2016年04月20日

今日4月20日21時19分ころの福島県沖の震度3の地震に恐怖 (震度1、2の地震は宮城県でも19日から3回起きていた、他でも起きていた)


今日4月20日21時19分ころの福島県沖の震度3の地震に恐怖


(震度1、2の地震は宮城県でも19日から3回起きていた、他でも起きていた)



      降順  発生時刻  情報発表時刻  震源地  マグニチュード 最大震度 
 2016年4月20日 21時19分ころ  2016年4月20日                  福島県沖  5・6 3
 2016年4月20日 19時00分ごろ 2016年4月20日 19時03分 熊本県熊本地方 3.8 3 
 2016年4月20日 17時40分ごろ 2016年4月20日 17時44分 熊本県熊本地方 2.8 3 
 2016年4月20日 16時01分ごろ 2016年4月20日 16時05分 熊本県熊本地方 3.9 3 
 2016年4月20日 15時31分ごろ 2016年4月20日 15時35分 熊本県熊本地方 3.0 3 
 2016年4月20日 15時28分ごろ 2016年4月20日 15時35分 熊本県熊本地方 3.1 3 
 2016年4月20日 14時27分ごろ 2016年4月20日 14時31分 大分県中部 4.0 4 
 2016年4月20日 13時07分ごろ 2016年4月20日 13時10分 宮城県沖 4.0 1 
 2016年4月20日 12時22分ごろ 2016年4月20日 12時26分 熊本県熊本地方 3.2 3 
 2016年4月20日 8時00分ごろ 2016年4月20日 8時04分 熊本県熊本地方 3.6 3 
 2016年4月20日 5時53分ごろ 2016年4月20日 5時58分茨城県沖 3.9 2 
 2016年4月20日 3時52分ごろ 2016年4月20日 3時57分熊本県熊本地方 2.9 3 
 2016年4月20日 3時39分ごろ 2016年4月20日 3時42分 熊本県天草・芦北地方 4.1 3 
 2016年4月20日 2時42分ごろ 2016年4月20日 2時45分 茨城県南部 2.6 1 
 2016年4月20日 2時16分ごろ 2016年4月20日 2時19分 熊本県熊本地方 4.0 3 
 2016年4月20日 0時56分ごろ 2016年4月20日 1時00分 熊本県熊本地方 3.4 3 
 2016年4月20日 0時29分ごろ 2016年4月20日 0時34分 熊本県天草・芦北地方 3.8 3 
 2016年4月19日 23時23分ごろ 2016年4月19日 23時27分 熊本県熊本地方 3.2 3 
 2016年4月19日 22時26分ごろ 2016年4月19日 22時30分 熊本県熊本地方 3.7 3 
 2016年4月19日 20時47分ごろ 2016年4月19日 20時50分 熊本県熊本地方 4.9 5弱 
2016年4月19日 20時43分ごろ 2016年4月19日 20時46分 長野県南部 2.4 1 
 2016年4月19日 20時33分ごろ 2016年4月19日 20時37分 熊本県熊本地方 3.2 3 
 2016年4月19日 19時46分ごろ 2016年4月19日 19時49分 宮城県沖 3.4 1 
 2016年4月19日 19時05分ごろ 2016年4月19日 19時09分 千葉県北東部 4.3 2 
 2016年4月19日 18時14分ごろ 2016年4月19日 18時20分 熊本県熊本地方 3.3 3 
 2016年4月19日 18時09分ごろ 2016年4月19日 18時12分 熊本県熊本地方 4.0 3 
 2016年4月19日 18時04分ごろ 2016年4月19日 18時09分 熊本県天草・芦北地方 3.9 3 
 2016年4月19日 18時02分ごろ 2016年4月19日 18時06分 熊本県熊本地方 4.0 3 
 2016年4月19日 17時57分ごろ 2016年4月19日 18時01分 熊本県熊本地方 3.7 3 
 2016年4月19日 17時52分ごろ 2016年4月19日 17時56分 熊本県熊本地方 5.5 5強 
2016年4月19日 16時22分ごろ 2016年4月19日 16時25分 熊本県阿蘇地方 3.4 3 
 2016年4月19日 15時05分ごろ 2016年4月19日 15時09分 熊本県阿蘇地方 4.0 3 
 2016年4月19日 14時57分ごろ 2016年4月19日 15時01分 熊本県阿蘇地方 3.2 3 
 2016年4月19日 14時55分ごろ 2016年4月19日 14時58分 宮城県沖 3.9 2 
 2016年4月19日 14時14分ごろ 2016年4月19日 14時18分 熊本県阿蘇地方 3.2 3 
 2016年4月19日 13時35分ごろ 2016年4月19日 13時40分 熊本県熊本地方 3.3 3 
 2016年4月19日 12時52分ごろ 2016年4月19日 12時57分 熊本県熊本地方 4.0 3 
 2016年4月19日 12時32分ごろ 2016年4月19日 12時35分 沖縄本島北西沖 3.9 1 
 2016年4月19日 11時47分ごろ 2016年4月19日 11時51分 沖縄本島近海 4.6 1 
 2016年4月19日 9時23分ごろ 2016年4月19日 9時26分 熊本県熊本地方 3.5 3 
 2016年4月19日 8時52分ごろ 2016年4月19日 8時56分 熊本県阿蘇地方 3.3 3 
 2016年4月19日 8時12分ごろ 2016年4月19日 8時20分 熊本県阿蘇地方 3.7 3 
 2016年4月19日 6時21分ごろ 2016年4月19日 6時25分 熊本県阿蘇地方 3.3 3 
 2016年4月19日 6時20分ごろ 2016年4月19日 6時24分 熊本県阿蘇地方 4.0 4 
 2016年4月19日 5時32分ごろ 2016年4月19日 5時36分 日高地方東部 4.2 2 
 2016年4月19日 3時38分ごろ 2016年4月19日 3時41分 熊本県阿蘇地方 3.3 3 
 2016年4月19日 3時08分ごろ 2016年4月19日 3時12分 熊本県熊本地方 2.9 3 
 2016年4月19日 1時53分ごろ 2016年4月19日 1時57分 熊本県熊本地方 3.8 4 
 2016年4月18日 23時22分ごろ 2016年4月18日 23時26分 熊本県阿蘇地方 3.1 3 
 2016年4月18日 23時19分ごろ 2016年4月18日 23時23分 徳島県北部 3.1 1 
 2016年4月18日 22時31分ごろ 2016年4月18日 22時35分 熊本県阿蘇地方 3.2 3 


