2016年02月17日

「百歳の間」「蠟梅の間」 (家に残りやすい個々人の記憶)


「百歳の間」「蠟梅の間」

(家に残りやすい個々人の記憶)

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我が一人母を介護せし部屋にあり春の日さしてなおいるごとし

我が母を介護せし部屋あわれかな蠟梅静か朝日さしにき

我が家になお北風のうなりつつ手伝いの女今日も来たりぬ

菊の花今日も咲きつつ母の亡きあとし守りぬ我なりしかも


母が死んでからまだ二カ月ほどだから何かまだいる感じがする、こういうのは理屈ではない、特に自分が介護した部屋にいるような気配を感じるのである。
こういう点病院とか施設には個々人の記憶が残らない、世話する人も個々人が死ねば忘れてしまうだろう。
そんな人がいたのかとなる、家とはやはり記憶が継続する場所として意味があった。
空間もあるのだがそれには時間軸としてある空間なのである。
子供から孫から曾孫とかそこには継続する時間があって家がある。
家は今は空家が膨大に増えたように継続されないのだけど家にはそこで暮らした人の記憶が残る、何かそこには死んでもまだいるような感覚になる。


今回の母の死は5年間この部屋で介護したし姉とは違っていた。
姉は家では寝ていない、突然脳出血で倒れて病院で死んだ。
認知症になっても体は普通だったから寝ていないから体は介護していなかった。
ただ精神的な介護だったのである。
姉が死んでから震災になり原発事故になり自分の病気とかわたわたしてゆっくり偲べなかった。
今回はゆっくりと死んだ後も偲んでいる、そういう余裕がある。


要するに介護から看取りからそのあとの供養とかは継続しているのである。
だから理想は家で介護して看取り死ぬのがいい、病院とか施設にはそうした時間の継続がない。記憶が継続されないのである。そして個々に部屋をもっていてもそこで暮らしたことが記憶として残りにくいのである。
家だと死んでもその人のことが記憶としてまだ残っていて偲ぶことができる
家とは記憶を保存するという機能ももっていたのである。
人間は記憶がなくなることも死なのである。何らか記憶が残っている内は死者も生きているのである。
家であれ故郷とかその土地のことは継続なのである。故郷とは過去の先祖の記憶が刻まれた場所である。
だからこの辺で故郷から離れるるとそうした記憶が保存できない、過去は忘れられてしまうということは死者も忘れられてしまうことになる。
そこにまた原発で故郷を離れることの捨てられることの大きな問題があった。


、、、、の間というのはその人を思い出す場である。やはり5年間介護したからここが母を思い出す場となる、介護というのはしているときは嫌でも死んでみるとそのことが思い出になるというのも不思議である。
人間は何でも思い出となってしまう。介護など思い出になるのかというとやはりなる。
その時は嫌でも終わってみると何でも嫌なことすら思い出となる。
死んだら二度と会えないということもその思い出が貴重となる
そこにまた介護のむずかしさがある。認知症を介護したりすると死んでからも思い出したくないという人も多い、だから認知症は悲惨なのである。
人間は嫌なことは思い出したくないとういこともある、それはみんなにある。
こうして母を思い出しているのは介護が自分にとってはそれぼと辛いものでもなかったからかもしれない、ただこの回想することには何か美化されることがある
終わってしまえば苦しみもないから過去は甘美なものとなる
それで江戸時代とかが美化されたり甘美なものとして追想してきたがその時代に生きたものはやはり地獄があった。それが終わり過去となったとき甘美なものとして追想することになるのである。
時が過ぎればなつかしくなるのが人間である。
死んだ人は何か苦労もかけないしただ甘美なものとしてふりかえる、そして良い面だけを回想するということもある、そこに過去は美化されるのである。
生きていれば悪い面が生々しく見えるけど死ぬと見えなくなるということがある


ともかくまだ死んで二カ月だから記憶がまだ生々しい、母は二月に生れて12月に死んだ
冬の女性である、その生涯もそうだった。
生きているときはあまり母のことは思わなかったが死んで思う人もいる
生きているときから死んでも延々と思っている人もいる。
自分はそれほど家族に執着するたちではないのかもしれない、でもなんか姉が死んで8年過ぎてしまったのは本当に驚きだった。
そんなに早く過ぎてしまったのかと思う、その間一周忌もなにもしていない、忙しくてできなかった。
だから一周忌はまとめて一緒に供養したいと思っている
今日は墓に母の名前を刻む、これでだいたい死後の整理は終わりになるだろう。
ともかく人間は死んで終わりにはならないのである。





2016年02月18日

THERE WILL BE BLOOD 『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(2007年)「野心が信仰と出会う時」の批評


THERE WILL BE BLOOD

『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(2007年)「野心が信仰と出会う時」の批評


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膨大な土地を所有する貧しい人たちからたかだか数千ドルで買い取り、そこから湧き出てくる石油はどれだけ出てこようが土地の元の持ち主には一切分配しないというのが石油王の考えです

この作中の序盤に1人だけ自分の欲を抑制し、世間的に妥当な取り分を十分理解できる賢い青年が出てきます。その青年は石油王に500ドルで石油がたんまりとれる土地の情報を売ってあげると持ちかけるんです


 パイプライン建設のために、イーライの宗派の洗礼を受けることを要求されるプレインビュー。しかしその場で「私は罪人(sinner)。私は子どもを見捨てた」と叫ばされる。


 そのインチキ宗教家に「わたしは罪人です」とパイプライン建設のために懺悔させられるエグい場面がひとつのヤマなんだけど、あれもビジネスのためなら宗教さえも道具として利用するって感じじゃなくて、過去に何らかのタブーを冒しているとしたら、本気で懺悔させられていることになるんじゃないか。しかも、インチキ宗教家にそれを強要されるんだから、苦痛もさらに倍になるんじゃないだろうか。



この映画のテーマは何だったのか?石油がテーマにしてもそこに宗教がかかわっていたことで興味をもった。
石油を掘りあてるためには貪欲の限りを尽くすのが石油王である。
そのためには土地を手に入れる必要があった。その土地をもっていたのが貧しい人たちでありイーライの宗派だった。
その若き牧師はインチキ宗教家だった、石油のある土地を買うために石油王は懺悔させられた。その屈辱が最後にそのインチキ宗教家を殺すことになりドラマは終わった。

「野心が信仰と出会う時」という原作がありこれを映画化した。
この映画は宗教もテーマにしている。それで最初わかりにくいものがあった。
石油のある土地を石油王が手に入れるために若いインチキ宗教家にいやいやながら公衆の面前で懺悔させられた。
それも石油をとるためにはしかたないと甘んじた。
一方インチキ宗教家はそれで勝利したように公衆の前で自分をアピールした。
この若い牧師がインチキ宗教家だと石油王は奇跡を演出したときから見抜いていたのだ。
ここには宗教と実業というテーマがある。石油王は石油のようにどろどろとした欲望にまみれていた。
一方宗教家もきれいこどを言ってもインチキであった。
何かこれは一般的に今のカルト宗教団体にあてはまるから興味をもった。
創価などがそうである。それだけではない一般的に今宗教というとき何かうさん臭いものとなっている。
宗教はきれいごとを言っても中は石油のようにどろどろの欲にまみれているのだ。
もちろん宗教というのは世俗にある限りそういう宿命から逃れることができなかった。
それが現代になると特にそうなった。ほとんどの宗教がカルト化したのである。

