2016年03月01日

桜の花の短歌連作続編(大坂城)


桜の花の短歌連作続編(大坂城)


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秀頼と淀君の無念大坂城夕べ桜の散りやまじかも

今しきり花の散るかな大坂城夕日赤々と心に残りぬ

武士の意地見せて戦う大坂城石垣の固く守り残りぬ

一陣の風に吹き散る花やさらに大坂城内花散りやまぬ

大阪城門入る人の絶えぬかな夕日に映えにつ花散りやまじ

華やかに秀吉の世は終わりけり夕日の映えて散る花あわれ

花の咲き明石海峡夕べにも船の行き交い難波の栄えぬ

伏見城黄金の茶室春の夢まみえし人は今はなしかも

花咲くや奈良に京都に大阪やみちのく遠く未だ咲かじも

みちのくに政宗ありと名をとどむ今日の都に織りなす歴史

我が家の広き廊下に春日さし栄はここにもあるを知るべし




春の奈良京都大阪

大和なる奈良を離れて京都にあり
千年の都にあれ古りにし御所の塀長く
枝垂桜の色濃くも咲きにけるかな
五条の大橋瀬音も高く人々の行き交いて
燕飛びきて各地より集まる人々
織りなす歴史の絵巻かな
三十三間堂黄金の千の仏の光輝
その巧みここにはぐくむ職人の業
金閣銀閣対なし映えて千年の都かな
春爛漫大坂城の大いなる石垣や
花は盛りに大門を入る人の群れ
安土桃山の豪華絢爛たる文化華開く
みちのくにもその障壁画あり
松島に伊達政宗の茶室や時代を偲びぬ
大阪は日本の商都、人々集い活気に満ちぬ
奈良大阪京都と日本の歴史は編まれけるかな


大坂城の花見客(詩)

桜前線の短歌



桜前線の短歌で前から書いてきた。インターネットは絶えずリニュアールできることである。作歌が生きている限り更新されつづけるのがいいのである。
関西の方へはずいぶん旅した。その経験で面白かったのは関西に行くと桜は満開であり
みちのくに帰るとまだ桜が咲かないとかある
みちのくに桜が咲いたらすでに関西は散っているとか現実に自分は旅して経験している。桜はある一カ所で鑑賞するのではなく桜前線としての鑑賞がある。
日本も距離的に差が結構あり北海道となる稚内では6月に桜が咲いていたのである。
桜前線は6月まで稚内までつづいていたのである。


日本は桜の国である。桜は山桜もあるしいたるところに咲いている、別に京都の桜がいいとはならない、日本全国に桜が咲きそれぞれの美があり歴史があるからだ。
栄はべつに田舎にある,必ず栄えた家はある、自分の家も二代くらいでも栄えたとなる
何か廊下が長く広いからここに一番栄を感じた。別にこうした屋敷に住んでいる人はいくらでもいるからである。
ただどうしても関西が日本の歴史を作られた所だから桜ははもに歴史を感じる
大坂城は城より石垣が見物である。それが歴史を象徴していることで桜もまたそこに歴史とともに鑑賞するのである。
秀頼と淀君が炎上する大坂城とともに死んだというのも苛烈な悲劇だった。
信長も秀吉も華やかに桜が咲いて散ったという感じになる、絢爛豪華な安土桃山時代の文化も作られた。
徳川三百年は地味だがこの時は絢爛豪華になった。その時陸奥の伊達政宗も一枚加わっていた。東北が中央の政治を動かしたのはこの時くらいだろう。


それにしても関西方面から陸奥へと行ったり来たりしていたというのもずいぶん贅沢だと今では思う。そんな時間は普通の人にはないだろう。
そういうふうに行ったり来たりしていると桜前線が日本の旅の情緒になることがわかる
そんなに旅しても以前とし富士に映えている桜は一度も見ていない
だから今度は見ようとしているが富士に映える桜がどこなのかというと行きにくいだろう富士山は車がないといい場所を見つけないと見れないだろう。
でも富士山が欠けたら桜前線の短歌は完成しない、今度は旅できるから行ける
ただそこで桜が映える富士山を見ることはかなりむずかしいかもしれない
それにはまた相当な時間が必要になるが桜前線とか桜は見にくいのは一二週間で散ってしまうからである。その間に見るとなると見れない桜はいくらでもあるとなる
桜の古木などどこにでもあるからである。

奈良京都大阪にはそれぞれ個性がある。歴史がある。その相違はやはり歴史を知らないと理解できない、大坂城はわかりやすい、京都はいろいろあってわかりにくいが大坂城は外国人でもわかるだろう。
日本を一時治めた城ですとなればわかりやすい、ともかく大坂城で忘れがたいのは夕日だった。その夕日が映えて桜が散る光景はわすれがたい、今でも夕日が赤々と心の中で燃えている不思議がある
大坂城は夕日にあっていた。秀吉の栄華の跡であり滅びの跡だったからである。


大阪城と夕日


2016年03月02日

抽象画(新種の花) abstract(new kind of flowers )


抽象画(新種の花)

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横波と縦波

次は変化したもの

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新種の花



抽象画の作り方はソフトでパターン化していることに気づいた。
抽象画になりやすいのなりにくいのとがある、万華鏡は一般的になりやすい
だからここで試してみる
それからフオトショップでも抽象画になりやすいのがある。
だから三段階くらいで変化させると抽象画らしくなる
この組み合わせはパターン化しているみたいだ
他のはうまくいかない、抽象画は才能ではなく技術的問題なのである。

抽象画になりやすい組み合わせがわかればそれで試してみる
ただこの方法は各人によって違うしまた別なの使い方があるから一定しない
百回変化させてもできないときとできない
三回くらいでできるものはできる、そのパターンが抽象画になりやすいからである。


自分は花に興味をもっているから万華鏡で抽象画にするとそれが人工的な新種の花のように見える
何かバラでも配合してかけあわせて新種の薔薇を作っているのとにている
これも抽象画のパソコンの不思議だったのである。
タグ:新種の花

自然放射線と人工放射線は同じ? (南相馬市チャンネルの医者や学者の説明は正しいのか)


自然放射線と人工放射線は同じ?


(南相馬市チャンネルの医者や学者の説明は正しいのか)



放射線を出す能力を持った放射性核種が、我々の中で蓄積するかしないかの違いなんです

人工放射能は体内に濃縮・蓄積する
自然放射能は体内に濃縮・蓄積しない

ヨウ素131やセシウム137、ストロンチウム90といった人工放射能(人工放射性核種)は、
生体内に濃縮・蓄積し、生物がこれまで適応してきた自然放射能とは比較できない影響を人体に及ぼす。 



反論


六代まで影響する


プルトニウムも軽いからどこまでもとぶ(プルトニウムは自然界にはない)


ヨウ素131、セシウム137、ストロンチウム90、といった自然界に存在しない人工放射能は、体内に濃縮・蓄積するということ。
それに比べ、自然放射能は体内に濃縮・蓄積しないそうです。



新しいテレビを買ったので南相馬市チャンネルをひさしぶりに見た。
ヨーロッパは花崗岩が多く自然放射能が高い、それより南相馬市は低いから害はありませんと医者が説明している。
そこには南相馬市長も賛同していて同じ席にいる

ここで問題になったのが自然放射線と人工放射線は放射線としての害は同じであり害がないといいきっている。
なぜならヨーロッパの方が自然放射線量が高い、南相馬市はそれより低いからそうなる。ヨーロッパでは放射線量による人体の害はない、だから南相馬市にもない


自然放射線と人工放射線は同じである。

ヨーロッパの自然放射線は南相馬市より高い

だから南相馬市は放射線の害はない


論理的にはこんなふうになるのか?

