2016年03月21日

南三陸町に定住する若者 (何億円の金よりも大事なものがここにある?)


南三陸に定住する若者


(何億円の金よりも大事なものがここにある?)


南三陸の被害が大きかった、街が壊滅状態に陥った
南三陸町は志津川町であり湾があり景色のいいところだった
それは陸前高田町も湾があり松原があり景色のいい落ち着いた場所だった
あそこも壊滅状態になった

でも南三陸町では外から定住している人を募集して百人とかするとかなると成果があったシェアハウスを用意してまず地元の人が積極的に外部の若い人を受け入れることに勤めたそして三カ月くらいをいてもらいどんなところか実地に知ってもらう
そして定住する人は定住する、そういう地元の人の配慮もあり成功した。

その一人は宝くじで何億円あたっても金で買えないものがある
ここで暮らすのはそれだけ価値があると言っていた。
その人は新潟の人だというとき東京のような大都会ではない
でも南三陸にきてそんな考えを23歳とかでもつものだろうか?
みんな金だという時代にそんな考えをもつものだろうか?

その人は水産加工場で働いているけど結構そこで働き定住するとなると
将来を考えると苦労すると思う
でもよくそういう考えになったのか理解しにくいとなる
そこに住むということにあの状態でも魅力を感じたからだとなる

それはあういう状態で地元の人も積極的に受け入れるということがあったからだろう
なかなか普通だったら田舎ではよそ者を受け入れないからだ
そういう人が住んでくれれば未来がある
津波で地元の人が20パーセントとか流出している、
それも若い人が流出している
でも一方で若い人が入ってくるということで交代して街作りができる

原発避難地域を考えるとここより問題は深刻である。
20パーセント流出したとあるが避難区域では一割しか帰らない、町に帰るのは一割でありそれもほとんど老人だとするときその差は大きい
原発避難区域の方が町の消滅の危機なのである。
そしてそこで訴えているのは補償金でありその補償金をもらって町を復興するとは限らない
みんな外に出てその金を利用して家を建てるなり新しい生活をはじめているからだ
そういう若い人たちももう帰らないのである。
三陸とかの方が深刻のように見えるが原発避難区域の方が町の消滅状態になっているのである。

そして原発避難区域とかその周辺は補償金でもめていたり心もばらばらになった。
それはかえって多額の補償金をもらったことでそうなったのである。
補償金をもらったらかえってもうこんな荒廃した町に住みたくないとなり若い人は流出した
他の津波の被害地と違って子供に放射能の影響があるというと通るからある。
そういわれると残れと強制できないのがこの辺なのである。

ともかくなぜ南三陸に来てここには金で買えないものがある
それだけの価値をあのような状態で若い人が見いだしたのか理解しにくい
ただそういう人かいれば未来がある
そしてもともと田舎でも田舎を嫌っている人はいくらでもいた
今でこそ故郷を返せとか言うけど原発で働き豊かになりたいというのが本音だった
まず農業などでも跡継ぎがないなど不満だらけであり漁業だってそうだった
だから原発を誘致したのである。

地元に住んでいる人が地元の価値を見いだしていない
それが外国人が日本人が当たり前だと思って注意しないものに魅力を感じるのとにているその若者はあのような状態でその土地に魅力を見いだしたのである。
復興が内部の人だけでできないというとき常に被害者になり自分たちはかわいそうで支援されるものであり何もしなくてもいい、外部の人がやるべきだともなっているからだ
かえって外部の人は別に被害者意識がないから新しい街作りにはいいとなる

津波の被害も海を呪っても恨んでもとをにもならない、それがかえっていい方向に働くことがある
一方で原発の被害地は延々と恨みを訴え補償金をもらうことを訴える
その補償金でかえって外に若い人が流出しているのである。
そして原発避難民はその人たちだけではない、回りの人にも影響している
なぜわからないけど南相馬市ナンバーの車が福島市で傷つけられたのか?
単なるうわさなのか?でもいわきでもめたように南相馬市でも小高区などが他でも補償金をもらったことでそれをねたみそうなったのか?
福島県内でもそうしてもめているのである。

何か犯罪の被害者ともにている、自分も犯罪にあってその人を恨みつづけた
そして激しく恨みつづけたら津波が来たのである。
それは自然にも影響したのかと思った。
犯罪の被害者は復讐もするのも普通である。復讐をせざるをえない気持ちがわかった。
でも復讐して心が晴れるかとなるとそうもならない
そして犯罪者がそれで更生するかとなるとならない
かえってその犯罪者が恨み悪い連鎖になる
犯罪者を罰せられるのは当然でもそれで更生するとは限らない
自分はあきらめて許した、そしたら気持ちが楽になった
復讐することもそれも相当な重荷なのである。
なぜ在日とか韓国とか沖縄でもその恨みを言うことは正当にしても
それを言われる方になると嫌なのである。
もうつきあいたくないという気持ちになる
それは原発避難者にも言えるのである。事情が違うにしてもにているところがある
だからそっちにもなんらか非があったのではないかと国民から言われる
何か気持ちきりかえる必要があるのかもしれない、外にでて新しい生活をするならもうこだわらいなからかえっていいともなる
現実はそうなってしまったということである。


だから別に補償金をもらっても訴えても当然だとなると思っているがそれが回りに影響している
それはここだけではない全国的に影響しているのである。
福島ナンバーの車が東京で傷つけられたとかも聞く
そうなると福島の外に出で福島県南相馬市と住所を書くことも怖くなるということがあるつまり避難区域の問題はお前は何もしないから何も言うなとは言えないのである。
そして自分たちは被害者だからかわいそうでり外部の人が何でもしてくれるするべきだとなりそれが当然であるとなる、その意識は在日とか沖縄の意識と同じなのである。
延々と被害を訴えそれを外部に向かって強制さえさせられる
それが当然であっても限度があるべきなのである。
それはその場所だけではない、全国的な問題だからである。
要するに補償金は国民の税金であり国民が何兆円もの金を払うようになるからうるさくなるのである。
そんなに払う必要があるのかと国民からも言われるのである。





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posted by 老鶯 at 09:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連