2016年03月13日

NHKスペシャル メルトダウン88時間〜 福島第一原発・同時多発事故の全貌〜を見て


NHKスペシャル メルトダウン88時間〜

福島第一原発・同時多発事故の全貌〜を見て


今回のNHKの福島原発の事故再現のドラマは興味深かった。
東京の東電からや官邸からの指示が遠くてできない
意志疎通ができない、これも一つの原因になっていた。
東電の司令室でも現場を知らないのだから指示するのもむずかしい

それで現場では現場をしらないのにと不満だった

こういう突然の事故とか緊急時になると遠く離れていると必ず誤解が生まれ意志疎通ができなくなる
そういうことを自分は家族が交通事故にあったことで経験している
静岡で突然事故で死んだ、その時いろいろなことがあり何がなんだかわからなかった。
いろいろなことでもめたのでありそれが自分も行ったのだが自分は車をもっていないから余計にわからなかった。
そのことを書くと長くなるから書かない、でも何か突然遠くで事故とか事件など起きたらその事情がのみこめない、静岡というと本当に遠いから余計にそうだった。
原発事故でもそういうことが起きていた。
それは戦争のときも満州で勝手に関東軍が中央の指示に従わないで暴走したことが間違いのもとだったともいわれる。
それも遠いからもう中央の指示は届かないし現場が暴走しようがとめることもできないのである。
緊急時は遠いということが致命的になる。すぐにかけつけることもできないからである。

これを見てつくづく原発は東京に作るべきだったと主張していた人がいかに正論だったかわかる。その人は東京に住んでいたからである。
東京に住んでいれば東電の人がじかに現場に行けるのだから意志疎通ができたのである。東京に作ったら安全を追及できた。なぜなら一千万の都民がいるのだから安全でないと許されないとなるからだ。
でも送電とかでコストがかかっても福島に作ったのは東京都民を納得させられる安全を計れないと思っていたからである。
東京都民も反対する、いくら「安全神話」を作っても東京都民は納得しないから福島に作った。
福島に作ったことが「安全」でないことの証明だったのである。
300キロ離れているから東京は安全だとして福島に作ったのである。
今になると東京の方が安全だった。東京湾は津波が来てもあのような大きな津波は来ないからである。
もちろん津波でなくても原発は安全でないからこそ離れた所に作ったのである。


そして吉田所長なども最後は2号機でも爆発すると東日本に人が住めなくなるという恐怖を感じていた。それほどの重大な事故だった。
また原発がそんなに危険なものだとは回りの人も知らなかった。
そして「安全神話」を政府も東電もマスコミでも作り出していたのである。
それで吉田所長なども最後は神に祈っていたというから皮肉である。
もう神に祈るほかないと現場にいた人たちもそうだった。
2号機は原子炉は破壊されすに爆発がなかったのは不思議なのことに原子炉のおおうところに隙間がありベントできなかったがそこから水素などがもれたためだったのである。
本当はそこを完璧に密閉していたらかえって爆発したのである。
これも運が良かったというのも不思議である。


人間の技術でも完璧にはならない、完全に安全などない、そこに奢りがあった。
だから科学者も神に祈るのかと奇妙だった。
確率的に一万年とか一回しか事故は怒らないとか言う人もあった。
人間の知力には限界があるのだ。
だから最後は神に祈る他ないとなっていたのも腹ただしいとなる

科学者も神に祈るようなものなら最初から人間で操作できないのだから原発は作るな

科学者などが安全神話を作ったのだから科学者は神ともなるからだ。
原発を作る前に神に祈る

「神様、原発を作ってもいいでしょうか」
「そんな危険なもの作るな、神は責任をもてない」
「そうでしょうか、でも作ります」

こうしてもはや東日本には住めないとかなったとき神に祈っているのだから勝手だとなる原発のように核の操作のように人知を越えたものに手をだしたこと自体過ちだったのである。
人間とは科学者とは神を畏れぬものなのだ。だからこそ事故が起きたのである。
科学者は今や神に近いのでありその科学者に従うから事故が起きた。
ただ科学者だけで原発や核は作られた訳ではない、政治とか経済的理由とかいろいろあるでも安全神話とか作ったのは人知を越えたものなのに神話というからにはまさに神になっていたのが人間だったのである。


もちろん自分は何か原発にはほとんど関心がなかった。それもやはり原発に対するマスコミとか教育もなされていない、まず原発の安全神話が作られているのだから危険なのもだと宣伝できない、教育もされないのである。
原発の周辺では何も危険も知らされていないから爆発したとき浪江では津島とか一番線量の高いところに逃げていたのである。
あとから相馬市の方に避難した人がいたが相馬市の方に避難すれば良かった。
スピーディも使用されなかったのである。

でも国会でも原発の危険性が全電源喪失なったらどうするとか指摘されていた。
つまり原発に詳しい人もいて質問されていたのである。
しかしその安全は追及されなかったのである。


要するに原発事故は神も畏れぬものの罰だったのである。
科学者も核を操ることは危険であると不安になっていた人もいた。
それでも原発は以前として稼働させようとしている
人間は最後はもう神頼みになる、それも人間は勝手だなと思う
神に祈るしかないようなものをそもそも作るべきではない
機械でもそれは人間の作ったものだから故障したら直せる
直せないとしたらそもそも作らない方がいいとなる
機械を作ったのは人間でありその人間が操作できないものを作るとなると
もう機械自体が暴走して危険だとなる
ロボットなどが危険だというときそれが暴走して操作できなくなる
それは原発とにているのである。

そもそも文明自体がもう巨大化して複雑化して人間の操作する範囲を越えている
するとどうなるのか、グローバル経済でも操作不可能となりメルトダウンして
恐慌とかなりどうしたらいいんだとなり最後は神に祈る他ないとなる
人間が作ったものが人間で操作できなくなっているのである。
結果的に人間は滅亡にいたる
それは神が作り出したものによって滅びるではなく人間によって作り出したものによって滅びるとなる
それもまた人間の運命なのかもしれない、人間のそうした傲慢さが神に呪われ滅ぼされるのであてる。

それにしても今回のNHKの放送ではなんとか爆発を防ぐことなど事故をくいとめる、軽くくいとめる方法はあった。それは今ふりかえればである。
消防車の水が半分もれていたというかこれもアクシデントであり必ず緊急時にはそういうことがある。
人間は戦争でも何でも事業でも人生でも失敗が必ずありそのあとにこうしていればとか後悔している、でも時間を戻すことができないのである。
今になってはもうとりかかしがつかない、だから人知を越えたものには手を出すなとなる炭でまにわあせろとは言わないが原発はあまりにも危険なものだったのである。



posted by 老鶯 at 23:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連