つまり自然放射線と人工放射線は同じである、、,ということが証明されれば
南相馬市には害がないとなっている


でも自然放射線と人工放射線に相違があるとなるとそうは論理的にはならない

まるで放射能は無害だから今までのように米や野菜を食べ同じ生活をしても問題ないとしている。
そしたらなぜこれほど除染するのかとなる、何兆円も金を使って除染などする必要ないだろう。

何か放射能はわかりにくいから以前として安全を言う、でもその安全にだまされたから科学者の言うことが信じられなくなったのである。
科学者も嘘を言う、政府とか権力者の圧力で嘘を言っていたである。
何が科学的に真実なのかわからない、ただ政府の政治家の言いなりになったり利益を優先して嘘をいい安全神話を作ってきたから大事故になった。
だからどんなに安全だとまた言われても信じられないのである。
それは科学者が言っても今度は信じられない、科学者にもだまされたからである。
御用学者や御用マスメデアが信じられないのである。
それは放射能を知るか知らないかよりモラル的に信じられないのである。


その人は頭が良い理系の人だったけど事業に失敗した。失敗したけど成功したと借金して装っていた。その人は嘘をついていたのである。
だからその人のことは一切信じられない、頭がいいとかなんとかそんなことよりそうして嘘ついて自分は成功者だと言って世間もそう見ていた。
原発も安全だということを装い科学者が権威づけしていたのである。
科学者も嘘をつくということで信じられなくなったのである。
文系は嘘つきだといわれるが理系でも嘘はつくから同じである。
この辺の水もやはり害はないとしても飲水として飲んでいる人はいないだろう。
怖いのはプルトニウムが30年後とかに骨髄に蓄積されてガンになったりするということである。
そして放射線の影響が六代までありそこまで見ないとわからないとかも怖い

最も有害な取り込み経路は、空気中に浮遊するプルトニウム化合物粒子の吸入である。気道から吸入された微粒子は、大部分が気道の粘液によって食道へ送り出されるが、残り(4分の1程度)が肺に沈着する。沈着した粒子は肺に留まるか、胸のリンパ節に取り込まれるか、あるいは血管を経由して骨と肝臓に沈着する

第一そんな危険なものを作っていたことが間違いだったとなる
万が一にも事故は起きる、事故はさけられないのである。
日本は国土が狭いのだから原発事故で住む所がなくなる危険がある
何か食べ物だと少しでも危険があると大騒ぎするがこれほど危険なものが容認されることがわからない
人間の盲点は大きな危険には盲目なのではないか?
だからこそあれだけの戦争もして三百万人も死んだのかもしれない
人間は目の前のささいなこととか危険にはうるさいがこうした大きな危険には何か盲目になる
津波でもそうだけどこれもあまりにも大きな危険なのでかえって危険がないがしろにされていたのである。


人間の弱点は日々の目の前のささいなことには注意を払うが大きな危険は見逃されて盲目なのである。
つまり大きな危険を感じることはそれだけ人間にとってはむずかしいのである。
どんな動物でも日々の餌を見つけることが精一杯であり人間もまた同じなのである。
本能的にも大きな危険は感じられない,でも大きな危険によって滅びにいたる
それが津波でありまた原発事故だった。
放射線の怖さは日々感じられな、でも6代まで影響するとか30年後に蓄積して影響してガンになるとかそうした今すぐにその影響が現れないことがまた怖いのである。


一方で人間は日々ささいなことに目を向けて苦労しているが大きなことから見ればまさにささいなことでありそんなに苦しみ悩むこともないともなる
大事の前の小事もあるが大事の前に小事は吹っ飛ぶということもある
そしてつまんないことで悩み苦しんでいたなととかなる
いづれにしろ人間は大きなことに対して盲目でありそれが弱点で大きな間違いを犯すことになる。



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2016年03月03日

春のフラワーアレンジメント二題(万寿菊)


春のフラワーアレンジメント二題(万寿菊)

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金魚草とかスイトピーとか春らしい

真ん中にカーネーショをあしらったのが良かった。

やはり中心になっているからだ

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水がない状態でも
 なかなかしおれない、強い花。

橙の万寿菊四輪土色の花瓶ににあう今日も見ゆかな


この花は田舎の農家のたましい女性をイメージする
日々農作業しているような女性である。
花も必ず人間をイメージする、その花にふさわしいと深く見ることになる

それが土色の花瓶とにあっていた。土と花があっていた。
普通は花だけを見ている、花は土から遊離している感覚になる
説明のようにこの花はなかなかしおれない強い花なのである。


一般に花は華奢な感じの多いがこの花は何かたくましいものを感じる
女性でも華奢な女性にひかれるがごつい女性は敬遠するだろう
でもなにかこの花はかえってそうした素朴な逞しい農家の女性ににあう。


なよなよとして華奢なかわいい女性がいるが女性もそれだけでは生きられないだろ
たくましさをもたないとこの厳しい人生はのりきれない
でもあまりにも無骨でたくましい女性は男性からは敬遠されるが逆にこういう女性を嫁にしたら男性は心強いものとなるだろう。


姉の岩長姫は、妹の木花咲耶姫とは反対に、体ががっしりとして、顔もみにくいものですから、邇邇芸のみことは岩長姫を送り返してしまいました。父の大山津見の神は、姉姫がしょんぼりして帰ってきたのを見て、ひどく胸が痛みました。邇邇芸のみことのお使いの者に、 「私が姉の岩長姫を付き添わせてさしあげましたのは、岩長姫がおそばにお仕えしますならば、天(あま)つ神の御子(みこ)のお命は、雪が降り風が吹いてもびくともせず、 永久に岩のようにご無事でありましょうし、

この神話はやはり木花咲耶姫だけでは家は栄えないことを暗示している。
農作業するにしてもその当時でも今でもやはり力仕事になるから岩長姫のような人でないとできない、華奢な体ではできないのである。
そういうことで結婚して失敗している人もいるだろう。
ただ美人でかわいいだけで何もできない女性もいるだろう。
ただ一人の女性でこの二つを兼ね備えている人はいないのである。


ともかく自分のテーマの一つが花であり自分の花の世界を作り上げることである。
人間は必ず若いときからつづけていれば一つのライフワークをもつようになる。
花の世界はこれは本当に広い、世界の花を究めることはできない
この花マリーゴーマルドであり万寿菊というのも知らなかった。
いかに知らない花が多いかということである。菊の一種であり四季に咲く


