2016年03月09日

土地は誰のものか? (原発に反対する最後の権利ー自然も土地も全体であり私有できない)


土地は誰のものか?


(原発に反対する最後の権利ー自然も土地も全体であり私有できない)

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原発事故後この辺で起きたことはいろいろ考えさせられることが本当に多い
だから自分は何もできないにしろこれは何だろうと考え続けてきた
第一故郷がなくなるなどイメージできない、故郷は何かなど普通は考えないのである。
それは現実に故郷に住めなくなったからそのことを考える
何かこの辺では日常としてあったものがなくなりその何でもないことを考えるようになった
何でそれがあったのか?それは何の意味があったのかと考えさせられる
その大きなものが土地なのである。
今双葉とか大熊とかで放射性廃棄物の処理場にすることを国が考えている
そのことに土地の所有者が反対しているからできない、2割くらいしか賛成していないからできない、それは土地に私有権があり権利がありそれでもって抵抗している


土地を国に売るということは国のいいなりになり放射性廃棄物の処理場にされる
それは飯館村でも起きているのだ。飯館村は放射線量が高いから帰ることがむずかしい、浪江でも2割くらいしか帰らないというから町や村が維持できる木の香どうかわからないそれで土地を売って他で家を建てた方がいいと考える人も多い
現実に双葉、大熊ではそういう人が多い、そういう人はもう帰らない
でも土地がまだあってその権利があり放射性廃棄物の処理場にはしたくないと抵抗している
でもそこにはもう人が住まないのだからいつまで抵抗できるのか権利があるのかとなる
空家に5年なったら迷惑だから市で強制撤去できるとか法律も改正された
そのように誰も住まない土地とは誰のものなのかという問題もでてくるしいつまでも権利を主張できるのかともなる
何でも人が住んでいれば権利が出るが人が住まないで放置すると権利が喪失するのかもしれない。
他人の土地でも家でもそこに住む人があって活きてくるとなればそうである。
そこに住まないということは権利を放棄したのかもしれない


ともかく土地というのは江戸時代までは農業が主体だから村全体のものであり私有化はあまりされていない、今でも田んぼは共同で維持する、水も共同で管理する
だから田んぼが所々になると管理しにくいとなる
農業は工業とか商業と違って土地が資本であり土地に根ざすから他の産業とも根本的に性質が違っている。
そして田んぼでもそうだが土地は大地は自然は一体となってつながっているのである。
その一体となりつながっているからこそ私有がなかなかできない性質のものである。

例えば飯館村を分断して考えられないのは水が真野ダムにためられて南相馬市に流れてくる、土砂も流れてくる、その水を相馬市でも飲み水で利用しているとか関係しているのである。
それを飯館村の土地が売られるというときそこが勝手に国が買い上げて放射性物質の処理場にされるとき南相馬市でも相馬市でも困るのである。
飯館村だけでここは自分の土地だからどうしようが勝手だとかならない
土地は広域的につながっているから広域的共同性があるから一つの村とか一区画が自分の土地だからどうしようが勝手だとはならないのである。


明治以降私有権が認められ入会権があった山が無数に細分化された結果、その山が土砂崩れとかなるがそれを管理するにはその山全体を管理しなければならない、勝手にその土地を宅地造成で売ってもらうと山全体が危険になることがあった。
それが広島の山の土砂崩れで起きたことである。
そもそも山とか大地とか海が誰のものか?それは全体であり誰のものかなど個人的に決められるものではない
自然はそもそも共有のものであり誰かのものにはできない
原発を建てる土地をもっている人が東電にその土地を売りそれを今度は県で認定して原発が建てられたとかなると大迷惑になった。
そんな一区画の土地をもっている人だけでとても決められることではなかった。


つまり今問題になっているのは全体のことである。津波の被害地でも市町村全体を復興しようとしている、だから大規模な土地造成をしている
全体を復興しなければ住めないからである。
各自が勝手にしていたら復興はできない、その全体に目を向ける人は少ない
もう各自自由にそれぞれの道を行けとなっているから復興できない
ただ今の時代強制はできないからやむをえないともなる
何か土地の問題でもそれは全体のものであり全体としてあるものであり一区画を私有してそれを自由にするということが自然という全体に生きているものからすると納得できないし害を及ぼすのである。
今回の津波や原発事故はそうした自然全体というものが破壊されたことがあり全体の回復を目指すことになる、その時ここの一区画は自分のものだからどうしようと勝手だとはなりえないのである。


何かそういう土地は共有だということで連帯する、市町村でも飯館村は勝手に土地を売ってもいい、でもそこが放射性廃棄物の処理場にされては回りの市町村が困るのである。
本当は大熊とか双葉とか小高でも避難区域化した所とその回りを分離して考えてはならないものだった。
それが補償金で分断されてしまったのである。
つまり市町村でも国でも境界を作っても自然には境界はないのである。
だから自然環境は世界全体の共有であり一国が勝手にしていいとはならない
別に自分の国で原発を作ってもいいとかと言っても今回のように事故になれば海が汚染されたり空気が汚染されるから世界の問題になる。
地球には別に境界などないのである。その境界を国で作ってその中で勝手にしていいとはならないのである。
ともかく今回の問題の一つに全体を市町村でも土地でも自然でも全体を志向することが大事だということをあまり考えない
自分だけが補償金をもらい自分の土地は自分に権利がありそれを売ってもいいとかならないのである。
でも実際はそうなっていて市町村とか全体が崩壊しているのである。
自分さえよければ後は野となれ山となれとまさしくそうなっていることが問題なのである

明治以降は入会権とかの共同性は喪失した privateは奪うことでありpublic(公共性)を破壊した

入会権は明治以降に私的所有に細分化 (入会権は江戸時代の村から自然発生したもの)
posted by 老鶯 at 19:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2016年03月10日

保育園落ちた日本死ね」と題した匿名のブログが波紋を広げている (介護問題と根は同じだった)


保育園落ちた日本死ね」と題した匿名のブログが波紋を広げている 


(介護問題と根は同じだった)



「予算の壁」

 待機児童の多い都市部においては保育士不足です。これによって、開園に大きくブレーキがかかります。
保育所は一人でも保育士が欠けたら、法令違反で開園できません。よって、「保育士を採用できた数」が開園数上限になります。

 保育士不足は保育士の処遇が低いことが要因です。
保育士給与は全国平均で月20.7万円。(出典: http://bit.ly/1HwTytD

全産業平均と比較して、月額10万円程度低い。


結論から言うと、保育所というハコモノ・施設でこの問題を解決することは不可能です。
ただでさえ土地がない・高い東京都で保育所を増設するのには、非常に高いコストがかかります。

また将来的には人口減少に向かっていくことが確実なので、

小規模保育や派遣型保育、ベビーシッターの活用に舵を切る

利用者のニーズに合わせて自宅で保育を行うシステムであれば、
需要次第で供給が調整できるので、今後の少子化にも機動的に対応できます。

保育・子育て関連のみに使えるバウチャー(クーポン券みたいなもの)を
子育て世帯に一律で給付すれば良いのです。


0歳時保育は1人当たり月40万円 
1歳時保育は1人当たり月20万円 
2歳時以降は1人当たり月15万円 



この問題を取り上げた理由が一つはプログがこんなに影響があるのかという疑問である。プログは何百万もあるし発言してもほとんど影響がない、読まれるのが大変なのである。だからこのこと自体に疑問があった。
それはサヨク系によって仕組まれたとか国会でデモしたものもサヨクによって仕組まれたものだとか言う人もいた。それにマスコミが便乗してあおった、それは仕組まれたものだという、それもインターネットをしているとそれもありだなと思う。
まずプログでそんなに反響があること自体今もありえないと思ったからだ。
ただ若い人はネット世代だから変わったのかとも思った。
この問題の一つはネット社会が一般化したのかということを思ったがこんなに反響があるというのはサヨクとマスコミで仕組まれたのかということもありと思った。

