2016年03月10日

人間の弱点は空間でも時間軸でも認識するのは限られている (さかのぼれるのは祖父母の代、地理でも全体を認識できない)


人間の弱点は空間でも時間軸でも認識するのは限られている


(さかのぼれるのは祖父母の代、地理でも全体を認識できない)


なぜ津波や原発事故の被害がこれほどに拡大したのか?
それはやはり人間の弱点が現れたはいうことがある。
前にいろいろ追及して書いたけどこの社会を科学的にでも歴史でも理解しようとするとき空間軸と時間軸が欠かせない、空間軸になると地球とか宇宙まで拡大する
月が潮の満ち引きに関係しているとなるとそうである。
今回の津波も科学的に追及してみれば何か宇宙と天体とか月とかに関係していたかもしれない
地球は一つでありどこかの異変が必ずどこかへ波及する、地球は分離した別々のものではない
だから最近台湾で地震があり被害があり台湾でここ20日内に大きな地震があるというとき台湾は遠いからそんなことがないとも言えないのである。
地殻変動が大規模に起きるから影響する

自分は旅行して地理に興味をもった、地理を離れて歴史もないし政治でも何でも理解できない、イスラエルが地球の中心と神が定めたというとき神は地を造ったときあらかじめそういう予定をして造ったとなると地球というのは地理は神が定めたものだとなる
まず地理というのは地図を見たりしてもほとんどわからない、そこに峠があったとしても立体地図で見てもわかりにくい、つまり体感できないからである。
自分は自転車で何回も例えば飯館村へ上ったから体感的に飯館村が高い所にあることを体で覚えているのである。体に記憶されている
でも世界になるとそんなことはできない、モンゴルの大草原でもそれを知るにはバイクとか車で実際に走りその壮大さを知る、そういう体感しないとなかなか地理は知り得ないのである。

地球は全体であり地理も一部分として全体から切り取ったものとしては理解できない
どうしてもそこで人間の視界は狭いものになる、狭い範囲で世界を理解することになるから誤解が生れる
実際テレビという狭い画面で見ても地理は何にもわからない、巨大なスケールなものは人間は認識できないと前に書いた
巨大なものは見えないのである。人間は狭い極小のミクロな世界で全体から見れば日々生活している。
大きなものは認識できない、だから地殻変動とか地球規模で動くものを知ることができない、地震とかはそのために予知できないのが人間の知の限界である。
人間の営みでも経済でもグローバル化したら認識できない、金がどう動いているのか何百兆という金が一日動いたりしたらそれは何なのだろうとなる

だから金のないものが突然遺産とか何か株でもうけたとか入ると困惑するのである
自分は食事は千円以上の食事をしたことがない、旅しても他に使うから食事で節約していたのである。
だから今余裕があるからと贅沢できない、安い食事をするようになる
でも1500円くらいの外食をたまにしてやはりいいものが食べられるなと思った。
でも今までの日常ではそういうことがないから人は小さな金で暮らしている人は大きな金を使えないと思う、かえって浪費したりして無駄にしてしまうのも多い
自分にとって百万を使ったことがない,すると百万はどう使うのかとなるとイメージできないのである。
ただ庭作りして二百万くらい使ったのが一番大きな金だった。自分は庭が好きだし花も好きだから夢は自分好みの庭園を造ることだった
でもそうなるとそれは何千万とかさらに金がかかるからとてもできない
自分が大金があればその金でしたいとなるとそうなる

人間の盲点はこうして日々生活していることしかから発想できないのである。
それは空間的にもそうなのだが地理でもそうなのだが時間軸としてもそうである。
人間が時間としてリアルにイメージできるのは祖父母の代までである。
それ以上は架空的なものとなってしまう。
自分の父親は明治生れだから明治まではまだリアルである。
ところが江戸時代の前の年号を墓とか碑から調べて郷土史に興味をもった。
でも文久だと天保だとか天明だと元禄だとかいろいろ年号がある
天保となると実は明治で活躍した人が生れたのは天保なのである。
すると明治が祖父母の代でありその上になるとあいまいになる
江戸時代は何か時代が混同する、天保とかが遠い昔のように思っていたり
古い時代の元号の順序を逆にしたりして混乱する

天明(1781)天保(1830)明治(1867)であり意外と天明に大飢饉があったが50年すぎて天保になっているとしたらそんなに遠くないが何か遠いと感じている
そしてこの年号は天保が天明の前のように思っていたり順序が逆になることが普通にある第一自分の母親は大正生まれであり明治と大正を逆に思う人はいないのである。
ここにも時代というのがいかに誤解するかということである。
時間がすぎてしまうと時間による誤解が生まれる、それは歴史を理解するとき必ずそうなる
つまりせいぜい祖父母の代、百年か百五十年くらいは時代的にリアルに認識するがそれ以前になるとリアルに認識できない、それが何か学問的なものとなってゆく
そこに人間の大きな盲点となりそれが錯覚をうみだしたりしている
津波でも相馬藩の記録に一行700人溺死と記されていた、それは400年前なのである。
400年前となるからもう完全にこの辺では忘れられていたのである。
それが悲劇に通じていたのである。
その一行も忘れられていたし取り上げる人もいない、この辺は津波は来ないという確信までにいたっていたのである。