創価でも政治と実業に経済に深くかかわる、大成建設が仕事を欲しくて創価の会員に一部なっていたというのは本当である。
大切建設の社員宅が座談会の活動の場として提供されていたからである。
それは石油をとるために土地が欲しくてしかたなく仮りにインチキ宗教に入った石油王と同じである。創価の場合はもともと宗教というより政治家実業を目指していたから何の抵抗もない、懺悔なども関係ない、石油を手に入れればいいなるしそこで金も入ればいいとなる。その人が回心するとか懺悔とかは関係ないからやりやすいとなる
創価とはすでにビジネスであり企業化しているからである。それは幸福の科学なども同じである。宗教がビジネス化して実業化している。だから幸福になるためにもうけることだとなるからにけいるわけである。
そのために毎日祈っているとなると宗教が実業化した団体であり利益を追及する会社と同じだとなる
幸福の科学の主催者が大川教祖が妻と離婚して巨額の遺産でもめているのもそのたとである。
すでに欲にまみれてそうなっているのである。それはカルト宗教団体ならみんな同じなのである。

この映画の最後で若インチキ宗教家は石油王に殺される、金がなくなり石油王に要求した石油王はそれを断り懺悔さけられた屈辱をはらすために殺した。
つまりインチキ宗教家は最後はどろどろした欲望の塊りの石油王に金を要求して頼ったのである。どっちにしろ宗教も金だとなる最後の結末である。
結局金なくしては宗教もその団体も成り立たない、金とは石油でもある。
実は宗教すら金に支配されているというときそれは陰謀論で必ず言われる、ユダヤが金融で世界をあやつっているとかなんとか常に言われている。
でも実際はそんな力をもつことができるのか?それよりサタンがこの世を支配している、闇の力がこの世を支配しているという聖書に書いてある。
そのサタンとは何なのか?それは人間に内在する限りない欲望なのである。

欲望があるから欲望に操られる、それは宗教でもそうでありあらゆるものがそうである。原発事故もそうして人間の深い欲望に操られた結果だったことを書いてきた。
人間の欲望を否定するのが宗教だけと実際はそうしたら誰も支持しないし会員など増えない、欲望を肯定してこそこの世で増殖できるし力をもつことができるからである。
だからカルト宗教団体ではむしろあらゆる欲望を是認しているしむしろその欲望を満たせる、拡大させられることが信仰になる。それは結局すでにこの世と同じ世界でありそこに宗教は一切ない、ただ欲望を満たすためのものしかない、つまり石油王もインチキ宗教家も同列だっのである。
世界はまさにどろどろした石油という富に金にのみこまれているのだ。
そういう自分も石油がとれる国がいいと投資したのも同じじゃないかとなる
いづれにしろ人間はこの世の世界と実業の世界に生きているのだから逃れることはできないのである
石油なしで生活できるのか?電気なしで生活できるのか?とか常に言われるがそれは金なくして生活できるのかという問いとも同じである。
宗教がまたなぜこれほど偽善的になるのか?それはあまりにも現実の世界とかけはなれているからである。キリストやシャカの教えを実行することとはかけはなれているからそうなる、現実はどろどろした石油のように最後はその欲望が地下から噴出してくる。
どろどろした石油の欲望にのみこまれてしまうのが現実である。

インターネット時代になると過去の映画も見れるしいろいろい紹介されて批評される
インターネット時代は批評の時代である。
こんな映画があったのかとその種類にも驚くし本でもそうである。それをアマゾンでボタン一つ押せば手に入れることができる
これは便利である。だから今は仙台に行って本を買う必要もないから一年もまた行っていないけど不便を感じないのである。
そして他人が批評したものを読んでDVDを買ったりする、「心の青雲」の著者は映画批評していてこんな映画があったのかと
結構買っている。映画批評家にもなれる人である。
いろんな批評がインターネットでしやすいからそうなる、20世紀はまた映画の時代だった
ただ映画もテレビと同じで何か読み解くことが結構むずかしい
それでも厚い小説を読むより楽だから見るのである。外国の映画は何か日本のより深いテーマを追及している
今回は宗教ということで関心をもったのである。




タグ:石油と宗教

2016年02月19日

紅梅(新しい相馬市の市庁舎が建つ前で話した)


紅梅(新しい相馬市の市庁舎が建つ前で話した)


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紅梅や日立木過ぎて相馬市へ

紅梅やほのぼのと赤い有田焼

梅をまた開きそめるや六号線

春の日や買い物楽し街に来る

我が買いぬ茶碗二つや春の色

五本松浜街道や春の月

石三つ我が庭狭く春の月


相馬市で新しい市庁舎を建てる工事をしていた。そこに一人の年配の女性が立っていた。

「ここもやはり他と同じような建物になるのか」
「和風の建物」
「入母屋作りの屋根の建物、市民会館から道の駅でも建物が統一されているから
相馬市はなんか落ち着くのでいいんだよ」
「相馬市は建物ばかり良くていいことないよ」
「そうですか」
「私は原町の方が好きだよ、相馬市よりにぎわっているよ」

そんなことを立ち話した。相馬市と原町の相違は前にもいろいろ書いてきた。
地元の人ならわかるが外から来た人はわからないだろう。
相馬市は公共的な建物はみんな入母屋作りの建物にしているから統一感があり落ち着くし城下町らしいとなる
それと高いビルがないのが落ち着いた感覚になる。
街作りのことを考えるとやはり高い建物が立つと景観が乱されるのだ
京都でも古い町屋の前に高層のマンションができていたがそれが高いからおおいかぶさるような圧迫を感じたのである。
それは外から見てもそうなのである。高いビルがあると自然も映えないのである。
城下町というとき城下町には天守閣かあり城が町の中心にあり一番目立っていたのであるたいがい二階すらなく平屋であるから当然城が一番目立っていたのである。
大坂城でもそうであり今はビルに囲まれているから目立たない、ただ石垣だけが幾重にも取り囲んでいるからその石垣に感嘆する。
そもそも今になるとなぜ城はあんなに小さいのだろうかとなる。
ビル一つにもならないほど小さいということである。

いづれにしろ人間は自分の住んでいるところがいいという人はいない、何かしら不満であり外から見ていいと思っていても内部に住んでいる人はいいと思っていない
倉敷でも蔵ばっかりで嫌だとか言っていたから同じである。
外から見れば蔵があってまさに倉敷になっていて観光客がくる
でも内部の人はいやがっているのと同じであるか。

