ずあるからである。
そういう精神的なものとしての価値の共同性が失われた。
グローバル資本主義社会では精神的なもの価値の共同性がない
あくことなく金のみ追及する社会である。
科学技術というのは資本主義社会では密接地結びついていている
その象徴が原発だった、原発は金のなる木だったからである。
その結果として故郷の自然も空気も水も土も森も放射能汚染されて住めなくなったのである。
ただ原子力のことはなかなか理解できないこともあった。何か放射能というのは見えないからその危険性に敏感になれなかったということが災いになった。
ただその前にすでに金が唯一の価値となり金で何でも買えるという資本主義社会の中に生きているからこそ起きた事故でもあった。

つまり世界中が資本主義的価値観から逃れないように生きているからである。
共同的世界観というとむずかしいとなるが一つの価値観を共有することである。
価値観を変えない限り現代の資本主義的弱肉強食の世界から逃れられないのである。
そういう自分も外国に投資しているから矛盾している
そういう矛盾は必ず起きてくる、ただ価値観の変革なしで原発自体を廃止できないし
いくら金がどうだこうだと言っても金から資本主義的価値観からは逃れることはできないのである。
わかりやすくいえば本当の価値観を追及する生活のことである。
いろいろな職業ももうただ金さえもうけることになっているから荒廃する
すべてがただ利権であり金に支配されるときまさに現代の方が暗黒であるともなる
オリピックでも結局高邁な理想とはかけ離れて利権だけである。
電通が放映権でもうけゼネコンが建設でもうけエンブレムも利権でもうけとかすべて利権であり資本主義社会に組み込まれた偽りのショーなのである。
金になるから利権があり誘致したことが明らかになった。それより東北の震災の被害にもっと継続して予算をとるべきだとなる。他にも福祉関係とかいくらでも金の使い道はあるただこの世は暗黒でありサタンの支配下にあるとき絶望的なことは確かである。
この世から暗黒は消えることがない、どんな社会でもそうだろう。
それは外部的な原因ではなく暗黒は内部的なものにあり人間の内部の欲にあるからだ。
それが消えないから外部の悪も消えない、暗黒も消えないのである。
共同的世界観とは先住民族から歴史をたどり古代中世江戸時代とかにもどり価値観を変えることなのである。 

エジプト文明や江戸時代の稲作文明は安定した世界観をもっていた 
(現代文明は安定した世界観をもっていないからファシズムになりやすい)

posted by 老鶯 at 20:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2016年05月26日

スーパーで毎日買い物して考える (日本は貧乏になり外国産のものを食べられなくなるのか?)



スーパーで毎日買い物して考える


(日本は貧乏になり外国産のものを食べられなくなるのか?)


アスバラガスは好きなので食べていたが今細く貧弱だし150円でも高いから買わない
メキシコ産は安く入っていたが入っていない、日本や地元だと高くなる。
原町の同じスーバーだは品数があり安いから得である。
スーパーが一軒で品数が少ないから買い物では損である
でも車がある人はこの辺では原町も相馬市もあるから困らない
アスバラガスの代わりにブロッコリーを買って食べる、ブロッコリーは150円以下でも食べる量があるから得である。これは結構栄養があるらしい。
野菜不足になっているのが気がかりである。野菜はもともと好きでなかった。
その代わり果物は何でも好きで食べている、フィリンヒンでバナナの病気になり品不足になりバナナが高くなり食べられなくなる。
バナナは一番安い、エクアドル産が240円で5本とかまだ安いようだ
アメリカのオレンジも400円くらいで78個あるみたいで安いのか、葡萄は結構高いのかもしれない、チリ産とかある。鮭はロシア産のがいい、鰻は中国産は安いけど何を食べさせているかわからないので不安である。

鰻は子供のとき近くでとれたものを食べていた。自分の父親と鰻とりに行ったことを覚えている、田んぼの畦にミミズをつけた棒を入れて鰻をとるのだがじっとして待っている時間が長いなかなかとれるものではない、ただそんなことして鰻がとれていた時代があった鰻を料理するとき頭をさしてもっているのが自分だった。
つるつるするから新聞紙でつかみそれを裂いて料理するのが家族総出でしていた。
それから鮎も良くとってきて食べた、その頃の鮎は大きくうまかったのである。
天然だからうまかった。川でも遊んだが今は鮎も小さくなりうまくない、それは最近ずっーとそうだった、ただ鮎釣りをしていたが食べるためではない釣りを楽しむためだった。自分は釣りはしないしなじめない、じっと待っているのが嫌なのである。
性格的に向いていない、良くあうして何もしないで待っていられると思う

子供のときバナナはこの辺で売っていなかった、たまたま秋祭りとかでバナナのたたき売りとかあった。バナナは高級品でまずこの辺では売っていなかった。
父親が病気になったとき仙台までバナナを買いに行ったのが姉だった。
仙台にはバナナは常時売っていたとなる
ともかく物が少ない時代だから食べ物もいろいろなかった。第一外国産がなかった。
外国産が入るようになったのは高度成長時代からだろう。
日本の電器製品などが売れ始めた時からである。
そこが外貨が入り外国産のものを買うようになれた。
菓子でもクッキーとかオランダ産で安いから買った。
結局地元のものをどれだけ食べているかとなると少ない
野菜は最近地元産のものが出てきている
一個500円の大きなトマトも売っていたがそれはうまくても高いから買わない
そんな高いものを地方で買う人がいるというのも金がある人がいるなと思う
地元では松川浦の魚を食べていた、石鰈などがうまかった。これは年越しの魚でこの辺では食べる習慣かあった。高いから滅多に食べないものだった。
松川浦の漁師は二日くらいすぎたものは食べないとか言っていた。常に新鮮なものを食べていたのである。それも放射能汚染で魚をとることさえできなくなった。

