2016年02月06日

原発で潤った町の所得をみる (までいな村を志向した飯館村がこれからの指針となる)


原発で潤った町の所得をみる

(までいな村を志向した飯館村がこれからの指針となる)



福島県内市町村一人当たり家計所得(2000年) 

原発城下町 
大熊町 342万円 
富岡町 336万円 
双葉町 326万円 

城下町とは呼べない周辺地域 
浪江町 288万円
小高町 271万円(
飯館村 225万円 ←城下町より約100万円低い! 

県の中枢都市 
福島市 323万円(備考:県庁所在地ゆえに優良企業多し)  
郡山市 312万円(備考:別名「経済県都」) 
いわき 297万円(備考:東北第一の工業都市)    



原発の影響が明確に数字的に現れている。浪江町はやはり一段落ちている。
それから小高町はそれなりに恩恵があったのか?
はっきりしているのは飯館村は原発の恩恵を全く受けていなかったのである。
飯館村は第一原発からは遠いから働きにも行けないだろう
その点大内村は原発が見える地点にあり三分の一が原発で働いていたから恩恵があった。辺鄙な村でもそれなりに収入があったのかとなる
飯館村は原発の恩恵を受けてなかったしまでいな村として村作りをしていたのである。
だから今回の一番の被害者は飯館村だったともなる
補償金問題を別にすればそうなる、原発の恩恵は何ら受けていなかったからである。


そもそも原発とともに発展しようとする標語をかかげていた双葉町とはまでいな村という標語をかかげていたのとは正反対であった。飯館牛の村でもあったが飯館村は昔のように農林業中心の村だったともなる
飯館村には街があってもあそこにはスーパーでも昔の万屋みたいで小さいし品物が少ない今の生活ではあれではたりないから車で川俣とか原町に買い物に来ているだろう。
それから歯医者もパチンコ屋もない、小さな診療所はある。
今の時代にこういう村に住むのは嫌だろう。自分の町はそれからするとスーパーでも一軒あるしそれなりのものがある。
ただ隣が市になっているから車で近いから不便とはなっていないのだ。

なかなか遠くなると地理がわかりにくい、飯館村は浜通りでも阿武隈高原地帯にあり隔絶されている。飯館村とか丸森は江戸時代は森林資源が豊富でありそれでどちらにも木材をめぐって争いがあったように資源があった村である。
そもそも森林はもともと相当な資源でありその資源をめぐって入会権で村と村が対立してそれに加担して戦国時代の戦争に発展したという見方もある
それだけ森林資源は当時は大事なものだった。なぜなら木材は建築だけではない、炭の燃料となっていたからである。石油と同じ働きをしていたのである。
それは戦後まもなくも十年くらいは全国に森林鉄道が網の目のようにめぐらされて木材や石などを積み出していたのである。
戦国時代から江戸時代の延長として戦後十年くらいまで同じだったのである。
地方は東京へとかの資源を供給するものとして栄えたのである。
常磐炭鉱も石炭を積み出すために常磐線がしかれたのである。
そういう経済は地方が自立していて地方は地方でその財源をまかなうことができた。
そういう時代は東京の人に限界集落は無駄だとか地方は東京から税金をむしりとって暮らしているとか言われないですんだのである。

村の財源の70%以上が地方交付税等の外部からのものだ。 
村長、村議会議員、村役場職員の給与以外にも、 
村内の特別養護老人ホームの運営費→従業員の給与 
公共工事→村内の土建業者 

村の財源の70%以上が地方交付税等の外部からのものだ。 
村長、村議会議員、村役場職員の給与以外にも、 
村内の特別養護老人ホームの運営費→従業員の給与 
公共工事→村内の土建業者 

という形で住民に恩恵を及ぼしている。 


その後地方は公共事業で高度成長の恩恵に欲した。道路を作りダムを作りそれが地方の土木建築関係をうるおして波及効果があった。その時田中角栄の日本列島改造論が生れたのである。田中首相自体が建築土建屋だったのである。
原発も一つの公共事業だったのかもしれない、なぜならその時加藤建材の社長となった人が真野川の砂利ふるいをしていたのだがその砂を原発建設地に運び大会社になったというのもそれだけ原発は浜通りを経済的に潤したとなる
津波原発事故以後この辺は建設ラッシュになっているからまた建築土木関係は潤っている復興といっても今度は廃炉事業に頼るとか未だに原発頼りだとなる


さらにグローバル経済になった結果ますます地方の自立性は失われ巨大な経済にまきこまれてゆくようになった。
原発は別に電気を供給するだけではない、何か軍事用としてアメリカに要請されてあるとか電気のために是非必要とするものでもない、原発は先進国の象徴として技術を誇示するためにあるともなる
現実に最近石油が安くなっていることでもわかる
石油がこんなに余っているのかということにも驚く、石油がたりない、高いということは言われつづけてきたからである。石油が売れなくて困るというのが理解できないのであるそれで自分は石油の資源国に投資して失敗したのである。
石油は十分にまだたりていたとするとなぜ危険な原発が必要なのかと疑問になるからだ。
いづれにしろ飯館村のまでいな村作りというのは文明へのアンチテーゼとなっていた。
そういう趣旨に賛同して若者でも貧乏暮らしする人はいた。
そこでは様々なものがたりないのだけど足りないことに貧しいことに価値を見いだすという生活を志向していたのである。浪江のダッシュ村とかもそうだろう
そういう人たちは今までも存在したがあまりにも少数なので変わりものとなって要するにテレビのネタにされるだけのものだったのである。
でもそういう生活でも極端だから山尾三省のようにパンが贅沢だとまではしなくてもなんらか今の生活を見直すことが現実的にこの辺では迫られたのである。
大熊町の人は蝋燭でもいいから家族一緒に暮らすのがいいと原発事故で極端な志向になったのである。

自分が接した人でも個々人でも過剰な富を求めていた。借金してまで豪邸を建てるとか事業をして失敗しているのに成功を装い豊かな暮らしをしているとか一人一人を見ても何か金もないのに借金してまで豊かな生活をしていた。
そういう限りない欲望を追及する生活は限界にきているしせう経済は日本でも世界でも成長しない、となると生活のレベルを一段階くらい落とさねばならない、
パンを食べるのが贅沢とはいかなくてもそういうのは今の生活から三段階くらい下になるからせめて一段階から二段階くらいまで落とす生活がすでに強いられているのである。
それでも十分豊かでありもう高度成長のようなことは日本で起こらない、

「めでたさも 中くらいなり おらが春」 小林一茶

何かいろいろ追及してゆくと中道がいいとなる、中道というのは仏教から生れた思想である。とても山尾三省とか戦前のような極貧にはなりたくないが今の経済生活は過剰な富を求めすぎたのである。それが原発をももたらした原因なのである。

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極端になると実践できないが中道になると実行しやすい
それでも人間の欲望をおさえることはむずかしいのだ



posted by 老鶯 at 17:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連