2016年04月05日

ノートパソコンでプログにアップする実験



ノートパソコンでプログにアップする実験

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飛ぶ鳥の花また花や真昼かな

菜の花や街中に住み暮らしかな

春なれど北斗七星は北を指す


鶯の二三羽ここに今日も鳴きなれにし道や暮れにけるかな


今日はアマゾンで持ち運び用の安いパソコンを買った、3万だから安いけどいいものだった
ASUSでありレビューを読んで買った、量販店とかではすすめるの買うと失敗する、売りたいものを買わせられる
レビューでみんながいいとするものはたいがい間違いなくいい

ただ電気店はyi-fiのことを一番わかりやすく説明してくれた、説明とともに品物も紹介してくれるのがよかった
要するに最近の製品は通信とかでもわかりにくくなっているのだ
それが電話で聞いてもよく呑み込めないのだ、YI=Fは設定できなかった

原町で直接パソコンを持って行って聞いてわかった
ものをじかにもっていって説明されて分かった
そういうことがパソコンとかの接続ではある

外で通信したかったのでそれをどうするか分かった、今日はその実験である




タグ:菜の花

理解できないアメリカの銃社会 (資本主義は弱肉強食の世界、荒野のガンマン化するが否定できない)


理解できないアメリカの銃社会


(資本主義は弱肉強食の世界、荒野のガンマン化するが否定できない)


アメリカを日本人が理解するのはむずかしいだろう。その国の成り立ちから違っている
それは中国を理解するのがむずかしいのともにている
その国の歴史がみんな違っているからだ。
「荒野のガンマン」というけどアメリカは荒野を開いて移民が住むようになった。
テキサスでも西部はそうだろう。広大な土地を開いて住んだ
第一グランドキャニオンを見ればあそこが地球なのかと思う
スケールが日本の風土と国土と全然違うのである。それは中国にも言える
大陸的な風土は日本では肌で理解できない,この風土が理解できないと世界が理解できない
それは地形とか地理とかでもそうである。そして世界を知る基本はこの地勢とか地理なのである。学問の基本はここにあった。

この地形とか地理は本を読んでもテレビをいくら見てもわからない
その広さの感覚がわからないのだ。だからモンゴルとかを知るにはあの草原を車でもいい、どこまでも走ってみないとわからないだろう。
例えばそこに行っても意外とわからない、その距離感覚がわからないのだ。
日本にはそれだけの広い場所がないからだ。
自分はフフホトとかに行ったけどそこで感じたのずいぶん高地にあると思った。
車で行ったのでそれか感覚的にわかった。この土地の高低もわかりにくいのである。
相馬の海側からだと飯館村はかなり標高が高いのである。だから夏は涼しいのである。
それは車で八木沢峠を越えれば実感する


なぜ世界を外国が理解しにくいのか?それは地理が理解できないからである。
なぜシリアで紛争が起きているのか?それも地理がわからないから理解できない
例えばアジアだというときイスラエルまでアジアである。
アジアというときトルコは遊牧民だからアジアである。
西洋と東洋というけど宗教はアジアが発祥の地であるというときキリスト教もアジアなのである。なぜならイスラエルがアジアだからである。イスラム教ももともと一神教で同じ系統のものもである。
アジアとヨーロッパというのも区別がむずかしい、トルコがアジアだというときトルコかEUに参加したいというときアジアでは唯一ヨーロッパに属したい国だとなる

アメリカの国の成り立ちはそもそもよそ者の集まりであり移民の国であることはわかる。よそ者の集まりとなると互いに同じ国の人でも信用できないとなる
あらゆる国の人が混じり合う社会だからである。
だからそこで安全を守るためには法でありルールが厳しくなる
それで資本主義社会は競争が原理であり日本ではそれが徹底されていない
そのことがかえって日本は社会主義化して福祉社会になって衰退するということを言う人がいる。
それも一理あると思う。日本でも福祉の金が膨大になり医療費でも生活保護でもなんでも増えるばかりである。その金を誰が稼ぐのかとなると資本主義の競争社会で勝ち組にならない限りその金はででこない、社会主義的福祉社会は誰かが金を稼ぐことで成り立っている逆説があるのだ。
中国の共産主義社会でもグローバルな資本主義社会の中で発展したのである。
でも中国の官僚が経営するゾンビ企業を国で維持するとなると負担になるからつぶすと共産党幹部が言っている。資本主社会ではそうした福祉的なことをしていると全体に影響しして国自体が衰退してゆくのである。
それはいい悪いということではない、そういう仕組みとして資本主義がある

でもアメリカの銃社会では賛否両論がある。オープンキャリーとして銃を持ち歩くことを勧めている集団と銃をもてないようにすることを推奨する団体である。
そのオープンキャリーをすすめているのが牧師だというから日本では理解しがたくなる
剣をもつものは剣で滅びるというのがキリストの教えである。
その教えに全く反しているが理解できなくなる、牧師が率先して銃をもち説教壇でも銃をもちしている、それは境界でも銃の乱射事件があったからである。
これも日本では理解できない、日本では侍が刀をさしていたのは戦国時代の名残だけど
江戸時代になったら侍のシンボルとなり飾りとなっていてほとんど使われていない
刀で争い人を殺すということはまれになったのである。