経済というときむずかしい理論ではない、日々の生活なのである。だから本当は経済学が一番身近なものかもしれない、ただ食糧となるものは工業製品とは違う。
天候などに左右され値段が一定しない、二倍三倍にも野菜がなったりする
そして不安なのは日本で売るものが電器製品とかなくなるとこうした外国産の果物でも何でも買えなくなるという不安がある、要するに今でも円安であり外国産でも高いとなる
どうしたって交通費がかかるから高くなる、日本が貧乏国になったというとき食べ物もそんなに贅沢つづけられるのかとう不安がある。
グローバル経済では売れるものがなかったら外国から買うことができなくなる
資源国なら石油であれ何であれ売ることができる。日本だと電器製品とか車とか売れなくなるとたちまち貧乏になる、その兆候がすでに現れている
日本は貧乏国になっているから贅沢できなくなっている
バナナすら高級品となり昔にもどるかもしれない。
その時国産の価値があがるかもしれない、でもそれだってやはり遠くのものは交通費がかかるということで贅沢できないとなるかもしれない、では地元で我慢すると言っても品数が少なすぎるのである。だからとても贅沢を覚えたからそれだけの食糧では耐えられないだろう。
小麦だって高くなりパンも高くなる、すると米でがまんするほかないという人もでてくるだろう。
リンゴだけは果物として好きでありそれが青森でとれているからそうなる。でも今は一個二百円とか高い、リンゴでも高くなるだろう。
マグロは高いからすでに鮭にきりかえるとかしている。実際は日本は貧乏になっている
ただこの辺では原発避難民はぜいたくしていると言われる、これも変だなと思う。


経済というときいろいろあるが基本は日々の食べ物から考えるのがいいかもしれない、それは毎日のことであり身近なものだからである。
貧乏国になればせめて食べることすらできなくなる、もう外国産のものは昔のバナナのように高級品になる、その時日本はどうなるのか?
日本は無理して贅沢な生活をしてきたともいえる、なぜなら借金までしてみんな贅沢しているからである。
アベノミックスとは金融の操作で景気を良くみせているにすぎないという。
日銀で紙幣を増刷してばらまいてもそれは紙なのだからそんなことで景気が良くなるのかとなる
つまりそうしたみせかけのものもはある日崩壊してゆく
それは借金してまで事業の成功者を装っていた人と同じである。
最後は借金で首がまわらなくなり破産してしまう。

日本の経済はそういう危険な状態にある、下流老人とか本当に現実に多いし67才くらいの人が同じ世代の人に詐欺をしたとかある、ぎりぎりの生活を強いられている人が増えたのである。とても国民年金などでは生活できない、厚生年金の平均15万というのもいろいろ引かれるからたりないのである。
老人が金もっているというとき一割くらいでありあとはぎりぎりなのである。
ただ一旦贅沢を覚えるとそこから生活の質を落とせない
だから借金してまで贅沢しているのである。家を建てるときもたいがい借金しているのである。そういう話は常に聞いてきたからである。
車を二台、軽トラックなどもっているから農家では車代がかかる、農業も金がかかる
農機具代になるとさらに金がかかり農業をやめた人も多い
放射能汚染されて田んぼはやはりかなり荒地のまま残っているのは農業をやたのだろう。趣味で農業やるとさらに金がかかる、野菜とるとしてもその十倍くらい金がかかっているのである。肥料だ苗だ種だとか金がかかっているのである。他から趣味で農業やるのは相当な贅沢なのである。

スーバーで自動化した計算機械には本当に感心した。小銭をいくら入れても正確に計算してお釣りを出す、お釣りを忘れることもない、お釣りをとっていってくださいと警告音を出すからである。
今日大量の小銭を整理するために入れたら一つ古い使えないコインが交じっていた。
そしたら機械か停止したのである。係の人が中を点検したちそのコインがでてきてとったら正常にもどったのである。
それはまさに異物だったのである。異物を入れたら機械が停止した。そして異物を排除したら正常にもどったのである。
こうして異物を認識することは優れていると思う
人間でもガンは異物だからその異物を認識して自動的に排除するようなものを作れれば凄いと思う゛本能的に異物を排除するというのは動物でもしている。毒なものは食べてわかり吐いたり食べないことはしている
実際機械のことを自分は嫌っているがこれには感心した。機械は人間より優れていることがある、それで医療でも何でも人間が仕事を失うと騒がれている
それは本当だろう。こうした機械が出回れば人手不足も補える、この辺では人手不足で苦しんでいるからである。
機械は実際は人間より優れている面がいろいろある。抽象画を大量に作ったがphotoshopなど優れている、これも機械でありソフトを使い粉こなすことで新しい芸術の創造ができたのである。ただこの場合は機械を使ってもソフトでも人間の審美眼などは機械にはもていなから人間の力が本当は大きいのである。
ただ機械的なルーチンワークとかレジなどは機械化できるのである。それが自動小銭選別機とかなるのかで実感したのである。
介護のときおかゆつくる電器製品には助けられた。これを鍋でしていたら手間だった
こういう点で家事は楽になった。主婦は料理は以前としてめんどうでもその他は相当に家事は楽になったのである。
それでも自分は以前として追われた生活なのである。介護がなくても何かそうである。
家事にはそれだけいろいろ仕事がまだあるからそうなる。



タグ:スーパー
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2016年05月27日

ハンス・カロッサの詩は戦争の時書かれたから励みとなる (津波、原発事故の復興を祈る詩)


ハンス・カロッサの詩は戦争の時書かれたから励みとなる


(津波、原発事故の復興を祈る詩)



