2016年02月09日

電動自転車でも軽量化を目指しているが限界がある (科学技術には限界をあること提示すべきー原発事故も起きたのもそのため)



電動自転車でも軽量化を目指しているが限界がある

(科学技術には限界をあること提示すべきー原発事故も起きたのもそのため)


技術が何を追及して目指しているか?それは別に理系でなくても文系でもわかるものがある
小型化であり軽量化である。それはあらゆる分野で追及されてきた。
パソコンでも最終的ははスマホとかにまで小型化され軽量化された
軽量化することは何か技術でもわかりやすいのだ。原子力などはわからないがこうした日常使用するものはわかりやすい、その一つに自転車もあった。
チタンとか他にも軽量化して早くしている。
最近ヤマハから新製品として出たヤマハのYPJ-Rはロードであり電動自転車で15キロしか重さがないのに驚く、今までは20キロが限度だからである。
それより5キロも軽量化しているのである。その代わりバッテリーが2、5Aというのは少なすぎる
これで電動自転車なのかという疑問があり坂を上れるのかという疑問があり買うのを躊躇する


ヤマハのPAS Brace XLは23、5キロであり重い、これに乗ったけど戦車のように頑丈である、これはマウテンバイクだった。
悪路を馬力があるからどこまでも上った、本当にこれは電動自転車のマウテンバイクだった。電動自転車で馬力があるから悪路でも使える、これを人力だととても乗れない、どんりて悪路でも馬力があるから乗れる
そしてこの電動自転車はずっしりと重く安定しているけど軽快な乗り心地がない
だから電動自転車のマウテンバイクであり普通の道だとまるで軽快さがなく嫌になった
つくづく自転車は百台あると百台が乗り心地が違うことが不思議なのである。


電動自転車は技術的には軽量化を志向せざるをえなくなりヤマハのYPJ-Rが生れた。
これは見た感じもロードであり乗っても軽快だろう。
でも2、5Aではこれが電動自転車なのだろうか?平地がいいとして長い坂を上ったらバッテリーがきれるしこれは付属的にパッテリーをつけただけではないか?
長距離だと12Aは必要になるからである、予備必要になってくる。
だからこれはロードでありかえってバッテリーなしで走れるものとして作ったとすると電動自転車の意味がなくなる
だから買うことを躊躇するし高い、25万とかは本当に高い、自転車好きならこのくらいは出すかもしれないがこれを買ってもロードとして利用するようになくかもしれない
ロードで8キロの買ったのはいいがあまりにもタイヤが細いとかで危険を感じた
もう少し頑丈でないと危険であるが見た限りではヤマハのYPJ-Rは頑丈そうである。


何か技術改良では軽量化が問題になる、どこまで軽量化できるかが課題である。
電動自転車もそういう軽量化を目指すようになったのだが何か技術の限界が来ているのか?バッテリーを軽量化しても2、5Aは少なすぎる、だからこれが電動自転車なのかという疑問がでる
結局技術開発でも軽量化でも限界がくるのだろう。飛行機でも軽量化が課題で素材で軽くするのだがどこかで限界が来る
要する技術は苦手でも軽量化することが目的とするのはわかりやすいとなる
技術は常に科学はバラ色の未来を提示してきた。
それは科学技術改革に限界がないということで信仰にまでなってきた。
でも技術でも科学でもどうしても限界がある、そして限界を提示すべきではないか?
なぜなら不老長寿とか癌は直るとか何かそういうことが先行してそれを大衆も信じるからである。
stap細胞というのもそうだった、そんなものができるのかとその時自分も科学にうとく信じたのである。日本も凄いなとその時喜んだのである。
それは実際はできないものだったのである。
そこにも科学の限界があった。


だから科学者は技術者はその限界を提示することこそが役目だともなる
科学技術に限界はないとするとき原子力にも限界がない、事故は科学技術が未熟だから起きたのであり将来は原発は事故を起こせないようにできるとなる
今でもそういうことを科学者も大衆も信じている
科学技術には限界がありその限界を提示することも科学者の役目であるがそういうことをしない、またそれは経済でも言える、経済は無限に発展する、成長するという資本主義の思想にも限界があるということを提示しにくいのである。
そういう限界論を言うと反発される、どこまでも発展成長するというのが大衆にも受けるそれをまた大衆も望む、でもそういうことをしないとどうなるのか?
地球の環境は破壊されるし資本主義もまた恐慌が襲い世界が大混乱になる
第二次世界大戦も何かそうした経済的恐慌がありドイツでは失業者があふれ戦争に突入したと言われる


人間には何か限界がある、経済成長でも抑えるべきだというのは受けない、無限に発展成長してゆくのだという幻想に人間は憑かれているのである。
それは天まで届くバベルの塔を建てる、そして一挙に神の怒りによって崩壊するのであるそれが原発事故でもあったのだ。
資本主義は限界が来て崩壊する、科学技術も原発事故のように技術の限界があり大事故になり崩壊する、人間の成すことには限界があるということを認識させるのも科学者の勤めである。
原発はそういう科学者でもわかっていて操作していないからこそ起きたのである。
そして火を盗んだプロメテウスのように過酷な罰を受けた。
イカロスのように急降下して墜落した。やはり神の怒りがそこにあった
それはプロトニウムの毒がこの辺で二万年も消えないという過酷な罰だったのである。

タグ:技術の限界
posted by 老鶯 at 21:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連