フラワーアレンジメントの本を作る
トルコ桔梗と万寿菊
(つぼみ)
万寿菊トルコ桔梗のともに咲きその色深め家にしあるかな
大輪の紫濃き牡丹かな我が家の主我なりしかも
風荒れて夕日のさしぬ満開の桜しばし惜しみぬ
今日は寒い、風が北風であり寒の戻りである。でも今頃の季語にはないだろう
今年の気候は寒暖の差が激しいことである。
寒いと思ったら暑くなり暑くなったら寒くなる、こういう変化は体に良くない
風がビュービュー吹いて満開の桜に夕日がさしている光景も何か今までに経験していないつまり気候とは毎年違っている、人間が60年生きても70年生きても毎年違ったものを体験しているのである。
その大きなものが気候なのである。その気候によってものの見方も変わってくる
もう桜は満開だけど明日かあさってかもう散っていると感じる
今年の桜は本当にそういう感じの桜だった
フラワーアレンジントは自分の一つの仕事である。これは別に特別の技術は必要ではない生け花を習わなくてもできる、ただ美的感覚がないとできないともなる
花を見て美しさの感覚を養うということもある
写真を絵画風にパソンコでしたものはトルコ桔梗の群青色がいい、それと万寿菊というのが対称的に映える、そして花は何日か一週間くらい最低見ていないと心になじまない、映えないのである。
だから家の中で毎日見れる所に置くのがいいのである。
自然の花はいろいろ花があっても一つの壺に入れてみることはできない
みんなばらばらに咲いているからである。
フラワーアレンジメントは外国の花でも一緒にさして映える
そのコントラストがいいのである。
今は1000円くらいでも写真の本が作れる、それを今作ろうとしている
パソコンでも注文してつくった。キタムラプリントとかは相馬市のイオンにあるので便利である。
結局これも機械化で人がいらなくなるというときそうである。
パソコンがしているのであり人はパソコンの補助にすぎない
パソコンのソフトがすでに人間の代わりになっている、だから人間はこれから高度な仕事を要求される、パソコンにやれないような仕事である。
芸術はパソコンにはできない、小説をパソコンが書いたというときそれはやはりパソコンにある膨大な情報がキーワードでつながるということはありうる
人間の経験していることはパターン化できる、犯罪の動機などもたいがい決まっているのである。
いづれにしろパソコンでは一つのフラワーアレンジメントを見たとしてそれを鑑賞はできないだろう。色で判別できてもそれをどう鑑賞するかとなるとできない
だから俳句の一つも短歌もできないのである。
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