全額の弁済

復讐の女神たちを恐れ
我等多くを断念した
血気はすべて失い
祭ももはや催すのすら憚れる

かつての財産は次第になくなり
窮乏生活に耐えるしかなく
万事を覆う
償いきれぬ罪業の影


魂は羽ばたくことを許されず
幸福は墓石の下に沈んだ
親しい死者たちは誰も
われらの下に帰ろう欲しなかった

だが汝らは言う 悪しき柵(しがらみ)は
今ぞ取り払われるべき時と
再び喜び得る者あらば
誰とてもこれを褒め称えんと

そうだ我等の願いもそこにある 子供たちが
昔ながらに無邪気に遊び戯れことを
瓦礫と化した我が家の跡にも
色とりどりの花が咲き乱れんことを

共に生きる人々に幸いあれ!
悲しい悪夢からは容易に癒され
すべての人々の生活に
新たな空疎な場が膨れあがる

見よ、われには誰かを呪う資格なし
世界の破壊者に対してもしかり
闇夜の道を求め
孤独な裁きを自ら下さねばならぬ

聖なる存在の求めならば
その負債を全額弁済せざるをえない
万有が刻々と光に転ずる中で
自ら消尽するを思わねばならぬ

ハンス・カロッサ



著者はドイツ人でナチスの時代でこの詩は自分の家がアメリカ軍に接収されたあとに書いたとある、何か混乱した時代だった。戦争の時代の人である。

詩はわかりにくいものがある、でもその背景に何があったか読み取るべきである。
こういう詩はなかなか書けない、深刻な体験をしたから書けた
詩でも文学でも深刻な体験しないと読者に訴えないだろう。

この辺では津波の被害や原発事故で深刻な体験をした。
だからなにかそれと重ね合わせて読む
この作者は戦争だけどこれも実際は津波であれ原発事故ともにていた
戦争というのも悲惨でありその体験は深刻だったのである。
自分の家が接収されたというのも深刻な体験だったのである。

親しい死者たちは誰も
われらの下に帰ろう欲しなかった

原発事故の避難区域では先祖の墓もも棄てられた。先祖もものいわぬが被害者だともなる津波では村が消滅して祭りすら消滅する、これも深刻な被害である。

だが汝らは言う 悪しき柵(しがらみ)は
今ぞ取り払われるべき時と
再び喜び得る者あらば
誰とてもこれを褒め称えんと

何かこの辺では人間関係も激変した。それで避難先で補償金などで対立してもめた。
でも新しい人間関係を築いた人もいるだろう。
悪しき柵(しがらみ)とは何なのか?
避難区域から去って新しい土地に新しい家を建て新しい生活をした人たちも多い
それで良かったならその人たちも責めてはならない、そこで新しい生活をするがいいとなるのか?
避難区域にとどまれと言っても無理だとなればそれもいい、責めるなとなるのか?
むしろ喜べとこの詩で訴えている

共に生きる人々に幸いあれ!
悲しい悪夢からは容易に癒され
すべての人々の生活に
新たな空疎な場が膨れあがる

共に生きる人々に幸いあれ!

避難区域に帰りともに生きる人なのだろうか?
悲しい悪夢から癒され・・・というのは正に津波の悪夢であり原発事故の悪夢である。
この悪夢からは本当に癒されるのは容易ではないはずである。

すべての人々の生活に新たな空疎な場が膨れあがる

空疎な場とは何なのか?津波の跡や原発事故の避難区域で荒地と化した場所と通じている
それは戦争で焼け野原になったとかを現実に体験しているからだろう。 

見よ、われには誰かを呪う資格なし
世界の破壊者に対してもしかり
闇夜の道を求め
孤独な裁きを自ら下さねばならぬ

誰かを呪う資格なし
世界の破壊者に対してもしかり

これは津波ならそうならざるをえないだろう
でも原発事故を起こしたものに対してはみんなそうはならない
呪っているだろう。それでも原発事故を起こした原因は地元の人にもあった
「世界の破壊者」とは当時の戦争だからドイツならアメリカなのか?
広島の原爆もありそのアメリカに呪うということがある
でも日本は戦後アメリカに呪うということがあまりなかった不思議がある
全面的に降伏して復興したのである。

孤独な裁きを自ら下さねばならぬ

結局個人的にそうだけど人間が苦しみを受けるのはカルマである。
その人のカルマなのである。自分のここ十年の病気や介護もカルマだったのである。
必ずカルマが人間には蓄積されてそれが見えなくても苦しみとなって現れるときカルマを業を理解するのである。
舛添東京都知事でもそうである。彼も女性関係とかいろいろカルマを積んでいたのが現れて責められているのである。
彼が特別かというとほとんどの人がカルマを積まない人はいない、どんな善人でも罪を犯さないとかいう人もカルマを積んでいる、ただ苦しみとして現れないとき自覚しないのである。でも60代以降カルマは個々人にも現れる、それは逃れようがないのだ。
カルマの清算が強いられるのである。

津波は天災でありこれは呪いようがない、ただ作者は何か戦争とかの悲惨も受け入れている不思議がある。結局呪ってもどうにもならないということを悟ったのだろうか?
諦念の詩になっているのである。

聖なる存在の求めならば
その負債を全額弁済せざるをえない

負債というのはカルマであり人生の中で必ず個々人にも負債がカルマをもち全額弁済しなければならないというのは人生の厳粛な現実なのである。
一体借金してそれを他人に負わせることができるのか、借金は具体的なカルマなのである事業に失敗してその負債を自分に負わせようと病気と苦しみの時してきた人がいる
そうして犯罪にまでなる人は普通にいる

作者はなぜこれほど諦念したのか?みんなこの辺で津波だ、原発事故だと起きてこんなふうに諦念している人はいないだろう。
何か悲惨な情況でも前向きに対処しようとしているのがこの詩の意味である。

そうだ我等の願いもそこにある 子供たちが
昔ながらに無邪気に遊び戯れことを
瓦礫と化した我が家の跡にも
色とりどりの花が咲き乱れんことを

これもこの辺の情況と同じなのである。津波の跡は瓦礫の山と化したし原発事故の避難区域でもにた情況がある
実際に作者の家はアメリカに接収されたときそう思ったのだろう。
ハンス・カロッサの詩は前にも紹介したけど戦争という深刻な体験と津波や原発事故の体験はにているから理解できるとなる
ただこれだけの諦念にいたることはむずかしいと思う
何かあきらめきれないものが延々と残しているだろ。
第一放射能の被害はやっかいなものだからである。そうでも戦争の被害も日本でもそうだが深刻である。

