2016年02月08日

春の蝶(抽象画)



春の蝶(抽象画)

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芽吹き
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春野


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抽象画でもやはり具象画がベースにある
これは蝶のようだと思い蝶にしあげる
これは意図的に具象画的にしたのである。

抽象画は何か作るのに疲れることがある
何度もソフトを操作することで疲れる
それで嫌になることがある

それでもしているのはなにかしら創作的なところがあるからである
花とか蝶はテーマとして作ってきた。
そういうものをまとめる時期にきている
タグ:春の蝶

老人は金があっても消費する力がない (消費は今は生産的なものになっている)


老人は金があっても消費する力がない

(消費は今は生産的なものになっている)


老人が金を持っていても使わないから不景気になるとか良く言われる。アイナス金利政策も貯金しても金利がマイナスになったりするからなんとか金を使わせよう、投資させようとする政策なのだろう。
ではなぜ老人は金を使わないのか?そもそも老人は何に金を使うのかとなる
自分も老人の一人だとすると最近買ったものが有効に使えないのである。
自転車からビデオで撮ろうとして最小のビデオカメラを買った。これも前していたから今度はいいカメラでしようとした。
でもビデオカメラ自体使いこなすのがめんどうなのである。
二十年から三十年前にも自分はいち早くビデオカメラを使っていた
それは今と違ってもつだけ重いものでありデジタルではなかった。
これもとってみたがビデオカメラは使いにくい、編集にしてもあまりにもめんどうなのでやめた
人間は買っても使えないのが結構多いのである。特に老人になると道具を買っても使えこなせないのが多くなってくる。

自転車のロードなどはもどんなものかと試しに買ったがたいして乗らずに終わった。
自転車旅行とかをはじめたのは40代であり遅かったこともある。
それまでは鉄道の旅だったのである。それから海外旅行は50代でありそれも遅かった。
そんなことをしているうちに時間は過ぎて今の年になった。
人間は何かをする時間がつくづく限られていてないことを痛切に感じた。
遊ぶ時間すら限られていて意外とできない、まずビデオの動画の編集など相当に時間を食う手間のかかるものだから使えこなすことは若いときでも大変な労力が必要になる


老人が消費しないというとき消費できないのである。消費というときただ消費するのではない、ビデオカメラを買ったらそれを使いこなすとなるとそれ自体もう消費ではない、遊びでも生産的消費なのである。パソコンを使いこなすこともそうである。
こういうのはもう消費とは言えない、生産的消費となっているのが現代である。
ただ金を使って浪費しているだけではないかとはならない、そうしたものビデオカメラでも自転車でもすでに使いこなすこと自体が生産的消費となっているのが現代である。
フラワーアレンジメントをするにもこれも手間であり確かに花を買うと高いがそれを利用して使いこなすことがまたむずかしいのである。
常に消費は生産的消費、創造的消費と結びついている。


旅でもこれも消費だけではない、旅は見聞を広めることであり多様な自然や文化にふれることである。だから実際は相当に集中しないと旅でもあとで何も残らないだろう。
旅もふりかえればそれなりに労力が必要であり生産的消費になる
現代は遊ぶこと自体が一つの生産的消費でありそれなりに手間と労力がかかるものであるだから旅すら年取るとめんどうになりしたくなくなるのである。
もちろん厚い本なども読めなくなる。意外は本がこんなに読めないものかと驚く
本は確かに山積みになっているがどれだけその内容を読んだかとなるわずかになってしまう。
つくづく人間のやれることは本当に限られている、そのうち時間切れで終わるのである。これしかできなかったのかとふりかえり終わる


老人は金があってもその金も使いきれない、それを何に使うのか?孫にその遺産を残して使わせるとかなってしまう。
そして最近の世界経済を見ると世界的になぜこんなに経済が低迷してきたのか?
なぜ原油安になっているのか?そもそも原油安ということはありえないことだった。
資本主義は今資金も膨大に余っている、原油も余っている。その使い道がないということで老人ともにている。
余った金がどこに流れるのか、中国のような巨大な発展する国もないからますます金もあまり石油もあまってくるのである。


だから現代の資本主義がもう発展する国もないから投資する国もないから停滞してくる。何か大きなもうけをだす国もないし発明もないのだろう。
何か飽和状態になりゆきづまっている。資本主義を維持するものがなくなってきている。そうなるとどうなるのか?資本主義は社会主義的要素が強くなるかもしれない、格差が大きいというとき全体の経済発展でもグローバル的にも無理がきているというとき金をどこに回せばいいかといったらそれは格差解消となると金のない貧乏人に回せとなる
それは福祉的政策でありそれも批判されてきて民主党では経済発展できない、不景気になるとして経団連の指示する自民党に変わりアベノミックスで株価をあげたのである。
それもゆきづまっているのは世界経済の影響がある。
世界全体が経済成長する資本主義が限界にきているからそうなる
全体の成長を先にしてそさから下々に金が回すというやり方がうまくいかなくなっている銀行だって有望な成長する投資先がないからこそ金をもっていても有効に働かないのである。

そして老人が金をもっているというときなぜ使わないかとなると生産的消費する力がないことと老後が長くなっているから将来の不安のために貯蓄していて使わないのである。
老後というときあと十年くらいで終わりだなとなれば意外と金の見通しがつく、これがあと二十年もつづき自分のように国民年金だとすると金が確実になくなり下流老人化するという恐怖になるから金を使わずに貯金するようになる
老人が金が使うのは結局病気と介護に最期は使いなくなる。
なぜこんなに薬屋が多いのか?この辺でも病院が街の中心でありその回りに薬局をとりまいているのである。
つまりそれだけ老人が医療に金を使い国でも使うからそうなっている
何か社会が歪(いびつ)になっているのである。


介護はそれなりに意味があっても生産的ではない、子供だったら若い人だったら健康な人だったら料理して出したらみんな食べるけど介護される人はうまそうにも食べない、いやいやながらやっと食べている、そういうものを見ていると料理する方もやりがいがないのである。うまいうまいと食べてくれればやりがいもあるがそれもないのである。
もう老人は介護状態になったら食べ物すら消費できないのである。
でも別に介護状態にならないなら何か自分は旅しないから最近いろんなレストランに回って食べている。
この辺ではいろいろないにしろそれなりに味も違い雰囲気も違う。
この辺ではレストランなどは外部の人が多いから結構繁盛している
老人でも意外とこうした料理には金を払う人が多いかもしれない、食べる楽しみが意外と介護状態にならない限りかえって金をかけることがある
病気とかにならないためにも料理が大事になってくる。すると食べ物に気をつけるうよになる、特に野菜はなるべく肉類などより食べるようにしているのが老人なのである。



タグ:老人の消費