2016年03月14日

なぜ原発避難民は傲慢なのか嫌われるのか? (マスコミとかで同情していい気になった?NHKは中立ではない)


なぜ原発避難民は傲慢なのか嫌われるのか?


(マスコミとかで同情していい気になった?NHKは中立ではない)

なぜ原発避難民は嫌われのか?その原因はある。


マスコミが同情して一方的に原発避難民の側にたちすぎた


磐城の下神白団地のことをNHKで放送していた。そこに原発避難区域からのいろいろな人が混じり合っていた。
新しい家を建てられない人が入っていた。設備はバリアフリーで老人が住むにはいい感じに見えた。
そこでもまた避難民はもう金はいらない、もっと回りの人が親切にして受け入れてほしいということを言っていた。
新しく避難民が家を建てたらいやがらせとかいじめにあったとか言わせる。
それを一方的に聞くと外部の人が見るとなんだかわいそうな避難民に地元の回りの人は冷たいなと見る。
でもそこにテレビの危険性があったのだ。
そういうふうにしむけているのがNHKだったのである。
一方的な原発避難民の言い分を言わせて報道する

なんだ、なぜそんなひどいことを原発避難民にしているのだ

こういうふうに外部のみ人は見るのである。

それは相馬市でも飯館村の人がトマトを作る農家で働かせてくれないかと言ったら断られた、あなたたちは補償金をもらっているからいい、津波の被害者はもらっていないから雇うと言っていた。それは津波の被害者全般に言える、津波の被害者は家族を失ったのだから一番の被害者だけど補償金はもらえないのである

なんだ、このトマト農家は原発避難民に冷たいな

こうテレビでは見るのである。その効果は見る人が多いから大きいのである。
テレビは一方的洗脳メデアである、そこにテレビの危険性があった。
それはなかなか気づきにくいのである。
映像であるからさそまた宣伝効果が大きい、テレビは大衆向きだから余計にそうなる
トランプがそのテレビの特性を利用して宣伝するのがうまいというのもわかる
悪く言われてもそれも知名度があがるから容認しているというのもしたたかである。

テレビは何か人を考えさせないメデアなのである。一方的洗脳メデアなのである。
イラク戦争のとき、海鳥が石油まみれになった映像が世界に流された。
それもやらせだったのである。でもその映像が世界に与えた影響が大きいのである。
映像は活字と違ってわかりやすいからだまされるのである。
例えばトランプが演説する壇上に暴徒が襲ったがあれはやらせであり金を払いしくんだものだというのもそうかなと見た。
トランプはもともとテレビタレントだからテレビの特性を知ってしくんだと日本の外人タレントかそのことを言ったのは面白かった。
テレビて仕組まれたドラマを作っていたとなる。

そういうことはNHKでも常に行われていることをこの辺に話題になりテレビに放送されることでわかった。
結局注目されるのは原発避難民であり他は例えばイワキでも他でも地元でも原発避難民を良く思わない人たちが大勢いる、そのことについてはふれないのである。
原発避難民を批判することはもうマスコミでは許されないようになっている
ただ雑誌とか紙メデアではそれなりに地元の実情を書いている
NHKではそういうことは全くしていない、テレビの取材は取材する人の承認をえないとできない、すると取材される側にたった放送になる
ある記者が取材にきて嫌なことを聞かれたとか言っていた、するとその取材する人もひどい人だとなる
そしてNHKは影響力があるからテレビを見る人は原発避難民側につくのである。
NHKとか放送にはそもそも中立はない、NHKは在日が支配しているとか左よりである
放送でもどうしても中立はありえない、それはやむをえないことである。
ただNHKは影響力が大きいし公共的な側面があるからなるたけ中立であくべきなのだがなっていない、すると国民を間違った方向に導くから危険だとなる


そのことが原発避難民をつけあがせた原因の一つである。それから何かわからないが原発避難民が避難民になったからとそんなに変わるのかという疑問がある。
そうなったきはもともとそういう傲慢な人たちが多かったからなのかともなる。
それは原発の金でうるおって羽振りが良かったからかもしれない、それで会津辺りで俺たちはこんなまずいもの食わないとか言っていたのか?
ともかく何か横暴で傲慢になっている、それを助長したのがマスコミであり特にテレビでありその主なものがNHKだったのである。

傷口に塩を塗って楽しいか

こんなことを言うことが信じられないとなる、これは特殊なものでなく原発避難民の気持を代表しているのかもしれない、そもそも漁業組合があるがここに入っている人は原発事故前も多額の補償を受けていた、それで原発御殿がたっていたとか回りではうらやましく思いその羽振りの良さに対して不満があった。
漁港があってもみんな漁業組合に入っているわけではないからである。
何かそして原発避難民はもともと傲慢だったのかとなる
請戸の人は入院して特等室に入り家を建てると言っていたしまた相馬市に家を建てた人もいる、その人は高額の歯の治療して別に東電を恨んでいないという、つまり手厚い補償金がそうさせたのである。
回りではそういう人たちをどうみるか?相馬市などでは金は8万くらいもらって終わりなのである。
それは福島県でもそうであり補償金をもらったのは実際は避難区域でありあとはほとんど何ももらっていないのである。
だけど原発避難民は避難民様になり回りのことを無視して謙虚さがなかった。