最大の悲惨は広島の原爆の跡だったろう、それこそ世界の終わりを感じたろう
戦争というのはわからないにしても津波もそうだが本当に深刻なものだった
でもなかなかそれを今になると理解できないものとなっている
この詩は何か復興の励みとなるものだろう。
ただこういう心境になることはこれだけ悲惨なことが起きるとむずかしいとなる
でもいくら嘆いてもどうにもならないということも事実でありだからこそ諦念して一からはじめるほかないというのがこの詩の趣旨なのかもしれない
詩は具体的には言わない、引喩的に示唆するのが多いからそれくみとり読む必要がある。


タグ:復興の詩
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2016年05月28日

石巻もパチンコか、繁盛したのはパチンコ屋 (津波や原発事故で仕事を奪われたことが深刻)


石巻もパチンコか、繁盛したのはパチンコ屋


(津波や原発事故で仕事を奪われたことが深刻)



朝6時から行列「パチンコ天国」で「ギャンブル」しない人たち ―震災後の石巻市のパチンコ事情 (Yahoo!ニュース) 

「そんな店本当にあるんですか」――東北のある都市では、業界団体の職員ですら驚くほど早い時間からパチンコ屋が営業している。開店は朝7時。それも1店舗だけではない。市内の半数がこうなのだ。異動してきた全国チェーンの店員たちは口々に言う。 
 「こんな地域があるなんて信じられませんでした」「間違いなく、日本一でしょ」。 

 

 普通の田舎なら農作業できるから忙しいでしょ 
石巻は津波塩害で農地ダメになったり、除塩しても土の作り直しは時間かかるし元通りってわけにはいかないから、 
やっぱり暇になる人は出てくると思うよ 

身の回りにある自然を 
楽しむ術なんだが、そんな知恵を持ってる 
奴は他者へ伝えないしパチキ行ってる奴は 
 こんな浪費に満足してる… 
ホントに終わってる  

恐ろしいのは田舎へのパチンコの入り込み方の根深さよ 
娯楽が少ない田舎に徹底的に食い込んでる 

兄夫婦が父親が遺した遺産2千万を2年で亡くした 
親子四人でパチンコしてると近所で噂になってたらしい 
 マジに何を考えてんだよ 

 朝からパチンコする余裕があるのに未だにボランティアに頼る連中もいる



石巻に行って聞いたこと書いたけど意外と原発事故のこの辺とにていた。
保険金とか何かで一億円も入った人がいたとか聞いた。
一軒に500万の義援金はでた。保険金も特別措置で相当もらったときいた。
原発事故では補償金もらった人が潤った。でも津波ではそうではないと思っていた。
でもやはり原発事故と同じように津波でも相当に義援金やらもらったのだろう。
ただ実際のところはわからない、そんなにもらえるのかという疑問もある
直接話を聞いた人はそのことを言っていたから噂ではない

誤解が多いのは原発事故でみんな多額の補償金をもらっているという誤解である。
補償金は30キロ圏内で線引きされたから30キロ圏内はそれなりにもらった。
飯館村は避難区域になったのだから別である
多額の補償金をもらったのは避難区域になった所である。
30キロ圏内と避難区域になった所が多額の補償金をもらったのである
原町の石神辺りも山側で避難区域になった所がある、そこも避難区域と同じようにもらった。
今度家を新築するとか聞いたからやはりあの辺は相当もらったのかもしれない
原町でも放射線量は街内などは低いが山側は高かったのである。 
ただ30キロ圏内の原町についてはどのくらいもらったか本当にわからない
山側は相当にもらったことはわかる。

イオンの隣に大きな空きができたビルがあるがあそこにパチンコ屋ができてまた拡張した中には食堂まである。大型の娯楽施設である。中は知らないがパチンコだけではない。
他にもこの辺ではパチンコ屋が増えた、それが東北の津波の被害地でもそうだったのだ
石巻は人口15万として東京の人から見ると小さいというが東北では15万の都市となると10くらいしかないかもしれない、自分の近くでも5万の都市でも大きいと思う
その感覚の差が大きいのである。
15万の都市でそれだけパチンコをする人が多いとなるとパチンコ屋も増える
石巻では未だに店を開かないとか商店街はさびれているし復興しているのかとなる
でもパチンコ屋が繁盛しているという矛盾がある
それが復興なのかとなる、でも原発事故周辺でも事情は同じである。

繁盛しているのはパチンコ屋とホテルである

ホテルも増えた、山の方にも通信設備のそろったホテルができたりここもにもあホテルがかできたのかとか以前としてプレハブの宿泊所も増えている
除染関係とか工事関係で以前として8千人くらいが南相馬市で外部から入ってきているという。
その人たちで経済的には活況を呈しているとはなる

そして今回の震災で意外と問題だったのは仕事を奪われたということである。
農業していた人も石巻だと漁業関係の仕事も奪われた
すると何もすることがないからパチンコ屋だとなった
仮設の狭い所にいるのが嫌だということもある。
別に働かなくても補償金をたんまりもらっているから働く必要がない
働いているのはほとんど外部の人たちである。

原発事故では自分の所は30キロからはずれていた。
避難してきた小高の人たちがパチンコ屋におしかけたのである。
そして親戚の人がパチンコ屋で働いていた、借金しているから働いていた。
そこで人手がたりないと言っていた
その時からどこも人手がたりなくなっていたのである。
自分はその時介護や病気で苦しかったので腹が立った
その時はただ異常自体であり混乱していた。
でも避難してきた人たちは自覚しないだろうが回りで介護関係とか病院とかでも避難してきた人たちで混雑して地元の人が迷惑したということがあった。
一挙に二万も避難したイワキではパニックになったこともわかる
避難した人たちそういうことを自覚しない
かえって金が俺たちはあるんだよとか威張っていたというのも異常である
それは全部とは言えないが何か思わぬ金が入ると人間は傲慢になるのだろう
結局現代の最大の権力は金だからである。
金があるものがなんといおうが偉いという社会なのである。
金のないものは全く相手にされないのが現実である。

