2016年03月30日

千変万化の水の流れる変化(thousand of changes of water )


千変万化の水の流れる変化(thousand  of changes of water )


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断層



これは何なのかと自分でもわからなかった
波ということはわかるがそもそも波というので変化させた
これは水の千変万化だとわかった

水は一様ではないそれは様々に変化している、千変万化なのである。
水をそのように見ていない、かえってパソコンでソフトを操作して
水がこんなふうに見えることもあるなと発見したのである。

デジカメで人間の目で見えないものを発見したのと同じである。
無限の化学変化がパソコンの抽象画なのである。
タグ:水の変化

一方的に感情的になりやすいマスコミの報道 (原発避難者も回りの人も理解し合う道を見いだすべき)


一方的に感情的になりやすいマスコミの報道


(原発避難者も回りの人も理解し合う道を見いだすべき)


マスコミの報道は一方的になりやすい、公平中立な報道そのものがありえない、左翼系だとそもそも最初からかたよっているからかたよっている報道になる
そういう政治的な大きな問題でなくても人間は人を公平にみることほどむずかしいことはない
親戚でも親子で争いがあった。自分の家でかかわりあっても交流がなく良く思っていなかった。人間はまず絶えず変化しているから何年か交流がないと事情が変わるから相手を理解できなくなる
だから困るのは遠くに住んでいて何か事件とか事故が起きて呼び出されることなのだ。
静岡で兄が交通事故で死んだときがそうだった。
その時離婚したとか市営住宅の家賃を払わないで追い出されたとかそしてトラック運送会社で働いて子供は児童施設にあづけたとか混乱状態にあった
そんなとき死んだのだから最悪だった、そこで今度運送会社で保険金のことで代理人になることを画策していた。
じぶんはそんなことにかかわりたくないから帰ってきた。
でもその後もやはりかかわらざるをえなかったのである。
ここでの一番の問題は静岡で遠すぎたから事情がのみこめなかったのである。
こういうときは必ず誤解が生まれる
日頃行き来して相手の事情をわかっていればいいのだがそうでないと何がなんだかわからなくなる、判断もできなくなるのである。

親子で争っていたのは最初は子の言い分が正しいと思っていた。
それは親の方を良く思っていなかったからである。
でもそれは疎遠になっていたらわからなくなっていたのである。
子といっても40とかいいい大人になっていたしもう今では50代とかになったし
そこで何が起きていたのかわからない
でも娘の方の言い分だけを聞いていたからあとでそれが間違いだったことを知ったのである。
双方の言い分を聞いていればそうはならなかった。その娘を事情があってもひどい娘だと言って親は死んでいったからである。
その人は自分の家にきても信じられないひどいことを言って縁も切れたのでわかったのである。本当に「ひどい娘」だということを身をもっし知ったのである。
それは病気になって全く放置したようなことをしたからである。
ただその人が救われたのはすぐ死んでしまったことで娘に世話にならずにすんだから助かった。もし介護になったりしたら虐待になっていた。
こういうふうに個々人の問題でも疎遠になる理解しにくくなり誤解が生まれる

報道というのもそうである。事件があっても即座にその事件のことを理解はできない
すぐに反応するのだが表面的なものでありその実情とか内情とか深く知らないで反応するそれは原発事故でも津波の被害でもそうである。
その時何が起きているのか外から見ているとわかりにくいのである。
原発事故になると放射能問題とか複雑であり余計にわかりにくくなる。
まず原発事故で補償金をもらったのは30キロ圏内でありそこからはずれると基本的にもらえないのである。ただ南相馬市は30キロからはずれても一人70万はもらった
でも30キロ圏内はその三倍とかもらい一番もらったのは避難区域であり避難者である。
こうした事情もまた外からはわかりにくいのである。

だから相馬市ではトマト栽培の農家に飯館村の人が雇ってもらいたいと言ったら断られたと報道した
しかし雇う方の事情もある程度言わせる必要があった。
でも一瞬テレビを見ている人はなんでかわいそうな苦しんでいる飯館村の人を雇わないのだとみる
実は自分すらそうみていたのである。なんだその農家は冷たいなひどいと思ってみて感情的になっていたのである。
テレビは感情的に反応するメデアである。理性的になりにくいのである。
活字だと冷静になるがテレビは感情的になる、そこに危険性がある
イラク戦争で石油まみれの海鳥を写して世界的に反響があった。