「南相馬市は相馬市よりいいよ、震災後も原発の金が入ってきたから」
「それは言えます、仮設の人たちは金が入ってきましたから、原発の金は大きいですから、相馬市は津波の被害があっても原発事故では金は入ってきませんでしたから」
「相馬市は実際は貧乏な人が多いんだよ、建物ばかりがいいだけなんだ」
「原発の金が入らないから相馬市は損だった、それは同情します」

南相馬市と相馬市の大きな相違は原発事故以後が政府からでも入る金の差だった。
津波の被害もあれだけ大きなものだったけど補償金が入らないことがあったからである。漁業関係者はもらっても他はもらっていない、国からもあまりもらっていないだろう。
南相馬市は30キロ圏内だから財政的にも相当援助されたということはある。
確かにイオンがあっても原町のイオンは相馬市よりは規模が大きい、でも原町と相馬を比べたら小高や鹿島よりはずっといいのでてある。
街としては相馬市の方が何かにぎやかさには欠けるが落ち着いていいと思う。
それは城下町としての街作りをしているのもいいと思う。
ただ内部の人からすると何か必ず不満が生れるのである。
相馬市は貧乏な人が多いというとき建物ばかり立派にしないで日々の暮らしとか福祉でも充実してもらいたいとなる、そういう不満は常にどこにでもある。

イオンの中で瀬戸物を売っていた。あれは安物だった。でも有田焼のものがあった。
有田に行ったけどあそこは遠い所で不便だった。電車で行くのには相当に乗り継ぐから不便である。電車はどこも不便になっている。

旅路来て赤絵の町や初燕

こんな句を前に作った。有田焼きは赤絵で有名であり海外にも輸出していた。それも30年前とかなるかもしれない、いづれにしろ自分が旅したことは遠い記憶となってしまう。人間は何するにしろ時間がたつのが早い
そして旅するだけでも人生は終わる、旅するということは結構集中するか他のことができなくなる、つまりそれほど人間はいろいろなことがてきないのである。
ええ、これしかできなかったのかと驚く、若い内なら何でもいろいろできると思っているが老人になるとこれっぽちしかできないのかとつくづくふりかえる
旅というのは遊びではない、享楽ではない、それも勉強だから結構苦労なのである。
旅をするには自然でも何でも見ることに集中しないとあとでふりかえることもできない
たから団体旅行などだと注意力や集中力が緩慢になるから印象に残らなくなる。
旅も今や日本ですらしにくくなった。外国人が中国人などが宿をとりビジネスでも宿がとれないとなると不便である。海外でも円安だとかテロだとかしにくい、自分が旅できたのもこれも今や幸運だったとなる。
この十年間は不運であり苦しかったけど自分は全般的には幸運だった。
ただこの運不運もわからない、姉は強運だったけど最後は最大の不運に見舞われたからである。

ともかくそこで陶器のことなど話したのも面白かった。買い物もこうして遠くから来た人と話すことなどが面白い、インターネットにはそういうことがないから手にとって肌触りみたいなものも感じない、買い物の楽しみがないということもある。
陶器などはやはり手にとって大きさとかを感じるのがいい、インターネットではできない売っていたのは1000円くらいの安物であり買いやすいということはあった。
紅梅が鮮やかに咲いていた。春になったがまだ風は冷たいので服装は冬である。


タグ:相馬市 紅梅

2016年02月20日

現代は遊びが仕事化する (遊びは創造を産み出す-人間は最後は遊び人間になる)


現代は遊びが仕事化する

(遊びは創造を産み出す-人間は最後は遊び人間になる)




古くは「神遊び」などという言葉が示すように,神をもてなすため,あるいは神とともに人間が楽しむための神事やそれに付随する芸能全体をさしていた

 汝(まし)も神ぞや 遊べ遊べ
  君も神ぞや 遊べ遊べ

古代日本における遊びは、ほかならぬ、こうした「カミアソビ」でした。
神のみが遊ぶのであり、人は神を通じてのみ遊ぶことができた

プラトン「法律」の一節のようだ。

「人間はただ神の遊びの玩具になるように、というので創られたのです。これこそが人間の最良の部分ですね。」

朝たづね ましも神ぞ や あそべ あそべ

朝たづね きみも神ぞ ましも神ぞや あそべ あそべ(神楽歌)


古代日本語のあそぶ


遊ぶとはもともと神と結びついた言葉である、あそばしますとかなると尊敬語になっているのもそのためである。
それが時がたつにつれてその言葉が庶民化して卑俗化する、御前とは宮中では尊敬語である。それはオメエはとかなると卑俗化した言葉になる
遊ぶという言葉自体その後は軽蔑的なものとなっていった。遊女(あそびめ)とか差別語にもなる。巫女はもともと神に仕えるものであり神と遊ぶものだが遊女化してゆく。
なぜこれほどまで遊ぶということが変化したのか?
それは労働が勤労の価値が大きくなったためである。古代とかその前は遊ぶということは今の遊ぶという感覚と全く違っていた。
現在は遊ぶということは常に忌み嫌われてきた、膨大な労働の時代がつづいた。
分刻みで労働が強いられる、江戸時代は意外と貧乏なのにのんびりしていた。時間にもルーズだったから約束の時間も守らないということがあった。
時間の感覚が時計もないのだから大雑把であり日が上り没りとの自然のリズムに生きていた。

それで東雲に(しののめ)という言葉が篠竹と竹に由来しているのが面白いし今になるとイメージできない。

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これなども意外なものである。竹と結びついていることは竹が生活と密接に関係していたからである。竹を利用した生活があったし竹が常に回りにあった。籠であれ笊であれ竹は日常生活に常に利用されていたからである。それが失われたときイメージできなくなる。

古代はその前は神と遊ぶだったが万葉集時代は

天皇(すめらみこと)に献(たてまつ)れる歌一首 大伴坂上郎女(おほとものさかのうへのいらつめ)、佐保(さほ)の宅(いへ)にして作れり

あしひきの山にしをれば風流(みやび)なみわがする業(わざ)をとがめたまふな 巻四(七二一)

遊びは雅び(みやび)としても使われた。みやびとは宮中で生活することから生れた。
この歌は山にいることはみやびではない、宮中で遊ぶことが雅びなのである。
でも今になると山に入ることは遊びになっている。風流人はかえって山に入り隠棲するとなる。

人間が遊ぶということでも実は堕落してきたのである。遊ぶことができないことは人間の堕落だった。遊ぶことが何かネガティブな言葉と化して行ったのは遊ぶということが何なのか本来の意味が価値が忘れられたからである。

遊ぶが失われたのは西洋でも同じでありプラトンの時代は遊ぶが重視されていた。
学問もスクールが暇な意味であり遊ぶ意味から来ていたのである。
すべての学問が実用になったのは近代になってからである。
そして資本主義になったときすべてかは時間までが金となり金で価値づけられるようになった。
一分一秒を無駄にするなとなりそこで遊ぶということは価値なきものとなった。
戦前の製糸工場で休み時間に遊びたくて早食いした女性が死んだというのも嘘のような話に思うけどやはりそれだけ時間に追われて遊ぶ時間がなくなっていたのである。

