2016年02月28日

東電の勝俣元会長ら旧経営陣3人、強制起訴へ (巨悪は見えないがいづれ暴かれる)


東電の勝俣元会長ら旧経営陣3人、強制起訴へ

(巨悪は見えないがいづれ暴かれる)


再処理の事業化が進まなくて放置されてたプルサーマル利権を掘り起こして、自治体に60億円ばら撒き。 
 国内で再処理できないプルサーマル燃料をも全国にばら撒いた。 
 渡部恒三の甥である福島県知事の佐藤雄平 ( 元ミンス参議院議員 ) は、 
 2010年8月プルサーマル導入について、福島第1での受け入れを決定。 
 60億円の 「 核燃料サイクル交付金 」 が交付された。 
そして、福島第一原子力発電所3号機は 2010年10月26日よりプルサーマル燃料での運用を開始した。 

◆プルサーマル受け入れ自治体へ、交付金復活(2010年1月31日 読売新聞) 

 資源エネルギー庁は31日、使用済み核燃料を再処理して使うプルサーマル計画に関し、 
 計画を受け入れた自治体に対する交付金を復活する方針を明らかにした。 
 原子力発電所の地元で同計画を受け入れた自治体への交付金は、 
 国が2006年度に「核燃料サイクル交付金」を新設し、 
 1原発あたり60億円を限度に交付していたが、08年度末に打ち切られた。 


勝俣の娘婿で傀儡とはいえ、清水はコストカッターという謳い文句で 
東電の運営コストを削減しまくった(という触れ込み)で個人的な手柄と利益を享受し得えたのだから 
十分に責任をとる理由にはなると思うけどね    


 渡部恒三の甥である福島県知事の佐藤雄平 ( 元ミンス参議院議員 )


 勝俣の娘婿で傀儡とはいえ、清水はコストカッターという謳い文句で 
東電の運営コストを削減しまくった(という触れ込み)で個人的な手柄と利益を享受し得えたのだから 
十分に責任をとる理由にはなると思うけどね    


縁故が権力が作るというのはもうさけられずあった。その弊害が今回の原発事故にもあった。
渡部恒三の責任も相当に重いものではないか?福島県の政界を牛耳っていたのであり福島のマスコミも支配できるような大きな権力をもっていた。
ただ原発事故前はそれがわからないから福島県にとって渡辺恒三は英雄のような存在ではなかったか?
この人の責任も相当に重いと思うけどあまり取り上げられないのな何故なのだろう。
まずマスコミなどは二つの雑誌が福島県から出ているけど「福島財界」「東北政経」でもそうしたことはとりあげていないということはやはり渡辺恒三は福島県では隠然たる大きな権力をもっていたのである。
だから自分の甥を知事にすることもできたのである。
それは勝俣でも同じである。清水とは縁戚関係でありそこで権力をもつという人事が事故を生む原因でもあった。
いろいろな原因があったが縁故というのも何か民主主義をゆがめる。それが大事故になったとき明るみにでる。
何もないときは権力者は威張っているし逆らえないのである。そこに権力の怖さがある。
どうして権力が作られてゆくのか?
世襲もあるし縁故もある、だから巨大集団でも宗教団体でも会長の息子が会長になるというとき権力を継承するというとき問題になる
その息子が別に実力があるわけではないからだ。
この世の中は何か常に権力によって操作されている、それはカルト宗教団体でもそうでありいかに権力を操作して力をもつかということを考えて行動している
権力にかかわる人間は政治家でも何でも悪役に見えないか?宗教団体でもそのトップは悪役である。ただそういう人を崇めるのはなぜなのか?
それは御利益を得られるからだとなる、いろいろ得なことがあるからそうなる
「俺についてくれば、地位も金もやるぞ」となるからそうなる、それはカルト宗教団体でも同じなのである。宗教の教えではなくその権力にひかれてそうなっている。
「お前を教えてやる、お前は俺のようにすべてを捨てて乞食になって修行しろ」
こういったとき誰がついてくるだろうか?みんな去ってしまうだろう。


だから今の宗教団体はほとんどカルトであり信じられない危険な存在なのである。
人事でも地位を抜擢されたりとそういうことは常に昔からあった。
そうした権力者に人はすりよる、マスコミでもそうである。反権力のポーズはしても東電から宣伝費をもらっていたから同じだったのである。
だから常に反権力の立場に立つことが報道でもそうであり正義を追及すればそうなる
権力の圧力の下で作られるものは常に警戒が必要だし権力者は常に民衆によって監視されねばならない存在なのが民主主義なのである。
そうした権力が無害ならいい、今回のような巨大な害悪をもたらすから監視が必要だった福島県でもすでに渡辺恒三派によって政界は牛耳られていたしマスコミもそうである。
政治家は悪役になりやすいのである。それは大きな利害と関係するからである。
その大きな利害のために安全はないがしろにされるていた。
そして地元の人もその大きな利害のために原発は安全だと信じさせられたのである。


ただ自分もそうだったが人間というのは自分の身近なことには敏感である。
小高の人は補償金をもらっていいとか批判してきたのでもそうである。
他でも避難区域にされて故郷に住めなくなって仮設に住んでいる人を回りの人がうらやむのは身近な毎日見ている存在だからである。
一方で巨悪は見えにくい、巨悪はかえって善のように見えるのである。
リンゴ一つ盗むと罪悪感に悩まされるが巨悪はその本人がたずさわっていても意識できないことがある。
最初に原発を誘致しようとした読売の正力松太郎でも首相の中曽根でも渡辺恒三でも英雄視されていたことでもわかる。大きな功績ある人としてされていたのである。
今でも原発の前に誘致した人の銅像が立っている所があることでもわかる。
事故が起きない限りそうなっていたのである。


でも巨悪は事故であれなんであれ時間がたてば暴かれる運命にある。
創価であれカルト宗教団体もいづれは必ず断罪される、その前に会長が死んで分裂したりする、幸福の科学などでも夫婦が離婚して遺産争いになるのとにている。
残された権力を我が物にしようとして争いが起きる。
だからそもそも宗教なら権力を残さないとなるのがいい、何も残らない無一物として消えるのが理想なのである。粗末な庵くらいを残して死ぬのが理想だとなる
そんなものを誰も得ようともしないからである。
自分もこういうことを実際は知らなかった。人間は金や遺産であれ財産であれ死に物狂いになる。借金で首が回らない人が自分の財産をねらってきたし現実に犯罪にもあり大損害を受けた。自分がその標的になったのである。金のために殺すのは普通にある。
動機が借金なのが多いのも金のためである。そういう人が来たことが最大の危険だったのである。
自分がどんな状態なのかなど関係ない、病気も何も関係ない、金をとればいしかなくなっていたからである。追い詰められた人間はみんなそうなるのである。


誰か善人か悪人かなどその時代を生きている本人には常にわからない、一時代がすぎて善人が悪人になり悪人が善人になったり評価が変わるのである。
それは権力が変わり権力を喪失すると批判されやすくなるからである。
権力をもっているときマスコミでも何でも従うのが得策である。一旦権力を喪失したら今度は叩くのである。それが人間社会である。
原発事故はそうした権力者を低くしたのである。高きものが卑くくされるというときそこにはやはり神の力が働いたともなる
とても人間の力ではそんな巨悪を暴くことができないからである。
でもいづれは巨悪も暴かれるということである。
posted by 老鶯 at 11:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連