この辺では小高区の人がそうである。
「俺たちは金はあるんだよ、お前らは金がねえな、俺たちはここで金を使って消費して助けてやっているんだ、ありがたく思へ」
こんなふうにまでなったとしたら回りの人がどう思うのか?
それほどに思い上がらせたのはそもそも前からそうだったのかと思う、なぜならそんなに人間そのものが何かあっても変わらないからである。
謙虚な人は謙虚だからである。人格が何かあったから一変に変わるわけがないのである。もちろんどこでも禄でもない人間はいるが何か原発避難民にはそういう傲慢な人が多いのである。
「お世話になります」とか回りに気を使う人も少ないのではないか?
そして毎日ギャンブルだとかなっているとこれは何なのだとなってしまうのが普通である
自分に対して卑語で責め来た奴はそうである。これほど傲慢なっているのか?
避難民様を何であれ批判するものは許せない、そうういうふにつけあがらせたのはマスコミ特にテレビでありNHKだったのである。
その影響力が大きいから問題なのである。

そしてなぜ沖縄とか在日とか韓国とか中国とかの日本に対する反日の運動を理解した。
そのことを具体的に自分は理解しなかった。東北に在日のことなどわからない
なぜ執拗にあれだけ「心の青雲」でとりあげ責めているのかその理由が具体的にわかった人間は一旦被害者意識をもつとそれが特権化して当然になり責めつづけるということである。
そうなるともう逆らえないのである。集団化しているから必ず今度は少しでも批判すると抗議が来るからテレビではタプー化して何も言えなくなる
そういうことが原発避難民にも同じようにあった。
俺たちかわいそうな避難民であり放射能の被害者でありその被害者をなぜ責めるのだ。
許せないとなりあの発言になった。
放射能の被害者は福島県でも他でもあり20キロ圏内とかだけではないのである。
でも俺たちは被害者なんだというとうことに凝りかたまっている


そういう強い被害者意識をもつともう復興も何もできない、なぜなら放射能のために米を作っても売れないとか必ず原発の被害のことをもちだして言うからである。
何かうまくいかなくても俺たちは放射能の被害者なのだとなるからである。
小高などは0、1だから帰れるのに帰らない人も多いのである。
そして俺たちは同情されるべきであり援助されるべきであり自分たちはなにもしなくてもいい、外部の人がやるべきであるとまでなる
なぜなら被害者だから外部の人が政府であれ東電であれ国民であれ支援するべきだとなるだからこういう人たちと対話もできない何するにもめんどうになる
だからもう復興はできない、延々と放射能のためにこうなったのだと訴えるからである。それは在日の俺たちは戦争で日本の被害者だった、だから特権があるんだというのと同じである。韓国と同じでありもうつきあいきれないともなる

自分も南相馬市だから南相馬市をテーマにして郷土史とか芸術の創作とか詩を主に書いてきた。それはこの辺の全体のことである。
だから自分は小高の病院の配管が壊れたことで七億円必要だというとき少ないにしろ寄付してもいい、でもそのためにまず補償金をもらっているのだから小高の人も出せとなる。そういうことを一切しないでただ外部の人頼みになっている
でもその配管を直す金がもし南相馬市で一部負担するにしろ南相馬市全体の問題なのである。合併したから余計にそうなったのである。
そういうことまでお前は何もしないのだから黙っていろと言えるのか?
つまりもう対話が成り立たないのである。
それよりすでに小高に帰らない人はもう小高を捨てたのである。
それも放射線量からすれば帰れるの帰らない、そういう人たちもどうなのかとなる
それはそれですっきりしていいのかもしれない、帰っても放射能の被害のことを延々と言われ被害者意識は消えない、そしてまた補償金などを要求してくるからである。
原発避難民様に逆らうことはできない、それを助長したのがテレビであり特にNHKだったのである

最近では鹿島の仮設の食堂に鹿児島の放送局が来ていたのは驚いた。その取材の中心は原発避難民である。他も被害者であるがその実情は伝えられないだろう。
つまり報道によって人間は必ず ゆがめられる、誤解してしまう。
ただ内部の人はその利害関係でも身をもって受けるから真実を話すのである。
ともかくこうして被害者意識にこりかたまった人たちはもうどうにもならない
それで外部から人を入れる

地方創生の切り札は「よそ者」「馬鹿者」そして「若者」

こういう外部の人は放射能の被害のことは言わないだろう。望んで入ってくるのだから
「馬鹿者」とはその土地の変わり者であり除け者のような人らしい
それは自分のようなものにあてはるだろう。
そういう人は何か変わったアイデアが出せるから地方創生につながるという。
要するにこういう事態になるとまさに発想を変えない限りできない
地元の被害意識に凝り固まって人たちや老人だけでは復興などできないのである。


原発で逃れて来た人の番組や特集は民放でも多く放送している。
NHKならではの視点で特集するのであれば、避難者を受け入れたいわきの人々がどう感じているか(避難して来た人との待遇や行政での違い)を取り上げ深く掘り下げることなのではないかと思います。是非その視点での特集も見てみたいです。

こういう意見がありもし大量に避難してきた人たちだけでなく
磐城の人たちがどう対処したかどう思ったか、その現実は放送されない
そこに津波被害者もいるからである。
だから一方的になりかたよってしまうのである
つまり今はニュースでもテレビ放送でも多角的な分析が必要な時代である。
ただそうなると相当暇でないとできない

自分のプログもリンクして読ませろとかなるが
インターネットのメデアは目立つことがむずかしいから影響力が弱いのである。


posted by 老鶯 at 15:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連