第一この辺で避難して仮設に住んでいても別に回りの人の援助など必要ないのである。
買い物はスーパーでしているし食糧に困らないからである。
もし食べるものもないので米を下さい、野菜を下さいとかなれば違ってくるがそんなことはない、金さえあればスーパーでいくらでもあるとなるからだ
昔は隣近所でわずかのものでも借りたりもらったりしていたのはそれだけ物がない時代だったからだろう。江戸時代のようなその日暮らしであり計り売りだったのもそのためである。
そういうことが隣近所で助け合うということがなくこれまた親戚といっても交流がないからしかたがないが「おばちゃんは金があるんだから金でめんどうみてもらへ」と血相を変えて狂気のように去って行った女性がいたがそういう金のみを追及する時代である。
極端になるとみんなそうなるのである。現実がそういう社会になっているのだ。

ただではそうして金があるからといって避難して人たちがは次々に新築の家を建てて地元の人はうらやましく見ているだけとなると不満になる
でもこれまた家を建てているのは建て売り住宅でありそれは昔のように地元の大工さんが建てているのではない、全国展開している建て売り住宅の会社が家を一週間くらいで組み立てるだけなのである。
地元の人は家を建てるのでも別に避難した人たちのために働いているのてはないのであるそしたら地元の人たちに感謝するということもないのである。
そういう広域社会に住んでいるのである。

最近熊本ナンバーの車を見た、熊本で地震被害があったけど熊本の人も働いているのかと思った。そういう全国の人が来て働いている時代である。
そして地元の人は毎日パチンコ屋で遊んでいるというのも矛盾なのである。
それはここだけの話ではない、津波の被害地でもそうだった
ただ津波の被害地は原発事故のように補償金をもらっていないから働かないと苦しいと見ていたし現実にそういう苦しさを訴える人もいたからそんなにないと思っていたのである
人間はお前は金を与えるから何もしなくていい、働かなくていいとされるのもいいようで辛いとなる。毎日することがないからギャンブルだとなる
漁師がこの港に魚をとらないでいるのは何なのだろうと自問していた。
魚をとらない漁師は漁師ではない、米を野菜を作らない農民は農民ではない、家を作らない大工は大工ではない、その人は人間として何の誇りがプライドがもてるのかとなる
飯館村でもギャンブラーになったというときそうである。
までいな生活をしていた人たちがギャンブラーの浪費家になったという矛盾がある

農家だったら必ずなにかしら仕事があるだろう、毎日草むしりだけは欠かせない、それだけで相当な労働である。他にもいろいろすることがある
第一家事だけでも家があればいろいろある、女性の場合は家事が仮設でもあるから暇ということはなかったのかもしれない、自分は家事に追われていることを書いたきた
介護が終わっても以前として家事に追われている、狭い庭でも手入れして水やるだけで手間なのである。全部一人だからそうなる
いづれにしろ人間は仕事がないならいくら金をもらっても誇りも何ももてなくなる
ギャンブラーになったとしてそんなこと誇れないだろ。

ではただ漁師だった人が農民だった人が大工だった人が何か他に仕事できるかとなるとむずかしい、大工なんかは外に出てもできるから有利である。
農民は土地から離れて何もできないからである。
いづれにしろ人間は仕事をもつことによって仕事に精進することによって人間が作られるということがある
でも学問すると言っても普通の人は簡単にできない、芸術といっても別にこれも才能だけではない、日頃から積み重ねであり何でも人間は能力を開発しない限り能力は生れないのである。天才は別にしてみんな能力を開発することで才能が華開く
才能は生まれつき与えられているわけではない、能力を開発しない限り能力は生れないのである。それはどんな分野でも同じなのである。
芸術が生まれつきの才能だと思っているが違う。ずっーと抽象画をパソコンで描いてきたが自分は全く絵の才能がないのに描けているという不思議を味わったからである。
それはパソコンというart(技術)が生れて成し得たことだったのである。
その評価はともかく自分自身が不思議に思ってしているのである。

いづれにしろこの辺に起きていることは以前として様々な人間の問題の場所なのである。何か当たり前のことを問い直す場でもある。
一漁師が魚もとらない自分は何なのだろうと問うときその人は哲学しているのである。
一しょみんか哲学など関係ない学問など関係ないとしているがこの辺ではそうなっているのである。様々な人間の問題が提起された場所なのである。 

タグ:パチンコ屋
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限りない川の流れの変化( a variety of river)



限りない川の流れの変化(  a variety of river)


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川の流れの変化がこんなにつづけて作れたのは結局ソフトのためだった。
photoshopの波に変化させるとみんな違った風になるからである
何か抽象画でもソフトでも使えるのは一部である。
ただ抽象画でもパソコンの絵画はソフトを使いこなせないとまずできない

でもその肝心のソフトを使いこなすことがむずかしいのである。
これは本当に本でもわかりにくいし直接教えてくれる所があるといいが
そういう場所がない、今パソコンは誰でも使えるとしても
ソフトを使いこなすことが容易ではない
それは一般的にそうである。めんどうになってしまうのである。

ソフトは前にも書いたけど人間の脳とにている
人間の脳は生涯で20パーセントしか使わないとか言われるときそうである。
ソフトもphotoshopのようなものになるとみんな使いこなせない,それは脳の機能と同じなのである。だからパソコンは人間の脳と密接に関係している
それで将来はパソコンでitで人間に代わって仕事するというのもあながち空想の世界ではない、実際に現実化しているからである。
小説までインターネットとかitを駆使して書いたというのもそうである。
何か本でもすべてが独創的ではない、誰かの書いたことなどを書いているのも多い
つまりすでに言われたことを書いているのも多い
それだけすでに膨大な知識の経験の蓄積がありそれをくりかえしているだけだともなる
三分の二くらいは過去にすでに書かれた知識とかなっている
つまり同じようなことを思い同じようなことを書いている人がいるのである。

ともかく川ということでこれだけ変化があるのかというのも自分でして不思議である。
自然には確かにそれだけの変化があるが見えないということがある。
川というのは一様ではない、一本一本の川は違っている
外国になるとさらに大河もあるから違っている
そういう世界の川を現すとそれだけの変化があっても不思議ではない
ただ現実の川と抽象画の川は違っている
でも抽象画でも何かそれとにた現実の実際に流れている川をイメージするのである。