フラワーアレジンメントはバックとか花瓶が意外と影響する、それは別々ではなく一つの作品として作る必要がある。
だから花瓶はそれなりに数を用意して花に合わせる、そして必ず写真にとっておく
この花は強い花だから長持ちするからいい、他の花は枯れやすいのが問題なのである。
菊は枯れにくいから墓に挿すのに向いていた。


フラワーアレンジメントはやはり自然の花をアレンジして第二の人工的な花のバラダイスを作ることである。その構想はあるが絵の才能があれば示せるのだができない
でも一つの花の世界を作り出すビジョンが描き出しある程度は実際の花で現実化できるだろう。

花の問題はいろいろな所で花を咲かせているが長く見れないことである。何度も見れないので心に残ることが少ない
花は最低でも一週間くらい見ていないと心に残らないのである。
自分は高山植物でも見て歩いたしそれからフラワーアレンジメントに目覚めたのは最近だった。
このフラワーアレンジメントは自分が作ったものではなく合作だった。
花を買ってきてくれた女性が基本的に作り自分が多少手を加えたのである。
タグ:万寿菊

2016年03月04日

人間の盲点は巨大なものが認識できない (人工物でも巨大化すると認識できなくなりそれが大きな災いになる)



人間の盲点は巨大なものが認識できない

(人工物でも巨大化すると認識できなくなりそれが大きな災いになる)



「問題の複雑さ > 人間の問題解決能力」

つまり、問題の複雑さが人智を超えたとき、問題は先送りにされ、積もり積もって、カタストロフィ(大破局)に至るのである。

便利さは複雑を生み、複雑は人智を超えて、いつか制御不能におちいる。それが道具というものなのだ。

 文明はなぜ滅ぶのか


あるインドの哲学者が言ったことを覚えている、ある漁村で小さな舟で魚とりしていた人たちが大きな船が来たことを知らなかったという
それは確かに来たのが認識できなかった。それは今まで見たこともないものでありそんな大きな船がこの世にあるということを知らなかったからだ
一方で小さな船は毎日使っているものでわかりきっている。
大きな船はそれはあたえないものだったのだ。もちろんそんなものが海に浮かび動くということも知り得なかった。
だからこそそんな大きな船は来たとしても幻のように一時見えてが脳裏から消え去った。その大きな船は実際はその漁村の人たちには存在しなかったのである。
来たとしても認識できなかったのである。


要するに人間は巨大なものは認識できない


「北の海の果てに大魚がいて、その名を鯤という。
鯤の大きさはいったい何千里あるか、見当もつかない。
あるとき突然鳥となって、その名を鵬という」という書き出しは有名で、
「大鵬の志が、小鳥などにわかるか」と続く。

これも中国的な例えである。あれだけ広大な大陸だから生れた思想である。
別に小鳥でなくても一般的に大きなもの巨大なものは認識できない、それはあらゆることでそうである。
実際は地球のことを知っている人は誰もいない、科学者も知らない、地球全体を知り得ようがないからだ。ただ一部分を探求しているにすぎない
だから地震とか津波とか巨大な動きをするものは人間は知りえようがない、予測もできないのである。
宇宙となればブチックホールとかなんとか言っても宇宙全体を知るものなどいない、ただ宇宙の一部分を知ったとしても全部は知り得ようがない、そこに人間の限界がある


そして大きなもの巨大なものというとき社会事象にもあてはまる、人間の社会の動きも巨大化するともう認識できない、だからグローバル経済になると誰もそれを理解できない
株価がどうなるかなど誰も知り得ようがなくなっている
そこで巨額の金が動いていてもその全容を知る人などいないのである。
だからこそ常に陰謀論になるのは陰で誰かが株式を支配して巨利を得ているとなる
それがユダヤ人だとか言う人がいてもそれも世界を支配できるのかとなる
これほど社会も世界的につながり巨大化するともう誰も認識できないのである。

人間は日々の生活の実感としてしか世界をとらえられない、だから一つのリンゴでもどこにしろ盗むとそれがなぜ大きな罪悪感をいだくようになるのか?
これも考えてみると不思議である。それはそのリンゴが金ではない、数字でもないということに由来しているのだ。
リンゴという一個の食べ物をとして認識できるから罪悪感をいだく
このリンゴを育てる人がいたとか、これを運んだ人がいるとか、売る人もいるとか、何かとその一個のリンゴを作るにも人間の手間がかかっているということを具体的に感じるからである


ところが金には紙幣にはいくらあってもそういうことが感じないのである。
一億円もしあったとしてもそれは紙きれであり数字であれば数字としてか認識できないのである。でも現実社会では金というほど力をもっているものはない
一万で人を殺したりすることでもわかる。今日食べるものがない、金がないとしたらそうする人が現実にいる。それほど金は大きな力をもっていることはみんな骨身にしみてわかっている
でもなぜか、金には実感としてリンゴ一つ得るために盗むとするような罪悪感がないのか例えば野菜は盗まれのが多い、一つ二つ盗まれるのが普通である。
でもその人はやはり罪悪感をいだく、それは具体的にその土地で手間をかけて育てた人がいるということが教えられなくても具体的にわかるからそうなる
その土地のことや人のことをイメージできるからそうなる、害を与えるということが具体的に認識できるからそうなる
人間は江戸時代あたりまでそうした具体的に認識できる世界で生きていたのだろう。
だから社会を理解することは別にむずかしい学問がなくても直観で理解していたのだろう

現代文明はもう誰もそうして直観で理解できるようなものではない、巨大化している故に社会自体が理解できないものとなっている
マクロ経済が役にたたないとかいうときそもそもマクロ的グローバルに経済を理解できる人などいないからである。
金にしても投資するにしても例えは田舎で畑を作っている人がいる、今度トマトを作るのでビニールハウスを買いたい、トマトとれたらくれるから金を貸して欲しいというとき金がどう動くか具体的にわかる、でも今の投資は金が世界的に動いている
それが一千万とかで投資してもどう動いているかなどわからないだろう
ましてや何百億の金が兆の金でも天文学的な金が動いている世界などわかりえようがない金が実感としてわからない世界なのである。
ただ不思議なのは金は使うとき実感としてわかる、何々をいくらで買った、食べ物ならうまかったとかこの車は買って良かった、いい車だったとなる。
金が実感としてわかるのは実際に金を使った時なのである。その時金の効用が実感としてわかる。
例え何百億円の金かあったとしてもそれは紙きれにすぎないのである。

文明でも科学でも巨大化すると理解できない、原発でもそれが巨大なるが故に理解できない、それは日々小舟で漁をしている人たちと同じである。
そこに大きな船がきてもその船のことが幻のようであり存在しなかったとなる
文明というのも巨大であるが故に認識できないから存在しないとまでなる
国家でもそれが巨大化すると国家ということを認識できない
国家の一員ということがわからない、村の一員ならそこで日々生活しているのだから言うまでもなくわかっている、それがだんだん規模が大きくなり村の一員から町の一員からさらに市の一員から県の一員となってゆくとだんだん所属意識も薄れ認識できなくなり抽象的なものとなってしまうのである。


