2016年02月17日

「百歳の間」「蠟梅の間」 (家に残りやすい個々人の記憶)


「百歳の間」「蠟梅の間」

(家に残りやすい個々人の記憶)

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我が一人母を介護せし部屋にあり春の日さしてなおいるごとし

我が母を介護せし部屋あわれかな蠟梅静か朝日さしにき

我が家になお北風のうなりつつ手伝いの女今日も来たりぬ

菊の花今日も咲きつつ母の亡きあとし守りぬ我なりしかも


母が死んでからまだ二カ月ほどだから何かまだいる感じがする、こういうのは理屈ではない、特に自分が介護した部屋にいるような気配を感じるのである。
こういう点病院とか施設には個々人の記憶が残らない、世話する人も個々人が死ねば忘れてしまうだろう。
そんな人がいたのかとなる、家とはやはり記憶が継続する場所として意味があった。
空間もあるのだがそれには時間軸としてある空間なのである。
子供から孫から曾孫とかそこには継続する時間があって家がある。
家は今は空家が膨大に増えたように継続されないのだけど家にはそこで暮らした人の記憶が残る、何かそこには死んでもまだいるような感覚になる。


今回の母の死は5年間この部屋で介護したし姉とは違っていた。
姉は家では寝ていない、突然脳出血で倒れて病院で死んだ。
認知症になっても体は普通だったから寝ていないから体は介護していなかった。
ただ精神的な介護だったのである。
姉が死んでから震災になり原発事故になり自分の病気とかわたわたしてゆっくり偲べなかった。
今回はゆっくりと死んだ後も偲んでいる、そういう余裕がある。


要するに介護から看取りからそのあとの供養とかは継続しているのである。
だから理想は家で介護して看取り死ぬのがいい、病院とか施設にはそうした時間の継続がない。記憶が継続されないのである。そして個々に部屋をもっていてもそこで暮らしたことが記憶として残りにくいのである。
家だと死んでもその人のことが記憶としてまだ残っていて偲ぶことができる
家とは記憶を保存するという機能ももっていたのである。
人間は記憶がなくなることも死なのである。何らか記憶が残っている内は死者も生きているのである。
家であれ故郷とかその土地のことは継続なのである。故郷とは過去の先祖の記憶が刻まれた場所である。
だからこの辺で故郷から離れるるとそうした記憶が保存できない、過去は忘れられてしまうということは死者も忘れられてしまうことになる。
そこにまた原発で故郷を離れることの捨てられることの大きな問題があった。


、、、、の間というのはその人を思い出す場である。やはり5年間介護したからここが母を思い出す場となる、介護というのはしているときは嫌でも死んでみるとそのことが思い出になるというのも不思議である。
人間は何でも思い出となってしまう。介護など思い出になるのかというとやはりなる。
その時は嫌でも終わってみると何でも嫌なことすら思い出となる。
死んだら二度と会えないということもその思い出が貴重となる
そこにまた介護のむずかしさがある。認知症を介護したりすると死んでからも思い出したくないという人も多い、だから認知症は悲惨なのである。
人間は嫌なことは思い出したくないとういこともある、それはみんなにある。
こうして母を思い出しているのは介護が自分にとってはそれぼと辛いものでもなかったからかもしれない、ただこの回想することには何か美化されることがある
終わってしまえば苦しみもないから過去は甘美なものとなる
それで江戸時代とかが美化されたり甘美なものとして追想してきたがその時代に生きたものはやはり地獄があった。それが終わり過去となったとき甘美なものとして追想することになるのである。
時が過ぎればなつかしくなるのが人間である。
死んだ人は何か苦労もかけないしただ甘美なものとしてふりかえる、そして良い面だけを回想するということもある、そこに過去は美化されるのである。
生きていれば悪い面が生々しく見えるけど死ぬと見えなくなるということがある


ともかくまだ死んで二カ月だから記憶がまだ生々しい、母は二月に生れて12月に死んだ
冬の女性である、その生涯もそうだった。
生きているときはあまり母のことは思わなかったが死んで思う人もいる
生きているときから死んでも延々と思っている人もいる。
自分はそれほど家族に執着するたちではないのかもしれない、でもなんか姉が死んで8年過ぎてしまったのは本当に驚きだった。
そんなに早く過ぎてしまったのかと思う、その間一周忌もなにもしていない、忙しくてできなかった。
だから一周忌はまとめて一緒に供養したいと思っている
今日は墓に母の名前を刻む、これでだいたい死後の整理は終わりになるだろう。
ともかく人間は死んで終わりにはならないのである。