タグ:川の流れ

2016年05月29日

夏菊(ニコニコ堂から八沢浦をまわる)


夏菊(ニコニコ堂から八沢浦をまわる)

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北海老のニコニコ堂喫茶店

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八沢浦パノラマ写真

両方ともクリック拡大



三色の薔薇の映えにきニコニコ堂

夕暮れに家の間ぬいて夏燕

葉の広み夏蠟梅の隠れ咲く


大空に青鷺遠く飛び去りぬ夏の光になお明るしも

夏菊の風にそよぎて明るしやなお野に働く人のみかけぬ

夏菊に陽差し注ぎぬ夕方に自転車に走る我かなか

鳥の声まじかにひびきこの夕べ叢深く黄菖蒲色の映ゆ

紫の薔薇一輪や庭に咲き町の夜更けて月の光りぬ


半年ぶりとかにニコニコ堂を見た、あそこには三回しか行かなかった。
あそこの庭が花の庭になっていていいのである。
あそこは鹿島では隠れた穴場だとなる、でも商売として成り立っているのか疑問である。昼は予約制だし一週間に三日くらいしかやっていないとなるとそうみる
三色の薔薇が咲いていた、薔薇は夏の季語だった。

八沢浦の方に回ったら広い場所は荒地のままだが脇に入っている所は田んぼになっていたあそこも津波の被害にあったところである。
別に津波の被害にあったところでも田んぼにしている。
ただ海老の方面は荒地になっている。海老は被害が大きかったから田んぼが放置されたのか?

すでに藤の花は終わっていた。今年は暑くて体調崩して相馬市の方に行けなかった
意外と藤の花が早く散ると思った。
夏菊が風にそよいでサイクリングには気持ちがいい
ただ今年は暑くて何回も体調を崩した、胃を悪くした、もともと胃腸が弱い
その原因がわかった。冷たいジュースとか成分的にも体を冷やして悪かったのである。
それでお湯を飲んだら良くなった。
今年はもう暑さ対策が必要である。冷たいジュース類は胃に悪いから飲まない方がいい

自分は毎日買い物だとか自転車でかけずりまわっている
それも近くであり遠くには行かない
すると家の間を燕がとぶ、自分も家の間をぬうて自転車で走る
自転車は自然と一体化するのである。
ただ暑いと陽差しを受けると危険なことがわかった
紫外線の影響も大きい、今年は暑いから気をつけないと危険である。


7月に原発避難区域の小高が避難解除 (帰るのは二割として老人が多く限界集落化するのか?)



7月に原発避難区域の小高が避難解除


(帰るのは二割として老人が多く限界集落化するのか?)

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小高では原発事故の避難区域では帰る人が少ない、割合的には20パーセント以下である。そして問題なのはその中で老人が多いのである。
人口分布はどうなるか詳しくは分析できない
便宜的に図にしたように全体の二割としてほぼ前の人口が一万として2割である
その人口は面積にも比例している
人が二割しかすまないということはそれだけ今まで住んでいた所が放置されて空地化しているのである。

帰る人でもその内訳は人口分布は年齢分布は詳しくはわからないが若い人は少ない
図の黒い部分が多いことは確かなのである。
小高では小学校の運動会をしたがもう地域的に散らばってできないからまとめて一校にしてやる、それでも50人くらいいたのかな少ないと南相馬市チャンネルで見た。
要するにコンパクトシティ化せざるをえなくなっている
効率的にするには一校にまとめざるをえない
そして農地にしてもこれも農業をするとなると農地が散らばっている管理しにくくなる
水田は水の管理を共同でしいるというからである。

これはどういうことかというと津波の跡の水田を大規模にしたように一軒の農家とかではもうできない、その地域で帰って農業をやる人が共同で会社のようにしてやるほかないのかもしれない
第一帰る人が少ないのだから集約化することが求められる
それは農業だけではない、全体的にそうである。
コンパクトシティ化せざるをえない、人が住むのは街中に集める
農業は会社経営のようにして集約的にする、だからある部分は田んぼにできないから空地化する
原町とか鹿島では連続して田んぼになっているところが増えた
でもまた連続して田んぼにならない、放置された荒地のままの所多いのである。
海老村はそうなっている、津波の被害で跡継いでやる人がいないのだろう。
そういう荒地はどういうふうに利用するかも問題である。

ともかく一万の人口が急激に2000人になりその5分の3が1200人が60以上の老人かもしれない、つまり急速に限界集落化したのである。
それはあまりにも極端なものとして限界集落化したからショックなのである。
そしてこれが30年後なのか50年後なのか日本の先取りしたモデルなのかもしれない
このまま少子高齢化がつづくとそうなると予想しているからである。
限界集落は市町村の消滅危機なのである。
だから広域的に市町村が連合した街作りが必要だとか言われる
小高の場合はまだ南相馬市だから救われている
何らか援助があり南相馬市内の問題として対策もするからである。

ただ2000人規模の町が成り立つのかは疑問である。
なぜなら今はインフラなどの整備に大きな負担がかかるからである。
都会の人がそんなと限界集落がいらない、消滅した方がいいというとき税金を負担するからそう言っている
80倍もインフラ整備にかかるとか言われるからだ
もし昔の自給自足の生活ならそんなことを言われない
電気水道やら医療やらで負担がかかるからである。

工場としてはロボットととかドローンとかできるみたいである。
そこが働く場所になる、そこで若者が残るようになるのか?
何か残されたものはやはり負担が大きくなるだろう。
老人はそういうところでのんびり余生を過ごすことができるのか?
市町村をになうのは若い人であるがその若い世代が子供とともに流出しているからである
要するに津波でも原発事故の被害でもそれが極端になると将来でもイメージできなくなるあまりにも極端な変化に人間は対応できないのである。
一万から2000人に人口がなることは急激であ極端だからその対応策が浮かばないのであるそれは実際に帰って住んでみてどうなるかとなる
厳しい現実に直面するかもしれない、そしてもうこんな所に住みたくないと老人すら子供のいる所に流出することも考えられる