人間はこの巨大なものを認識できなくなると大きな災いに見舞われる、原発事故でもそうであるし戦争などもそうである。
政治にしてもそれが巨大なるが故に認識できない、だからテレビでは政治家のゴシップなどが話題になり芸能人の不倫などが話題になる。
そういうものはわかりやすいし年配の女性に受けるしテレビは大勢をマスを相手にするから放送せざるを得ないとテレビ局の人が言っているというのもわかる
テレビを見ているのは年配の女性が一番多いからである。
大衆にこびなければマスメデアはやっていけないのである
ところがその背後で大きな重大な政治的問題はないがしろにされる、そしていつのまにか国民が戦争にまきこまれていて拒否できなくなっていたとかなる。


原発事故でもいろいろ事故があり問題があり指摘されていたがそれが大きな問題としてクローズアップされない、権力で隠されて安全神話が守られていたのである。
現代は巨大化した社会であり巨大なものに大衆は盲目にされる
大きなものを認識できないが故に大きな災いに見舞われる運命にある
もし一個のリンゴを盗むときのようにな罪悪感をいだくような社会だったらそんなことはありえないだろう。
ところが巨大化した社会では巨悪は隠され暴かれないのである。
何か株とかの世界でも百億円を不正に得たとしてもわからない、リンゴという物を一個を盗むことから考えればそれは死刑に値するものでも罪を認識できないのである。
巨悪はそれをしている本人も認識できない、悪いということを認識できない、
そのことが悪を認識できないことが怖いのである。大企業が本当は大犯罪を犯していてもそれが認識できないから糾弾もされないとなる
会社を罰することはできないとかそこに現代文明の大きな問題がある。
それがはじめて事故になったりしてし明るみにだされるがその時はすでに時遅しになっているのだ。


タグ:巨大なもの
posted by 天華 at 10:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2016年03月05日

北上川の春の短歌十首


北上川の春の短歌十首


義経堂満開の桜風にゆれ心騒ぎぬ夕べなるかも

みちのくに栄いの証し金色堂北上の流れ春の夕ぐる

北上の流れや夕べみちのくに都の跡や花の吹きちる

長々と北上の流れ尽きじかも岸辺に柳芽吹きけるかな

長々と蛇行し流る北上の岸辺波立つ春なりしかも

北上の岸辺の広く砂州歩む鳥はなになれ樹々の芽吹きぬ

盛岡の岸辺の狭く北上の流れて早し草萌ゆるかも

北上の流れやここいづこ蛇行しつつも砂州の広しも

北上の流れたどり春の風吹くも遠きや都の跡かな

はるけくもたなばし山の桜見て西行帰り都に伝えむ

北上の流れ下りて石巻東風吹きそよぎ海にいでるも

北上の流れそ遠く何運ぶ都の跡や春の夕ぐれ

北上の流れや春の月影の都の跡にさして遠しも




日本では長い川があってもその川のことを意識しにくい
外国だと川は運河であり船が運行しているから川を交通路として意識する
北上川は長い、これだけ長いとこの川全体を見ることができない
とぎれとぎれに見ているだけなのである。
たいがい川はそうなる、一つの川として知るには船で往き来すればできる
それができないから日本の川は長い川があっても川はただ水が流れているだけだとなる

タグ:北上川

元号の意味するもの (グローバル化して時代にそぐわなくなった)


元号の意味するもの

(グローバル化して時代にそぐわなくなった)

7割近くを占める西暦派が挙げた理由は「便利」がもっとも多かった。年数計算の起点がひとつなので,過去の出来事と現在との時間距離が簡単に分かる。創立 ?! 周年,祖父母の年齢,


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天平

宮城県遠田郡涌谷

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文禄


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慶長

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元禄ー相馬市新田

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元禄

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天保


天平 ( 729-749)
 - 雲はめぐり、雨はあまねく潤して、天下が平和に治まる。

大同 (806-810)- 君が事をなさんと決意し、すべてが賛同すれば、もとより事をなして吉。君ご自身は、心安らかに、身体すこやかに、子孫にまで吉は及ぶ。

貞観 (859-877)- 天地の道は節義を変えずに守り通すただしさによってしめしている。



慶長(1596-1615)

元禄 (1688-1704)

天明 (1781-1789)- 天下に安寧をもたらした帝王が取り次がんとして残された、天の明らかなる命の兆しを見る。また、天の明らかなる命を受けて、王者として天下の万民を有する。

天保(1830-1844)

明治(1868-1912)

大正(1912-1926)




時代をみるとき日本では元号でみる、この元号が意外と重要である。その元号から時代をイメージするからである。西暦の数字だとイメージしにくいことがある。

例えば津波があった年は今回の津波で重要だったことがわかった。そして大きな津波があったのは貞観津波でありこれは記録にも残されて多賀城での被害が記されている
そして最近ボーリング調査した結果貞観津波が来た地点の砂が掘り出されている。
それは相馬市でもかなり奥まで貞観津波の砂が今回の津波が来る何年か前に発見されていた。
そのことを自分は時事問題に書いていた。でもこのことに注目する人はほとんどなかったろう。
貞観津波というとあまりにも古いからそうなる。その貞観津波は古代に蝦夷征服の時でありそれ故京都と陸奥が結びついたことで記録されたのである。


天平大同貞観は陸奥と中央の政権が結びついた時代であり記憶されるからなじみがある。

天平産金遺跡は、宮城県遠田郡涌谷町の黄金山神社付近で、「天平」の文字瓦が出土している。

ここから黄金が産出して奈良の大仏に使用されたのである。

すめろぎの御世栄えんと東なる みちのく山に黄金花咲く

このとき陸奥は奈良時代、平安時代(京都)に知られる時代だった。ここから陸奥の歴史が日本史として記された。その前に蝦夷の歴史があったがそれは消滅したのである。


貞観時代の後は鎌倉時代とかになっているが元号でなじみがないし興味がない
その後元号で興味が出たのは慶長時代である。
この時代は慶長津波で有名になったがこの時は戦国時代であり江戸時代の支配が確立する前であり重要な時代だった。
でも今回の津波で大津波が襲った時代は一つの大きな時代の区切りとして意識された。
津波の前と後では別な時代のように意識されたのである。
特に東北の沿岸地帯ではそうなった。

ただグローバル化した結果元号はなじみがなくなった。何か違和感を感じる人が多くなった。
でも江戸時代までは元号が時代をみるには重要だった。自分は必ず古い碑を見るとき元号をみる、その元号によって時代がわかるからである。
この辺では東北では江戸時代の前の元号があるのはまれである。
慶長時代の墓が南相馬市鹿島区の屋形にある。はっきりと時代が記されている。
田中城主だった人の墓である。これが一番古い墓に思える。

