2016年02月13日

原発避難民の甘い (小高区の避難解除が近づき優遇された過去をふりかえる)


原発避難民の甘い

(小高区の避難解除が近づき原発避難民の優遇された過去をふりかえる)


この辺で小高の人で避難して仮設に入っている人が多い。でも知っている人がその回りの人が何を思っているか全然知らなかったのが意外だった。
それで鹿島区では補償金で不満で裁判を起こしてこともある
小高の人はいたりつくせりで補償されてきた。一人十万ということではない、あらゆる細部まで福祉でも小高は特別扱いであり優先されてきたのである。
全部無料でありそれだけではない何かするにも優先されていたのである。
もちろん避難して町に住めないという被害は大きいものである
では避難して仮設に住んで苦しかったかとなると全然そういうことがなかった。
多少はあったにしても補償金をもらい遊んで暮らしていたのである。
そして外部からはボランティアが何かとかわいそうな人たちとして支援されてきたのである。


だから何か自分たちは特別かわいそうなのだから支援されるべきだ同情されるべきだとなってしまった。
自分たちは弱者だ,弱者は当然保護され支援されるべきだとなりそれが当然だとなってしまった。
それで自分が鹿島区の人の本音を言ったら何か不快な嫌な顔したのである。
その人は鹿島区の議員にも支援されていたから鹿島区の人も同情して支援していると思っていたのである。
確かに表立って原発の避難民を批判しにくいからイワキでは落書きになったり車を傷つけるとかなった。この辺ではそういうことはない、だから余計に何にも感じないとなってしまったのだろう。
そしてずうずうしく国民年金しかもらえない人が多いからもっと長く援助されるべきだとテレビで主張したのである。
そんなこと言ったら国民年金しかもらえない人などいくらでもいる。その不公平は何なのだとなる、そうしたら原発避難民になったらどれだけ得だったとかともなる
それは原発はいいものだったとなってしまうのである。
現実原発避難民ではそう思っている人は少なからずいる
もしもっと苦しんでいたらこれは原発を憎み政府を東電を憎みテロにもなったろうと言われた。
飯館村の人が牛を飼いなくなってテロも辞さないと最初は言っていた。
今は補償金をもらいどういう気持なのかわからない、そのくらいだったら原発に強烈に反対するから政府でももう原発を再稼働できなくなっていたかもしれない、それが補償があまりにも手厚いのでかえって良かったとなれば原発を肯定までするようになる

あと一カ月くらいで避難解除になるからそれで困って不安になっている人もでてきた。
原発避難民は避難してもそれほど困らなかった。かえって遊んでいるのがギャンブルだけしていて心が荒廃したということもある。
何か仕事させてくれということもあった。それは贅沢な悩みだった。
別にそう言っても仕事はしないし仕事でも簡単にはできないだろう。
何か原発避難民が自分たちだけはかわいそうであり支援されるべきだということが当然となってしまったことである。
弱者をいたわらない人は今の世の中では避難される、でもまた弱者が本当に弱者なのかというと疑問になる、多額の補償金をもらって遊んで暮らしている人が弱者なのかとなる
普通だったら個々人が苦しんでいても誰も同情もしない、介護などで苦しんでいる人がいても誰も助けたりしない、そして心中した家族がいたがただそれを冷たく見ている人が語っていた。どうにもならなかったねとか何か冷たく見放して見ていたのである。

自分も震災の前から介護とか自分の病気で苦しんできた。でも一切同情はない、かえって借金している人が病気のとき脅迫してきたり犯罪にあったりさんざんな目にあったのである。
そんなとき津波があり原発事故にあった。その時避難してきた仮設に入った人はいつも外から来る人でも支援されてきたのである。
最初の内はしか、たないにしても三年くらいすぎたら回りのことも感じるべきだったろう回りに何が起きているから全く関心がない、自分たちはかわいそうな人たちであり同情されるべきであり支援されるべきだということしかなかったのである。
周りの人でも苦しんでいる人はいたがそんなこは何にも関係ない
まず自分たちがどれほど被害を受けたかそれが最優先の課題となってしまっていたのである。
でも聞いてみるとかえって楽しい仮設暮らしだったのである。狭い部屋でも隣近所が長屋のようになり親しくなり女性なども何の苦しみもなかったのである。
男性も毎日パチンコ屋通いとかギャンブルでありそんな人たちが何で苦しいのか支援されるべきなのかわからないとなった


この辺では津波で家族を失った人たちもいるしその人たちはまた原発避難民とは違っている。その人たちは原発避難民に対してやはり補償金をもらえるということで不満なのである。
でも自分にしても震災前らかその後も介護だ自分の病気だと苦しんできた、自分には一切同情も支援もなっかのである。ただその弱者となったことで脅迫されたり犯罪にあったのである。火事場泥棒にもあった。避難民も確かに家を荒らされたりはした、でも自分の方がずっとひどい目にあったと思っている、それも今は自分のカルマだとは思っている
そして避難解除になり今になってなんとか働くところがないかとか聞いてくるのも虫がいいとなる
5年間あなたたちは同情され支援され楽しい日々過ごした、遊び暮らせた、もういい加減にしてくれ、またこれからもかわいそうだと同情されつづけ特別待遇されたいのか?
その負荷は南相馬市民とか福島県民とか日本国民にかかる。
補償金をもらったのは避難民が一番でありあとは30キロ圏ないだけどあとは相馬市になると何ももらっていないのである。
中通りでも被害もあったが何の補償もないのである。
だから南相馬市の行政にも問題があった。南相馬市民として共通に補償金でも政府や東電と交渉ひべきだったのである。

せめて南相馬市では福祉だけでも避難民と同じくすべきだった

そのことすら差別されてきたのである。それはわずかな金である、こうして南相馬市の一体感はなくなり心は分断されたのである。
もちろん小高には避難民には避難民の言い分がある。
それなりに菜の花の油を作るとかいろいろ努力している人もいるから一がいには言えない総じてそうなっしまったということである。
それは金のことでもない、自分は別に金には困っていない、福祉などでも差別されたこと公平でないことの不満なのである。
それは明らかに市政の問題であり市長も何にも手を打たないことの不満だったのである。
この後遺症は南相馬市民として一つになり協力しえなくさせたのである。
だから避難解除されたあとでもこれから南相馬市民として小高の人でも一緒に協力しえないことが起きてくる
浪江町とか飯館村の人も入ってきているがその人たちとまた小高の人たちは別である。
それは南相馬市民となっていることにあったのである。同じ南相馬市民なのに差別されるのかとなったからである。 
つまり南相馬市として合併したことは互いに協力しあうということで合併したのにかえって前のように三つに分断されてしまったのである。



タグ:原発避難民
posted by 老鶯 at 16:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連