2016年03月25日

介護される方も介護されやすいように努力が必要 (介護は自力でトイレに行けるのと自力でご飯が食べられると楽)


介護される方も介護されやすいように努力が必要


(介護は自力でトイレに行けるのと自力でご飯が食べられると楽)


介護される老人の劣化がひどい様な気がする 
昔の老人は這ってでも便所に一人で行き 
這って戻って布団に入り死んで行ったもんだが。 

百歳の自分の母親がそうだった。トイレに這っても行っていたし入院して一カ月で死んだけど家にいたときは何も食べなくなっても自力でトイレに行っていた。
食べるのも自分で食べていて食べられなくなったので入院させたが一カ月で死んだ

つまり自分はオムツさせることもないしただご飯を出すだけだから他の人よりは楽なので介護できたし何か時間があってプログにも書くことができた。
自分が最も恐れていたのはオムツさせてとりかえることでありトイレに行けなくなることでありご飯を食べさせることだった。

テレビで脳出血などで三食食べさせるのを見ているしトイレでもいちいち補助して行かせているのを介護施設で見ている、そのことが介護するものにとって相当な労力であり何か自分のことは何もできなくなる
介護は自分で食べる、自分でトイレに行く、これができれば楽である。
これができるかできないかの差が大きいのである。
それでも自分は辛いと思った、拘束されるのが嫌だった。
第一自分のようなわがままな人間が家事から介護まですること自体大変だったのである。
でも一人は認知症になったけど二年半で死んだことも救われた。自分は介護する動機が十分にあった。家族に世話になったということ自覚していた。
特別自分は世話になったということで懸命に介護したのである。
だから苦しかったけどこれもカルマだということを自覚してやっていたのである。

介護するときはこうした家庭の事情がそれぞれにててくる、それは外部からはわかりにくいのである。お前は特別親に良くされたからお前がやれと兄弟でもいろいろ事情がでてくる。
介護はまた金だけではなかなかできない、施設ではそこで問題が起きてくる
なぜこの知らない老人を世話しなければならないかとなるからだ。
金持ち老人から金をもらえばいいが給料が安いとやりたくないとなる

ともかく介護される方にも問題がある、大正生まれとかはまず忍耐強いとか苦労しているから介護されるようになってもそういう性格が出るのかもしれない、ただこれには個人差がある。みんながそうとはならない
自分の母親は最後までトイレに自力で行っていたしオムツをしなっかた。ご飯も自力で食べていたのである。
オムツというのはその本人にとっても相当にショックであり嫌なのである。
入院して管を入れて小便をとることを凄く嫌がっていたことでもわかる
5年間くらい介護したけどそういうことがなかったので他の人に比べれば楽だったとなる
ただ認知症の介護は二年くらいしたけどこれは地獄だった。
でも二年間くらいですんだから救われたとなる

介護される人でも介護される人が介護する人に気を使っていた人がいた。
その人は介護されやすいようにリハビリでも懸命にしたという。
その人は介護する人に対して迷惑をかけるので楽に介護されやすいようにするために努力したのである。
だから介護する人に親切にされたという、介護はやはり介護される方もそうした配慮とか努力が必要なのだろう。
だから介護になるとわがままな人、我慢できない人などはめんどうになる。
それで贅沢になった団塊の世代などが大量に介護になると今よりひどい状態になる
もう嫌なことが我慢できないからである。

介護の問題はいろいろあるが介護される側にも相当な問題がある。
でも脳出血とかなるともう自力で食事できなくなったり寝たきりになる
自分の母親はそもそも百歳まで病気がなかったのである。
だから老衰で死んだから違っていたのである。
たいがい必ず病気で死んでいるからである。

介護するのに楽な人は介護する側からも親切にされる
自力でトイレに行ける、自力でご飯を食べる、この二つのことができれば介護もそんなに手間ではないのである。
この二つができなくなるとその手間は何倍にも増大するのが介護なのである。
這ってでもトイレに行くとかボータブルトイレでも自力でトイレに行くだけで介護する方は楽になるのである。その差が本当に大きいのである。








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