江戸時代は貧乏でも仕事も時間によって追われない、2時ころすでに仕事が終わったとか時間に追われていないのである。時間の感覚がルーズだったのである。
現代とは絶えず時間に追われている、何するにしても追われている、遊ぶにしても追われている。遊ぶというとき時間に追われたら遊ぶにならないだろう。
ただ現代というのは豊になると遊ぶことがまた変質している、遊ぶことが価値あるものとなる
ゲームなど遊びでありでも金になれば遊びと見なされない、資本主義社会では金にすべて換算される、どんなことでも金になれば価値あるものとされる
一方で金にならないものは価値のないものとされ、その人は無益なもの社会にとって必要ないものとしてみられる、だから現代というのは無職とかには一番厳しくあたる。
無職ということは許されないことなのである。
つまりすべてが労働で成り立っているのだから働かざるもの食うべからずになったのである。

結局自分のしてきたことは一生遊ぶだったとなる、学問もた旅したことも芸術も遊びである。それで一銭の収入にもならなかった。となると資本主義では価値ない人間になってしまう。
もし本でも出して売れればそうはならない、画家でもいくらいい絵を描いても売れなければ価値ない人間にされるのが資本主義である。
そういう遊ぶ人間は許されないとなる、そうは行っても現代は豊になり遊ぶ人間が膨大に増えた。
第一何千万の老人はすでに仕事はしていないのである。そうしたらそういう人はみんな無駄だともなる、他にニートとか仕事をしない人も膨大に増えたのである。
そもそも子供時代は遊びが仕事である。遊ぶことによって学んでいた。
勉強になると遊びではない、常に勉強であり強いられることだった。
その成績とか試験とか中学辺りになると将来のためにいい生活をするために勉強が強いられる
でも学問でも今ふりかえるともっと遊びの要素があれば興味をもったと思う。
数学などでも図形遊びみたいなのもを工夫してやっていれば興味をもっただろう。
それが試験とか受験とか将来の生活の実益のためになるとかえって勉強したくなる

チンパジ−の実験で彼らにパズルを与えると大喜びしてそれを得ることを待ち、要求する。彼らにとってバズルを解くこと自体が楽しみなのである。しかしある時パズルを解くと食べ物を与えるようにするとチンパンジ−はしだいにパズルそれ自体を楽しむより食べ物を得るためにパズルするようになる。やがてパズルだけを与えて食べ物を与えなくなるとチンパンジ−はパズルへの興味をなくしてしまう。(あなたの隣の狂気−町沢静夫)

遊びで堕落した人間


それはチンパージーの実験でもそうだった。遊びとして数とか教えるといいのだがそれを成功報酬としてやらせると興味を失った。
何かを学ぶために褒美として餌をやるとかしていると餌に関心が向き遊びとしての学びに関心がなくなっていったのである。
それは人間も同じだったのである。遊びの要素がないと人間も学ばないのである。
つまり餌をやるから学ぶのではなく純粋に遊ぶことが興味を失わないことになる
科学でも実験でも遊びの要素があり遊びから発明が生れることもある
それは現代の複雑な科学技術の時代でもそうである。
豊になると遊びが仕事になる度合いも多くなるのである。
ギリシャでは貴族階級が奴隷を使っていたから暇が生れスコーレ(暇)がschoolになった。そのスクールが勉強であり強いられるものとなった、そもそも暇だから遊びの時間だったのである。
今は機械化でありIT化すると遊びが仕事になる、奴隷をしたものが機械がするようになるすると人間は何をするのか、遊べない人間は何をするのかとなる。
遊びというときギャンブルとかなにか低俗なものではない、本来遊びは高級なもの神と結びついていたからやはり芸術のような創造ができないものは時間を与えられてもすることがない、だからこの辺では補償金でパチンコとかギャンブルになったのである。

タグ:仕事と遊び
posted by 老鶯 at 14:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2016年02月21日

自分のプログの目次一覧が表示され読める


自分のプログの目次一覧が表示され読める


ここで自分ののプログの目次の一覧が表示されているから便利


これは便利だろう。今まで書いたきたものが時系列に目次が表示されている、クリックすれば読める

タグ:目次一覧
posted by 老鶯 at 10:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

老人が消費するもの (リホームに食にヒューマンなサービスに趣味)


老人が消費するもの


(リホームに食にヒューマンなサービスに趣味)


ヤマハのロードバイクYPJ-R、は何かもう一つ欠けている、坂を上るとバッテリーはきれるとか何か買っても使えるのかとかなる、何かものたりないのである。
若い人ならロードとたいして変わらないだろう、老人だったらもう少しバッテリーの容量が多くないと坂で消耗してしまう
老人は体力がないから電動自転車は便利だけどこれは何かもう一つたりない感じだ
ただこういうのは乗ってみないとわからないだろう。
でも25万以上すると高いなと思った。


老人になると何かやはり旅行でも億劫になる、特に今は外国人で混雑しているから敬遠する、海外旅行もパスポートをとったがこれも使うかどうかもわからない
なんかいろいろなことが計画してももうできないという感じになる
老人は大きな金を使うのはリホームである。
自分の家は築45年で水道管とかも痛んでいるし地震で痛んだのでリホームが必要なのだ。でもこれをはじめたら一千万とかになるかもしれない、それで躊躇するのである。
家を維持することは金がかかるのである。
あとどのくらい住んでいるからわからないからしたくないともなる
ただリホームだけは老人は金をかけてもしている、やはり日々過ごす所だからそうなる
老人になると家が大事になるのである。


若いときは家にこだわらないが老人になると家にいる時間が長くなるからである。
そして自分好みの家にすること内装などもいろいろと自分好みにするのが楽しみとなる
だからどうしてもリホームが必要になる、平屋がいいと二階を壊したりした人もいる
二階があっても一人暮らしの人は使わないとかなる
自分も二階から夜トイレに来るのが遠くて嫌なのである。
平屋がいいのだが作りが二階が座敷で良く作られているのでそこにいる
いつも見回せる範囲の部屋がいい、二階から下りたり上ったりするのが嫌なのである。
電気をつけたり消したりするのもめんどうなのである。
今は5カ所くらいそうしているからつけっぱなしにしていることがあり二階だと管理しにくいのである。
ともかく老人はリホームの要求が多い、それは子供がいなくなったとか夫婦だけになったとか家族構成が変わってしまったりしているからである
すると無駄な部屋はいらないとなるからだ。