熊本県の地震を気になって2ちゃんねるでこれを見ていた。
すると熊本県だけではない、宮城県と茨城県と千葉県と長野県にも震度1、2、が起きていたのである。

それを感じたのは昨日辺りでありこの辺にも地震起きていたのか?
最近はこの辺は震度3の地震はでていない、ただ一回微弱な震度1くらいの地震があって報告した。
その揺れを自分が感じたのはたまたまソファーに座っていて二階で揺れを感じたのである震度1でも震度1弱と強があり弱だとまず感じない、強でも感じないだろう。
でもこれも地震であり次ぎに起こる地震の前触れなのである。
でも体で感じることしか地震の危険を感じない、そこに地震の問題がある

福島県沖がなくても宮城県沖と茨城県と千葉県に震度1でも起きていれば福島県も連動するから危険なのである。

これを見れば日本全国どこかで震度1くらいは起きていることになる。
ただこのなかで宮城県沖が3回起きていることは注目すべきだった
熊本県にばかり注意しているが外でも地震があることに注意すべきだった


それで今日夜9時20分ころ起きた福島県沖の地震は震度3であり結構ゆれた。それで熊本県と関係あるのかと思った。
熊本県震度3くらいがつづいているとなると結構怖いことである。
今の福島県沖の地震も東日本大震災の余震なのだろう。
震度は弱くなっていても余震はつづいている
この辺は巨大なエネルギーを放出したから安全だと書いたがやはり余震がまだある
3・11のような巨大地震津波は来ないにしろまだ余震はつづいていたのである。



6月20日の9時19分ころの地震はマグニチュード5・6だった
一連の二日分の地震の中でもマグニチュードにすると一番大きい
岩手県゛宮城県、福島県で感じた広範囲な地震だった
これは3・11の余震の継続である。
ただ震度5とかは長い間でていないのである。



中央構造線で地震が起きている、


4月14日から18日

     震度1  吉野川市鴨島町 美馬市脇町
          徳島三好市池田総合体育館
香川県  震度2  坂出市久米町* 観音寺市坂本町 観音寺市瀬戸町*
          三豊市豊中町* 三豊市三野町*
     震度1  高松市伏石町 高松市扇町* 東かがわ市西村
          土庄町甲 小豆島町安田* 丸亀市新田町*
          多度津町家中
長野県  震度1  諏訪市湖岸通り
岐阜県  震度1  海津市海津町*
大阪府  震度1  大東市新町* 岸和田市岸城町
          泉佐野市りんくう往来*
兵庫県  震度1  豊岡市桜町
和歌山県 震度1  和歌山美浜町和田* 紀の川市西大井


タグ:今日の地震
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2016年04月21日

熊本地震で話題になる中央構造線 (日本創造にも神の意志が働いているのか?)


熊本地震で話題になる中央構造線


(日本創造にも神の意志が働いているのか?)


地震と地理でも地形でも深い関係がある。ただこの地理と地形とかは一番理解しにくい
いくら旅しても日本全土を地理を地形を知ることは不可能である。
地理とか地形は人間の理解能力を越えたものなのである
福島県ならある程度地理を地形をイメージできるかもしれない、でもハマ、ナカ、アイヅと分かれていて広いからその地形を理解することは簡単にはできない
標高差もありその土地の高低も理解しにくい、飯館村は八木沢峠を上ればわかるように相当標高が高いから夏は涼しく冬は寒いとなる
それは浜通りからすると別個の世界になる
日本は山が多いから峠が多い、そして山にさえぎられて隣村でも遠くなり交流がはばれるたがいの理解がはばまれる、それで明治以降村が民情が違っているからと合併しなかった


日本の地形をみるとき今回話題になった熊本地震の中央構造線というのが素人でもわかりやすい、四国辺りでも目に見えて断層の線が走っている、そこに伊方原発があったから危険だと目に見えてわかった。
その中央構造線は静岡県から富士山へとつながっている、九州と四国は海でさえぎられているからつながっていないようで陸地としてはつながっていて断層がつづいている
その巨大な地形をイメージすること自体できないから地震は予測できない
中央構造線からイメージしていたら熊本に地震が起きないことなどありえなかった。
だから百年熊本に地震がないから地震がない安全地帯として企業の誘致をしていたのである。だからなぜここにも地震が起きると気象庁でも地震学者も警告していないのか不可解だとなる、誰もここに地震が起こると警告していた人がいないのである。
それは結局東日本大震災でも福島県とかの浜通りには津波は来ないと確信していた。
それと同じことが熊本で起きたのである。
常に警告されていたのは東南海地震であり津波だったのである。
それで避難訓練など何度も行われたがそれから30年はきていないのである。
地震はくるくるというところには来ない、常に意外な所で起きているのである。
だから予知はしない方がいいとなった、予知はできないとなった。

