2016年02月01日

相馬看護専門学校では準看護師の免許しかとれない? (そんな簡単なことも直接聞くのはむずかしいーではどこに聞けばいいの)


相馬看護専門学校では準看護師の免許しかとれない?

(そんな簡単なことも直接聞くのはむずかしいーではどこに聞けばいいの)

看護師になることについて親戚の子が専門学校のことを言っていたので近くの相馬看護学校に聞いてみた。
そしたら最初受け付けの人が出てそのあとに別な人にまわした。
今日来た高校生の子がいる人が相馬看護学校では準看護師にしかなれないですと言ったからである。

准看護師は都道府県知事によって免許が交付される、いわゆる公的資格です。
准看護師とは、医師や看護師の指示の元、診療の補助や療養上の世話をする仕事です

準看護師も免許制だった。その免許は相馬看護学校だととれるということなのだろうか?
別に国家試験でも通れば看護師にもなれる、ただ看護師になる国家試験と準看護師になるのは違う、都道府県知事によって免許が交付されるのと国家によって交付されるのとの相違がある。
準看護師は戦後の看護師不足の時に作られたものである。看護師がたりないからその補助として制度化した。
戦前でも看護師になるには自分の姉は東京で国家試験をとったから県単位ですらとれないむずかしいものだった。
準看護師は看護師の指示で働く、準看護師は今では介護士ともにている。
最近看護とかの関係でいろいろな職業が増えてきたのである。

 作業療法士 理学療法士 義肢装具士 視能訓練士 言語聴覚士

こういう仕事はもともと看護師がしていたのである。それがいろいろに専門化したのである。介護士という仕事も準看護師がしていたのである。
だから仕事でも看護師と介護士でも同じようなことをしている場合がある。
でも給料はかなり違うから準看護師でも介護士でも不満になるし給料の面だけではない
社会的な地位も低くみられるのが介護士である。
たから介護の現場で働く人が変な人が多いというとき介護士は一段低い人材しか集まらないとなる、もちろんこの変なというときそういう人も変であり人間はなにかしら変なのである。同じ人間がいないからこの人は変だというときどういうことなのか具体的に言わないとわからないだろう。

でもこういう専門化した職業のことが無数にありわからないのが現代である。
それを何なのか簡単に聞くこともできないことが問題なのである。
知り合いとかにいればいいがいなければ直接は聞けない、それで相馬看護学校に聞いたのはいいが最初に受け付けの人がでた。そのあとに回されたのだが最初に「あなたはとなたですか」と聞いてきて嫌だった。
聞くことは簡単なのことであり準看護師の免許しかとれないと聞いたからそのことを聞きたかっただけである。それを教えるのすらいやがっていた。
あとは高校などの就職担当に聞いてくださいと言った。
それもわからないから直接相馬看護学校に聞いたのである。


ともかく医療関係とか役所とかは何でも聞きにくい面がある。一番敷居が高いのは医療関係である。歯医者をのぞいて何かサービス業という感覚は全くないのである。
それは競争がないから常に何かをしてあげるという感覚になっているからである。
医者とか看護師は特にそうである。学校などでもそういう面があるだろう。
第一受け付けでまずそんなことも答えられないというのも変だと思った。
聞いていることは本当に簡単なことであり何かさしさわることはなにもないのである。
「準看護師の免許しかとれないのですか」
こう聞いたらそういうことではないです、看護師の国家試験のための勉強をしますとか簡単に答えられるはずなのである。
こうなるとまず受け付けなどはコンピャーター化したロボットの方が有能だともなる
そんな情報が即座にインターネットととつながれば答えられるだろう。
いちいち電話を担当のものに回す必要がないのである。
だからそうした仕事はコンピューター化するのがまちがいない
相馬専門学校のことでそんなことまで答えられないとしたらそうなる

