2016年04月19日

復興を願いて小高の春二十首 (浜街道を小高へ)

復興を願いて小高の春二十首


(浜街道を小高へ)


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コブシ咲き高松の奥家一軒

芽吹きけり馬飼う家や相馬かな

津波にも残る御堂や蛙鳴く


海近く六号線や朝日さし鳥も飛びきて山桜映ゆ

東風吹きて樹々も芽吹くや朝日さし山桜咲く六号線行く

山桜風にそよぎてゆれやまじ浜街道を朝進みゆく

山桜松に映えにき東風吹きて散り舞う花びら浜街道行く

新田川瀬音のひびき山桜朝日のさして岸に映えにき

街道を行く人あれやチューリップここに映えにき朝の明るさ

小高にそ花みな散りぬ帰らざる小高神社に我がもうずかも

残る花小高神社に散りゆくやここに住む人なしも淋しも

人なしや小高神社の石段に蟻穴いでて働かむとす

津波にそ流さる社再建す誰か守るや雲雀なきしも

人住まぬ小高や原の広がりて雲雀なくかなタンポポの満つ

人住まぬ小高にあれど雲雀鳴く我にひびきて生きるものあれ

小高にそ津波の跡に松二本痛々しくも五年はすぎぬ

鴨なおも渡り去らじも沼に群れ小高に人は住まざりしかも

村上のに城のありしと望む海タンポポ映えてなにかありなむ

村上に波のひびきて山桜朝日のさして海を望みぬ

村上の社を誰かたずねなむ椿の散りてあわれなるかな

村上の墓地の古りしやあわれかな散りし椿や帰らざるかな

福岡と川原と記す碑の一つ田んぼに残る春のくれかな

雲雀鳴き復興ならむ小高かなタンポポまぶし海を望みぬ


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六号線は山桜が今盛りであり朝日に映えてきれいだった

敷島の やまと心を 人とはば しきしまの やまとごころを ひととわば. 朝日に匂ふ 山さくら 花 

これは山桜であり染井吉野ではない、そこがまぎらわしいのである。山桜は野生種であり染井吉野は江戸時代に品種改良したものである、本来の桜は日本では山桜なのである。

ソメイヨシノは加齢とともに危険度が増すことが分かりました。特に樹齢40年を超えると、危険度2以上の占める割合が極端に増え


ソメイヨシノが世の中に広まったのは江戸時代の終わりくらいですから、まだ150年経つか経たないか、まあそれくらいということになります。そうすると当然ながら、それ以前の古い木というのはないので、若い木しか我々は見ていないということになります。

山桜となるとその樹でも樺細工とか角館で作られているし丈夫である。山桜は丈夫であり染井吉野は枯れやすいのである、せいぜい150年が最高年齢としても明治からすでにそのくらいすぎているから寿命が樹としては短いとなる
山桜と染井吉野の相違はにていても大きい、山桜は野生種であり純白の花である。
染井吉野は艶なる花である、だから京都辺りだとにあっているのである。

山桜は六号線沿いにかなり咲いていた。今日は朝日がさしてきれいだった
まさに朝日にこ匂うように咲いていたとなる
山桜は風にそよいで咲くのもいい、浜街道は海が近い、そして東風(こち)が春になると吹いてくる、旅からは遠ざかっていたがまた旅に出る気分だった
生きている間に自転車でもう一度磐城まで行きたいとなる



小高は海の方ではまだ津波の跡が痛々しく残っていた
壊れた家も残っていたし田んぼは湿地になりまだ整地されていない
ただ除染は小高の方が進んでいると太田の人が言っていた。
帰還をすすめるためにそうしているのだろう
小高で感じたことは田んぼが一面に原になりタンポポが咲き雲雀が鳴いていた
それは原町とか鹿島とか相馬市や津波の被害地はそうなっていた
でももう湿地は埋め立てられたし壊れた家もない、小高はまだその点五年前のままの所が残っていた。