日本の地形とか地理でまぎらわしくしているのは海に囲まれていて四つの島に海で分断されていることである。
でも中央構造線とかプレートは陸地でありその陸地が動いて地震になっている
すると海になってい見えない陸地が動いて地震になるのだから余計にわかりにくいのである。日本列島というとき一つの陸地としてイメージしておく必要がある
中央構造線からすると九州も四国も本州も一帯なのである。
そしてその中央構造線の延長上に富士山がある、富士山は日本列島のヘソであり中央に造山されたのである。
富士山は日本の地形を見ればまさに日本の中央に現れた不思議がある
富士山は日本列島の地形からも日本の中央であり現れたという不思議がある
そこに神の創造の意志が働いていたのかとなる
つくづく学問の基本は「地の利、天の時、人の和」を知ることである。
日本を知るときもまず地の利である。地の理にも通じている、利益だけではない、天の時というのもまさに地の利が理があり次ぎに天の時があり災害が起きてくる
天の時というとき巨大地震とか津波には天体も関係していると言われるからである。



地下の神が人間をあざ笑う


地下深くなお知られざる所神は棲む
ここに地震が起きるここには起きない
その人間の浅知恵よ、傲慢よ
思わぬ所に地震は起きる
そして神は人間をあざ笑う
人間は地下のことも天体のことも知りえぬ
もの知り顔に予知してもはずれる
人間はそもそも理に則って地球を見ない
ただ利に則って利を求めて地をみる
政治家も科学者も大衆も利で動く
科学者すら理に則るべきを
利にのっとり原発を作る
その利と欲によって人は騒ぐ
冷静に理を追及するものは科学者にもいない
利に左右されて見誤るのである
小賢しい人間よ、奢るものよ
そは砕かれて全能の神によって卑くくされる
人間の知り得ざるものはなお広大なり
地の一片を知りて奢るなかれ
地下深く神は棲み人間の知恵をあざ笑う
汝は地を計るものにあらず
汝は計られるものにてその則に従うべし



人間は地上で求めているのは理ではない、もし理だったら原発など作らない
利を求めるから原発を作る、利になるから原発を作る
利で蠢いているのが人間なのである。
だから天災ではその人間の利とか欲が罰せられるのである。
地震が科学的法則で起こるといっても科学者自体がその理を本当に追及しているかというと利にかかわる、活断層の上に中央構造線の上に伊方原発とか川内原発を作ったのもそのためである。
いくら断層の上でなくても調べてもやはりどこかで日本は地震が起きる
地震は予知できないしさけようがないのである。
原発が日本に作られているのはアメリカの要求とか核武装のためとか別な利がありやめられないのである。政治的意向が働く、理が働くのではないのである。
それが天罰となって神の怒りをかうということはありうるのである。
日本列島は海でへだてられていても一連のものとしてつながっているのである。
そこを見誤るとまた同じことが起こる、カルマをくりかえすのである。


中央構造線のキーワードで画像で絵で解説しているからわかりやすい
タグ:中央構造線
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熊本地震で話題になる中央構造線 (日本創造にも神の意志が働いているのか?)


熊本地震で話題になる中央構造線


(日本創造にも神の意志が働いているのか?)


地震と地理でも地形でも深い関係がある。ただこの地理と地形とかは一番理解しにくい
いくら旅しても日本全土を地理を地形を知ることは不可能である。
地理とか地形は人間の理解能力を越えたものなのである
福島県ならある程度地理を地形をイメージできるかもしれない、でもハマ、ナカ、アイヅと分かれていて広いからその地形を理解することは簡単にはできない
標高差もありその土地の高低も理解しにくい、飯館村は八木沢峠を上ればわかるように相当標高が高いから夏は涼しく冬は寒いとなる
それは浜通りからすると別個の世界になる
日本は山が多いから峠が多い、そして山にさえぎられて隣村でも遠くなり交流がはばれるたがいの理解がはばまれる、それで明治以降村が民情が違っているからと合併しなかった


日本の地形をみるとき今回話題になった熊本地震の中央構造線というのが素人でもわかりやすい、四国辺りでも目に見えて断層の線が走っている、そこに伊方原発があったから危険だと目に見えてわかった。
その中央構造線は静岡県から富士山へとつながっている、九州と四国は海でさえぎられているからつながっていないようで陸地としてはつながっていて断層がつづいている
その巨大な地形をイメージすること自体できないから地震は予測できない
中央構造線からイメージしていたら熊本に地震が起きないことなどありえなかった。
だから百年熊本に地震がないから地震がない安全地帯として企業の誘致をしていたのである。だからなぜここにも地震が起きると気象庁でも地震学者も警告していないのか不可解だとなる、誰もここに地震が起こると警告していた人がいないのである。
それは結局東日本大震災でも福島県とかの浜通りには津波は来ないと確信していた。
それと同じことが熊本で起きたのである。
常に警告されていたのは東南海地震であり津波だったのである。
それで避難訓練など何度も行われたがそれから30年はきていないのである。
地震はくるくるというところには来ない、常に意外な所で起きているのである。
だから予知はしない方がいいとなった、予知はできないとなった。