この論争でどっちが正しいかとなるとその国の成り立ちもあり外国から見て判断するのもむずかしい、銃をもつことは権利だというのは国の成り立ちでそうなっていた権利だからである。
日本で銃を堂々と持ち歩いていたりすることはイメージすらできない、今ではアメリカくらいがそういうことをしている、するとアメリカが先進国なのかとも思う
でも国の成り立ちが暴力から武力をもったものによって成り立つのはにているだろう。
中国でも毛沢東が革命は銃口からはじまると言っていたから武力によって暴力によって権力を得たのが中国の共産党だからである。暴力なしでは武力なしでは国はまとめられない
資本主義は本当は相当に厳しい社会である。事業を起こして失敗した人は責任をとるべきだというときもそうである。
そして事業に失敗した人は本当に多い、20人一人しか成功しないの事業である。
資本主義社会では事業に成功すればその人は王侯にもなるが失敗すれば最低辺に没落するそれが資本主義社会の厳しさである。それは国にもあてはまるのだ。それが容赦がないのである。熾烈な競争に勝ち残らない限りそうなる
そして福祉とかも資本主義社会で競争に勝ち残ればできるのであり負ければ福祉すら崩壊する、日本は特に高度成長時代から衰退しているからもう福祉の負担すら政府ではできなくなる
何か日本では世界に売れるものを発明したりすれば別なのである。
資本主義は弱肉強食の世界なのである。それはいい面に働くこともあるし悪い面に働くこともある。
ただ格差社会のことを言うけどこれも格差をなくすにはどうするかとなる社会主義的平等の手法では簡単に解消できないだろう。
グローバル資本主義社会では競争に勝たない限り国全体が負けになり衰退するからだ。

いづれにしろ「荒野のガンマン」というときそれがアメリカ人のアイデンティティなのだろうか?日本だと村がアイデンティティであるのとは相当に違う。
ただ資本主義社会では日本でもアメリカとにてくる、金が唯一の価値となっているのもそうである。
「金くれ」と家に入ってきた人がいたがそれは強盗と同じだった。すぐ家捜しして大金を盗られた。田舎でそんなことがありうるのか?だからそういうアメリカのようになっているのも日本の現実である。
いくら金がないといってもそこまでするのかと驚きだった。そういう人は玄関で銃で殺さない限り安全は計れなかったのである。
そういうことも会津の夫婦がよそ者に無惨に殺されたことで起きた。
日本すらそういう危険な社会になっているのだ。格差社会になると金持ちはさらに危険になる。自分のみを守れなくなるのだ。そういう殺伐な社会が「荒野のガンマン」のアメリカ人の体質と同じになってゆく

事業に失敗した人もそうだった。自分が病気なことを弱者化したことをいいことに借金しているから脅迫してくる、これもまさに自分は弱肉強食の世界を身をもって体験したのである。もう相手は人間ではない、人間を金としかみていないのである。
そういうふうに事業に失敗したり借金に追い詰められた人はそうなる
世の中はそういうふうに厳しいものだということを知らなかったといえばそれまでであるでもすでに銃を持ち歩いていること自体その社会で相手を信用しないということである。誰も信用するものがいない「荒野のガンマン」なのである。
そんな社会が地獄だとアメリカ人の女性が言っているのはわかる。
現代の社会が日常社会でそうなっているとき世界的に戦争になってもおかしくない
弱肉強食の世界では最終的にはそうなる、殺すか殺される?食うか食われるか?の世界になるのが必然だからである。
アーリア人種、白人はそういう世界で侵略をしてきたという世界史観から資本主義が生まれたというのも一理ある。

かといって資本主義から共産主義になっても同じだった。なぜなら毛沢東が銃口から革命が生まれるというとき結局銃で権力を持ったものが王侯になったと同じだからである。
そして福祉に頼る人間は何も産み出さないという逆説もある。
平等だけを追及して格差社会を批判してもその人たちは何も産み出さないからみんな貧乏になるのである。
いづれにしろ人間は厳しい現実を認識してこそ世界を知る社会を知る
その厳しい現実にどう対処するかということで銃をもつ派と禁止する派に分かれたたのがアメリカである。
日本だってそういう社会になればそうなる、銃をもたないにしろ現実的には日本も資本主義だから負け組になれば最低辺に落ちる、そうなるとどうなるか?
銃で襲わないにしろ自分が経験したようなことがどこでも起きてくるし現実に起きているのである。アメリカでは銃をもって説教壇に牧師が立っているのだからその異常性ははっきりしている、そうしてキリストの教えを説いているのも矛盾なのである。
だから宗教家というのもどこでも宗教を実行している人などいないとなる
イスラムではテロになりカルト宗教団体は権力追及であり世俗と何も変わらないというより銃をもって殺さない限り安全が守れないとか食うか食われるかを実行しているのが現実だとなる



タグ:銃社会
posted by 老鶯 at 02:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層