小高の復興というときやはり人がともかく住む、誰でもいいから住む、老人でもいいから住む、住まないとしたら人が入ってくる、それだけでも生きてくるものがある
雲雀の声が自分にひびいたとき雲雀も自然も花も生きるのである。
そこに人がいないと自然すら死んでしまうというものを感じるのである
一旦人が住んだ場所は人が住まないと活きてこないのである。
人が住まない太古の自然とは違い人間と共存した自然だったからなのである。


復興というとき歌や詩も力となる。雲雀が鳴いている、その歌は人間にひびくのである。人間にひびくとき最もひびくものとなる、活きるものとなる
それが誰も住まない来ないとしたらひびかないのである。
だからみんな帰らないとしてもそこには人間が入るべきなのである。
人間がいない世界は自然まで死んでしまうということになりかねないのである。
ともかく原っぱでもいい、そこを人間が通ればその道でも何でも活きてくるのである。

雲雀鳴き復興ならむ小高かなタンポポまぶし海を望みぬ









南相馬市五年後の復興の様子 (原町の大高ら小高へ行く)


南相馬市五年後の復興の様子


(原町の太田から小高へ行く)


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雲雀が原の5階建てのビル

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セシウムの除く試験用の菜の花畑


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長屋風の復興住宅

誰が入るのか?

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縁側商店ーここしか店がなかった

弁当を売っていたので助かった

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津波でまだ残っている痛々しい松の木二本


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安政とある村上の城跡の下の墓地


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福岡と川原と記された道標

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この碑はどこから流されてきた

川原と福岡と記されているからこの辺ではあった

これは道標ではないかのかもしれない

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六号線そいの新築中の家

ここには人は住むのだろう


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獣がイノシシなどが増えているため


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ここは一番大きい放射性廃棄物場

六号線の両脇にある、太田である



今日は陸前浜街道を行き小高まで行って行って来た。
雲雀が原の所で復興団地の大きなのには驚いた。
五階建てでありこれは大きいなとみて思った
ここは一大復興団地になり一番大きい、5棟くらいあるのか、相当な人数を収容できる
これだけの大きなもを作るということはそれだけの需要があることになる
それはこの辺では小高とか避難区域になり帰らない人や大熊とか双葉、浪江からも移り住む人がいるからだろう
ただこれだけ大きいと一つの街を形成するようになる
原町は土地が広いから新しい建物が建つ
これだけのものが建つと収容される人も多くなる、その人数がどれくらいになるのか
でもここに入れば仮設と違って家賃がとられる、近くの復興団地でも家族7人とかで7万家賃がとられているとか小高の人が言っていた
これを払うとなると増える、ただそれだけの人が入るということはやはりこの辺は原発事故の避難者が多いからそうなる


ここから太田に出たら大田川の橋で住んでいる人にあった。

「菜の花畑にしただな」
「油もとるよ゛売り出している」
「油といっても今はいろいろあるけど昔は椿油とかあったからな」
「この辺では米は作らないみたいだな」
「もう米も畑もこの辺では作らないよ、試験用のは作っているけど」
「前から農業も後継ぎがいないとか言っていたからな」
「俺ももうやらないよ、俺はここに鹿島から婿に来たんだよ、あそこが俺の家だよ」
「なんか自分も年とったんだけど先のこと考えられないんだよな
庭に木を植えてもすぐに育たないから植えたくない、老人は先のことを考えられない
なんかこれからどれくらい生きてあとは墓のことなど心配するんだよ」
「自分ももう農業はやらない、もう年だしめんどうだよ」
「放射能被害で補償されればいいんだが・・・」
「この川が20キロの境目だったんだよ」
「自分の所も鹿島も真野川が30キロで境目として区切られた」
「俺はここで家に住めるから良かったよ」
「菜の花もきれいだけどな、米を作らないのは淋しいな」
「菜の花は湿気に弱いんだよ、乾燥しているといい」
「そうか、菜の花は湿気に弱いのか」