日本の地形とか地理でまぎらわしくしているのは海に囲まれていて四つの島に海で分断されていることである。
でも中央構造線とかプレートは陸地でありその陸地が動いて地震になっている
すると海になってい見えない陸地が動いて地震になるのだから余計にわかりにくいのである。日本列島というとき一つの陸地としてイメージしておく必要がある
中央構造線からすると九州も四国も本州も一帯なのである。
そしてその中央構造線の延長上に富士山がある、富士山は日本列島のヘソであり中央に造山されたのである。
富士山は日本の地形を見ればまさに日本の中央に現れた不思議がある
富士山は日本列島の地形からも日本の中央であり現れたという不思議がある
そこに神の創造の意志が働いていたのかとなる
つくづく学問の基本は「地の利、天の時、人の和」を知ることである。
日本を知るときもまず地の利である。地の理にも通じている、利益だけではない、天の時というのもまさに地の利が理があり次ぎに天の時があり災害が起きてくる
天の時というとき巨大地震とか津波には天体も関係していると言われるからである。



地下の神が人間をあざ笑う


地下深くなお知られざる所神は棲む
ここに地震が起きるここには起きない
その人間の浅知恵よ、傲慢よ
思わぬ所に地震は起きる
そして神は人間をあざ笑う
人間は地下のことも天体のことも知りえぬ
もの知り顔に予知してもはずれる
人間はそもそも理に則って地球を見ない
ただ利に則って利を求めて地をみる
政治家も科学者も大衆も利で動く
科学者すら理に則るべきを
利にのっとり原発を作る
その利と欲によって人は騒ぐ
冷静に理を追及するものは科学者にもいない
利に左右されて見誤るのである
小賢しい人間よ、奢るものよ
そは砕かれて全能の神によって卑くくされる
人間の知り得ざるものはなお広大なり
地の一片を知りて奢るなかれ
地下深く神は棲み人間の知恵をあざ笑う
汝は地を計るものにあらず
汝は計られるものにてその則に従うべし



人間は地上で求めているのは理ではない、もし理だったら原発など作らない
利を求めるから原発を作る、利になるから原発を作る
利で蠢いているのが人間なのである。
だから天災ではその人間の利とか欲が罰せられるのである。
地震が科学的法則で起こるといっても科学者自体がその理を本当に追及しているかというと利にかかわる、活断層の上に中央構造線の上に伊方原発とか川内原発を作ったのもそのためである。
いくら断層の上でなくても調べてもやはりどこかで日本は地震が起きる
地震は予知できないしさけようがないのである。
原発が日本に作られているのはアメリカの要求とか核武装のためとか別な利がありやめられないのである。政治的意向が働く、理が働くのではないのである。
それが天罰となって神の怒りをかうということはありうるのである。
日本列島は海でへだてられていても一連のものとしてつながっているのである。
そこを見誤るとまた同じことが起こる、カルマをくりかえすのである。


中央構造線のキーワードで画像で絵で解説しているからわかりやすい
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2016年04月23日

チューリップ(人の住まない小高の不思議)


チューリップ(人の住まない小高の不思議)

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我がここに住みつつあわれ二三人花散るあとを人の行くかな   

チューリップ庭に映えつつ新しき家に住むかなつばめとびかふ

隣にも代わりて住めるその庭にチューリップ咲き幼子のあり


自分の回りも変わってしまった、新しい人が移り住んだこともある
組では子供がいなくなっていたが一人幼子をもつ夫婦が住むようになった。
今は隣でもどういう人が住んでいるのかわかりにくい
一軒は津波の被害のために新築した人である。
自分の家など二代くらいで古くはない、農家だったら何代もつづいている
それでもいつしかこの辺で古株になっているのである。

草の戸も住替る代ぞひなの家 芭蕉

前はそこにも老人が住んでいた、その人は去ったからこの句とにている
人間というのはいろいろ環境が変わるけど世代交代とかをしてゆくのは代わりがない、
そこに人間としての普遍的なものがあり現代でも同じようなことがくりかえされるから
普遍的な価値をもっているのである。

全体的に南相馬市は変化が激しいのである。
新築の家が建ちつづけているし原町辺りは大きな施設が何カ所か建ってい小高の人でここに家を建てた人もいるからである。
今日はスーパーは混んでいた、土曜日であり他からの人が来るからこむ
除染関係とかの人もいるから結構こむのである。


それでも桜が咲いた土手の道はちらほら人が行くだけである。
ただ工事しているから落ち着かないことはある。
不思議なのは小高である。桜が咲いても桜が散ってもそこには人が住んでいない
するとそういう世界は何なのだろうと前からも不思議だった
人が住まない街の不思議である。
チューリップでも新しい人が新しい家に住んで映える
子供が幼子がいれば余計にチューリップもその子供に映える
つまり人間がいて花も映えているのである。
小高では桜が咲いて散っても誰も通らない、小高の人は見に行った人がいても住んでいないのだから日常的にその道を歩く人はいないのである。