そもそも大衆社会というのは一人一人が考えない社会である。だから何か煽動的なものとなり感情が優先されるのだ。
保育園問題でもそれにかかわらない人は事の真相が簡単にはわからない
するとマスコミとかで何だ政治家がヤジとばして庶民の不満を封じようとしているというのがテレビの画面から判断して感情的になる
その感情が怒りが大衆に共有される、冷静に考える人は少ない
それで中国の反日とかも感情的になり日本への憎悪をかきたてる
そこに大衆は感情によって操作される、特にテレビは一方的洗脳メデアだからそうなりやすい、テレビは感情的なメデアである、一方活字メデアはクールな冷静なメデアである。それは活字だからそうなっているのだ。活字とテレビの映像が伝えるのは全く違っているのである
テレビだど人間の表情とかとぎつい映像が先に見るからそこで感情的反応になるのであるもし活字だけだったら冷静に読み判断する他ない
でも活字を読むということや冷静に考えて判断することは手間なのである。
第一大衆は考えることを一番嫌っているからである。
考えることは相当な知的労力になりそれが嫌う、特に女性はそうであり感情的になりやすいのである、女性は感情を優先するようにできている
だから活字よりテレビを見て判断するのが楽だからマスコミに洗脳されるのである。

この問題を冷静に考えると「介護問題」と根は同じだった。
つまり介護にも金がかかりそれで在宅でやるからそれを政府が応援するとかなった。
そのことと同じことを主張している議員がいたのもうなづける
保育士が不足しているとき介護士が不足しているのと同じである。
そしてその施設を作るのにも面倒であり金がかかる、つまり保育園を作ることは公になると金もかかるし保育士を雇えばまた金がかかる、それは介護問題と同じである。

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こういうことを介護でも言っている人がいる、介護をする人に金を払うのがいい、在宅介護をすすめるならそうなる、自治体とかですると金がかかりすぎるのである
だから根は介護問題と同じである。
子育てとか介護などはもともと家族でしていたの藻である。それが核家族化したりしして祖父母がいなとかでてきなくなった。
その分、国や自治体でやるとしたら金がかかりすぎるのである。
そして介護でも人が集まらないのである。
介護より保育園が先だと少子高齢化社会では優先するべきだという意見もあり、そうかもしれない、老人を優先していては国の未来がないとなる

いづれにしろ何でも自治体に国に頼みまかせることは限界に来ているのだ
そんなに予算はないし日本自体貧乏になってゆくのにできなくなる
それで最近看護師まで在宅に切り換えるから病院勤務の看護師は余ってくる看護師余りが時代が来るというのも意外だった。
サービスが在宅に切り換えられている、箱ものを作っても第一人材は集まらない、この辺で老人ホームを作ったが人が集まらないので開業できないのである。
それは保育園問題と同じなのである。
本来保育であれ介護であれ家でしていたものが家族が少ないとかでできなくなった。
それを国とか自治体で肩代わりすると膨大な金がかかりそれで国も潰れるとか冗談でなくなっている

この問題は介護と根は同じであり自分も介護してきたから関心をもったのともう一つはネット社会が一般化してこんなに反響があったのかということで関心をもった
そもそも何百万もあるプログがこんなに反響があるということに疑問があったからであるプロクだけでこれだけ反響があるとしたらそれは悪いとは言えないだろう。
マスコミとかを通じてしか主張できないのが一庶民のプログがこんなに反響かあるとしたらネットも社会では馬鹿にできないとなる
ネットでの存在感が高まることになる、その変化がメデアによってインターネットによってもたらされたとなるからである













タグ:保育園

人間の弱点は空間でも時間軸でも認識するのは限られている (さかのぼれるのは祖父母の代、地理でも全体を認識できない)


人間の弱点は空間でも時間軸でも認識するのは限られている


(さかのぼれるのは祖父母の代、地理でも全体を認識できない)


なぜ津波や原発事故の被害がこれほどに拡大したのか?
それはやはり人間の弱点が現れたはいうことがある。
前にいろいろ追及して書いたけどこの社会を科学的にでも歴史でも理解しようとするとき空間軸と時間軸が欠かせない、空間軸になると地球とか宇宙まで拡大する
月が潮の満ち引きに関係しているとなるとそうである。
今回の津波も科学的に追及してみれば何か宇宙と天体とか月とかに関係していたかもしれない
地球は一つでありどこかの異変が必ずどこかへ波及する、地球は分離した別々のものではない
だから最近台湾で地震があり被害があり台湾でここ20日内に大きな地震があるというとき台湾は遠いからそんなことがないとも言えないのである。
地殻変動が大規模に起きるから影響する

自分は旅行して地理に興味をもった、地理を離れて歴史もないし政治でも何でも理解できない、イスラエルが地球の中心と神が定めたというとき神は地を造ったときあらかじめそういう予定をして造ったとなると地球というのは地理は神が定めたものだとなる
まず地理というのは地図を見たりしてもほとんどわからない、そこに峠があったとしても立体地図で見てもわかりにくい、つまり体感できないからである。
自分は自転車で何回も例えば飯館村へ上ったから体感的に飯館村が高い所にあることを体で覚えているのである。体に記憶されている
でも世界になるとそんなことはできない、モンゴルの大草原でもそれを知るにはバイクとか車で実際に走りその壮大さを知る、そういう体感しないとなかなか地理は知り得ないのである。

地球は全体であり地理も一部分として全体から切り取ったものとしては理解できない
どうしてもそこで人間の視界は狭いものになる、狭い範囲で世界を理解することになるから誤解が生れる
実際テレビという狭い画面で見ても地理は何にもわからない、巨大なスケールなものは人間は認識できないと前に書いた
巨大なものは見えないのである。人間は狭い極小のミクロな世界で全体から見れば日々生活している。
大きなものは認識できない、だから地殻変動とか地球規模で動くものを知ることができない、地震とかはそのために予知できないのが人間の知の限界である。
人間の営みでも経済でもグローバル化したら認識できない、金がどう動いているのか何百兆という金が一日動いたりしたらそれは何なのだろうとなる

だから金のないものが突然遺産とか何か株でもうけたとか入ると困惑するのである
自分は食事は千円以上の食事をしたことがない、旅しても他に使うから食事で節約していたのである。
だから今余裕があるからと贅沢できない、安い食事をするようになる
でも1500円くらいの外食をたまにしてやはりいいものが食べられるなと思った。
でも今までの日常ではそういうことがないから人は小さな金で暮らしている人は大きな金を使えないと思う、かえって浪費したりして無駄にしてしまうのも多い
自分にとって百万を使ったことがない,すると百万はどう使うのかとなるとイメージできないのである。
ただ庭作りして二百万くらい使ったのが一番大きな金だった。自分は庭が好きだし花も好きだから夢は自分好みの庭園を造ることだった
でもそうなるとそれは何千万とかさらに金がかかるからとてもできない
自分が大金があればその金でしたいとなるとそうなる