それから元禄というと何をイメージするかというと日本が戦国時代が終わり社会が安定して繁栄した時代をイメージする、それで不思議だったのは葛尾村の落合に明暦と元禄と記された碑があった。
あそこになぜこんな古い碑があったのか謎である。葛尾村でも古い歴史をもっていると感心したのである。
それから新地には文禄の碑があった。新地は伊達領だから宮城県に伊達藩には相馬藩より古い碑があるから納得がいく。文禄と記されたのは検地をした記念だった。
そして元禄というと華やかな時代でありその時芭蕉が「奥の細道」を旅した時だったというのも不思議である。
奥の細道は中通りであったがすでに葛尾村に元禄の碑があるように元禄時代には地方でも相当に開墾されて栄えたことは確かである。
相馬市からも近い松川浦に面した新田にも元禄の碑があった。
ここに元禄の碑があったのもここが開拓された開かれたからである。でも元禄時代というどこの辺では古いから意外ということもある。
それでも元禄時代は地方でもそれだけ開墾開拓されて発展した時期なのである。
関西辺りでは元禄と記された墓が最近墓を継ぐ人がいなと捨てられていたのは驚いた。
この辺だったら文化財になっているからである。


元禄の後は文明が記憶に残る。これは全国的飢饉の時代であり相馬藩でも人口が三分の一に減ったことで有名でありそのあと越中などから移民がきて復興したのである。
だから相馬藩では天明という時代は重要である。
その天明が自分のすぐ近くの子供のとき遊んだ神社にあったことも驚いた。
すでにこの辺は天明時代から人が住み生活がありつづいていたのである。
自分の家は明治に父が移り住んだのでありそこまでの歴史はない、一般的に町内では他から移り住んだ人が多いが同級生但野氏は南北朝時代からつづいていたのには驚いた。
町内でもそれだけの歴史がある家があったことに驚いた。

それから天保という碑が自分の墓地にあった、それはそこが寺子屋だったらしからである天保というとすでに明治時代につづいている。天保に生れた人が30年くらいすぎて明治になっているからである。
だからここで錯覚していたのは天保は明治を基点としてふりかえると遠い時代ではないのである。時代というのは常に錯覚している
でも時代が重要なのは例えば明治以降ふりかえると明治生れと大正生れとかその後の昭和生れでも時代を明確に分ける

両親から祖父母の時代でありその前後を間違えることはないし身近なのである。
自分の父親は明治生れだから明治の人であり母親は大正生れである。
それを逆にふりかえる人はいない、ところが江戸時代でも時代をさかのぼるといつの時代なのか古い時代と新しい時代を錯覚することがある
どういうふうに時代を認識するかは百年単位になるくらいならいいが千年単位になると本当にむずかしい。
津波など大きな自然災害など何かその時代に歴史的事件があればそれでもって意識する。そういうものがないと時代は意識されにくいのである。

そして現代では元号は時代にそぐわなくなった。そもそも明治になっんたとき元号には無理が生じていた。武士の世でも天皇の世でもなくなった、平民の民主主義の世になったからである。元号は天皇支配の象徴でもあったからである。
もちろんそれが日本の伝統だからそれなりの意味が歴史的にあった。
でも今はもうこれだけグローバル化社会に生きているとき日常生活でも不便になった。
常に自分の生年月日を書類に書くとき昭和という元号と西暦がダブってこんがらがるからでしなる。

元号が何か時代にそぐわなくなったというとき「降る雪や明治は遠くなりにけり 草田男」というとき明治という時代は明確に一時代を築いた時代であり誰でもイメージしやすい、そしてその次の大正時代も明治のあとの何か革命の時代が終わった頽廃的なものを感じる
それより大正生れというとき今も90才以上でまだ親が生きている、だからまだ身近なのである。
自分の母親は去年、百歳で死んだのもそうである。母の一生は働きづめの一生だった。
若いときは紡績工場で原紡で糸取りでありあとは東京で女中をしていた
その頃の働き場所はそういうところだった。母が言うには現金収入になったから良かったとも言っていた。つまりその頃女性が現金収入を得る働き場ができたということでそう言っていたのである。
それから関東大地震を子供のとき感じて知っていた。そういう時代の人だった。


大正といってもまだ生きている人が相当いるし百歳まで生きる人も増えているから大正は過去のものではない、大正時代までは何か元号が活きていたと思う
昭和になると昭和天皇でありそれは戦前は二十年つづき戦後も長くつづいた。
でも昭和は明らかに戦前と戦後では連続性がないのである。
時代は戦前と戦後では全く変わってしまったからである。
だから年号はこの辺からそぐわなくなった。平成とかなってもこれは何なのだとみんなが思うようになった。
西暦の方がグローバル化社会ではあっている。歴史はもはや日本だけのものではない現実の生活で世界史の中でどこでも語られるようになっているからだ。



タグ:元号
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2016年03月06日

復興も他人まかせ避難民は何もしない (ボランティアも来なくなり帰るのは老人だけ)


復興も他人まかせ避難民は何もしない


(ボランティアも来なくなり帰るのは老人だけ)



シリア難民をみれば原発難民は楽である。シリア難民は生きるか死ぬかの選択を強いられて難民になった。
住むところは荒れ放題になり家も壊れて食糧も不足していつ殺されるかわからないという状態からやむなく脱出した。
それでも日本人でもお前ら自分の国は自分の国を守れ、戦いとか言っている。
自分の国を自分で守らないとしたら誰が守るんだとか言われる
日本だったら戦争であれだけ死んだように国があんなふうになったらやはり命懸けで今でも戦うということがあるだろう。
なぜあなたたちはそうしないで他国にみんな避難してくるのかとなる


一方で原発避難民は確かに放射能で故郷に住めなくなった被害も大きい
でも多額の補償金で他に住んで贅沢し遊び暮らしているのとは大違いである。
相馬市辺りに補償金で避難民が家を建て金のかかる歯を治療したとかなんとかあり
その人は東電を恨んでいないという、ある意味で得したと思っている
シリア難民だったら避難してもテント暮らしであり悲惨である
避難するにもすでに大勢海で死んでいる
シリア難民と比べるのも問題だが原発難民はあまりにも差が大きすぎるのである。
そして毎日パチンコ通いギャンブルであり遊び暮らしていたのである。


東日本大震災からまもなく5年です。福島県では、県外からのボランティアが震災直後に比べてわずか1.5%に減っていることが分かりました。

 福島第一原発から20キロ圏内の南相馬市小高地区は、避難準備区域が来月にも解除される見通しです。しかし、家屋や畑は震災直後から荒れたままになっていて、住民の帰還に向けて片付けなどに人手が必要な状況です。また、市が帰還を見込む5000人の住民の多くは高齢者だということです。


一時この辺でボランティアと地元の住民が原発避難民と喧嘩となった。
仮設暮らしの原発避難民はパチンコとか毎日遊んでいるので仕事しろとボランティアが言って喧嘩になったのである。
そのボランティアも激減して今困っているという。
それで小高が避難解除になるがまだボランティアの援助が必要だというがもうボランティアは来ない、そして帰るのが老人だけだとなるから余計にそうなる