だから人が住んでいない街とは何なのだろうとなる
ではこういうことがかつてあったのかとなるとあった
人間が住む前は原野であり森であった
そこには動物や植物も繁茂していた
人口をみれば江戸時代が三千万人であり大正時代で6千万人になった
これをふりかえれば日本は開墾されない土地は広がっていたのである。
その時はそこには人間は住んでいないのである。
大熊とか富岡とか辺りは明治になって開墾された土地なのである。
そこは相馬藩との境目であり原野が森が広がっていた
夜の森とは余の森だったのである。余とは相馬藩の殿様だったのである。
小高や浪江とか避難区域はそうした原野や森にもどったともなる

そして人間がいないということは自然だけになる世界をなかなか経験できない
普通身近に住んでいる場所でそういう所が開発されてなくなっているからである。
感じることは一段とシーンとして静寂が支配している
自然だけだったら当然そうなる、田舎の街だからもともと静かだったけどそれも人が住まなくなったとき余計にそうなったのである。
それで街が暗いから帰りたくないというのもわかる、要するに原始の状態にもどればそうなる
江戸時代ももどるようになる、灯もともしいし一段と静まり返るとなる


小高をどうするのかというとむずかしい゛要するに前例のないことだからどうしていいかわからないのである、人が住まない街とかをどうするのか?
それを模索するのにも今までのやり方も通用しない、では新しいやり方は何なのかとなるそれは簡単には解決できない問題なのである。

2016年04月24日

春の花(flowers in spring)


春の花(flowers in spring)

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タグ:春の花

避難区域の小高などを活かす一つの案 (自然公園として活かす)


避難区域の小高などを活かす一つの案


(自然公園として活かす)



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小高の海を村上城跡から見たとき他で見るのと違って見えた
あそこの小高い丘に上ったとき見た海は違って見えた
普通に下から見たらどこでも海は同じに見える
あそこは海が迫っていて海がより間近かに見えた
だから良くあそこに津波が襲われなかったと思う
高さからしてもあれだけの津波だから襲われた感じがする
なんかあそこから海を見ると海の中に入るような怖さを感じた
何でも見る場によって違って見える
あそこは小高では観光のビューポイントである。


小高でもう一つ(懸(かけ)の森がある


(懸(かけ)の森


小高の城跡と鳩原((懸(かけ)の森の方を回った 


ここを上る道は荒れていた、電動自転車だったから上れた、ヤマハのマウテンバイクだから馬力があるのででこぼこの道を延々と上った、あそこは道を整備しないと上りにくい
頂上までは上らなかった、ここもちょっとした登山にはいい
小高は小高神社が中心になる、小高神社からは海が見えた、やはり小高は津波が駅を越えてきたので海が近かったのである


小高をどう活かすかとなると自然公園として整備することもありうるのかと思う
津波の跡は人が住めないからそうしている、小高は全域が人が住んでいないからまた違っている
ただ避難解除したら住む人がでてくる、ではその人たちは農業をするのか
何で生計をたてるのか?ロボット工場ができるから働き口はできる
でも田んぼとか畑をやる人がいるのかとなると細々と老人がやるかもしれないがあそこで本格的に農業をやる人はいないだろう、菜の花の油を作る、あれも試験用なのだろう
原町の太田の人ももう農業をやらないと言っていた。養鶏で生計をたてていたのである。

いづれにしろ津波の跡はもう小高では田んぼにできない、すると結局自然状態にもどる、現実に湿地帯化していた、津波の跡は放っておくと湿地帯化するのである。
北海道の釧路湿原のようになってしまう。
でもそこは観光の場所になっているのである。
津波でも原発でも別に自然の風景までは破壊されなかった、海は海であり山は山であり森は森として残っている、ただ放射能に汚染されたので農業ができなくなった
ただその風景は活かせる、農業にこだわってもどうにもならないということはあるだろう三陸の方では子ども向けの自然教室を開いて人集めしている人もいた
そのためにはかなりの資金が必要だった


小高でも全部が失われたわけではない、風景は風景は今までのように残っている
村上城の跡から見る海は青々とした海がなみなみと心を満たすように迫ってくる
津波の後だから怖い感じにもなった、でも他と違った海を感じた
その海の色に心も青く染まった、あそこから見る海は違っている
あの小高い丘が海を見るのにいいビューポイントを作ったのである。

自然公園と言ってもこれも何か具体的に何なのかとなると浮かんでこない、例えは自然公園というときそこを一つの広大な庭としてイメージするわかりやすいかもしれない
要するに庭作りを考えるのである。
水辺があり水生植物が菖蒲などが咲き魚も泳いでいる、いろいろな小径があり散策する道が縦横にありあきない、東屋がそこうしこあり思索にふける、どっしりとした様々な形の岩があり重みを加える、自然とはそもそも人間の心を反映したものとしてある
それを自分は詩として書いてきたのである。
自然が提供したイデアがありそれを人間の心に反映させたものが芸術となる、それは詩となり哲学となり絵画となるるし宗教ともなる
岩があれは岩のような心をもつとなり樹でもそうである。

要するに自然公園というとき一つの町が庭園化することかもしれない
原発避難区域は農業をすることがむずかしくなったので何が残るとなるとそうした風景は残り活かすことができる、ただそこで農業をすることは放射能汚染でむずかしいとなったからである。
飯館村でも花の栽培はしていたからそれはつづけられるし拡大できるししているところもある。花で飾るということも自然公園である、それは仕事になるからいいのである。
津波であれ原発事故であれそれによってすべてが失われたわけではない
自然の美は残されていたのである。だから何かそういう残されたものを活かすということも一つの案だろう
どうしても今までの考え方が通じない、するとどうしたらいいのかとなる
これは飯館村とかでもそうであり浪江でもそうである、浪江でも高瀬川は景勝の地でありその自然がなくなったわけではなからである。