人間の盲点はこうして日々生活していることしかから発想できないのである。
それは空間的にもそうなのだが地理でもそうなのだが時間軸としてもそうである。
人間が時間としてリアルにイメージできるのは祖父母の代までである。
それ以上は架空的なものとなってしまう。
自分の父親は明治生れだから明治まではまだリアルである。
ところが江戸時代の前の年号を墓とか碑から調べて郷土史に興味をもった。
でも文久だと天保だとか天明だと元禄だとかいろいろ年号がある
天保となると実は明治で活躍した人が生れたのは天保なのである。
すると明治が祖父母の代でありその上になるとあいまいになる
江戸時代は何か時代が混同する、天保とかが遠い昔のように思っていたり
古い時代の元号の順序を逆にしたりして混乱する

天明(1781)天保(1830)明治(1867)であり意外と天明に大飢饉があったが50年すぎて天保になっているとしたらそんなに遠くないが何か遠いと感じている
そしてこの年号は天保が天明の前のように思っていたり順序が逆になることが普通にある第一自分の母親は大正生まれであり明治と大正を逆に思う人はいないのである。
ここにも時代というのがいかに誤解するかということである。
時間がすぎてしまうと時間による誤解が生まれる、それは歴史を理解するとき必ずそうなる
つまりせいぜい祖父母の代、百年か百五十年くらいは時代的にリアルに認識するがそれ以前になるとリアルに認識できない、それが何か学問的なものとなってゆく
そこに人間の大きな盲点となりそれが錯覚をうみだしたりしている
津波でも相馬藩の記録に一行700人溺死と記されていた、それは400年前なのである。
400年前となるからもう完全にこの辺では忘れられていたのである。
それが悲劇に通じていたのである。
その一行も忘れられていたし取り上げる人もいない、この辺は津波は来ないという確信までにいたっていたのである。

時間軸でも人間は長期的に世界を見れない、毎日今の日々の生活に追われている、長期的に見れないことから津波のような大災害を予知できない、長期的にものを見ることが人間はできない、それは長期的な視点で考えることができない
ただ科学の方が長期的視野で考えていた、東電では津波が来るから備えねばならないと報告していた。科学者は津波が来ることを予想していた。
ただコストとかでそれをさけていただけである。
もし津波が来るということで備えていれば回りの人も津波が来るということを実感して備えたり避難するにしても助かる人がいたかもしれない、その差はあまりにも大きすぎたのである。
科学の方が今では長期的視野をもてる、実際に津波が起こる七年前にボーリング調査をして相馬市の松川浦から離れた奥まで貞観津波の砂が発見された
ただそれは慶長津波ではなかった、なぜか貞観津波の方がボーリング調査で明確に掘り出されている
貞観津波はそれだけ慶長津波より甚大な被害があり大規模なものだったのかとなる
それは800年代であるからそこまでさかのぼり明確に時代がわかる
科学の方が時間軸で明確に時代を特定できるとなる


人間が時間軸で長期的に見れないというときそれは将来に未来にかかわる、長期的に見れないということは今しか考えない、何でも今が良ければいいんだとなってしまう。
原発が危険だけど今がそれで電力をまかなうからいい、放射性廃棄物がプルトニウムなら二万年消えないというけど今が良ければそんな未来のことは考える必要がないとなる
そしてそういう危険なものでも政治とか一人の人間の野心家によって利用された
原発を推進した正力松太郎などがそうだった。
そしてまだ時期相応だということを湯川秀樹博士はそういうことを言っていた。
原発は急いで導入した結果が不備があり事故につながった面もあった。
時間軸で長期的視野で成すべきものが急いだ結果事故につながった。


現代の問題は何か長期的視野がもてない、全体的視野がもてきない、一見これだけ情報が流通しているから全体的に長期的に考えられるはずだとなるが現実は社会自体がグローバル化したらかえって世界が理解できなくなったり時間的に急ぎすぎる
江戸時代は基本的に農業だから自然のリズムの中で暮らしていたからかえって長期的に物事を考えられるともなる、木材でも利用するには50年もかかるとしたら時間軸で長期的視野をもって生活していた
江戸時代は十代とか職人でもつづいているのが特徴であるからだ。
現代はかえって今にすべてのエネルギー使い尽くすとか今にすべてのエネルギーが費やされているから資源でもなんでも消尽されるのである。
「災害は忘れたころにやってくる」というとき人間はせいぜい祖父母の代までしかリアルにイメージできない、言い伝えでも祖父母から聞いたものならまだ生々しいものとして聞けるがその前になると学問とかなり文献の調査とかなり庶民は関心もなくなるのである。今回の津波原発事故は5年すぎたが他では関心がなくなっているというのもそのためである。人間ほど忘れやすいものがいない、これだけの大災害でも忘れてゆく
ただ5年ではまだまだ生々しい、3月11日はちょうど命日と同じである。
まだ津波の被害地から何か死んだ人の霊魂が浮かんでくる感じになる
20011年3月11日は特別な日であり冥福を祈る日であり忘れてはならない歴史的な日となったのである。


人間の盲点は巨大なものが認識できない

(人工物でも巨大化すると認識できなくなりそれが大きな災いになる)

タグ:空間と時間
posted by 老鶯 at 19:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

2016年03月11日

津波から五年過ぎてふりかえる (彷徨う津波の死者(詩)ー何故の犠牲だったのだろ)


津波から五年過ぎてふりかえる


(彷徨う津波の死者(詩)ー何故の犠牲だったのだろ)


彷徨う津波の死者

何故にその無垢なる子を
津波はのみこむ殺せしや
何故にこれぼと多くの人を
津波は飲み込み殺せしや
人は故に海をこの度は憎む
天地に情なし非情のみなりや
人の非情はあれば何故に
天地にかくも非情のありや
その非は人にありや
そを問えども海は語らず
天も地も語らずままなり
何故の仕打ちなるか知らじ
人は天地を憎み海を呪う
しかし天地は海は答えじ
戦争の死は人の非のゆえ
悲劇にも必ず人の非のあり
津波は何故なるか知らじ
死者の霊は未だに彷徨い
その所を得ずかつてありし
その場に執着して彷徨う
ああ 我はここにありにしと
家族とともにありにしと
また今生きる人もそこを離れがたし
死者もまた生者もこの突然の死を
いかにしても理解しえじ
かくして五年は過ぎにけるかな
歳月は過ぎゆくものなり
鎮魂はいかにしあれや
死者はなお彷徨いつつ消えじ
無念はそこにとどまり消えじ
一万数千の霊はいかに慰めむ
その残りし者の嘆きは消えじ
慰める術もなし
その悲しみは深くここにとどまり
その傷痕は癒えざりしかも
この津波は天地の海の怒りなりや
この世の乱れへの警告と罰や
何か人に対する戒めや
人の世の非情と乱れ故や
そもまたありうるべし
人が世が非情になるとき
自然もまた非情になるべしや
獣とて愛を注げば
その獣性は和らぎぬ
人の心が獣性帯びて乱れるとき
天地も海も怒りを現す
その犠牲となりしが津波の死者
また自然は人の世のことは知らじ
ただその自然の法則にして動く
その法則に逆らえば従わねば
自然は人を従わせるものや
故に人は自然の法則を究め知るべし
すでに大津波のありしをし忘る
その人の忘るることに非のあり
自然に非はなく人に非のありや
大災害を逃れる術はあるべし
ただ人はその対策をたてず
故に原発事故も起こりしなり
原発事故は天災にあらじ
人災にして自然に非はなしと
ただ人は天地を究めることならじ
故に自然に神に従うほかなし
人知を越える神の成す業を知り得じ
故にその文明も思わず崩壊する
人間の奢りは一瞬にして砕かれ無に帰する
津波はその恐怖を現実化せしもの
故に神を畏れよ,科学に自惚れるべからじ
神は一瞬にしてこの世を亡きものにする
その恐るべき力を津波が示す
恐るべき人にあらじ神にありしと
未だに人は津波に畏れおののくなりしを