そんな話をして小高に向かった。
小高では小高川沿いの桜はみんな散っていた。小高神社に行っても桜はみんな散っていたた。ただ残った花がるはらはらと散っていた。
そして石段に蟻が出ていたのは奇妙だった
なぜなら小高はまだ誰も帰っていない、人が住んでいないのだ。
この光景も本当に奇妙であり不思議だとなる
何か人が住んでいないということは桜が咲いても花見もする人もいないから自然すら死んだようになるのかもしれない、だから蟻が出て歩くというとき常に蟻でもいれば人間をイメージしているのである。
蟻が春になり穴から出て働きだす、それは人間をイメージして蟻もあるし桜もあるし自然もある
それがないというということが不思議になる、まず人が住んでいない街ということが何なのかわからないということである。

小高の街中には復興住宅ができていた、長屋のような作りは共同性のある作りにした
でもそこに誰が住むのか?ほとんどが老人になるだろう。
老人ホームになるのかもしれない、ただ老人ホームは街から離れているより街中にある方がいい、街中で日々の生活の息吹が感じられるのがいい、街から離れるとそうした街の活気とかから離れて老人だけで孤立してしまうからである。

海の方に向かったらまだ津波の被害の家が残っていた。原町と鹿島でもたいがい津波の跡はわからなくなっている、かたづけられてしまっているからだ。
田んぼは原野化して津波の跡がそのつまになっている、ただタンポポが一面に咲いているし雲雀も鳴いていたが誰も人が住んでいないということはその鳴き声は人にはひびかないというのも不思議である、自分が訪ねたから自分にはひびいた。


そして小さな堀のような川から沼になった所に鴨がいた、渡り鳥であり春だからそろそろ帰ってもいいはずだがか帰らない、人がないなので居心地いいのかもしれない、ただ春の鴨という季語はあるから鴨も春にもいる
そして松の木が二本まだ残っていた、それは津波にも残ったからまだ痛々しいのである。ただ五年も過ぎて良く残っていた、外では枯れたり切られたりしているからである。

それから村上城の跡に上った、その途中に墓地がありこの墓地も江戸時代からあった。
たいがい墓地は江戸時代からあったところに作られているのが普通である。
安政とか天保があったからそれなりに古い、ただ江戸時代後期であり明治に近い
ここには一時城があったとしても余りにも短かすぎた、記録には残っている
でもなぜすぐにとりやめたきか謎でもある

田んぼの中に津波で流された一つの碑が残っていた
これには福岡と川原と記されていて道標だった
これも奇妙でありこれを見て福岡の方に向かったとなる
タンポポが畦道に咲いていたので気持良かったとなる


ここから帰りは六号線を行くと放射性廃棄物の処理場が道の両側に広がっていた
これは今まで見たのでは一番広かった。
こんなのばかりができるのは嫌である。
ただ小高にはもっと大きな処理場ができていると思ったがなかった。


ともかく小高は人が住まないと何か自然まで死んだ感じになる、老人でもいいから誰か住まないことには死の街から逃れられないのではないか?
ここをどう活かすか簡単にはその方法が見つからないだろう。
まず若い人が住まないというときではここをどのように活かすのかとなるとわからなくなる
これまでのように農業するのかとなるとこれもむずかしい、太田の農家の人がやめたということでもわかる
自給自足とか言ってもそもそも農業がしにくい、ただ何かそういう生活を若い人でも好む人がいて家とか土地とか援助すれば住む人もでてくるかもしれない
いづれにしろ帰らない人が多いというとき空家が増え土地も空いてしまうからである。
その土地をどう利用するのかとなると簡単な解決方法はないだろう。
原野化するとそこは湿地帯になり鴨とか鷺が来て住みやすいとなってしまう。
ただ人が住まない街、人が住まない家がこれだけ多いということこれは何なのだろうとなってしまう


俳句とか短歌は別に書いてみよう


タグ:小高復興
posted by 老鶯 at 18:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

抽象画(流れるーつづき)


抽象画(流れるーつづき)


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これはタコである


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a flower in the depth of the sea


波のつづきである。抽象画になりやすい過程がある
それをソフトでわかれば一連の法則のように抽象画ができる
だから創作といっても機械的作業だともなる
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