何か仮設暮らしというのはかえって楽しいものになっていたのだ。
老人にとっては隣り合い長屋のようになっていつも会えるから特に女性にとってはいいものだったのである。
小高の鳩原村の山の方の人もそう言っていたし飯館村の人もそう言っていた。
そこは街から遠いし家が離れている、特に飯館村は広いが孤立したように家々があったからである。ただ自分はそれを家々が森につつまれるように一軒一軒あったから住むにはいいなと外から見ていたのである。
でも実際そこに住んでいる人は離ればなれになっているら嫌だったということもあった。毎日長屋のようなところで隣り合って暮らせる方がいいという一面があったのだ。
これは何か高齢化社会がどうあるべきか示唆している
老人は老人で集まって暮らしてた方がいいということがあった
ただそれも補償金をもらえていたからできたことである。
だからもっとこういう暮らしがつづいて補償金をもらいつづけたいとなったのである。


そして何か常にかわいそうだ、かわいそうだと外部からも言われ自分たちはかわいそうなんだということが当たり前になったのである。
でもそう言われたのは南相馬市では避難区域になった小高区の人たちであり他も避難区域になった人たちだけである。
他はかわいそうだなどボランディアは助けない、普通の暮らしをしていたのである。
かわいそうだかわいそうだと補償金はもらえるし一面いいことづくめだったとなる
だから自分たちは同情されるべきでありそれで自分が鹿島区の人は不満だと言ったら
嫌な顔していた。自分たちはひどいめにあっていると言っていた。
自分がその知り合いの女性にそう言ったとき当然かわいそうで大変ですねとか言われると思っていたからそうなった。
その人は鹿島区の議員にも支援されていたから鹿島区の人も応援しているのだと思っていたのである。
それで小高区の人たちが買い物しているから鹿島区の人は助かっているんだと言っていたそんな認識しかなかったことも驚きである。すでに5年もいてそうだったのである。
このずれは本当に大きいと思う、それだけ甘やかされたといえばそうである。


そうして今度は避難解除になり補償金ももらえないとか街が暗いとかなんとか文句を言い帰りたくないとかなった。
でも今度は復興住宅に住むにも家賃がかかる、これも結構かかるとなると土地と家があれば帰らざるをえない、ただ小高はこの辺と同じくらい放射線量が低い所が多いのである。自分の家も除染するが0、23以下は除染しない、自分の家はほんのわずかしか除染する所がなかった、小高でも0、2くらいのところが街内である。
飯館村は誰が見ても高いから住めるのかという疑問がある
だから小高の人たちは帰るべきだとみんな言っているのである。
相馬市でも補償金は何にももらえないから不満が大きい
そういう相馬市で避難区域から来た人が家を建てて何かぜいたくしているのも変なのである。相馬市の人も原発避難民には相当な不満がある
他でもそうであり特に津波の被害者で補償金などもらえない人も多いからそうなる


ただ現代社会は自由が基本にある、故郷であれなんであれそこに住みたくなければ住まないという選択ができる
あなたは何であれそこに住み続けなさいという責任もないし強制もできない
それでいち早く見切りをつけて土地を買って家を建てた人は賢いと言われる
特に老人になればめんどうな不便な所に住みたくないからである。
小高では住めるようにいろいろ準備した、病院も準備した。
でもまだまだたりない、小高病院は配管を直すために7億円もかかるという
その金を誰が出すのか?そんなこと小高の人は関心もないのである。
市か県か国がやってくれるとしかない、自分たちは一銭も出さない
それが当然だと思っているのだろう。


自分たちは国民年金しかもらっていない人が多いのだからもっと補償金をもらいたいと言って抗議している
自分たちは被害者でありこれからも補償されて当然だと思っている
それで外部からボランティアがいないなら自分たちで金を出してやらせろとも言う人がいた
そんな考えすらないだろう、パチンコして遊んでいるだけである。
要するになにもかも人まかせなのである。自ら汗を流すという一部はあってもほとんどないのである。
そして老人が多いからまたそうなりやすいのである。
それより若い人が見捨てたということは致命的なのかもしれない
老人だけでは復興できないだろう。


だから補償金があまりに手厚いことがかえって避難区域だったら外で家を建てるとかなりまた仮設でも補償金で暮らせるのがいいとか楽な方に傾いてしまった
それが被害者だから当然だとなり復興するにもボランティアであれ誰かがやってくれ
となった。
それよりすでに避難区域になった人は若い人は見捨てたのである。
老人が帰ったら若い人も徐々に帰ってくるというが帰って来ない
その逆だったら別である。つまり若い人が帰り復興に働きその後に老人が帰るのが順序だったのである。
そうなっていれば別に仮設でもそこで老人が楽にしていても良かったのである。
若い人が見捨てたのだからもう老人だけでは復興できなくなったのである。
だからデンデラ野のように老人だけが最後は細々として畑でも耕して暮らし見捨てられて死んでゆくとかなる、うば捨て山になる。
それはそれでデンデラ野でも仲間がそれなりに助け合いしてたとなる、そこで仲間と死ぬというのも選択である。
そうなると老人すら帰りたくないとなっているのである。


ともかシリア難民よりはどれだけましかしれないけどそれと比べることはできない
原発難民は被害者として特権階級になりそれが当然だとなってしまったのである。
今になって金がなくて困っていいるから金貸してれと福祉に来ているとかもおかしい。
十分な補償金をもらっているはずでありそれもギャンブルで使ったのかとなる
それでまた遊ぶ金がないから金が欲しいのかとなもなったら誰も貸したくないだろう。
一体補償金は何のためなのか復興のために払われたのか?
相馬市とか他に家を建てるためだったらそもそもそれが復興であり村とか町の復興のために使われたのではない、でもその個人にとってはそれが復興だったのである。
だから別に東電も恨んでいないとなる,家が普通だったら建てられないの建てられて贅沢もできたとなる、そして怖いのは結果的に原発事故はいいものだったとさえなる
その人にはそうであっても周りの人は被害が受けていることもどうでもいいとなる
もしシリア難民のように被害を受けたら絶対にそんなことにはならない
東電で政府でも恨んでテロにすらなったろう、そうなると原発再稼働などできない
命をかけて反対する人がいればできない、補償金がそうして原発被害地域を分断して
事故の責任を厳しく問わせなくしてしまったのである。


タグ:原発避難民
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2016年03月07日

死んだ人の霊が現れ体調不良? (先祖崇拝は偶像崇拝だから危険ー軽い供養にとどめるべき)


死んだ人の霊が現れ体調不良?