今回の津波はいくら考えてもなぜかわからない、それは人知を越えたものだからそうなる津波で死んだ人は家族を失った人は海を憎むというのもわかる
何の非があってこんな仕打ちをするのかということがわからないからである。
戦争とか他に人間の悲劇はいろいろある、でも戦争になると戦争を引き起こしているのは人間なのである。神ではない、人間に非がありそうなっている
だから戦死者は何で死んだかとなると人間の罪とか人間の過ちの故に死んだとなる
恨むべきは神ではないだろう

津波は人間に非があってそうなったとのかというと不明であり不可解になる
ただこれはあくまでも自分の見解だが貞観津波のときは蝦夷征服とかの国家統一のための戦乱の時であり多くの犠牲者が出た、その鎮魂のために建てられたのが清水寺であり祇園祭りもそれに由来していると言う人もいる
そういう人間が多数死に犠牲になるとき自然もまた乱れる
慶長津波も戦国時代の時起こっていてその後収束したのである。
そして今回の津波もやはり世が乱れている、それは自分の一身上に起きたことを書いてきたが人間は利己主義が極端になり非情化している
自分が病気のとき火事場泥棒とか借金のために脅迫されたとか悲惨なことを経験してきた何か現代はモラル的に荒廃している、金だけが唯一の価値となって他者をかえりみない
自分だけがよければいいんだとなっている
それが自分の一身上に非情がそうだった、ただこれは自分が楽した結果として自分のカルマとして決算されたのである。
だからいちがいに今の世の世相からなったとも言えない

そうはいっても今の人間の価値は金だけになり非情化している、そういう自分もそうなのである。
なぜ外国に投資しているのか?それは自分だけが助かりたいという利己主義なのである。
外国に金をあづけいれば日本が困窮したときその金で助かるとか考えている
金持ちはグローバル化社会では日本にこだわらず日本が困窮したら外国に脱出しようとしている
中国人の大金持ちもそうであり国の支配者層自体が内乱とかなったら国をぬけだして外国に暮らす算段をしているのであ。
つまり自分だけは助かりたい、そんな困窮状態にならないように手を打っているとなる
それも利己的なものだけど金持ちはどこでもそうなる傾向がある
だから自分はそうして投資していることに疑問がある、たいした金でもないし今回かなり損しているはずでありもうかってもいないけどそういうふうに資本主義というのは利己心を助長する


そのことは原発避難民にもいえたのである。もう避難民は帰らない、荒廃した故郷に帰るより他で補償金で家を建てたり商売はじめたりとしている。
つまり故郷は捨てて補償金で自分たちがいい暮らしをすればいいとなる
これはまた事情が違うからいちがいに悪いとは言えない
でも何か本来の復興を目指すのとは違っている、自分だけが良ければいい、補償金で各自が自分でいいと思うことを実行すればいいとなると故郷には帰らないとなり故郷はもう荒廃して復興しないだろう。
ここにも利己的な自分だけがよければいいということが復興させないのである。
だから不思議なのは戦争を考えるとその善し悪しは別にして国という全体のために死んだ、犠牲になったということが今になると考えられないともなる
ともかく全体のために国の存亡をかけて300万人も死んだからである。


今なら故郷であれ何であれそうした全体のために死ぬとか犠牲になる気持がないからである。
自分だけが助かればいい、国でも何か困難があれば外国に脱出すればいい、そのために金を外国にあづけておくとかなっているからだ。
もう故郷というと狭い世界だけとそこにも全体のためにという思考がない
ただ自分だけが良ければ助かればいいとかないのである。
そういう社会が資本主義だからそれを否定しては生きられないというのも現実である。
でもそういう利己主義的資本主義がいづれ恐慌とかなり崩壊する
そういう兆候も世界的景気後退とかで出はじめている
つまり何かそういう大きな転換期にきている、だからこういうとき巨大な津波が襲った
それは貞観津波や慶長津波の時代とにているのである。末世だということである。


世界がそのために根本的に変わらねばならなくる、それほどのことが今回の津波や原発事故には空想ではなく現実問題としてこの辺で現れたのである。
こういう時は自分のことだけを考えて全体がだめになるとき自分だけが助かることはない国が滅亡してゆくようになればシリアのように難民化したりみんな助からない
自分だけが助かろうとしても避難先から追い出されたりもう逃げ場もない
そうなら国のために戦って死のおうとかなるかもしれない、それは戦争の時そうなったので経験ずみである。
日本はそういう危機のさい協力一致する文化がある、それが島国の歴史の強みでもある
ただ今回はどうなるかわからない、そうした心すらなく利己主義化しているから日本自体がたちまち崩壊してしまうかもしれない
ともかく時代の転換期にこの巨大な災害の津波に特に東北が襲われた
それも自分の住んでいる所が襲われたということはやはり何か意味あることだったのか?
それが自分に課せられたテーマともなったからである。

タグ:津波の死者
posted by 老鶯 at 00:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

東日本震災からの復興をばばむ高齢化社会 (帰るのは残るのは老人)



東日本震災からの復興をばばむ高齢化社会


(帰るのは残るのは老人)


今日は東日本大震災のテレビ番組を見ていた。
そこで感じたのは高齢化して老人が多くて復興ができない
三陸の漁港でも跡を継ぐ若い人がいなと嘆いていた
それは前から言われていたことであり震災で顕著になった。

三陸の乾坤式場はビルが高いから三階より上に逃げて全員助かった。
その助かった300人くらいの人は老人だった。
老人の芸能発表会をそこでしていたからである。
それもなんか生き残ったのはいいが老人だからその人たちが復興の力になるとは思えないそれから水産加工場を再開しても人手がたりないとかで困っている
それで外国人の労働者が働いていた。
南相馬市でも外国人専用の宿泊所が作られたた。
ここも除染関係とかで人手不足なのである。
建築関係も人手不足でありこれは全国的にそうである。


奇妙なのは津波で死んだ人は老人が多い、その理由は津波など来ないと逃げろと言っても逃げない人が多かったのである。
津波など来たことがないから来ない言い張って逃げなかったのである。
それは老人だけではない、津波が川をさかのぼってみるみる水かさをましたのに逃げないで見ていた人がいた
この辺でも磯部辺りで津波を見に行きに海に行ったという人が結構多い
津波はチリ地震の津波しか知らないからそうなった。
津波の恐ろしさを肌で知っている人はいなかったのである。

ともかくいろいろ放送していたが高齢化社会というのが今回の復興するにしても大きな足かせとなっている
自分も老人だからわかる、津波の被害地に商店を再会するにしてもそれだけの金をかけて借金してまでしてやるとなると不安でありできない
ある人は学習塾をはじめるのに一千万の資金がかかるが用意するのが大変だけどここで自分は生きるから再会するとか言っていた。
そこでもそもそも少子高齢化で子供が減っているのだから子供相手の商売がしにくくくなっている
小高でカバン屋をしていた人も中学生とか高校生にカバンを春に売るからいいと言っていた。
それは定期的な収入になるから商売になる、やはり商売は定期的に収入にならないとつづかない、定着できないのである。