それからどういうわけか食とか栄養にこだわるようになる
食を味わいたいとなる、自分は食には無関心であり腹一杯になればいいというだけだった旅行でも金がないから1000円以上のものもを食べたことがない、だから地方の食について何もわからないのである。
でもこの頃食にこだわる、それも贅沢ではなく新鮮な野菜とか魚とかを食べたいということである。
食にこだわることは味にもこだわる、量ではないその質にこだわる、でもこの辺ではレストランが少ないから味わうことはそんなにできない
老人になればがつがつ食べるのではなく少量でも新鮮な味わい深いものを食べたいとなるその味わうというとき何かいろいろなものでもそうである。
芸術でもそうであり文学的なものでも深く味わえる、今までは理解できないが詩などでもほとんどわかる。深く味わえるということである。
それは人生を味わうということでもある。若いときはそうした味わうということができない、老人は食でじっくり味わうのがにあうのである。


それからヒューマンなサービスを求める、ただものを買ってそれで終わりというのではない、何かそこに人間的なものを求めている。
ヒューマンなサービスを求めている、肌のふれあいみたいなものを求めている
物を買うにしてもインターネットとかの通販だと味気ないとなる
ものを買うにしても人間的な交流を求めたりしている、人間のふれあいあたたかみを求めている
今の老人は一人暮らしが多いし孤独だから特にそうなる
一言声をかけてくれるとうれしいとかなる、それで猫ブームになっているのはそのためである。
猫が友達になるというのもそのためである。猫は癒しになっているからである。
だからペットがこれだけブームになっているのである。
子供でも今は老人に冷たいからである。


あとは趣味に金をかけるだろう、金をもっている人もいるからゴルフでもバイクでもカメラでも高いものを買う、団塊の世代は戦前のような働きづめの時代ではない
多様な趣味に生きた時代だからである。
ただバイクとなると老人にとってはちょっと危険になる。
白髪で頭が禿げてバイクでハーレダビッドソンで飛ばしているのもどうかともみる
写真などは今はデジタルカメラで一般化しているからいい
自分はフラワーアレジンメントがあっていた。もともと花が好きで北海道でも山でも良く見て回ったからである。自分のテーマに花があるからだ
花を通じて交流しあえるというか女性とつきあうのには花がいいとなる


老人が消費しないというときやはり先が長くなったからである。あと十年くらいならいいがそれ以上伸びると金も尽きてしまうから不安になるのである。
そして人間はいつ死ぬかわからない、明日かもしれないしあと二十年後かもしれない
だから予定が立てられないから困るのである
ただすでに何か先が見えて死ぬだけだとなっていることも確かである。
何か消費しようにもそのエネルギーがないのである。
生産的創造的消費することはエネルギーが必要なのである。
旅しようかと思ってももう自転車だと疲れるからしたくないとなるからだ。
現代は何か消費することは生産していることでもあるからだ。
金があっても何か消費するエネルギーがないのである
今一番向いているのは回想することである。これだけは老人に一番向いている。
今まで経験したことを回想して深化させるのである。
それで芸術的にも理解が深まってるしいいものができるということがある
自分も作品の完成のために余生があるともなっているからだ。



タグ:老人の消費

2016年02月22日

避難区域など小高などは老人だけの町になる? (デンデラ野のように老人が捨てられ場所になる?)


避難区域など小高などは老人だけの町になる?

(デンデラ野のように老人が捨てられ場所になる?)


小高で避難解除してやれるのは双葉食堂とか工事や除染関係の人を宿泊させることだろういつも並んでいる双葉食堂などは小高にもどって始めるがそこでも繁盛するだろう
それだけでも活気を与えることは確かである。
その他は何か補償金頼りになっている、避難解除を4月から5月までに伸ばすというのも補償金目当てだろうとなる
要するにずっと補償金をもらって暮らしたいというのが本音なのである。
みんな国民年金しかもらえないんだよ,もっと補償してくれとなる
そういえる人は恵まれているとなる、中通りでも風評被害があっても補償されない
南相馬市でも鹿島区は30キロからはずれて補償金はわずかだった
それより相馬市は何ももらっていないのである。


何かごねれば補償金がもらえるということになれたのかもしれない
それは何か沖縄とにているのである。
原発というのも何か基地とかとにている、いらないものだがそれにたかり補償金をもらう基地の土地所有者は西日本で長者番付にのっている。
そういう矛盾は原発地域にもあった。それは前からあった。漁業関係者は補償金が多額であり原発御殿が建ったというのは嘘ではない、ただそれは全部ではない、一部の漁業権者だけである。
だから回りではうらやましく見ていて不満だったのである。
それが今回の原発事故で表面化したのである。


小高に帰る人も13パーセントととかなると前よりは相当にさびれた限界集落のようになるかもしれない、それで帰りたくないという人が増える
老人が多いから老人だけの街というのが成り立つのかとなる
テレビで老人だけが住む特区を作ったがうまくいかない、若い人たちを住まわせたら老人と子供の交流ができて活気が生れたというから老人だけでは街は成り立たないだろう。
一つの考え方としては別にもうそこを死に場所としてそこで死ぬというのもありうる
ただそれまでに介護とかあると若い人の世話になったりすると迷惑になる
それで遠野にデンデラ野というのがあったというのも面白い

デンデラ野の説明板にはこのように書かれています。食い扶持を減らすために追いやられた老人たちは、亡くなるとこの場所へ埋められました。デンデラ野は墓場であり、ここへ来た老人は生きていても「墓に入った故人」として扱われたそうです。

まさにこんな町になる恐怖がある。貧乏な時代は老人の食い扶持を減らすことが生き延びることだった。
そこでは医者もいないし介護もない、病気になったら死ぬのである。
食い扶持はそこに捨てられた老人でまかなっていたのである。耕作していたのである。
そこではただ老人が助け合っていたというのが救いといえば救いである。
老人はやはり労働しないから当時はやっかいものとなり無駄なものとしてそうなった。
老人を養う余力がなかった。
今は若者が老人によってそのエネルギーを吸い取られているという異常な時代なのかもしれない、介護施設で三人の老人を世話するのがめんどうだから殺したという事件もやはり時代を象徴している


つまり小高は笑い事ではない、他でも津波の被害地域でも若者が流出しているから老人だけが取り残されてデンデラ野化してしまうかもしれない、それは別にここだけの問題ではない、全国の限界集落はそうなりつつある。
老人が仲間として生活して助け合っているが子供がいないのでいづれ介護になったら世話する人がいない、デンデラ野では老人が老人を世話していた。そうするほかないからそうなった。

いづれにしろそういう場所には帰りたくないという気持はわかる。
でも何かとゴネで補償金をもらうためにしているということが見え見えなので反発される鹿島区などではわずかにもらっても除外されたからである。
前から市長は小高区には力を入れていたのでありそれで鹿島では反発している
鹿島区選出の議員が仮設の小高の人を支援していたから何か鹿島の人も小高を支援していると思っていた知り合いの女性がいた。
常にかわいそうだと支援されてきたから自分たちはかわいそうなのでありこれからもずっと支援されるべきだとなってしまったのである。