こういうふうにイメージすることは貧乏な時代には絶対できない、なぜなら人間食うことが第一であるからだ。米をとるためにいたるところ開墾したり開拓したりした歴史が日本だからである。
大正時代にも井田川浦は開拓されていたのである。それは食うためであった
でも今は米余りと減反になると米を重要なものとして見ていないのである。
だからいつも八沢浦でもあそこで米をとれるということを重視していなかった
土地の人は重視していてもあそこが浦になったらどれだけ美しかったろうといつもイメージしていたのが自分だった、だからそこで人が死んだというとき八沢浦が昔の美しい浦にもどったと書いたときそれに反発する人もいて当然なのである。
でも浦波が朝日がさしてきらきら打ち寄せていたときは奇跡のように思えたことは否定できない、それは一回だけ見た奇跡だったとなる、こんな現象を生きているときみれると思わなかったからだ。

考えてみれば自分はこうしして自然公園とみて逍遙していたのが人生だったともなる
農業の苦労など見ていないのが正直自分だったのである。だからここにも反発はある。
実際その女性は農家の出であり農業が好きなのである。
でも種が高いとか肥料がどうだとかそのわずかな畑を作るのに収穫するものはわずかであり野菜ももらっていない、ただ苦労だけを聞いて金をだしているだけであり見返りは何にもないのである、そういうふうに趣味でしている人も今はいる
第一農業でもうけるということはまた今は別な問題なのである。
豊かなは時代には農業も変わる、自然でも自然景観がより価値帯びてくるということもある、価値は常に変わっているからこの辺でも価値観を変えて対処する必要がある
ただどうしても旧来のものに固執する、第一考え方からしてそうなる
だから若い人の自由な発想で自由にやらせた方がいいと女川辺りでは老人は口だすなとなった、めれだけ緊急事態だからそうなったのである。
そして除染に何兆円もつぎ込んでそれが有効なのかという疑問もある、それが復興につながるのだろうかという疑問がある。
農業を復興させること自体むずかしいからである。
そもそも復興のビジョンというのが描けないことに問題があったともなる
ただそこには様々な意見があるからいちがいには言えない、除染するということはやはりその土地を活かす、実りを得るものとして不可欠だともなるからである。
ただそれとはまた別な発想も要求されていることは確かなのである。
何か新しい発想を提示することがずかしいからそうなっているとも言える
そこにこの辺の大きな問題がある、第一前にも書いたけど田舎で田んぼがない世界が考えられない
そのこと自体がいかに発想を変えるということがむずかしいことなのかわかるのである。
タグ:小高
posted by 老鶯 at 16:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2016年04月25日

グローバル経済社会とは多国籍企業が世界を支配する (インターネットの読み方、知識情報の構築が必要)


グローバル経済社会とは多国籍企業が世界を支配する


(インターネットの読み方、知識情報の構築が必要) 

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モンサント社は「農薬の使用量が節約できる」といって、グリホサートと呼ばれる除草剤と、グリホサートに耐性のあるGM大豆の種子をセットでアルゼンチンの中小企業に売りつけ、在来種からGM大豆に切り替えさせていった。

そしてモンサント社は「農薬の使用量が節約できる」といって、グリホサートと呼ばれる除草剤と、グリホサートに耐性のあるGM大豆の種子をセットでアルゼンチンの中小企業に売りつけ、在来種からGM大豆に切り替えさせていった。

公的な利益を守るはずの国や自治体も、その目的が「株主利益の最大化」にとって代えられる。
 こうした独占大企業の支配が続くかぎり、国を支える働く者が生きていけず、社会を維持することができない段階に到達している。

他国の食料自給潰し略奪
アメリカ多国籍企業
               日本にTPP参加迫る黒幕 



米多国籍企業をたっぷり潤す現代の奴隷制度

240万人の受刑者をもっと増やせ、そして低賃金でこき使わせろ!



世界的に名前が知れ渡る多国籍企業が低額の賃金に目をつけ、受刑者を労働力として利用する動きが加速していることだ。しかも受刑者数は過去10年で加速度的に増えている。

 米国の刑務所(連邦、州立、民間)に収監されている受刑者数は現在約240万人。1972年が約30万人で、90年には100万人。過去20年以上で2倍以上に増加した。


 
「多国籍企業的展開にたいして、各国では、自国から企業が逃げないように、あるいは外国企業を誘致するために、法人税の引き下げ合戦が生じている。
安倍政権は、財政危機のもとで、法人税をさらに20%台に引き下げようとしている。これは、多国籍企業が支配する、こうした現実に対応しているのだ。」


世界の問題を追及するときそもそも世界が今どういうふうに構築されているかということが肝心になる、グローバル経済というとき一体それは何なのかということになる
ただヒト、モノが自由に出入りする流通するということではない
グローバル社会は国を国境を越えて多国籍企業が支配する社会である。
単純にヒト、モノが自由に出入りするというものではない、多国籍企業を通じてヒト、モノが自由に出入りする社会である。もちろん観光などもヒトが自由に出入りするがそれがグローバル社会の目的ではない、それが悪いとして否定はできない
ただグローバル経済資本主義社会というとき具体的にイメージすればそういうことではない゛多国籍企業が世界を支配するということである

