2016年02月12日

世界同時株安に翻弄されて不安になるのはなぜ? (見通しがたたない、空間的にも時間的にもー紙幣は紙屑になり数字でありゼロになる)


世界同時株安に翻弄されて不安になるのはなぜ?

(見通しがたたない、空間的にも時間的にもー紙幣は紙屑になり数字でありゼロになる)


今日は真っ暗な道を自転車で帰ってきた。そして何かにつまづいたりなれた道でもずいぶんそれてしまった。
でも道は知っているから迷うということはない、自転車は暗いと迷いやすい、それで地元でないと迷ったときあせった。そこが全くどこなのかわからなくなった。
皆目検討もつかなくなることがあった。その時はパニックになる。
でも地元でこうして暗闇でつまづいたりてもあせることがない、なぜならその行く先ははっきりわかっているし必ず帰れるということはわかっているから途中でつまづいてもあせらない、いくら闇がおおっていても安心しているのである。


暗闇でも先の見通しがたっている、行く先がわかっていればあせらない、なぜ人は不安にかられるのか?
もし地元でないと先の見通しが全くつかなくなる、暗闇では余計にそうなる
そうなるとあせるし不安が増大する、パニックになる。
つまり地元では暗闇でもすでに心の中で道筋がはっきり見えているのである。
だからあせらないし急ぐこともないし安心で暗闇の中でも帰って行ける


世界同時株安と株がこれからどのくらい下がるのだろうとか、何か不安になるのは先の見通しがたたないから不安になる、こんなことは今までも良くあることだしまた株は下がったら上がるもんだよと誰も確信して言えないし先の見通しが言えない
それでみんな不安になり世界が不安心理におおわれるのである。
現代のグローバル社会は具体的なものとしてとらえられない世界に生きている
未だに自分の金融資産がどれくらいあるのか具体的にわからない、それはなぜなのかというと数字になっているからわからないのである。
数字だと抽象的であり具体性がないのである。
これまでは現物で経済を計っていたのである。給料も米高で相馬藩だったら六万石であり給料も米高で何石とりの侍とかなっていた。
こういう経済はわかりやすいのである。米で計られ米で一俵とかで計られる経済である。だから蔵に米が俵につめて置いておけば安心だとなる
まさに実物経済だった、それは江戸時代まで金は流通していても基本的には実物経済だったのである

金融というのはグローバル社会では数字で動いている、実物経済ではないのである。
だから世界が数字化して動いているからそこに落とし穴がある。
数字としての紙幣と現実に動いている実物が動いている世界とは違うのである。
世界が数字によって操作される、マネーゲームになる。
もちろん原油安が株安の原因とされる時、原油は世界の経済を動かすマネーである。
それは米と同じである。でもそれがマネー化するとき紙幣となり数字化した世界となる
だから現実の実物の世界として反映した経済ではないのである。
つまり現実の実物経済と金融化したグローバル経済のマネーゲームは違ったものなのである。
江戸時代などは社会がこんなに複雑化していない、実物経済がベースだからわかりやすい社会である。
人間の関係もやりとりもわかりやすいのである。
何かこうした架空化した数字化したマネーゲームのようなことをしているのは本来の経済ではない、経済とは経世済民から来ている、右から左へ巨額の数字化した金を動かすのが本来の経済ではないのである。
アベノミックスとか黒田氏の金融政策でもうまくいかないのは実物の経済と離れたものとして金融があるようになった。それは世界的にそうである。


奇妙なことだが現代のグローバル経済では何億もってようが安心を得られない、なぜならそれはあくまでも金といっても紙であり、数字にすぎないからである。紙だったら紙屑になるし数字は簡単にゼロになるからである
紙幣という金がそれほど信頼される富かというとそうでもない
だから大金持ちでも現代では不安をもっている
金がたまったら土地を買えということはそのことである。
自分の母も戦前に前の夫が事故で死んだとき一生暮らせる補償金をもらった。
でも実際は戦争になりその紙幣は紙屑になったのである。
残ったのはわずかに買った何反かの土地だけだった
原発事故でこの辺では避難区域から移り住んだ人が増えた
その時土地が求められた、補償金で家を建てるにも最初に土地が必要になる
それでこの辺では土地が三倍くらいに高くなったのである。
金はまさに紙屑となり数字はゼロとなる恐怖があるからみんな不安なのである。
これだけ豊でも不安を解消できない、それもまた皮肉な矛盾した現象である。


いづれにしろ人間は暗闇でおおわれるとき見通しがつかないからパニックになる
地震でも津波でも夜起きたらさらに被害者が増えた、そういうとき見通しがたたないから逃げることもできなくなる、津波から避難するときもあの道を行って坂を上って高台に逃れればいいと頭に入っていれば見通しがついていれば助かりやすい
でもそういう見通しがないとパニックになり迷うのである。
釜石で子供が津波から逃れられたのは避難訓練していてどう逃げるか道筋をわかっていたからである。それは自分が自転車で暗闇を帰れるのもその道筋が暗くても頭の中でわかっているからである。見通しがたっているからなのだ。

なぜまた現代はあらゆることで不安が増大するのか?それは情報過多ということもあるしマスコミもまた不安をあおる、週刊誌でも不安をあおる記事を書くと売れる
いいことばかり書いていると人はその記事も読まないのである。
「大きな地震がまもなく来る」と書けばみんな恐怖して読む
「もう百年は大きな地震は来ない、津波も来ない」と書けばあまり読まないのである。
なぜなら百年後となるともうみんな死んでいるからである。


いづれにしろこの世から不安をとりさることはできない、この世の終わり来るというのも真実である。むしろそのことを受け入れて来世を待ち望めばかえって見通しがたって安心だとなる、ジタバタしてもどうしようもない、来世なら天国なら永遠の安心があるが
この世にある限り不安から解放されることはない、それが人間のカルマであり生きることだとなる、実際は安心なのに安心でないとあおりそれで金を手ばなさない、消費しないというのも本当だろう。
今の世の中金がなければ老人を相手にするものもいない、子供すら頼りにならないとなると余計に金をためて使わないとなる
そして確かに人間の寿命は本人にもわからない、すると不測の事態が必ず起きる、その時金がないと困るとなり老人はためて使わないとなる
経済でもグローバル社会は世界的不安におとしいれる、それが怖いのは世界恐慌から戦争になったからである。グローバル経済はグローバルな戦争を引き起こすから怖いのである

こうした人間の不安心理を利用するものもいる、カルト宗教団体などがそうであり人を不安にして壺を買わせたとか商売にしたものもあった。
仏教でも安心立命とかというたとを言うから安心とかは宗教に帰依しないとないかのかもしれない、それはカルト宗教団体でもそうである。莫大な金をもっているからである。
自分もまた株に頼ったりしているからお前もそうじゃないかということもある。
では一体どこに安心があるのかとなる
それは金という紙幣なら確実に紙屑になるということは確率的に今は大きい、数字がゼロとなり全財産を失うことはありうる、では何か安心なのかとなると皮肉というか矛盾だけど自給自足的な生活に安心かあったとも逆説的にはなる
なぜならグローバル経済など関係ない、外から何も入ってこなくても一応生活できるようになっていたからである。
もちろん原発事故で空気も水も森林も汚されたらもう自給自足もなにもない、住めなくなったら何に頼るのかとなるとこの辺では補償金になってしまったのである。
飯館村の人が野菜など作り自給していたが金に頼るようになったら不安になったというのも象徴的だったのである。




posted by 老鶯 at 21:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題