時間軸でも人間は長期的に世界を見れない、毎日今の日々の生活に追われている、長期的に見れないことから津波のような大災害を予知できない、長期的にものを見ることが人間はできない、それは長期的な視点で考えることができない
ただ科学の方が長期的視野で考えていた、東電では津波が来るから備えねばならないと報告していた。科学者は津波が来ることを予想していた。
ただコストとかでそれをさけていただけである。
もし津波が来るということで備えていれば回りの人も津波が来るということを実感して備えたり避難するにしても助かる人がいたかもしれない、その差はあまりにも大きすぎたのである。
科学の方が今では長期的視野をもてる、実際に津波が起こる七年前にボーリング調査をして相馬市の松川浦から離れた奥まで貞観津波の砂が発見された
ただそれは慶長津波ではなかった、なぜか貞観津波の方がボーリング調査で明確に掘り出されている
貞観津波はそれだけ慶長津波より甚大な被害があり大規模なものだったのかとなる
それは800年代であるからそこまでさかのぼり明確に時代がわかる
科学の方が時間軸で明確に時代を特定できるとなる


人間が時間軸で長期的に見れないというときそれは将来に未来にかかわる、長期的に見れないということは今しか考えない、何でも今が良ければいいんだとなってしまう。
原発が危険だけど今がそれで電力をまかなうからいい、放射性廃棄物がプルトニウムなら二万年消えないというけど今が良ければそんな未来のことは考える必要がないとなる
そしてそういう危険なものでも政治とか一人の人間の野心家によって利用された
原発を推進した正力松太郎などがそうだった。
そしてまだ時期相応だということを湯川秀樹博士はそういうことを言っていた。
原発は急いで導入した結果が不備があり事故につながった面もあった。
時間軸で長期的視野で成すべきものが急いだ結果事故につながった。


現代の問題は何か長期的視野がもてない、全体的視野がもてきない、一見これだけ情報が流通しているから全体的に長期的に考えられるはずだとなるが現実は社会自体がグローバル化したらかえって世界が理解できなくなったり時間的に急ぎすぎる
江戸時代は基本的に農業だから自然のリズムの中で暮らしていたからかえって長期的に物事を考えられるともなる、木材でも利用するには50年もかかるとしたら時間軸で長期的視野をもって生活していた
江戸時代は十代とか職人でもつづいているのが特徴であるからだ。
現代はかえって今にすべてのエネルギー使い尽くすとか今にすべてのエネルギーが費やされているから資源でもなんでも消尽されるのである。
「災害は忘れたころにやってくる」というとき人間はせいぜい祖父母の代までしかリアルにイメージできない、言い伝えでも祖父母から聞いたものならまだ生々しいものとして聞けるがその前になると学問とかなり文献の調査とかなり庶民は関心もなくなるのである。今回の津波原発事故は5年すぎたが他では関心がなくなっているというのもそのためである。人間ほど忘れやすいものがいない、これだけの大災害でも忘れてゆく
ただ5年ではまだまだ生々しい、3月11日はちょうど命日と同じである。
まだ津波の被害地から何か死んだ人の霊魂が浮かんでくる感じになる
20011年3月11日は特別な日であり冥福を祈る日であり忘れてはならない歴史的な日となったのである。


人間の盲点は巨大なものが認識できない

(人工物でも巨大化すると認識できなくなりそれが大きな災いになる)

タグ:空間と時間
posted by 老鶯 at 19:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

保育園落ちた日本死ね」と題した匿名のブログが波紋を広げている (介護問題と根は同じだった)


保育園落ちた日本死ね」と題した匿名のブログが波紋を広げている 


(介護問題と根は同じだった)



「予算の壁」

 待機児童の多い都市部においては保育士不足です。これによって、開園に大きくブレーキがかかります。
保育所は一人でも保育士が欠けたら、法令違反で開園できません。よって、「保育士を採用できた数」が開園数上限になります。

 保育士不足は保育士の処遇が低いことが要因です。
保育士給与は全国平均で月20.7万円。(出典: http://bit.ly/1HwTytD

全産業平均と比較して、月額10万円程度低い。


結論から言うと、保育所というハコモノ・施設でこの問題を解決することは不可能です。
ただでさえ土地がない・高い東京都で保育所を増設するのには、非常に高いコストがかかります。