これまでは第二次世界大戦までは国がしのぎを削っていた。今は多国籍企業が国境を越えて支配する、国の力は弱り多国籍企業に従属するようになっている
それでそもそも国の存在価値が何か問われる、国という存在が希薄化されているのである国より経団連の意向が政治に反映される
多国籍企業というとき何か特殊なアメリカにある巨大企業をイメージする
でもほとんどの日本のトヨタであれソニーであれキャノンであれ多国籍企業なのである
ほとんどの名のある大企業は多国籍企業なのである。
現代はまさに多国籍企業社会なのである。
世界がこういう社会でありシステムであるときそこから世界の問題も起きてくる
そういう社会の仕組み、システムを理解していないとそもそも理解できない

なぜタックスヘイブン問題が生れたのか?

つまりこれも多国籍企業が必然的に産み出したものである。多国籍企業は国とかからの税金を逃れたいのである。それで法人税を引き下げてほしいというのもそのためである。
多国籍企業の代表者のような経団連が政治を動かすのもそのためである
そして世界中で国からの税金を逃れるためにタックスヘイブンが必然的に生れた。
これは明らかにグローバル経済資本主義が多国籍企業社会中心であるからそうなった
こういう社会であるとき税金逃れの道を必然的に作り出していたのである。
それは違法ではない合法的だというときもまさにそういう社会だということである。
国が税金をとることを逃れる、でも多国籍企業社会が世界のルールを国を越えて決めていたとなるのである。

そしてダークネスで常に主張しつづけていることはわかりやすい、そういうシステムの中で生きることはどういうことになるのかということである。
多国籍企業社会のグローバル資本主義で勝者になるにはどうするかと常に説いている
それは非常にわかりやすいのである。株主になってもうける、資本をもって投資してもうける、それが勝者になることでありあとは奴隷化されるとなる
株主であり資本を元金を最低でも一億円もたないかぎり勝者にはなれない
実際は百億円とかもっている人でありもっともっている人でありそういう人はもう働く必要もない、株で定期的に収入が入ってくるのである。
その他の人はいくら真面目に働いても収入は限られている社会である。
不正規とか言われる労働者であり時給いくらとかで奴隷のように働かされても収入は低く抑えられる

それが極端化して面白いというと語弊があるがアメリカの刑務所で犯罪者が多国籍企業にとって好都合であり低賃金で働かせられているというのもわかりやすい
アメリカが豊かな国だというけど実際はそれは一部であり格差社会である。
それが極端な形で刑務所で安い賃金で多国籍企業に働かせられていることに現れている
つまり多国籍企業社会とは一部の株主が潤いあとは奴隷化される社会だということであるだから株主にならない限りこういう社会では勝者になれないのである。
刑務所で働かせられる者がいて多国籍企業社会で株主になっている人は富を享受できるというのが現実である

そして多国籍企業が農業すら支配する、種を遺伝子操作して支配しうりつける、種は高いものであり種が農業を支配するともなる、肥料でも除草剤でもそうである。
そういう基本的なものが大企業に支配されるのである。

公的な利益を守るはずの国や自治体も、その目的が「株主利益の最大化」にとって代えられる。
 こうした独占大企業の支配が続くかぎり、国を支える働く者が生きていけず、社会を維持することができない段階に到達している。

国や自治体というとき国という大きなものだけでない、市町村とかの自治体でもそうである。そこでも大企業が自治体を支配してしまう、原発が作られて事故になったのもそういう一面があった、大企業の力がそれだけ大きく国でも市町村でも支配してしまうのである

darkness DUA

ここで追及しているのがわかりやすい、結局この人も投資でもうけているのだろう。
そういう矛盾が自分にもある、外国に投資したりしているからである。
そういう社会だからそうなってしまうのである
タグ:多国籍企業
posted by 老鶯 at 08:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

abstract (a green field and the sea in spring)


abstract (a green field and the sea in spring)


It has the form, but an electrical color to be able to give 
only with the PC in the color is beautiful.

bluegreenn2.jpg


bluegreenn22344.jpg

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春の草原の流れ

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複雑な地形




パソコンの抽象画の特徴は何か?

それは形もあるが色にある、パソコンでしか出せない電気的色が美しいのである。

機械翻訳でもこれはほとんど正解ではないか?

パソコンの電気的光の色は今までの絵の具では出せない
だから全然絵が描けなくても色を出すことでその色に魅了されるのである

青と緑のコントラストは原始の地球である

地球とか宇宙のら創造は色にあったことは確かである。
形もあるが色にもあった、色は実際は無数である。赤でも百種類くらいの赤が出せるかもしれない、色で不思議なのは古代から中世とか何百年前の絵でもそれがその時代だけの色を出している不思議がある、青でもみんな違っているのである。

ともかくこの抽象画も偶然である。色がきれいだなと出してみた。
タグ:青と緑

2016年04月26日

新築の家やアハートや復興住宅が建ち続ける南相馬市 (2400万円の建て売りの家)


新築の家やアハートや復興住宅が建ち続ける南相馬市


(2400万円の建て売りの家)


