花見(相馬市へ夜桜を見る)
新しき自転車買わむ燕来る
鳴きにつつ鳥飛び来る朝桜
朝夕に中館の桜家に見ゆ
この道のゆく人まれに花の影
故郷や母亡き後や花曇り
買い物や原町に来て夕桜
街道や枝垂桜の花の影
混むでなし六万石の花見かな
宇多川の橋を渡るや春の星
城下町枝垂桜や繊き月
夜のふけぬ枝垂桜に繊き月
五本松通りて帰る春の闇
眩しくも新田川に陽は落ちぬ岸辺の桜今盛りかな
訪ねれば一夜の嵐に櫻花散りにしあとや疾く時はすぐ
満開の桜を見れば風騒ぎたちまち散りぬ夢の跡かな
五本松夜に通るも我は知る我が帰りゆく春の夜かな
家に待つ人とてなしも何故や姉と母とは常にあるごとし
我が家に待つは誰なれ猫一匹待つとてあわれ春の夜かな
昨日は原町に行って今日は相馬市に行って花見である。中館は自分の家から見える中世の館である。お浜下りとかの祭りがあるところでこの辺では知られている
桜というのは咲いたと思えばすでに散ることを予感する
ひさかたの ひかりのどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ
これは桜を象徴した歌だった。今回は特に感じた。最初から風が吹いたり荒らしになったりしてもう相馬市に行ったらいつも咲いている大きな木の桜はみんな散っていたのであるだから今年の桜は早く散った、咲いたと思ったら散っていたとなる
でもひさかたのひかりのどけきという日が今日もそうであり何日かはあった。
今日は暑いくらいだったからだ。
今日は介護もないので夜桜を見て帰ってきた。今までは7時ころまで必ず帰らねばならないのでそういうことができなかった。今は時間の余裕ができた。
でも不思議なのは誰も家に待っている人がいないということである。
それでも姉と母はいつも待っていた、それが60年もそうだったとするときなにかいるような気がする不思議である、やはり60年も一緒にいるとそか簡単には心から消えない
60年の歳月は長いのである。
五本松は夜でもここにあることが知っているのとにている。
60年も一緒にいれば例え憎んでいても記憶から消えなくなる
相馬市は何かいつもしんとしている、それで夜の枝垂桜がにあっていた。
細い月がでていたのも良かった。城下町でしんとしているからふさわしい月だとなる
相馬市は何か墨絵のような感覚になる
ともかく今年は桜が散るのが早いからあと二三日が見頃でありあとは散ってしまう。
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