イラクはひどいことをするな

最初にこうして感情的に反応させるのがテレビなのである。

相馬市のトマト農家は冷たいなひどいな

こういうふうにその複雑な背景より感情的になりそれがリンチ的になる
その場の感情で動くとそうなるのである。

トマト農家にしてみれば津波被害者の方が苦しいのだから現実的対応をしたのである。
飯館村の人は同情すべきでも一応補償金で暮らせるのだから今は津波の被害者を雇うとなったのである。それは冷たいことでもなんでもないのである。

それは下神白団地の報道でもNHKはやはり同じように報道した。

回りの人は受けていれてくれない、仲間に入れてほしい

そこに避難区域の人が入り交じっていた。でもこれも一方的なのである。

回りの人はなんでそんなに冷たいんだ

まず感情的に反応する、するとそこで怒りとかが露骨にあらわて理解しにくくなる
だからここには注意して配慮すべき問題なのである。回りの事情もあるからそうなる
小高区の人の言い分もわかるけど国民年金しかもらえない人が多いから補償を継続してもらいたいというが南相馬市民でも国民でもそんな補償受けられないのである。そうなると回りの反発を受けるがこれもマスコミは一方的に報道している

いわきなどでは原発避難者が新築の家を建てる、それで土地の値段があがったり様々な問題が生じている、これは事実なのだけどNHKでは報道しない
つまりNHKでは原発避難者側にたつ報道をしているしそういうふうに決めてしているのであるNHKは公正な放送はしない、一方的な報道をしている
それで事情を知らない人は誤解するのである。
自分すらそのNHKの報道に一瞬相馬市の農家はひどいな冷たいなと感情的になっていたことでもわかる
テレビはもともと深く考えさせない映像による感情的にするメデアであり一方的洗脳メデアなのである。


別に自分はどっちの味方でもない、それは確かに補償金をもらったがそれは避難者のように多くはもらっていないから言えたのである。
だから自分はなぜ原発避難者との軋轢が生まれたのかというとき原発避難者の言い分もありまた周りの言い分もあるから双方で理解し合う必要があると思う
ところが原発避難者にそれを言うと感情的になる、お前は同情しないのかとかせめてきた人がいるしそれが原発避難者が周りから嫌われるということも言った
ギャンブルして実際に除染でも復興事業をしているのは外部の人である。
それで福島民報の社説で除染している人たちは寒い日も暑い日も働いているから福島の人は感謝すべきだとあった。
このことはまさに原発避難者こそがギャンブルで遊んでいるだけで何もしないという批判にも通じている、ただそういうことをあからさまに言えないのである。
言えばお前は何もしないから何も言うなとかなる
そういうその人は何をしているのかとなるとギャンブルしているだけかもしれないのである。
俺たちは原発避難者様だから何も言うな、批判するな、ギャンブルしようがなにしようが被害者だからしょうがないとなる、外部でもそういう人はいる

こういうときマスコミの報道は特にNHKは影響力が大きいから相当に注意が配慮が必要である。それは双方にとっての溝を深くするからである。
原発避難者でもその周りのものでも何か折り合うことをさまたげる
そうして一方的に報道するとそれで原発避難者は自分たちの言い分は通るとなりさらに傲慢になり回りの人に嫌われる
するとやはりその原発避難者もいいというわけにはいかないのである。
ただ双方が理解しあえないで根強い反感をもったまま暮らすことになるからである。
つまり対立を煽り立てているのがマスコミの報道だとなる
それが影響力が大きいから外部でも内部でもさらに問題をごじらせる作用をするのである

自分は原発避難者もその周りの人たちもそれぞれに問題があり双方が和解する道を見いだすべきだと思う、マスコミ報道のようにただ対立をあおるだけでは双方とも不幸である。ただ原発避難者は常にマスコミではもちあげられるから原発避難者もそれで思い上がることがあった。
そして原発避難者を批判すると今度は何でお前はそんうなことを言うのだと感情的になり糾弾してくる、しかし現実を内情を知り利害が関係している者はそうはならない
つまり当事者と外部のものの見方は違ってくる
原発避難者がもう故郷に帰れないとしたら回りの人もそのことを考慮すべきである。
だから一億円補償金もらって家を別な土地に建てたとしてもやむをえないとみるべきだともなる、でもそこにはもともと住んでいた人にしては納得がいかないのである。
それは行政の問題でもあるがむずかしい問題である。
町とか村が消失してしまうということはあまにりも大きな問題であるから簡単な解決方法などないことも確かである。
いづれにしろギャンブルで毎日遊んでいれば地元の人もあいつらなんなのだとなる
そんなことはいつまでもつづかないだろう。
その土地に根付くとしたらやはり原発避難者もその土地に貢献するものを見いだすほかなくなる
補償金でもいつまでももらえるわけではないからである。










タグ:原発避難民
posted by 老鶯 at 09:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連