(先祖崇拝は偶像崇拝だから危険ー軽い供養にとどめるべき)

おばあちゃんが亡くなってから開けていない
タンスの前で、おばあちゃんが「ここの中にある物」を、必ず叔母に渡して欲しいと伝えてくるんです。

死んだ人がこういったということありうるのか?
自分の母が死ぬ前に一カ月前くらいに孫に金をやれと大声でその金額まで言ったことは本当に驚いた。
それは遺言であり例え書類化してなくても重いものとなった。
認知症になっていたからそういうふうに意識がはっきりして大声で言ったことに驚いた。あまり声も出ないほど衰弱していたところがあったからだ
だからそれだけの声を出したことに本当に驚いた
自分は孫に金はやらないと言っていたことがありそれは自分にも非があったのですぐに連絡して言われた金を49日の納骨する日に払ったのである。
どうしてか孫が49日の日に休みがとれたから来るというのも不思議だった。
だから人間の心は距離を越えても通じ合うということがある
人間にはともかくどうしてもわからない不思議がありそれで先祖がたたったとかいろいろそれで脅し商売する人もでてくる


それから不思議なのはカルマである。これも否定できない、家系のカルマとかその人のカルマは必ずある。
これも不可解なことが多いがやはり人は必ずカルマを背負っているのだ。
自分がなぜこの十年間苦しんだことが書いてきたがこれは自業自得だった。
たいがい何か悪いことが起きてくるのは自業自得である。
例えばなぜ犯罪にあうのだろうかとなるとこれも自業自得のところがあると思った。
犯罪に合うべくして合うということがある
それは先祖の霊のたたりでもなんでもない、自分がしてきた現世のことでカルマを背負ってそうなる。
自分は60まで母親に食事を出してもらっていたから介護するのは当然であった。
カルマとして今度は5年間とか食事を出し続けねばならなかった。
その間にいろいろ苦しい目にあったのも他人のせいではない、自業自得だった
自業自得というときこれは例外なく誰でもそうなるのである。


例えば不摂生した人は必ず60以降病気になりやすい、もちろん60代になるとなんらかほとんどの人が病気がでる
酒を飲み続けたりタバコをやりつづけたり何かそういう悪い習慣がたまりたまって60以降は必ず体に現れる、遺伝的なものがあり例外もあるが一般的に確率的になる
そういうカルマは現れてはじめてわかるのである。
どんな生き方をしてもカルマを生きていれば作り積み重ねているのである。
事業に失敗して借金した人もそうである。
借金はまさにカルマを積んだということなのである。
一番わかりやすいカルマでありそれは必ず支払うことを自らしない限り清算できない
それをそのカルマと関係ない他人に背負わすことができない
それを自分に背負わせようとしたからそのカルマはその人にさらに何倍にもなっしのしかかってくる。
自分で自分のカルマは清算する他ないのである。だってそれは自分自身のカルマだからである。
もし自分が母親の介護をまかせたりしたら自分のカルマを清算できないのである。
それだけ世話になったのだから自分がしないで他人に頼むとカルマはまた自分にのしかかってくるのである。
ただ人間は意外とこのカルマを軽くみているが本当はかなり怖いものなのである。
なぜあの人は事故にあったり何かと不幸なのかとなるとなんらかカルマが関係している
ただそれは先祖の霊とかとは関係ない、自分の生き方が一番関係してカルマを積んでいるのである。


人間は死んだ人はどうなっているのかわからない、だからほとんどの宗教は先祖崇拝になる。イースター島のアモイ像とか古代の像など先祖崇拝であり像化したのは先祖崇拝が多い、それだけ死者というものが何かわからないから人間の情として崇拝するようになった
檀家仏教は先祖崇拝として異常に死者を供養、祭祀するものに変化した

現代の檀家仏教は先祖崇拝である。異常に死者をおそれ拝んでいる、月命日とかもありそんなに供養しなければならないとかなる、友引にどうかなども今も活きている
供養はなかなか否定できない、何で供養しないのか親を思わないのか?
なんかこんな叱責をするようなことがあるがそもそも生きているとき親に何かしたのか?
介護もまともにする人もいないし死んでくれとか生きている時は普通に言っている。
そんな人がどうして死んだとたんに敬い畏れというのも変なのである。
そうなら生きているときこそ何かしてやるべきであり死んでからしても遅いのである。


宗教というとき何か今でも日本では伝統的に先祖崇拝である。仏教そのものがあれほど死者にこだわり死者を供養しつづけるのはそのためである。
親でも先祖でも神ではない、生きているときは欠陥の多い普通の人だったのである。
正直自分の母親にしても書いてきたが真面目な人でも欠陥が多かった。
それは誰でもそうなる、そういう人が死んで変るわけではないのである。
ともかく人間は何を礼拝するかが大問題である。
たいがい先祖崇拝でも偶像崇拝に陥る、つまり神ならざるもの拝んでいるのが普通であるだからこそ神はそもそも目に見えないものとして偶像崇拝を禁止したのである。
偶像崇拝は本当に危険であり宗教の最大の戒めが偶像崇拝の禁止なのである。
だからあれぼど狂気的にイスラム教が偶像を拒否しているのがわかる
それだけ人間は偶像崇拝に陥るのが普通でありそれが害を及ぼすのである。
神は妬む神であり神がそのことに一番怒るから怖いのである


宗教で一番守るべきことは偶像崇拝を拒否することである

ともかく供養と礼拝はまた違っている、供養は悪いことではない、それは必要なことなのだけどそれが何か度がすぎると礼拝になり死者の偶像崇拝になるから危険なのである。
それで霊が現れたから体調不良になったから霊媒師に頼んだとか女性は何かそうなりやすい、そういうとき霊媒師に金を払い支配されることになるからまた危険なのである。
でも何か女性は霊が現れたとき霊に感じてどうなったとか言う人が多いのである。
女性はなにか迷信的になりやすいしカルト宗教にはまりやすい
それで創価などは婦人部が力をもち選挙でも宗教活動としてしている
それは混同していようがそういう見分けもつかない、それは異常に先祖崇拝になるのともにているのである。それもやはりカルトの特徴なのである。
霊というのも何か見えないからわからない、そしてその霊によって奴隷にされる
霊がどうのこうのとか霊媒師であれ宗教家であれ御布施しろとかなんとかなる


死者の問題は葬式でもそのあともめんどうである。それは死者とどう向き合うかわからないからである。それは戦死者でもそうである。
不幸に事故で死んだ人でもいろいろありそういう死者とどう向き合うのかわからないからである。供養、礼拝でも何か混同してしまう。
死者には軽い供養にとどめるべきでありそれ以上礼拝したりすることは良くない
とをしてもそれが偶像崇拝になるから注意すべきなのである。

タグ:死者の霊

2016年03月08日

津波原発避難民の復興とは何なのか? (十津川村の北海道移住と比べる(2)


津波原発避難民の復興とは何なのか?