ともかく小高のことを批判してきたが整形の開業医が放射線量が0、1なので帰る決断をしたという、小高は街内とかは本当に低いから帰れる
でも問題はすでに各地に避難して生活も避難した場所ではじめている人もいる
帰るのは一割くらいしかいない、その一割が老人が多いのである。
そういうことでどうして復興できるのか、少子高齢化社会の矛盾が露骨にこの辺では現実化したのである。
そして街が暗くて防犯に良くないというのもわかる
一割帰っても街は相当に暗くなることでいやがっている

ただ原発避難者は他の津波の被害地域より恵まれている、母子家庭のことを言っていたが本当に賃金も10万に満たないとか安い、もう生活できるかできないかのギリギリである復興住宅に入っても金がかかるとか嘆いている
この辺でも老人が多いから国民年金で暮らしている人が多いからもっと補償金を継続してもらいたいという虫のいいことを要求している
それは別にみんな同じなのである。原発避難者だけがいくらでも補償金がもらえるということは今でも回りの人から反発を受けているから自重すべきだろう。


自分の考えでは地元の人たちだけでは原発避難区域などは復興するのは無理ではないか?
第一双葉とか大熊などはもう帰るということはない、他に家を補償金で建てた人が多いからである。
そこは今度は放射性廃棄物場として土地を売ることになる
それで神社だけを残してほしいというがそれも無理なみたいだ。
するとその地域の歴史は消失する、でも他で十分に老後を余裕をもって暮らせる補償がある
だからその人たちは余裕がある、かえってこれで老後も補償されたから良かったと思う人もいるだろう
一方で小高などは中途半端なのである。確かに補償金もらったがすでに打ち切られている今度は復興住宅に入っても家賃とかいろいろ金がかかる、帰っても不便であり嫌だいうのもわかる。

いづれにしろ少子高齢化社会で政府が移民を受け入れるとか盛んに言うがそれも無視できなくなっている
限界集落とか過疎地とか原発避難区域でも津波の被害地でも若い人がいなければどうにもならない、するとどうするかというと移民でもいれる、外国人をいれて労働力を確保するとか考える、何か他に方法がないからである。
例えば原発で放射線量があまり高くない所は住居と空いた土地を提供すれば住む人がいるかもしれない、なかなか家とか土地が提供されないので移住できない人も多いからだ。
田舎に住みたいという人はいる、そういう人も受け入れるとか何か復興させることを考える必要がある
こういうふうになるともう追い詰められているのだからやる他ないともなる
だから新しいものを取り入れるチャンスでもある

老人の心境とはどういうものかというと要するに人生は終わりである。
ただ昔を回顧することであり思い出を生きるのが老人である。
そして老後の時間は実は意外と貴重なのである。
なぜなら残り少ない時間をどう費やすかが大問題になるからだ。
例えは芸術家とかなると最後の作品の総仕上げであり時間が貴重になる
自分は介護に十年間費やしてその間旅ができなかった。
その時思ったことがもう一度富士山を見たいということだった
それもできないのではないかと真剣に思っていたのである。


とても新しく街を復興させるとかに時間を費やすことはできない
自分でも望むことは難儀な復興のことではない
これまでしたことをライワークを完成することである。
だから震災から5年すぎたけどまた帰って復興するのに五年かかるとかなると
もう死んでいるかもしれないとなる
つまり復興するにもも老人は復興できない、ただ昔を偲ぶだけだからである。
老人の時間感覚は時間が過ぎるのが早いことも影響する
5年すぎたけど後五年復興するのにかかるのか?そんなに金を費やしてももう年でできなくなる、借金だけ残ったらどうするのかなど言っていたこともわかるのである。
そのうち体も弱り動けなくなるとか心配する
このことが少子高齢化社会が津波の被災地でも原発避難者にも共通して復興をむずかしくしているのである。




タグ:高齢化社会
posted by 老鶯 at 19:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

私のプログに対する批判に答えます (ギャンブルしている人たちや故郷を捨てた人たちをまず批判しろ)


私のプログに対する批判に答えます

(ギャンブルしている人たちや故郷を捨てた人たちをまず批判しろ)

自分に対するコメントの答えです

他人任せでもないし(している人もいる。ボランティアもいるし、ボランティアはボランティア。)お前は結局ネガティブキャンペーンをしたいだけだろ?お前はいたずらに絶望を煽るだけで何も生み出さないな。誰もしていないというのならお前がやって範を示せ。する気もないなら黙っていればいいだろなんて
傷口に塩を塗って楽しいか?放射能を語りたければ機械によって測定された数字を見ろ


こう言うのはどこの地域でありその出自か明らかではない
これだけ反応があったということで答える
自分はこれだけ書いてもほとんど反応がなかったからである
どいうふうに読んでいるのかもわからなかったです


放射能を語りたければ機械によって測定された数字を見ろ

今日テレビを見たら小高の整形の開業医が0、1だから始めると言っていた。

だからあなたがどこに住んでそういうことを言っているのかわからない


お前は結局ネガティブキャンペーンをしたいだけだろ?お前はいたずらに絶望を煽るだけで何も生み出さないな。


絶望をあおるというより現実を言っているだけだとも思いますが、、、、
現実を直視してどうするかを考えている
現実に老人だけ帰って復興できるのかというのは現実である。
ではどうするのかということを考えざるをえないでしょう


誰もしていないというのならお前がやって範を示せ。する気もないなら黙っていればいいだろなんて

それよりなぜ原発避難民は毎日ハチンコ屋やギャンブルをしているのか?
そういう人たちこそまず非難すべきでしょう
そういう人たちこそ率先してボランティアに頼むより復興に働くべきでしょう
そういう遊んでいる人たちがいるから地元の人も嫌がり助ける気もなくなるのでしょう


自分は原発事故で小高の人たちが避難してきたとき苦しい状態にあった
でも小高の人はその時どうしていたか?
大挙してパチンコ屋におしかけていたのです
その時自分の所にきた親戚とも言えないがパチンコ屋で掃除して働いていたのです
そこで人手たりないとか言っていたのです
自分が苦しい状態のときパチンコ屋にみんな通って遊んでいたのです
その手伝いをしていたのが親戚だったのです
その時そうして遊んでいる人たちに怒りを覚えたのです
それは小高の人に対してです

あなたが自分に怒りを覚えるのはそもそも何故なのか?
それはもっとお前は避難民に同情して助けるべきだということでしょうか?
その前に遊び暮らしていた人たちはどうなるのでしょうか?
そういう人たちがいれば誰も助ける気がなくなるでしょう

感情的になるともう会話できません
自分に対する憎しみが先行しているようです

まずお前ら避難民が藩を垂れろ、、、それから文句を言え

毎日ギャンブルで遊んでいる人も多い、まずそういう人たちこそネガティブキャンペ-ンを身をもってしている

まあ、それぞれの言い分かあり人が理解しあうことはそもそもむずかしい
でも何らか会話すれば相手のこともわかることはあります
ただ自分に対する何か憎しみがありあなたとはとても会話できないでしょう


津波原発事故に関しては様々な人たちがいます、
様々な意見をもっている人たちがいます
それをお前は何もしない、何もできないから何も言うなと言えますか
自分は南相馬市内だけでなく全国にむかって実情を言っているだけです
きれいごとだけではすまないのです
かわいそうだ、かわいそうだと言われていれば気分がいいでしょう
現実にそんなに原発避難民がかわいそうなのでしょうか?
もっとかわいそうな人は津波や原発被害者だけではないいます
宮城県でも岩手県でもいます
普通に暮らしている人でも苦しい人はいくらでもいいです
まずは自分たちこそが苦しいのであり同情しろという言い分は通るのでしょうか?