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クリック拡大

南相馬市では土地の標準価格が震災が3万だったのが7万になっている
二倍以上にあがっている、他にも統計があるが見方がわからない


震災5年 故郷戻れぬまま 原発避難者 移住6900件


南相馬市では小高が避難区域になったから原町区と鹿島区に新築の家が建ちつづけている昨日大東建託の社員が土地について直接に聞きにきた。
大東建託で驚くのはすでに十棟以上のアパートを建てるのかと驚く
それだけまだ部屋を増やしても入る見込みがあるから建てるのだろう
だいたい建つとすぐに人が入るから予約もしてあるのだろう
ただ一般的には全部の部屋を埋めるというより一棟の5、6割りを埋めればいいという勘定なのだろう。だから新しいのまた建てる
家賃はいくらかしらないけど田舎だからといって今は安くない
5万なのか6万なのか結構とられる、収入をみこめるから建てている

コメリの近くの新しく土地区画化されたところ一軒が2400万だった、値段がでていたからである。2400万だと安いのかと思う。家は大きくないからそんな値段なのだろ
美里町の方は大きな家が多い、ここはこじんまりした小さな家だからそんな値段になる
美里町は高級住宅街でありここはクラス的には落ちる住宅街になる
社員の人が家が欲しい人がいますかと聞いていたから売り出しいる
当社は安いですというのは本当だろう、土地付きで建て売りだからすぐに住めるからである。すでに引っ越して住み始めた人もいるしこの住宅地は倍にまた広がる


飯館村の人たちも福島市に家を建てているそうである。福島市となると南相馬市と違いさらに土地も家も高くなる、それでも買って家を建てているということはそれだけの補償金が入ってきているからそうなる
福島市の土地の値段は南相馬市の原町区の倍以上になる
そういう高いところでも家を建てることはやはり飯館村も補償金の額が多いということである。
それは原発避難区域ではどこでも起きていることである。
そして小高でも飯館村でも一旦避難した人は帰らない、特に若い人は帰らない
補償金は村で町でも復興させるというよりそれぞれが外に出て家を建てる資金とか外で暮らす資金となっているのである。

だから復興とは何かとなると何なのかもわからなくなっていると前に書いたのである。
どんどん外にでてその外の都会の便利な生活になじみ定住してゆく
その外での生活がすでに個々では復興なのである
前の村とか町が復興することではない、個々に外に出て新築の家を建てることやかえって外での生活をすることが復興になる
そこが復興とは何かわからない矛盾したものになっているのだ。

今言われるのは住宅に関しても数年以内に東京にも大地震がありその被災者を受け入れるために仮設住宅を残して活用しろとか言う人もいる、確かに仮設住宅は多いから引き継ぎ利用されればいいとなる。熊本でも近ければそうなった。
宮城県で仮設住宅を提供するというのもわかる

ともかく震災とか何かあると土地の値段であれいろいろと変わってしまう。
まず自分がいつも見ていたのは鹿島区の西町は場所的には一番いい場所であり区画整理した場所だが70坪で700万円で売り出していたのがいつまでたっても売れないしあの辺になかなか家など建たなかったのである。
今土地の値段は場所によにが二倍くらいになっているかもしれない、だから土地をもって売ったりしたらその人は相当金が入ったとなる、東京で土地成り金が話題になったのと同じである。

家とか土地の値段はわかりにくい、今回見たフォーレストホームの家は建て売りであり土地付きで2400万かとわかりやすいから見ていた。
安くしているからと言っていたから他だったら3000万くらいなのかもしれない、やはり家が小さいから安いのだろう。この辺は土地が高くなったからその分高くなるということはある

posted by 老鶯 at 19:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2016年04月27日

(抽象画)森と緑の地球 ( abstract green glove)


(抽象画)森と緑の地球


( abstract green glove)

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九州

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a highway in the forest


抽象画の特徴は無限に変化することである。
変化の芸術である。それはパソコンのソフトの操作による変化なのである。
こういうことはパターン化したものを変化させるのが得意である
抽象画はパソコンの特徴が活かされたものだった

An abstract picture are characterized by changing endlessly
It is the art of the change. It is a change by the operation of the software of the PC.
As for the abstract picture which was good at such a thing changing the thing which I patternized, the characteristic of the PC was kept alive

でも抽象画でも必ず具象画をイメージしている
今回でもこれは何なのだ?
これは日本の九州じゃないかと一瞬思った 日本人だったらこの絵を見て九州をイメージできる、だから具体的な具象画と結びついているのである

This is what at both abstract imaging pictures and this time imaging a representational painting by all means?
I am tied to the representational painting which therefore is concrete which this watches this picture if it is the Japanese who thought that it may be Kyushu, Japan for an instant, and can image Kyushu


他の森をイメージしかのもそうである。これは切り絵のようなものでありはりつけて合成する
きりとったり貼り付けたりするのもハソコンでは簡単である。
前にそんなことをしていたけど手間である。それだけ自分は暇だったとなる
貼り絵などは手作業でしいるが相当な暇人でしかできない
パソコンでは簡単にできるのである。

ともかく抽象画でも具象画から離れられない、何か世界にある具体的なものと結びつけるのである。
今回は地球であり九州であり森だったのである。

機械翻訳も結構進んでいる、ほぼ正解なのか?

機械翻訳して英語を学べることがあるなと思った。まず英作文はむずかしいら自分はこんなふうにすらすらと出てこないからである。
これも機械に代わられ一面は確かにある
機械にコンピュターに代わられものは多くなることは確かである
知的分野でもそうであるから余計にそうなってゆく
ルーチンワークのようなものはコンピュター化されるのである。

タグ:森と緑