自分が小高に行ったときスーバーがない、コンビニのようになものがあったが品物が少なすぎる、あそこでは何も用がたせない、飯館村にも小規模のスーパーがあったがあれくらいのものは最低必要である。
ただ救われているのは原町が近いから車がある人は用をたせるからいいとなる
まず車がない人はもう住めない、来年に電車も開通するというからそれも復興にはなる。浪江との交通が遮断されたがそれもとりはらわれる
自由に行き来できても浪江は以前として人が住んでいないし荒廃している
そこに人と人のつながりが生れないのである。
だから小高の問題は小高だけではない、浪江も双葉も大熊とかも広域社会だから関係していたのである。
大内村だって買い物は富岡とかに行っていたからである。今はそういうふうに市町村でもみんなつながって生活している、孤立しては生活できないのである。

限界集落というとき山の中の辺鄙な所だと思っている、実際は今のところはそうである。
しかし少子高齢化で予測されているのは避難区域のような状態なのである。
急速に人口が減り限界集落化してゆくことであれそれがこの辺で現実化したのである。
だから少子高齢化のモデル地域にもなる、ここでどう生活するかは将来のモデルともなるのである。
ただどうするのかとなるとその解決策は簡単には見つからないだろう。
要するにそこに生きる人がどうするかということにもなるからだ。
それは南相馬市全体の問題でもあり広域社会では都会の人がインフラに税金を使うのはやめろ、限界集落は消滅しろというのはそのためなのである。
広域社会というのはグローバル社会というのは一市町村の問題が全体に波及する、無関心でいられないのである。
それで熊本地震で東北の瓦礫を受け入れないとしたことが今になると批判される
熊本は自分勝手だから応援しないとかなる
熊本県は地震がないから東北より立地がいいと宣伝したことも批判される
東北は遠いから関係ないとならないのが現代の広域社会なのである。
実際に熊本ナンバーの車がありこの辺でも働いていたのである。


効率的に考えると限界集落は維持できない、コストがインフラなどにかかりすぎると現代ではなる
それでどうしてもコンパクトシティ化した市町村が模索される
そこで広い土地があり空地化した所をどう活かすのかとかが問題になる
いづれにしろ人間は贅沢を一旦覚えたら便利な生活をしたらそのレベルを下げられない
それが一番辛いことにもなる、零落することが辛いのがそのためである。
だから借金までして贅沢な生活を維持するようになる
そのとばっちりが他者にくる、借金を要求されてひどいめにあったからである。
事業に失敗しても成功したと装い借金してそうみせかけていた。
まさにそういうふうにとても自分が書いてきたような昔の自給自足の生活にもどることなどできないのである。
戦争時代は食うや食わずだったなどと比べてもどうしようもないのである。
そうはいっても現実は日本でも一億総貧乏時代とか苦しい経済になったらそう強いられるてくるだろう。
それにどう備えるのか、何かこの辺はそうした問題が先取りして極端な現象として現実化した場なのである。
タグ:限界集落
posted by 老鶯 at 23:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2016年05月31日

母とその前夫の戸籍をたどる (戸籍から一庶民の歴史がわかる-東京の歴史)



母とその前夫の戸籍をたどる

(戸籍から一庶民の歴史がわかる-東京の歴史)



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山口富造(母の前夫)


東京の下谷区三の輪町から王子区神谷町に転籍

台東区から北区へ転籍



昭和17年王子区神谷町二丁目五七番地理研工業王子第二工場内で死亡



■昭和10年(1935)財団法人理化学研究所で開発された研磨材をもとに、研磨布紙の製造販売を目的として理研コランダム株式会社を同研究所内に設立。

■昭和12年(1937)東京都北区に王子工場完成、財団法人理化学研究所より移転。

■昭和13年(1938)群馬県川場村のガーネット鉱区鉱業権を取得し、沼田工場を建設。

■昭和28年(1953)静電塗装設備完成。(特許:工業技術院奨励金を受ける)

■昭和31年(1956)通産省より研究補助金を得て、特殊精密研磨紙生産設備完成。http://www.rikencorundum.co.jp/kaisyaannai/rekisi.html

愛知県西春井郡西春村大字九六坪南城屋敷戸主忌犬飼金松 六男 養子縁組

山口一男

自分の母親は東京で女中で働いた。大人しい内向きの性格だから良く東京まで出て行ったと思う。そこで前夫と結婚した。山口富造という前夫は東京生れであり台東区でありそこに本籍があったが北区に転籍した。
その北区の理研工業で事故で死亡した。そこまで戸籍に書かれていた。時間まで書いてあった。
その理研工業とはインターネットで調べたらおそらく昭和十年に設立されたここではないか?
北区に昭和十二年に王子工場完成とあるからだ。そして昭和十七年に事故で死亡した。
母が結婚したのは山口富造が前の妻が死亡したためである。死亡してまもなく結婚していることも記されている

養子縁組した人は名古屋市の出身だった。六男でありなぜか養子縁組して東京に来た
母が何か変な奴だと言っていたことを聞いた。おそらく育てられなくてなんかの縁で
山口家に養子に入った。その事情はわからない。
その人の墓は焼津にあるが一回墓参りしてあとは誰も墓参りしないだろう。
兄に死んだという連絡が来たために兄が焼津の寺に頼んで埋葬した。
その時母がかまうなと言ったけど戸籍をたどり死んだという連絡が来たからである。
戸籍はそうして死んだときとか必ず連絡して役所が国が責任を負わせるためにある。
そんな一度もあっていない人などかかわる必要がないのである。
金もなかったからめんどうだから母はかかわるなと言っていたのである。
戸籍でつながっていても全くあっていないとか知らない人も多い。
そういう人は戸籍上だけのつながりでありそんな人と関係させるのはおかしいのである。戸籍に関係なく実生活で深い関係になっている人もいるからそっちの方を重視すべきだと戸籍などない方がいいという人もいる。これも何か理不尽なところがあるためである。
山口富造と自分の母は結婚して子供生んだ、それが自分の父の違う兄となる
その兄も交通事故で四一才で死んだ

戸籍をたどるとここまで分ることの驚きである。その足跡が記されているのだ。
戦前でも東京に出る人が多かったのかもしれない、女性だったら女中としての働き口が相当にあったのだろう。
戦前の東京の状態はどうだったのか?