いつまでもだらだらギャンブルなどやっているな
小高に帰り放射能の泥をかきだせ
年のことを言っていられるか
まずお前たちが範を示せ!

できなければ外国人でも金だしていれてやらせろ
寄付してもいいけどお前ら何に使うんだ
(これは本気だよ)
ギャンブルに使うのか、補償金もらってうえに

小高の病院の七億円の配管を直したかったら自分たちの金をだせ
補償金もらっているのだから
それよりなぜ若い人はその場から逃げ出したのか、他で家を建てたのか?
そういう人たちこそまず批判すべきではないか?
まずそういうふうに故郷を見捨てた人が多いから復興できないのである。
それを全体が大事だとして自分は書いてきた
そういうふにう第一避難区域ては故郷を捨てた人が多いのである
それも若い人が多い、だからそういう人たちこそネガテブブキャンペーンを
身をもって示していないか?

介護でも自分でやらないで他人にまかせるなともにている
自分たちがまずやらないで他人まかせになっているからこそ批判される

もう故郷のことなど知らない、人ともかかわりない、家も建てたし関係ないことだ

そういうことを延々と書いてきたけどそこに一番の問題があるのてはないか?
その人たちこそネガティブキャンペ-ンを身をもって示している

地域の結束が強過ぎて身動き取れなくなってる様に感じる

「皆で一緒に元の町に戻るぞー!」とやってたら自分だけ「避難先に家買ってそこの住人になります」とは言えんわな

某帰宅困難地区からの避難民がこのパターン


地元の津波被災組の中には災害復興住宅への入居待ちもいる

防潮堤の建設を待って元の場所に戻るという人も居る 


こういう人もいるのか?みんな勝手に避難先で家を建てたりしていると思っていた。

つまり故郷を出てか帰らないことに気兼ねしている人もいる


ともかく感情的になると議論などできないてす
ただ口だけで何もできないというが何か考えることはこうしてプログに書くことも相当な労力なのです
それが自分は全然認められていません
あなたにとって無駄だとなるかもしれませんがそれなり読む人がいるのだから一応関心があり参考にしている人はいると思いますが、、、、、、

ところであなたは復興のために何を毎日していますか?
どのうような範を垂れていますか?
それを教えて下さい
みんなもそれを知れば全国の人も応援するでしょう
たいして自分のプログは読まれていないですが
全国の人にどうそ訴えてください



注意

自分が対象にしているのは重に南相馬市の小高区の人たちのことです

他はまた飯館村で放射線量が高いし浪江とか大熊、双葉はまた共通な面もありまずが事情が違ってきます
誤解のないように










タグ:原発避難民
posted by 老鶯 at 20:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2016年03月12日

なぜ原発避難民と軋轢が生まれたのか? (自分が真面目に故郷を思うことを否定した奴は許せない)


なぜ原発避難民と軋轢が生まれたのか?


(自分が真面目に故郷を思うことを否定した奴は許せない)


他人任せでもないし(している人もいる。ボランティアもいるし、ボランティアはボランティア。)お前は結局ネガティブキャンペーンをしたいだけだろ?お前はいたずらに絶望を煽るだけで何も生み出さないな。誰もしていないというのならお前がやって範を示せ。する気もないなら黙っていればいいだろなんて
傷口に塩を塗って楽しいか?放射能を語りたければ機械によって測定された数字を見ろ

この人がどこに住んでいた人かわからないから誤解が生まれる
でも何か原発避難民は傲慢ではないか?
それで鹿島区の人が小高区の人に俺たちは金あるんだよとか馬鹿にされたことを言っていた。その人は貧乏だから余計に頭に来た

それから南相馬市内とか福島県内では直接原発避難民と接しているのである。
ボランティアとして一時的に来る人とは違うのである。
ここで暮らしてここで死ぬということで一時的にボランティアで来る人とは違う。
ボランティアは一時的だから責任もたいしてない
人間はその土地に住むだけで責任が生まれていたのである。
原発を建てるときその土地をもっていたから自分の土地は自分の勝手にしていいとはならないのである
だから土地は全体のことでありその一区画を私有しにくいのである。

この発言の真意はまだわからないし誤解生まれる
でも原発避難民が勝手であり自分たちがかわいそうな人でありマイナスなことは何も言うな、いいことだけを言って同情をかいとなるのか
それはマスコミがしていることである。
マスコミは真実は報道しないし何か質問することもできない
一方的な報道であり大勢はそれに洗脳される、現実はきれいごとではない
きれいごととしてすまししていたらそれもメタンガスのように不満が吹き出るときがある
福島県で補償金をもらったの30キロ内でありあとはほとんどもらっていない
イワキでも相馬市でも何万円しかもらっていないのである。
そういう不満があることを隠すことができるのか?

お前は何もできないくせに、何も言うな、口だけなんだよ

それもそうだが考えること思っていること自体関心がありかかわっているのである。
そのことを軽くみて無視していいのか?真面目に復興のことでも考えている
特に小高は南相馬市だからこそ同じ市民として考えているから発言している
それは耳に痛いこともある、でもそれが現実なのだからきれいごごとですませないから言っている
かわいそうだ、かわいそうだでいつまでもすまされるのか?

そしてイワキでも問題になったこと補償金で贅沢三昧していることも事実である。
それは自分は直接知っている、東京までギャンブルしに行っていたとか
風俗だとか金を使っているしそれは回りでも知っているのである。
ある人はフィリンピン女性といたとかいろいろあり事実である。
補償金とその他いろいろプラスがあり一カ月百万もらったとかも嘘ではないだろう
別に補償金だからか何に使ってもまわないともいえる
でも問題は福島県でやはり放射能の被害にあった人たちや回りのことを考慮すれば普通なら遠慮するのだがしない
あまりにも横柄な態度故に嫌われている、福島県内でも嫌われているのである。


この人の発言もまさしくそうだった。お前は何にもできないんだから何も言うなというが
一体この人は何をしているのか?どれほどのことを復興のために尽くしているのか?
それだけの熱意があるのか?口だけで言うのはやめろというとき
では一体この人はどんなことを復興のために日々しているのか?
それが知りたいのである。それなら納得するだろう
何もできない奴は言う権利もないといえるのか?
では一体この人は何を日々復興のためにしているのか?
復興をどうしたいのか、どういうことを復興のために考えているのか?
それを知りたいのである。それを発言して批判した以上言ってもらいたいのである。
インターネットは双方向に発言するメデアだからできる
マスコミはできない一方的で終わるからできないメデアである。

いづれにしろ2ちゃんねる的になるといげつなさがもろにでる、
そして発言が短いから相手のことはわからない、誤解が生まれやすい
こうしてプログは長い文章で発言できるから真面目に探求できるメデアである。
そしてくだらない罵詈雑言もコメントは拒否できる
ただ双方向の対話となると短いのは薄っぺらになるから向いていない
つまりプログだとその人がどういう人で何を考えているのか
日頃何をしているのかわかる2チャンネルになるとそうしたことは不明である。
ただ本当はインターネットのメデアは双方向の発言であったとき活きてくる
それも即座にできるとき活きてくる、それは前にあったのである。
そういうことを自分はしてきたからインターネットでの発言の仕方を知っている


ともかくこうして批判するのはいい発言は自由である。
そこから理解も深かまるということもある
ただ一方的に発言していると反応がないから不満にもなる
それでともかく反応があったので返答したのである

自分は真面目に復興でも故郷のことを考えている、だから2ちゃんねるのノリで発言されると返答したくない
あなたは口だけでだというけど何を復興のためにしているのか?
それを言うなら納得するし原発避難民を理解するだろう
別に原発避難民がみんながパチンコとかで遊んでいるわけでもない
中には復興するために努力している人もいるしそのことも書いた
なぜ頭ごなしに自分が真面目に故郷のために探求していることを否定するのか?