(十津川村の北海道移住と比べる(2)


十津川村

第一條(移住住民は、故郷を去り、親や兄弟と別れ、絶海の地に移住してきて、移住者同士しか頼れるものはいないのだから、これまでにも増して一致団結し、お互いに助け合い、猜疑や軋轢を生むことなく、新村の隆盛と勤王の由緒相続を目指そう。)
第二條 
(移住住民は、移住・開墾の費用として政府から破格の恩賜を受けたのだから、それぞれ五千坪の土地を開墾するまでは、他の仕事に従事してはいけない。但し、役所の許可を得た場合や、農閑期の場合はその限りではない。)

第三條 
(恩賜金及び、旧郷から受け継いだ共有金は、新村の基本財産となし、いかなる場合においてもこれを各自に分割して消費すべきものではない。但し、新村の共有財産の保護策が確立されるまでは、道庁に保護を依頼するものとする。)


これまでにも増して一致団結し、お互いに助け合い、猜疑や軋轢を生むことなく、新村の隆盛と勤王の由緒相続を目指そう。)

移住住民は、移住・開墾の費用として政府から破格の恩賜を受けたのだから

恩賜金及び、旧郷から受け継いだ共有金は、新村の基本財産となし、いかなる場合においてもこれを各自に分割して消費すべきものではない

原発避難民

原発補償金は当然に町民村民に支払われるべきものであり各自自由に使ってもいい
すなわちパチンコであれギャンブルであれ何に使っても買っても贅沢してもいい
それは町に村に与えられたのではない各人に与えられたものであるから

誰も一致協力して町であれ村であれ残る必要はない、補償金は各自自由に使い何を買おうが贅沢しようがいい、一致団結する必要もない、それは町や村ではなく各人に補償金として与えられたものだからである。
その補償金の土地なり家なりの財物補償は各人が東電政府に対してするものである。


このように十津川村とは正反対なのが原発避難民なのである。津波の被害地域もそうである。
市でも町でも村でも津波の被害でもう維持できなくなり若い人は流出する
援助はそれなりにあっても市町村を復興することのために一致してする力がない


復興復興と盛んに言うけどこれも変なのだけど相馬市に若い夫婦が新築の家を建て高額の歯の治療したり高級な車を買いパチンコとかギャンブルで遊び暮らしている。
これも全く十津川村とは正反対である。
十津川村は厳しい宗教的とも言える戒律を作り実行したのである。


十津川村

移住開拓は非常事態なのだから、一人一人が倹約に努め、以下の各項を堅く守ること。1,不急のものは購入しないこと。2,家屋の構造は質素堅牢のものとし、一切の装飾は施さないこと。3,家族以外に二人以上加わる会席・酒宴は行ってはならない。但し、新村の記念日大祭祝日はその限りではない。4,村内に飲食店を開いてはならない。5,衣服はなるべく木綿のものを用いること。)



原発避難民

毎日マグロの刺身だ、補償金が一カ月百万だよ、レクサスやハーレーダビッドソンも買ったのも多いな、新築の家も建てた、もう帰らないよ、
金はギャンブルに費やしている、やることないしな、あいつは400万競馬でもうかったとか言っていたな、、、、、、、


十津川村と比べることはできないにしろ何かこの辺の異常性が浮かび上がってこないか?

今復興というとき何が最も必要なのか?

十津川村

これまでにも増して一致団結し、お互いに助け合い、猜疑や軋轢を生むことなく、新村の隆盛と勤王の由緒相続を目指そう。


何か古い村であり誇りをもっていた。野馬追いとにてるかもしれない。
復興というときみんな津波の被害地でも原発被害地域でも避難した人たちは村とか町全体のことを考えている人は少ないだろう。
放射能汚染で住めないということもわかるが何か復興ということで一番欠けているのは十津川村のような心情なのかもしれない、一つにまとまって団結して復興するのだという気概もなにもない

かえって原発避難民だけが多額な補償金もらって得したな、ここはもらっても少ない、隣の市などなにももらっていない
避難民は福祉関係でも医療も無料、福祉サービスも優先的にされ無料、何かと細かい所まで補償金がもらえる
こっちは何ももらっていない、同じ市なのにこの差はなんなんだ、だから避難民とはこの辺ではつきあわないよ

こんなふうに猜疑と軋轢を生んだだけだとなる、それは福島県全体に及んでいるのだ
放射能の被害は中通りでもありほとんど補償金はもらっていないからである。

原発避難民

各人は補償金をもらったら各人がその金を利用して自由に使い復興しなさい


十津川村とは正反対になっている。こうなったらとても復興はできないのではないか?
各人は別にその補償金をもらって家を建てた人も多いしそれでかえって贅沢できた人も多い、しかしもう若い人は帰らないのである。
つまり十津川村とかは何か今では考えれらないような災害の前も一致協力した村だからできたのともともとそんな贅沢な生活などしていないからできた
今のように贅沢している時代はそんなことはできない
生活のレベルも落とせない、もう津波の被害にあった何もない所を復興するより他で一からはじめた方がいいとなるのもわかる
その当時とは事情が違うからそんなことより補償金もらえる人はその金で他に移った方がいいとなる
かえって郡山市で暮らしたけどこっちの生活の方が楽しい、もう川内村には飯館村には帰りたくないという人も多くなっているだろう。
もちろん帰りたい人はいても問題は町とか村全体を復興しようとする気持がないことである。
そういう考えが起こらないことなのである。各人は思っていても町全体とか村全体で思う人はいない
でも今問題になっているのはその市町村全体を協力一致して復興させなければ帰れない住めないという現実なのである。
そのために十津川村のように何かしら犠牲も強いられるし苦労を耐える覚悟が必要になるのである。
何かそういうこともなく、ただ補償金をこれからももらって暮らせればいい、後は市であれ県であれ国であれボランティアがやるべきだ、みんな老人が多いのだからとても復興のために働くこともできないからだ。

要するに復興というとき何か復興なのか?それがはっきりしないのである。
各人が移住して復興した人も多いしそしたら荒廃した町や村を復興させる必要もないとなる
その人たちはすでに復興したからもう町や村の復興など関係ないからである。
そう割り切って土地が高くなる前に他に土地を買って家を建てた人はかえって賢いとされたのである。
もちろん十津川村ではそんなことはできないから強いられてそうなったともなる
だから比べることができないのだがやはり復興とは何なのかと考えるとき参考になる
つまり何が一番欠けているのかがここから見えてこないか?

一致協力する気持がすでになくなっていることなのである。苦労しても一致協力して復興させる気持がない、そんなことも強いられないとしたら当然もう市長村を捨てて新しい場所に移り復興した方がいいとなる
時代が違うのだから比べようがないとしても何が復興に一番欠けているのかはここから見えてこないか?
誰も苦労はしたくない、老人が多いんだから特にそうである、補償金もらって他の場所に移りやりなおす、復興しよう、すでに新築の家も建てぜいたくもできた。
もうそれで復興したのだからこれ以上被害地域とはかかわらない、人ともかかわらない
問題はもっと補償金をもらいつづけることしか交渉することしか町や村の役割はない
特に原発避難区域ではそうである。
復興復興というけどそれが何なのか?それが前にも書いたけどはっきりして復興に努力する、その目的に何もない、ただ復興復興ということだけを叫んでいるだけなのである。
要するに復興とは原発避難民だったらもっと補償金をあげろくれとなるのかもしれない、極端だけどそこにしぼられる
それは現代の社会を象徴したものでありやはり十津川村のような時代とはあまりに違ってしまったからだともなる





タグ:復興とは
posted by 天華 at 20:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連