また将来的には人口減少に向かっていくことが確実なので、

小規模保育や派遣型保育、ベビーシッターの活用に舵を切る

利用者のニーズに合わせて自宅で保育を行うシステムであれば、
需要次第で供給が調整できるので、今後の少子化にも機動的に対応できます。

保育・子育て関連のみに使えるバウチャー(クーポン券みたいなもの)を
子育て世帯に一律で給付すれば良いのです。


0歳時保育は1人当たり月40万円 
1歳時保育は1人当たり月20万円 
2歳時以降は1人当たり月15万円 



この問題を取り上げた理由が一つはプログがこんなに影響があるのかという疑問である。プログは何百万もあるし発言してもほとんど影響がない、読まれるのが大変なのである。だからこのこと自体に疑問があった。
それはサヨク系によって仕組まれたとか国会でデモしたものもサヨクによって仕組まれたものだとか言う人もいた。それにマスコミが便乗してあおった、それは仕組まれたものだという、それもインターネットをしているとそれもありだなと思う。
まずプログでそんなに反響があること自体今もありえないと思ったからだ。
ただ若い人はネット世代だから変わったのかとも思った。
この問題の一つはネット社会が一般化したのかということを思ったがこんなに反響があるというのはサヨクとマスコミで仕組まれたのかということもありと思った。

そもそも大衆社会というのは一人一人が考えない社会である。だから何か煽動的なものとなり感情が優先されるのだ。
保育園問題でもそれにかかわらない人は事の真相が簡単にはわからない
するとマスコミとかで何だ政治家がヤジとばして庶民の不満を封じようとしているというのがテレビの画面から判断して感情的になる
その感情が怒りが大衆に共有される、冷静に考える人は少ない
それで中国の反日とかも感情的になり日本への憎悪をかきたてる
そこに大衆は感情によって操作される、特にテレビは一方的洗脳メデアだからそうなりやすい、テレビは感情的なメデアである、一方活字メデアはクールな冷静なメデアである。それは活字だからそうなっているのだ。活字とテレビの映像が伝えるのは全く違っているのである
テレビだど人間の表情とかとぎつい映像が先に見るからそこで感情的反応になるのであるもし活字だけだったら冷静に読み判断する他ない
でも活字を読むということや冷静に考えて判断することは手間なのである。
第一大衆は考えることを一番嫌っているからである。
考えることは相当な知的労力になりそれが嫌う、特に女性はそうであり感情的になりやすいのである、女性は感情を優先するようにできている
だから活字よりテレビを見て判断するのが楽だからマスコミに洗脳されるのである。

この問題を冷静に考えると「介護問題」と根は同じだった。
つまり介護にも金がかかりそれで在宅でやるからそれを政府が応援するとかなった。
そのことと同じことを主張している議員がいたのもうなづける
保育士が不足しているとき介護士が不足しているのと同じである。
そしてその施設を作るのにも面倒であり金がかかる、つまり保育園を作ることは公になると金もかかるし保育士を雇えばまた金がかかる、それは介護問題と同じである。

保育・子育て関連のみに使えるバウチャー(クーポン券みたいなもの)を
子育て世帯に一律で給付すれば良いのです。

こういうことを介護でも言っている人がいる、介護をする人に金を払うのがいい、在宅介護をすすめるならそうなる、自治体とかですると金がかかりすぎるのである
だから根は介護問題と同じである。
子育てとか介護などはもともと家族でしていたの藻である。それが核家族化したりしして祖父母がいなとかでてきなくなった。
その分、国や自治体でやるとしたら金がかかりすぎるのである。
そして介護でも人が集まらないのである。
介護より保育園が先だと少子高齢化社会では優先するべきだという意見もあり、そうかもしれない、老人を優先していては国の未来がないとなる

いづれにしろ何でも自治体に国に頼みまかせることは限界に来ているのだ
そんなに予算はないし日本自体貧乏になってゆくのにできなくなる
それで最近看護師まで在宅に切り換えるから病院勤務の看護師は余ってくる看護師余りが時代が来るというのも意外だった。
サービスが在宅に切り換えられている、箱ものを作っても第一人材は集まらない、この辺で老人ホームを作ったが人が集まらないので開業できないのである。
それは保育園問題と同じなのである。
本来保育であれ介護であれ家でしていたものが家族が少ないとかでできなくなった。
それを国とか自治体で肩代わりすると膨大な金がかかりそれで国も潰れるとか冗談でなくなっている

この問題は介護と根は同じであり自分も介護してきたから関心をもったのともう一つはネット社会が一般化してこんなに反響があったのかということで関心をもった
そもそも何百万もあるプログがこんなに反響があるということに疑問があったからであるプロクだけでこれだけ反響があるとしたらそれは悪いとは言えないだろう。
マスコミとかを通じてしか主張できないのが一庶民のプログがこんなに反響かあるとしたらネットも社会では馬鹿にできないとなる
ネットでの存在感が高まることになる、その変化がメデアによってインターネットによってもたらされたとなるからである













タグ:保育園