こっちの方がお前のような奴が原発避難民にいることに怒りを覚える

原発避難民はそういう奴が多いんだということを知る
ただ発言して反応してくれたのだから何かともに復興を考えるということあった

そんなわけで必ずまた答えてください、それは自分を味噌くそに批判したのだから
責任があるからです

ではよろしくお願いします

 仮設住宅にBMWやレクサス・・・4年で1億5000万貰った世帯もごろごろ! 生涯賃金を上回る 「原発補償金」★2コピーライトマーク2ch.net

これも全部噂ではない、事実である。東京に風俗やギャンブルに行った人を知っているからだ。
つまりインターネットに発言されいるのには事実があり全部嘘とは言えないのだ
なにかしらの事実があって発言しているのも多いのである。
ただプログのように深くつっこむことはできないから問題なのである。





タグ:原発避難民
posted by 老鶯 at 00:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

春の霜(この頃の感じることー震災より五年すぎて)


春の霜(この頃の感じることー震災より五年すぎて)


星ひそか夜に梅の香の濃く匂ふ

故郷にともに老いゆく春の霜


赤々と椿の散りぬ雨しとと我が墓の前今日も通りぬ

万寿菊長くも咲きね我が家に今日も来たれる女のありしも

我が姉と母の遺影の我を見る春の彼岸や一人し悲し

五年過ぎさらに老いにき家族みな亡くせし人の追悼の言葉

仮設にも住む人へりぬなじみしも離るる人や春寒しかな

心なき人の心に傷つきぬ神も怒らむ助けざるべし



今日は寒い、朝は霜だった、老人が風ひいたとかおかしくなる
意外とこの風が老人になると危険である。肺炎で60代で死んだ人がいる
肺炎は老人の死因で多い。

春の彼岸も近い、毎日自分の墓の前を通るから墓が身近なのである。
そうなると死者とともに暮らしているともなるから悪いことではないだろう。
遠くに墓があるととうしても疎遠になるからである。

東日本震災から五年がすぎた、それで東京で南相馬市の人か、家族をみな亡くした老人が追悼の言葉を延べていた。
あれもあわれだと思った、実際にかわいそうな人は津波の被害者であり
原発避難民ではない、ただこの辺は津波の被害者と原発避難民とか混じり合っている
それで複雑ななのである。

原発避難民はかわいそうではない、自分に対して発言した人のように禄でもない人が多い普通なら相手にしないがこういう状態だから答えた
もともとこの世の中ろくでもない人の方が多いから原発避難民でもそうであり
いちいちとがめていたらきりがないだろう

だからこそ人の暮らしを隠していたとき良かったのである。
それは飯館村でもそうだった、それが避難民になったときギャンブラーになったとか露骨に隠されていた悪い人間性がむきだしになったのである。
何もすることもないということもあることもありやむをえないともなるが
何か自重してそうならないことを模索するべきでもあった。

いづれにしろ原発避難民は人間性の悪い面を金が入ったりしてむきだしになったのである別に事故がなければこんなに目立つことはなかった。
「俺たちはかわいそうなんだ」そればかりでありそれに意義となえると
お前はそれでも人間なのかとせめてくる、弱者商売なのである。

もうこういう人は神も助けない、この発言のようにそういう人が多いことが問題なのである。
ただ本音で地元なら話し合い、何か次代を開く道を考えることはありうる
でもこういうあからさまな暴言卑語をする人とはできない
それは今まで2ちゃんねるとかでしてきたことである。
でもそういう時代インターネットでも終わっている
発言にはある程度責任をもたざるをえない時代である
インターネットもそうして民主主義のツールとして進化してきているのである

だからこの人の発言は許されことがないし
原発避難民自体もおとしめたのである。
やっはりこんな奴が多いんだなということを言葉で示したのである。

タグ:春の霜

無責任な発言が許されなくなったインターネット (匿名でも発言の責任が問われる時代)



無責任な発言が許されなくなったインターネット


(匿名でも発言の責任が問われる時代)


インターネットとにかかわったのは自分は古い、なぜかかわるようになったのか?
それは最初にワープロからはじまっていたのである。
ワープロもローマ字で変換するものではなくオワシスの親指シフトで文章を書くことからはじまった。
自分は悪筆であり字があまりにもへたのでなんとか他人にも読めるものを書くためにワープロになった
その時富士通のニフティでパソコン通信をしていたのである


実はパソコン通信を知っている経験している人は少なくなった。
それはなになのとまでなっている、2チャンネルとにているやりかたである。
それはまずインターネットでも通信環境が調っていなかった
だから相手に文章で書いたものが送信されたかどうかが問題になる
それでその日の内にでも返答しないとレスポンス(レス)しないと議論にも話し合いにも参加できないものだった
それは最初のパソコン通信のインターネットの文化ともなっていたのである。
その時第一パソコン自体もっている人も極めて少ないから技術的な問題も多く
なかなか普通の人はできない、参加できないものだった。
パソコンも高価であり操作するのがめんどうだった


自分がこれにはまったのはワープロのオワシスの親指シフトでやれたからである。
ローマ字変換だと自分はめんどうでついていけなかった
何かこういうことはできる人とできない人がでてくる
文章を書くことが基本だというときここでつまづいてしまう
自分はたまたまオワシスで親指シフトで通信つきのワープロをもっていたことでインターネットができるようになったのである。
そのニフティのハソコン通信は相当な暇な人しかできないものだった
それは答えること自体手間暇であり労力がかかりすぎたのである。
今でも介護してからは忙しくて返答できなくなって一方的に発言するだけになった

それからWIN5でパソコンが普及してホームページを作った。これは自分の主張ができる多機能なものであった。
その後介護になりできなくなりプログに移動した、ホームページからプログと移行して一五年くらいしているのである。プログさえ一〇年もしていた
この辺で相当に技術的にもインターネット自体のコミニケーションも変化した
いろいろなもの、ツッターとかフェスブックとかでてきた
これには自分は忙しくてついていけないからしていない、スマホもしていない
インターネットのコミニケーションは常に変化してきたのである。
パソコン通信と一番にているのは2ちゃんねるでありそこで全くの匿名であり罵詈雑言もしたいほうだいである。
ニフティではある程度そういうことは制御されたが禁止されたが2ちゃんねるとにていた
だからパソコン通信の経験ない人は若い人でも年配でもインターネットのコミニケーションの仕方がわからないだろう
プログになると独立のメデアであり双方向にできても全く違ったメデアである

