2016年03月07日

死んだ人の霊が現れ体調不良? (先祖崇拝は偶像崇拝だから危険ー軽い供養にとどめるべき)


死んだ人の霊が現れ体調不良?

(先祖崇拝は偶像崇拝だから危険ー軽い供養にとどめるべき)

おばあちゃんが亡くなってから開けていない
タンスの前で、おばあちゃんが「ここの中にある物」を、必ず叔母に渡して欲しいと伝えてくるんです。

死んだ人がこういったということありうるのか?
自分の母が死ぬ前に一カ月前くらいに孫に金をやれと大声でその金額まで言ったことは本当に驚いた。
それは遺言であり例え書類化してなくても重いものとなった。
認知症になっていたからそういうふうに意識がはっきりして大声で言ったことに驚いた。あまり声も出ないほど衰弱していたところがあったからだ
だからそれだけの声を出したことに本当に驚いた
自分は孫に金はやらないと言っていたことがありそれは自分にも非があったのですぐに連絡して言われた金を49日の納骨する日に払ったのである。
どうしてか孫が49日の日に休みがとれたから来るというのも不思議だった。
だから人間の心は距離を越えても通じ合うということがある
人間にはともかくどうしてもわからない不思議がありそれで先祖がたたったとかいろいろそれで脅し商売する人もでてくる


それから不思議なのはカルマである。これも否定できない、家系のカルマとかその人のカルマは必ずある。
これも不可解なことが多いがやはり人は必ずカルマを背負っているのだ。
自分がなぜこの十年間苦しんだことが書いてきたがこれは自業自得だった。
たいがい何か悪いことが起きてくるのは自業自得である。
例えばなぜ犯罪にあうのだろうかとなるとこれも自業自得のところがあると思った。
犯罪に合うべくして合うということがある
それは先祖の霊のたたりでもなんでもない、自分がしてきた現世のことでカルマを背負ってそうなる。
自分は60まで母親に食事を出してもらっていたから介護するのは当然であった。
カルマとして今度は5年間とか食事を出し続けねばならなかった。
その間にいろいろ苦しい目にあったのも他人のせいではない、自業自得だった
自業自得というときこれは例外なく誰でもそうなるのである。


例えば不摂生した人は必ず60以降病気になりやすい、もちろん60代になるとなんらかほとんどの人が病気がでる
酒を飲み続けたりタバコをやりつづけたり何かそういう悪い習慣がたまりたまって60以降は必ず体に現れる、遺伝的なものがあり例外もあるが一般的に確率的になる
そういうカルマは現れてはじめてわかるのである。
どんな生き方をしてもカルマを生きていれば作り積み重ねているのである。
事業に失敗して借金した人もそうである。
借金はまさにカルマを積んだということなのである。
一番わかりやすいカルマでありそれは必ず支払うことを自らしない限り清算できない
それをそのカルマと関係ない他人に背負わすことができない
それを自分に背負わせようとしたからそのカルマはその人にさらに何倍にもなっしのしかかってくる。
自分で自分のカルマは清算する他ないのである。だってそれは自分自身のカルマだからである。
もし自分が母親の介護をまかせたりしたら自分のカルマを清算できないのである。
それだけ世話になったのだから自分がしないで他人に頼むとカルマはまた自分にのしかかってくるのである。
ただ人間は意外とこのカルマを軽くみているが本当はかなり怖いものなのである。
なぜあの人は事故にあったり何かと不幸なのかとなるとなんらかカルマが関係している
ただそれは先祖の霊とかとは関係ない、自分の生き方が一番関係してカルマを積んでいるのである。


人間は死んだ人はどうなっているのかわからない、だからほとんどの宗教は先祖崇拝になる。イースター島のアモイ像とか古代の像など先祖崇拝であり像化したのは先祖崇拝が多い、それだけ死者というものが何かわからないから人間の情として崇拝するようになった
檀家仏教は先祖崇拝として異常に死者を供養、祭祀するものに変化した

現代の檀家仏教は先祖崇拝である。異常に死者をおそれ拝んでいる、月命日とかもありそんなに供養しなければならないとかなる、友引にどうかなども今も活きている
供養はなかなか否定できない、何で供養しないのか親を思わないのか?
なんかこんな叱責をするようなことがあるがそもそも生きているとき親に何かしたのか?
介護もまともにする人もいないし死んでくれとか生きている時は普通に言っている。
そんな人がどうして死んだとたんに敬い畏れというのも変なのである。
そうなら生きているときこそ何かしてやるべきであり死んでからしても遅いのである。


宗教というとき何か今でも日本では伝統的に先祖崇拝である。仏教そのものがあれほど死者にこだわり死者を供養しつづけるのはそのためである。
親でも先祖でも神ではない、生きているときは欠陥の多い普通の人だったのである。
正直自分の母親にしても書いてきたが真面目な人でも欠陥が多かった。
それは誰でもそうなる、そういう人が死んで変るわけではないのである。
ともかく人間は何を礼拝するかが大問題である。
たいがい先祖崇拝でも偶像崇拝に陥る、つまり神ならざるもの拝んでいるのが普通であるだからこそ神はそもそも目に見えないものとして偶像崇拝を禁止したのである。
偶像崇拝は本当に危険であり宗教の最大の戒めが偶像崇拝の禁止なのである。
だからあれぼど狂気的にイスラム教が偶像を拒否しているのがわかる
それだけ人間は偶像崇拝に陥るのが普通でありそれが害を及ぼすのである。
神は妬む神であり神がそのことに一番怒るから怖いのである


宗教で一番守るべきことは偶像崇拝を拒否することである

ともかく供養と礼拝はまた違っている、供養は悪いことではない、それは必要なことなのだけどそれが何か度がすぎると礼拝になり死者の偶像崇拝になるから危険なのである。
それで霊が現れたから体調不良になったから霊媒師に頼んだとか女性は何かそうなりやすい、そういうとき霊媒師に金を払い支配されることになるからまた危険なのである。
でも何か女性は霊が現れたとき霊に感じてどうなったとか言う人が多いのである。
女性はなにか迷信的になりやすいしカルト宗教にはまりやすい
それで創価などは婦人部が力をもち選挙でも宗教活動としてしている
それは混同していようがそういう見分けもつかない、それは異常に先祖崇拝になるのともにているのである。それもやはりカルトの特徴なのである。
霊というのも何か見えないからわからない、そしてその霊によって奴隷にされる
霊がどうのこうのとか霊媒師であれ宗教家であれ御布施しろとかなんとかなる


死者の問題は葬式でもそのあともめんどうである。それは死者とどう向き合うかわからないからである。それは戦死者でもそうである。
不幸に事故で死んだ人でもいろいろありそういう死者とどう向き合うのかわからないからである。供養、礼拝でも何か混同してしまう。
死者には軽い供養にとどめるべきでありそれ以上礼拝したりすることは良くない
とをしてもそれが偶像崇拝になるから注意すべきなのである。

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