沖縄は全国から嫌われている、補助金をいくら出してもたかるだけで以前として貧乏だとかいろいろ不満がある。その特殊な地域で防衛のために欠かせないとか基地があるから補償するとかありこの辺の原発とにていたのである。
ただ沖縄は遠いから工場など作るのがむずかしい、福島県はこの辺でも東京と近いから工場があり沖縄とは違っていたのである。
その近いということが原発が作られた原因だったのである。
浪江の人が小高の人がうらやましがっているの補償金がまだ長くもらえるからである。
補償金で遊び暮らすことになれてしまった。慣れは恐ろしいものではそれが当然だとなってしまうのである。
そして集団化すると批判するとあいつはなんだとかなり圧力をかけたりする
それは沖縄とにた地域となったのである。
こういう市町村はいづれは荒廃してしまうかもしれない、若者は流出して老人だけが残されデンデラ野に置き去りにされてそこで放置されて死ぬとなる
それもまた運命だとして残るものは残る、ただ医者も介護も金の援助も要求できない
そうなるとますます帰る人はなくなるだろう。


この辺は小高がなくなっても原町とか相馬市がありなんとかもちこたえるということはある。小高を捨ててもゆくゆくは南相馬市も相馬市と一体化して相馬市になるかもしれない人口減少すればそうなってゆく、それは全国で市町村が消滅してゆくとうことをこの辺は極端に先取りして具体的に現れた地域なのである。

タグ:デンデラ野
posted by 老鶯 at 19:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2016年02月23日

猫柳(相馬市に行く- イオンから街中に入るのが相馬市ー駅前通りはさびれる)


猫柳(相馬市に行く)


(イオンから街中に入るのが相馬市ー駅前通りはさびれる)

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素朴な感じの花


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春の雲ゆっくり行くや自転車に

街を飛ぶ鳩二羽見えて春の空

春日さし樹の影交じる街道に

街道の細しや梅の匂うかな

瀬戸物を様々並べ春の色


宇多川の岸辺に咲きぬ白梅と紅梅映えて椿の赤しも

宇多川の岸辺に春の日のさして橋わたりそぞろ歩める人のあれかし

猫柳相馬焼きの壺にさしこの土地に住み安らぎてあれ

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今日は相馬市に歯医者に行きイオンを回り瀬戸物をまた買った。あそこはすでに一週間くらいやっている、新しいものを並べていた。

歯医者では一本欠けた歯は入れ歯だった。前が四つくらいつながった入れ歯だった。
だからその一本をぬいて入れ歯にはできない、4本くらいとってしかできない
それを聞いたときショックだった。一本だけ直せばいいと思っていたからだ。
それでなぜそうなったか思い出した。
自転車で転んで前歯を4本くらいおった、それは結構な事故だった。
頭を打ったら死んでいたかもしれない、激しく打ちつけたのである。
それはこの辺でいつも通る道だった。なれた道でも事故は起きる
でもそのことを全く忘れていた。入れはだったことを忘れていた。
不自由がないから忘れていたのである。
一応王宮措置して使うことにしたので助かった。
自転車も安全なものではない結構危険なのである。
何回も転んでいるから危険なのである。

相馬市には前は駅前から近いので電車で行っていた。それで駅前の花屋によって花を買っていたのである。
それが相馬市だとイオンに用事がありイオンと街が直結している。
すると駅前通りには行かないのである。
こういうこともやはり街が通りがさびれる原因だと思った。
駅におりれば駅前の店によったりするのである。
たいがいは車でもイオンから街中に入る、イオンでたいだいの買い物をすます
そしてイオンを中心に電器店でもあり買い物ができる。
原町の場合はイオンは離れているからまた違っている
街はやはり便利に用がたせる、買い物ができるというのがいいのである。
今までの通りがさびれたのはそういう利便性がなくなっためである。
自転車だとあまり離れたところには行きづらいのである。
何か人の流れがあり外から来るとイオンに来てそれから街中に入るのが相馬市である。
人の流れがイオンに集中してあとは分散するのが相馬市なのである。
その人の流れが商売にとっては意外と大事なのである。


帰りはイオンにより瀬戸物をまた買った。あそこはすでに一週間くらいやっている、新しいものを並べていた。
買い物というとき何かインターネットだと味気ないということがある
店屋は見せるからきているし見せるとか話するとかではインターネットでは欠けているのである。ヒューマンなものもない、人間との接触もない、あそこの瀬戸物を売っている人は対応がいい、やんわりと対応している


それからキタムラでプリントした。あそこの印刷機が最高級のものでありきれいに印刷できる、パソコンからも注文できて前にはフオトブックも作った。
今は個人でも簡単に写真集など作れる、ただデジタルとなると大画面のテレビで見た方がいいとなる、迫力が違うからである。
ともかく母が死んでからもいろいろと用事がある、主なものは買い物である。
買い物は意外と手間なのである。また楽しみでもある。
アマゾンでも買っているから買い物がつぎつぎにある。
何か介護が終わっても家事とか買い物に追われていることは変わりなかった。
だから介護しながらよくプログでも書き続けたとふりかえると思った。
それだけ母の介護はそれほど手のかかるものではなかったからだと思う
それにしてもやはり介護しながら結構書き続けたのだから良く書けたなとふりかえる


相馬焼きと猫柳はあっている、相馬焼きとなるときこれは土地のものだから土着的だとなる、ただこの辺で果たして安らぎがあるかとなると津波原発事故以後はそうはなっていない、第一相馬焼きの浪江の大堀がなくなってしまったいるからである。
白河で移りはじめたとかもう大堀で相馬焼きをはじまるのかどうかわからない
あの辺は放射線量も高いからである。
やはり窯元があって土地の焼き物も生きる、それが欠落したことはいたいとなる

看護婦の姉に献げる猫柳

猫柳そのあたたかさ忘られじ

猫柳というとき何かあたたかさを感じる、看護婦にふさわしい、姉は看護婦だった。
自分には特別やさしい姉だった。
でも実際は看護婦というと自分が病気になり看護婦はきつい性格の人が多いと思った。
それだけ仕事が厳しいからである。だから今になると看護婦にいい印象をもっていない
姉も体育系であり性格はきつかったのである。そうでないと従軍看護婦など修羅場でありとても勤まらなかったろう。
ともかく自分はここ十年は厳しい目にあった。今年の春は何か本来の春かもしれない
ただ回りは違っている、まずダンプとかが多いのが落ち着かないのである。



タグ:相馬市

2016年02月24日

避難区域など小高などは老人だけの町になる? (デンデラ野のように老人が捨てられ場所になる?)


相馬市南相馬市(原町区)などの街作りをどうする?