プログだと匿名でもその人がどういうことを日常的にしていてどういう考えなのかとかその人生でもわかるのである。
二三行発言しただけではその人のことは全くわからない
今回自分に罵詈雑言した奴がそうだった
原発避難民であることはまちがいないだろうがどこの自治体に属しているかなどわからない、それだけでもわかれば会話しやすいのである。
だから今はインターネットのコミニケーションは変わっている
「保育園に入れない、日本死ね」とプログで発言した母親がいて社会問題になったけど
プログなど何百万あるとしたそれがそんなに反響があることに驚いた。
だからサヨク系がマスコミと計ったためだとか言うのもわかる
まずテレビなどだともし百万人がテレビを見ているとしたらインターネットなら絶対そういうことはありえないから影響力が天と地のように違うのである。
ほんとんど数人しか目にふれないプロクなどごまんとかあるからだ
その影響力は余りにも違いすぎるのである。

ただ変わったのはプログができたということはこれは個人的に一応発言ができる
インデビジュアルな個々のメデアなのである。
それは今までのパソコン通信とか2ちゃんねるとは違う、匿名でもその人となりがわかるのである。
だから今回のように突然あいさつもなく罵詈雑言してくるのには違和感を感じた
それは2ちゃんねるのノリでそうしてきたからである。
こういうことはインターネットではやりやすいがもうコミニケーションとしてはできな時代である
発言するのはいいにしても自分の立場を自分がどういう人間かをプログで示しておくべきだろう
そうすれば会話もしやすいのである。
要するにインターネットのコミニケーション方法は変わった
発言は自由である、プログで批判するのもいい、でも自分のことをある程度他人に知ってもらうためにプログをもつべきなのである。

そしてインターネットは今は発言でもかなり責任が問われることがある
今回の発言の責任は相当に重い
自分に対してその価値をおとしめてそれでアバヤとはならない
あなたの発言は長く保存される、それで犯罪歴が消えないと裁判にもなった
インターネットは意外と消えやすいようで記録するのには便利なのである。
だからあらゆることが記録されているのである。
匿名でもその発言も記録されて簡単には消されない
原発避難民にこんな発言した奴かいるのか、やっぱりそんな奴らだったんだ
とんでない横暴な傲慢な奴らだったと思う人もでてくるから注意が必要である

もちろんたいして読まれていないとするとそうはならない
それで気軽に罵詈雑言して喜んでいる人はいる
でもこれからそうはいかない、その発言には責任がある程度厳しく問われる
「こいつの発言はなんなんだ、やっぱり原発避難民はこんな奴らだったんだ、本音が出たな、こんな奴らに援助するのも馬鹿らしい」
そういうことはすでにインターネットで言っている人がいる
自分も本当に今回の自分に対する罵詈雑言ではそう思った。
こんな奴ら助ける必要があるのか、神すら助けないと思った。
極端にしてもそうである

ただこうした罵詈雑言卑語はニフティのパソコン通信では普通であり日常だった
だからとやくか言うのもなんだがインターネットのコミニケーションは変わった
匿名でもその発言は厳しく問われる時代になったのである。
誰でも発言できる、でも責任も問われる、それが民主主義だとなる
だから匿名であってもこの人の原発避難民を代表して発言していないとしても
こういう人が原発避難民にも多いのだと自分のプロクで示したのである。
その発言の責任は今までとは違い重くのしかかるから注意すべきである

第一普通の社会でおまえは何なのだ、馬鹿とか言わないがそういうことはニフティのパソコン通信では普通だった
あいさつもないし目上も下もない、偉いひともなにもない、ともかく相手のことを最初から罵詈雑言して喜ぶ人が多かったのである。
そういう時代は今は終わった、その発言の責任は厳しく問われるし記録に残る
インターネットはそういうふうに自由に誰でも発言できるのがいいのだが
今はプログで自分がどういう人間か示していないと会話はしにくい
誤解が生まれるし対話できない、ただ罵詈雑言して喜んでいるような人間を相手にする暇はないからである。
自分は今まで介護で忙しく答えることができなかった
今は暇ができたのである程度できる,それでも手間なのである。




タグ:匿名発言

罵詈雑言卑語だけの原発避難民の発言 (原発避難民全体の印象も悪くした発言に怒りを)


罵詈雑言卑語だけの原発避難民の発言


(原発避難民全体の印象も悪くした発言に怒りを)


他人任せでもないし(している人もいる。ボランティアもいるし、ボランティアはボランティア。)お前は結局ネガティブキャンペーンをしたいだけだろ?お前はいたずらに絶望を煽るだけで何も生み出さないな。誰もしていないというのならお前がやって範を示せ。する気もないなら黙っていればいいだろなんて
傷口に塩を塗って楽しいか?放射能を語りたければ機械によって測定された数字を見ろ


こいつこそ口だけの奴である
お前は毎日何をしているんだ
お前こそ遊び暮らしているんだろう
補償金でな、ボランティアはしてもお前は何もしない
何しているんだ
遊ぶこともいろいろあるがギャンブルか毎日お前も
そうして真面目に復興を考えている人に毒ついてくる

お前が人の善意とかを全く無視してのうのうと遊んでいるんだろう
そういう奴が原発避難民だということがお前のは発言でわかったな
復興などお前にとってどうでもいいことだろう
毎日補償金遊んでいればいいことだろう
将来もな、お前は故郷に帰って何をするんだ
どういう考えがあるんだ


今は言わせてやるからここでもいいプログでもいい言ってみろ
お前が人の善意を無視する奴なんだよ
何か傷をなめて楽しいか
お前が毒ついて人の善意をふみにじり楽しんでいる
お前の発言は記録されて消えることがないからな


お前には郷土のことなど関係ない、勉強する必要もない
お前は故郷に帰る必要もない、どこかに行って補償金で遊んでいろ
故郷には帰ってくるな、お前はいらねえんだよ
「神は自ら助くるもの助ける」
お前のようなものは故郷にいらねえ
補償金にたかり暮らすだけだろう

補償金をギャンブルで使ったから福祉に貸してくれ
原発避難民はどこまで腐っているんだ
お前もな、お前こそだまって復興のために何かしら働け
しないなら黙っていろ


ともかく原発避難民はモラル的にもう壊れた人が多いのかもしれない
補償金もえばいいあとは遊んでいればいい
将来もかわいそうなんだから要求できるんだよ
それだけの被害があったんだから要求できる

じゃ、もらえない人が多いんだからその人たちはどうなるんだ
自分たちだけのことを考えて回りのことを考えない
原発建てる時もそうだろう
自分たちに金が入ればいい、回りのことなど知らねえ
事故の後そうだろう
小高でも合併前に東北電力の原発が建つことになっていた
これも小高の住民に責任があったんだよ
みんな今度は責任が問われたんだよ
自分も問われた、だからいろいろ考えている


こいつの発言のように原発避難民はこういう禄でもないのが多い
お前の発言はお前だけの発言ではない
原発避難民の一人として発言しているから責任があるんだよ
だから無責任な発言をするな、黙っていれ
発言しても責任ある発言をしろ
もう2チャンネルのような罵詈雑言はここでは通用しない
プログもあるんだからお前はそこで自分の主張しろ
それを自分が読んでお前が何者か知るだろう

お前のは発言で自分がどれほど傷ついたか
お前のことはここに匿名でも記録されるし
そして原発避難民はそんな奴らが多いということを
お前がここで示したんだよ


まあ、反論があるならいくらでもしろ
ただし罵詈雑言卑語だけなら断る
真面目な議論ならいい、発言ならいい
それが復興につながるからだ

お前は自分が真面目に追及していることを真っ向から否定した
それ故に許せない、お前の言葉によって自分がどれほど傷つけられたか
お前はその責任をとれ
タグ:原発避難民
posted by 老鶯 at 14:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連