2016年04月30日

郡山市から会津(三島)に原発の爆発で逃げた人の話を聞く (飯館から霊山へ行く)


郡山市から会津(三島)に原発の爆発で逃げた人の話を聞く


(飯館から霊山へ行く)

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前乗という場所で壊される家

飯館村ではすでに千軒が壊されたというから驚き

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草野にできた復興住宅

中は相当に広い、奥行きがある

子供をもった家族向きである。

4所帯が入れて四つつくるそうである。二つはできている

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増えたのは猿とイノシシである


霊山の紅葉館であった老人は郡山市の人だった
あの人は何か話好きだったからいろいろ話しした

「私はね、原発事故で爆発したとき、会津の三島に逃げたんですよ」
「郡山でも逃げた人があるんですか?」
「私はね、戦争経験しているから広島の原爆とか思いだ思い出したんですよ」
「あの爆発を見て危機を感じた人はいます、また感じない人もいました
自分は30キロからわずかにはずれていましたが危険を感じなかったですよ
30キロはずれたところは屋内退避と自主的に避難があった、バスが用意されてそれの乗らないとあとは避難できないと聞いたときそんな危険な状態なのかと思った」
「私はね、会津から三島の鶴の湯に逃げたんですよ、一カ月いましたね、でもそのあと原発の避難者がいっぱいおしかけて追い出されたんですよ」
「郡山だと避難命令など出ないから逃げた人はまれでしょう」
「そうですけど子供のとき一応戦争体験していますから逃げたんですよ」

この人は郡山市に60才頃なのか分譲住宅を買って大宮から移り住んだ人だった、それから20年とか住んでもう故郷の両親も死んだからここが故郷ですよと言っていた。
その老人は元から住んでいるわけでもなく仕事をリタイアして郡山に住んだ。
だから20年とか遊んで暮らす身分だったのである。全国を旅行したことも言っていた。
そういう老人も増えている、阿蘇で地震があったけど被害があったのは茨城県のツクバの人が地震と放射能をこけるたに移住したという、それも馬鹿見たなとさんざん言われている。放射脳だとかさんざんに言われる
まず郡山市でそれだけ危機感を感じるというのはやはりまれだろう。

ただその人は広島の原爆などのことを思い出して危機感をもったのである。
自分はあの爆発を見て危機感を感じなかった、そもそも放射能のこともわからなかったのである。
危機感を感じない人は感じない、浪江の人も一番危険な津島に逃げた。その時東電関係の人がいて放射能のことを知っていてこっちは放射線が高くなると街に引き返したという
街の方が海側だから0、5とか低かったのである。
爆発したときみんな混乱していた。異常に危機感を感じる人もいたが危機感を全然感じない人もいた、自分などはそうだった、飯館村でも爆発しても村長が避難するなととどめていたのである。それが批判されている。
これは放射能がわからないというより村長にしてみれば村民が出てゆくと困るからであるでも村長は村民を思うことで村長なのだけど村長は村長であるために避難させなかった。

今でもそうだが村民がいなくなったら公務員でも村長でも職を失う危機にさらされるからである。
そして爆発して大量の放射性物質が流れた、それは最初の一カ月間くらいずっと放射性物質は大量に飯館村とか福島市の方に流れたのである。
でもその間飯館村の村民は避難しなかったから被爆したと言われる
南相馬市では二三日間くらい放射線量は特別高かったがあとはどんどん低くなり影響がなかった。
今では0・2だが最初から0・2だったのである。樋とかを除いてはそうである。
郡山市でもそのくらいであり除染は必要ないと言われたそうである。自分の所でも0・2であり0・23以上しか除染しないのである。

飯館村の放射線量を計ったが佐須までゆく道の草むらは1、5とかであり佐須の牧草地は前は3あったが今はその半分になっている、木材は1であり前は3あったから低くなっている
意外と放射線量は低くなっている、でも自分の所は0・2から変わりないのである。

あの人はいろいろ話好きだったのだろう。ただ大宮から移り住んだ人だから歴史には詳しくない

「郡山にタダノ(多田野村)があるんですよ、そのタダノとこの霊山は関係している
南北の争いでそのタダノの人たちが落ち延びて南相馬市の鹿島に住んだんですよ、字は但野とか只野とかに変わっていますけどまちがいなく多田野村から来た人たちの子孫なんですよ 鹿島には只野、但野姓が多いんですよ」
「タダノ村は知っています、まあいろいろあるんでしょう」

その人は83才であり胃ガンで胃を切除している、だから孫とかは山に登ったが上れないと食道にいて話したのである。

帰りに佐須から草野によったら街の中に立派な復興住宅が建っていた。その回りは貧弱な住宅である。たいがい田舎では格安の住宅があるから貧弱である。家賃は4000円とか格安である。仕事している人がいた

「ずいぶんこれは立派ですね」
「中は広いですよ」
「子供をもっている家族向きですか」
「老人向きではない」
「飯館辺りはみんなやはり帰らないでしょう」
「こういう立派な復興住宅を作って帰って住まわせたいのかもしれさません」
「それはそうかもしれません、帰って住む人がいなくては村はやっていけまんせんよ」
「そういうことです」

本当にあの復興住宅は今まで見たもので一番立派であり住みたくなるような外観でもあり中もそうである。木造だからあたたかみもあるからいい。
来年で避難解除になるとしてどれだけの人が帰って来るのだろうか?
これも疑問でありそもそも村としてやっていけるのかという疑問がある
そもそも自治体が運営できる人口はいくらくらいなのかとなる、葛尾村は3000人くらいであり良く自治体として成り立っていると思った。
飯館村は6000人いたのである。自分の予想としては村として維持することがむずかしくなり自然公園みたくなってしまうような気もする、自然公園として管理する人は住むけど村として成り立つのかとなる、村というときそこには生業がないと成り立たない

その生業が放射能汚染されて食糧も自活できないとなると村として成り立つのかという疑問がある。
菊地製作所は村を維持するための会社になっているがそれだけで村が成り立つのかという疑問がある、第一千軒の家が壊されたのである。
その人たちは飯館村に住まないから自分の家を壊した、となるとその後に誰が住むのかとなる
福島市でも補償金で家建てたとかいろいす言われる、だから村に帰る人がこうなるとどれだけいるのか?村が成り立つのかという疑問になる

帰りは遅くなり夕方になり出てきたのは猿とたイノシシである、道まででてくるから警戒感がなくなっているだろう。
増えたのは猿とイノシシでありそのために駆除もしている、その檻もあった。
飯館村には山桜が咲き家々には枝垂桜が咲いていたが人は住んでいないから淋しいとなる
いづれにしろ津波や原発事故などでどれだけそれぞれの対応があったか知りえるのはほんの一部である。なぜなら福島県だけでもその被害者は膨大になっているからである。
一人一人がどういう対応とったとかその後どうなったのかなどわかりえようがないのである。

タグ:飯館村
posted by 老鶯 at 21:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連