(歴史的にふりかえる街作り)

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自転車で行くと相馬市はイオンから街中に入る
街中と一体化している
でも電車だと駅前を通る
電車に乗らないからまずイオンに行く
それよりイオンが中心でありそこで用をたすのである
そのために相馬市のイオンでは8時から営業しているのは勤め人が利用するからだろう。

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原町は中心街は道の駅のある六号線である。
そこからイオンまでは自転車では遠いのである。
だからイオンは陸の孤島のように自転車では感じる
だから駅前に図書館など作ったのは街作りでは失敗だった
駅前にイオンのようなスーバーを作れば人の流れができたのである
図書館は閑静な場所があっていた
駅前の中心が図書館というのはそぐわないのである。
実際に駅前通りというのが何か六号線の中心街からイオンに行くとき
ぬけおちているのである、シャッター通りにもなっている
これは前の市長の失敗だった、ただ図書館を駅前に作っているのは郡山でもそうであるから何か駅前に人の流れを作るためにそうしたことは共通している


ただ図書館などは街から離れていて閑静な場所が本来にあっているものだろう。
そこに回遊式の庭があるとか森の中にあるとかなると何か雰囲気的にいい
そんなところで読書していれば何かアイデアが生れる
駅前とかはやはり買い物とかが主になるのがふさわしい
結局車社会になり電車を利用しないということが街の通りを衰退させたのである。


いづれにしろ駅前通りでも旧来の街が衰退したのはシャッター通りになったのは車社会になったためである。
ただそれだけではない、街は常に興亡をくりかえしている、もともとは陸前浜街道沿いが宿場町として栄えたりしていた。
それは江戸時代のつづきでそうなっていた。それから駅前通りが栄えたのは電車が足となったとき駅を中心の街作りになったからである。
そして車社会になったら当然車社会にふさわしい街になる
江戸時代辺りでも地名を見ると必ず古町というのがある
それも小さな狭い町でも古町がある、古町と新町はそんなに離れていないのである。
人間社会は常に変化しているからそうなる
自分の家で店をしていたとき繁盛したのは前に小さな店が繁盛していたのは徒歩の時代だったからその利便性は道の角のような場所だったのである。
買い物する人はあまり遠くからは来ないからである。
近隣の人の利便性があり繁盛していた。それで角屋という屋号はそういう場所が繁盛したからである。
それがスーパーができたとき衰退して店もなくなった。

街作りは歴史的なものと新しい時代に対応するものが必要になる
相馬市は城下町でありそれで入母屋式の屋根を作り景観を統一しているのである。
それは評価できるが新しい街としての活気に欠けている、それはどこでも共通した問題である。
外国でも古町は歴史地区であり観光の中心になる。その外郭に現代の街が広がっている
それがはっきり分かれているが日本だと混在していて良くわからない面がある
相馬市は原町と違うのは高いビルがない、ただそれだけで景観が保たれている
高いビルは景観をそこなうのである。それで京都の町屋の前に高いビルが作れたときそれがのしかかるようになり景観は失われた。
江戸八百屋町とあっても二階くらいであり長屋にしても一階でありそういう場所は空も広いし空間的に景観をそこなわない、それで浮世絵では常に富士山が描かれている
一番高い建物は城であり天守閣だったのである。


日本の場合はともかく計画的に都市をつくるのが苦手である。雑然としてごちゃごちゃになる、路地も多いし計画的に立案して都市を作れない、原町はイオンがあってもそれが陸の孤島のように離れている、自転車だと六号線から入ってゆくから余計に遠くなるのである。
原町の街作りは失敗したのだろう。駅前にこだわったこともそうでありイオンが離れすぎていることもそうである。
相馬市の方がこじんまりしてまとまっているのである。
商業地区とか文教地区とか歴史地区とは分かれるべきだったろう。
歴史地区に文教地区があるのが望ましいとはなる
それだけの歴史遺産があればそうなる
もともと日本の都市は戦国時代の延長として防衛のために作られていた。
城の回りに寺が多いのは寺が防衛のために配置されていた。
城と寺は一体であり寺と一つの行政機関でもあった。
寺町とあるときそれは防衛のためのものだった。
歴史的に街作りをふりかえれば東西で共通したものがある。
寺町はヨーロッパになると修道院になる、教会も防衛のためにあったともなる

街作りはまず歴史地区、文教地区、商業地区、医療福祉地区、農耕地区、純粋自然地区、、、とかに分かれる
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歴史地区に文教地区も入るのにふさわしい、商業地区には娯楽地区が入り医療福祉地区には墓地なども入る、墓地というのも街の中にあるのがいい、何かそぐわないようでも自分は小さな街内に住んで毎日自分の墓の前を通るから死者を意識する、最近二人家族が死んだから余計にそうなった。毎日通るから手を合わせるとなる
離れていればこうはならない、一年に二三回墓参りに行くだけだとなる
老人ホームに墓まで用意しているのが在り安心だというとき何かそういう心境もわかる。死者をかけはなれたものではなく死者と一緒に住むというのも街だとなる

商業地区には娯楽施設などがあっている。農耕地区があり純粋自然地区がある純粋自然地区は聖なる場所でもある、田舎だと身近にそういう場所が近接している
大都会になると農耕地区とか純粋自然地区は消失しているから街作りとしては大規模になるがかたよるのである。
田舎だと純粋自然地区と農耕地区のしめる割合が土地にして大きい、そこに安らぎあり神道のようなものが生れた、ただご利益宗教になったとき俗化したのである。
まず純粋自然地区がないところには住みたくない、安らぎがないのである。
森につつまれているような飯館村などがあると心に安らぎが生れる
広い地域でも歴史地区なら相馬藩内では城があった相馬市であり原町は商業地区として明治以降発展した。全国でも東京は商業地区であり関西は歴史地区である。
世界的にそうである。中国では上海が商業地区であり北京は歴史政治地区になる。
それで上海語と北京語が違っているというとき関西弁と標準語の相違とにている

いづれにしろ原町の街作りは駅前に図書館を作ったことはそぐわないものだったかもしれない、医療機関も多いが電車を利用すれば便利だがどうしても車を利用することで駅前はすたれる、何か自転車だと街全体を回れるからいいが電車で来て徒歩だと手間が時間がかかりすぎる時代になったのである。
もし電車が足だったら駅前中心の街作りができたのである。
日本はともかくこうして全体をみわたし計画的に街作りすることが苦手なのである。
だから何か雑然とばらばらになっているのである。

そしてこの辺では津波原発事故で新しい街作りを要求されている、これだけ変化すると新しい街をどう作るのかとなると今までの発想ではできない
大きな発想の転換が必要になっているのだ。
少子高齢化というのも街作りに大きく影響する、町自体が消滅するとか農耕できないとかなると新しい街作りをどうするかとなるとイメージできないのである。
ただこれだけ変化すれば新しい発想をして新しい街作りをやりやすいとはなる、津波で町が消滅したような場所もそうなのである。
街自体がなにもなくなったらそこに新しいものは作りやすいのである。
でもそれはどういう街になるのかそれともう若い人も流出しているから街自体の再建ができないとかなって深刻なのである。



タグ:街作り
posted by 老鶯 at 17:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

相馬市南相馬市(原町区)などの街作りをどうする? (歴史的にふりかえる街作り)


相馬市南相馬市(原町区)などの街作りをどうする?