大東亜戦争(太平洋戦争)始まる(昭和17年〜昭和20年)

すでに戦争がはじまっていたのだ。だから相当に混乱した状態だった。
東京と田舎の生活は相当に違っていた。
自分の姉は看護婦の免許をとるために東京に行っていた。つまり東京でしか看護婦の免許をとれなかったのである。東京と田舎はその頃は暮らしでも相当に差があった。
やはり東京に出稼ぎというか東京に田舎から出る人が多かったのかもしれない

1935年(昭和10年)東京の貴重なカラー映像

人力車も走っている、車も走っている、人をのせた馬車も走っている、市電も走っている、立派なビルが建っている、・・・・こういう光景は田舎にはなかったろう。
田舎では高いビルなどはないだろう。今でも南相馬市では高いビルは病院くらいしかないのである。
つまり田舎と東京の光景とか暮らしは相当に違ったものだったのである。
だから東京に憧れるというのはその当時から相当にあったろう。
自分の母親もそうだっかもしれない、ただ自分の母親はとても冒険するようなタイプではないからなぜ東京に出たのか疑問が残る
当時東京に行くのは冒険である。行くにしても蒸気機関車であり八時間くらいかかったかもしれない、そのくらい遠いということである。気軽に行ける所ではなかった。
帰ってくるのも簡単にはできない所だったのである。 
おそらく実家が事業で失敗して母の姉が東京に出てきていたのでその姉を頼って東京に出たのかもしれない、家を嫌って姉は東京にでて
母も出たのかもしれない。家から離れたいということが若い時はある。
自分も家とか故郷から離れたいということがありただ東京に出たいということで三流大学に入った。
その時中学卒業が金の卵としてもてはやされた時代だからずいぶん恵まれていたのである。
その後も自分は相当に恵まれていた。

その時分は,東京は泥浮の都会,土蔵造の家並の都会,参議の箱馬車の都会,橋の
決に露店の多く出る都会であった。考-て見ても夢のやうな気がする。京橋 日本橋
の大通の中で,銀座通を除いて,西洋造りの大きい家屋は,今の須田町の二六新聞
社のところにあったケレ-商会といふ家一軒であったoそれは三階の大きな建物
で,屋上には風につれてぐるぐる廻る風測計のやうなものがあった。何でも外国の
食料品か何かを売ってゐた. (東京の三十年ー田山花袋)

これは明治時代の風景だからさらに変わっている。

また大名屋敷が広かったというとき過去は何か違ってイメージしている
現代からイメージするからそうなる、その時江戸は広い土地があった。

臼杵藩藩主稲葉伊予守の江戸上屋敷が 4,954坪(16,348平方メートル)江戸下屋敷が 3,480坪(11,484平方メートル)とあります。

現在のつましい我々市民の家の広さを、多めに50坪(165平方メートル)とすると、100軒が入ってしまうというとんでもない広さです。

これは小藩でそうなのであり九〇〇〇坪とか八〇〇〇坪とかあり国立競技場と甲子園なみの広い屋敷があった。

現代の東京からそういう広さをイメージできない、江戸の藩の屋敷は庶民の長屋などからした全く別世界だったのである。時代劇で見ても門が大きい、それだけの門があり広い屋敷があったとなる。だからその屋敷を維持するためには金がかかったともなる
もし大名屋敷の跡がそのまま残っていてそこに立ったらその広さに驚き歴史を実感できるでも東京は何か歴史を実感てきるものがみんななくなっているからつまらないのである。
自分の母親の前夫の住んでいたのは今の上野だった。

東京都台東区のおよそ西半分を範囲とし、江戸・東京の下町を構成している地域のひとつである。
下谷は浅草・本所・深川と並ぶ、東京下町の外郭をなす。

三ノ輪は今も走っている都電荒川線の終点だった。この都電には乗ったことがある。
早稲田まで通じていて途中に王子駅があるということはここに前夫は転籍した
すると遠い場所ではなかったとなる。
転籍した理由は王子にある工場に移るためだった?

王子電気軌道によって敷設された路線を東京市(現東京都)が買収したものを端緒として
荒川線はもともと王子電気軌道であり王子までしか行っていなかった。

三ノ輪は上野界隈であり台東区上野である。北区は隣り合っている、なぜ北区なのか?
江戸城があったところが中心でそこから北になっているからなのか?
下谷車坂町などあるのは都会らしい、車とは人力車だろう。頻繁に人力車が通ったからだろう。

いづれにしろ自分の母親は昭和十六年に結婚して昭和十七年に前夫は事故で死んでいるのである。そしたら一年もみたない間に死んだことになる、ただそこで一子を自分の兄をもうけている
女中奉公に東京に出て何年いたのかわからないがこれもあまりにも短い期間だったとなる実家の原町の夜ノ森公園の近くに子供とともに兄とともに帰って自分の家にた嫁いだ。
夜森前一番地となっている。夜ノ森とは夜ノ森公園の近くだったのである。その実家に行ったことがある。
そしてその実家はなくなり墓しか残っていないのである。
母の一生は不運と苦労の一生だった。後妻として二回嫁ぎ自分の父親も早く死んだ。
母の父親が事業に失敗して一家離散のようになってから不運だったのである。
そういう人は戦前生れとか大正生れとかなると多い、貧乏だし戦争もあったからそうなる

こうして戸籍から明確に一個人の庶民の歴史がたどれるのが戸籍でありそれも不思議だとなる、まず墓からはほとんどわからない、江戸時代のものというだけでもわかれば貴重だがその他はその人がどういう生い立ちなのかなど全くわからない、戸籍をたどるとこのようにわかるのである。
それにしてもなんかこの戸籍をたどるというのも不思議である。
戸籍とインターネットで何か歴史をたどることができた。
本でもその一部をインターネットで読みつないぎ編集した
posted by 老鶯 at 13:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)