(歴史的にふりかえる街作り)

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自転車で行くと相馬市はイオンから街中に入る
街中と一体化している
でも電車だと駅前を通る
電車に乗らないからまずイオンに行く
それよりイオンが中心でありそこで用をたすのである
そのために相馬市のイオンでは8時から営業しているのは勤め人が利用するからだろう。

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原町は中心街は道の駅のある六号線である。
そこからイオンまでは自転車では遠いのである。
だからイオンは陸の孤島のように自転車では感じる
だから駅前に図書館など作ったのは街作りでは失敗だった
駅前にイオンのようなスーバーを作れば人の流れができたのである
図書館は閑静な場所があっていた
駅前の中心が図書館というのはそぐわないのである。
実際に駅前通りというのが何か六号線の中心街からイオンに行くとき
ぬけおちているのである、シャッター通りにもなっている
これは前の市長の失敗だった、ただ図書館を駅前に作っているのは郡山でもそうであるから何か駅前に人の流れを作るためにそうしたことは共通している


ただ図書館などは街から離れていて閑静な場所が本来にあっているものだろう。
そこに回遊式の庭があるとか森の中にあるとかなると何か雰囲気的にいい
そんなところで読書していれば何かアイデアが生れる
駅前とかはやはり買い物とかが主になるのがふさわしい
結局車社会になり電車を利用しないということが街の通りを衰退させたのである。


いづれにしろ駅前通りでも旧来の街が衰退したのはシャッター通りになったのは車社会になったためである。
ただそれだけではない、街は常に興亡をくりかえしている、もともとは陸前浜街道沿いが宿場町として栄えたりしていた。
それは江戸時代のつづきでそうなっていた。それから駅前通りが栄えたのは電車が足となったとき駅を中心の街作りになったからである。
そして車社会になったら当然車社会にふさわしい街になる
江戸時代辺りでも地名を見ると必ず古町というのがある
それも小さな狭い町でも古町がある、古町と新町はそんなに離れていないのである。
人間社会は常に変化しているからそうなる
自分の家で店をしていたとき繁盛したのは前に小さな店が繁盛していたのは徒歩の時代だったからその利便性は道の角のような場所だったのである。
買い物する人はあまり遠くからは来ないからである。
近隣の人の利便性があり繁盛していた。それで角屋という屋号はそういう場所が繁盛したからである。
それがスーパーができたとき衰退して店もなくなった。

街作りは歴史的なものと新しい時代に対応するものが必要になる
相馬市は城下町でありそれで入母屋式の屋根を作り景観を統一しているのである。
それは評価できるが新しい街としての活気に欠けている、それはどこでも共通した問題である。
外国でも古町は歴史地区であり観光の中心になる。その外郭に現代の街が広がっている
それがはっきり分かれているが日本だと混在していて良くわからない面がある
相馬市は原町と違うのは高いビルがない、ただそれだけで景観が保たれている
高いビルは景観をそこなうのである。それで京都の町屋の前に高いビルが作れたときそれがのしかかるようになり景観は失われた。
江戸八百屋町とあっても二階くらいであり長屋にしても一階でありそういう場所は空も広いし空間的に景観をそこなわない、それで浮世絵では常に富士山が描かれている
一番高い建物は城であり天守閣だったのである。


日本の場合はともかく計画的に都市をつくるのが苦手である。雑然としてごちゃごちゃになる、路地も多いし計画的に立案して都市を作れない、原町はイオンがあってもそれが陸の孤島のように離れている、自転車だと六号線から入ってゆくから余計に遠くなるのである。
原町の街作りは失敗したのだろう。駅前にこだわったこともそうでありイオンが離れすぎていることもそうである。
相馬市の方がこじんまりしてまとまっているのである。
商業地区とか文教地区とか歴史地区とは分かれるべきだったろう。
歴史地区に文教地区があるのが望ましいとはなる
それだけの歴史遺産があればそうなる
もともと日本の都市は戦国時代の延長として防衛のために作られていた。
城の回りに寺が多いのは寺が防衛のために配置されていた。
城と寺は一体であり寺と一つの行政機関でもあった。
寺町とあるときそれは防衛のためのものだった。
歴史的に街作りをふりかえれば東西で共通したものがある。
寺町はヨーロッパになると修道院になる、教会も防衛のためにあったともなる

街作りはまず歴史地区、文教地区、商業地区、医療福祉地区、農耕地区、純粋自然地区、、、とかに分かれる
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歴史地区に文教地区も入るのにふさわしい、商業地区には娯楽地区が入り医療福祉地区には墓地なども入る、墓地というのも街の中にあるのがいい、何かそぐわないようでも自分は小さな街内に住んで毎日自分の墓の前を通るから死者を意識する、最近二人家族が死んだから余計にそうなった。毎日通るから手を合わせるとなる
離れていればこうはならない、一年に二三回墓参りに行くだけだとなる
老人ホームに墓まで用意しているのが在り安心だというとき何かそういう心境もわかる。死者をかけはなれたものではなく死者と一緒に住むというのも街だとなる

商業地区には娯楽施設などがあっている。農耕地区があり純粋自然地区がある純粋自然地区は聖なる場所でもある、田舎だと身近にそういう場所が近接している
大都会になると農耕地区とか純粋自然地区は消失しているから街作りとしては大規模になるがかたよるのである。
田舎だと純粋自然地区と農耕地区のしめる割合が土地にして大きい、そこに安らぎあり神道のようなものが生れた、ただご利益宗教になったとき俗化したのである。
まず純粋自然地区がないところには住みたくない、安らぎがないのである。
森につつまれているような飯館村などがあると心に安らぎが生れる
広い地域でも歴史地区なら相馬藩内では城があった相馬市であり原町は商業地区として明治以降発展した。全国でも東京は商業地区であり関西は歴史地区である。
世界的にそうである。中国では上海が商業地区であり北京は歴史政治地区になる。
それで上海語と北京語が違っているというとき関西弁と標準語の相違とにている

いづれにしろ原町の街作りは駅前に図書館を作ったことはそぐわないものだったかもしれない、医療機関も多いが電車を利用すれば便利だがどうしても車を利用することで駅前はすたれる、何か自転車だと街全体を回れるからいいが電車で来て徒歩だと手間が時間がかかりすぎる時代になったのである。
もし電車が足だったら駅前中心の街作りができたのである。
日本はともかくこうして全体をみわたし計画的に街作りすることが苦手なのである。
だから何か雑然とばらばらになっているのである。

そしてこの辺では津波原発事故で新しい街作りを要求されている、これだけ変化すると新しい街をどう作るのかとなると今までの発想ではできない
大きな発想の転換が必要になっているのだ。
少子高齢化というのも街作りに大きく影響する、町自体が消滅するとか農耕できないとかなると新しい街作りをどうするかとなるとイメージできないのである。
ただこれだけ変化すれば新しい発想をして新しい街作りをやりやすいとはなる、津波で町が消滅したような場所もそうなのである。
街自体がなにもなくなったらそこに新しいものは作りやすいのである。
でもそれはどういう街になるのかそれともう若い人も流出しているから街自体の再建ができないとかなって深刻なのである。



タグ:街作り
posted by 老鶯 at 17:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)