いづれにしろここだけではない,何か体面的になると簡単に知らないことでも聞くことができない、確かに誰か知らないものに答えないということもあるだろう。
また答える義務もないということもある、また電話でそんなことを聞く場でもないということもある。いちいち電話で聞かれると困るから今では電気製品のサポートでも電話では答えない、インターネットで説明しているからそれを読めとなっているのだ。
インターネットはやはりこのような無数に専門化した時代には必須のものとなったのである。
なぜなら対面的ではない、気軽に調べられるからである。それで相当に助かる経験をした第一認知症の介護をしたが認知症はなになのか,医者に行ってもわからないのである。
医者自体が認知症についてわからないのである。
それでインターネットを参考にしてそれが効き目があった、この世の中には複雑になると無数の専門化するとまず職業自体が何なのかわからないのである。
そして現代社会は様々な疑問について簡単には人づてでは聞けないしまたもう人づてではとても知り得ないのが現代の複雑化した社会である。
そうしたらどこで気軽に知識を得るのかとなるとインターネットだったら誰にも気兼ねをしないということで現代社会には欠かせないものとなった。
それで事足りるとはならないが方法がないのである。

相馬専門学校で最初にどこにつながったのか、普通は受け付けになるのか?
そこで答えてくれれば良かった。それはあまりにも簡単なのことであり何も迷惑なこともめんどうなこともない、準看護師の免許しかとれないのですか、という答えはあまりにも簡単だし相馬専門学校で何を学ぶのかは簡単に答えられるからである


2016年02月02日

認知症になっても正気になり遺言があった (遺言は証書化しなくても守らないと怖い)


認知症になっても正気になり遺言があった

(遺言は証書化しなくても守らないと怖い)


相続とは被相続人の財産を承継することですから、被相続人自身が自ら築いた財産の行方については、被相続人自身が決めることです。また、それを尊重するのは当然のことです遺言とは、被相続人が亡くなる前に、その最終の意思表示を形にし、死後に実現を図るものです。

被相続人自身が自ら築いた財産の行方については、被相続人自身が決めることです。

認知症になったらまず証書化できない、でも全く遺言できないのかというとそうでもなっかた。遺言とは死ぬ間際にでもその前でもその人の意志を示すことである。
それは口頭でも可能だし認知症になってもできる
口約束でも約束として契約として有効なのと同じなのである。
それが法律的に第三者が見て有効かどうかは関係なく基本的にその人の意志が伝えられることが遺言であり守らねばならないものである。


誤解しているのは法律がすべてではない、その前に必ずモラルがありそのモラルに反することは大きな罪になるのが人間なのである。それは良心の問題でもある。
特に金のやりとりは具体的なものとして良心が問われるから怖いのである。


自分の母親は百歳になり認知症になっていた。でも物忘れしたとしても何か時々正気にもどっていた。
そして死ぬ一カ月前頃に孫に金をやらなければならないと起き上がり全身の力をふりしぼるようにして大声で言ったことには驚いた。
その前に自分は孫には金をやらないと事情があり手紙で伝えた
その時孫は怒っていた。それも確かに一理あった。ただ相手には事情がありやれないものだった。
でもその後自分の立場を理解して母の言うようにたいした金ではないのでくれると伝えた孫も納得したのでそれで金の問題はかたづいた。


でもそのことで不思議なのは母がその孫の言うことを東京とか離れているのに聞いたのかということがある。何らかテレーバシーがあり伝わったのか?
認知症になって金のことがわからないと思っていたし現実に金のことがまるでわからないということも経験していたからである。
もしかして孫の怒りが母に伝わったのかもしれない、そして母が大きな声で自分に対していくちいくらの金をやれと指示したのである。
その額は少額であったから電話して金をやると言ったのである。


例え離れていても心は伝わるということは確かである。これは誰でも経験していることだろう。心は空間とか距離と関係なく伝わるということは良く言われる
これは金をめぐっての具体的な例であった。
実際に金のやりとりは具体的でわかりやすいから理解しやすい
金というのは心を具体化したものとしてもやりとりされるのである。
金の怖さはへたにもらうと危険なのことにもなる
もらう理由がないのにもらうとそれはカルマとなりあとで危険なものとなる
遺産などでもそうでありもらう理由かないのにもらうということは盗んだともなる場合がある。
特に遺産は死んだ人が関係しているので怖い面がある。
死んだ人の意志を無視するとそれは証書に関係なく怖いと思ったのが今回の自分の経験だった。
自分は母の遺言を果たしてのでほっとしている
もし守らなかったら本当に怖いし安心して眠れなくさえなったろう。
それは明らかに悪事となるからそうなる、やはり悪事を働くと良心にとがめられ苦しむとなる


ここで問題なのは認知症でも正気になることがある、それは前にも書いたがそこに認知症に対処するむずかしさがある。
認知症蜷ったらもう何もわからない、金のことも何もわからないとみることが多い。
しかし今回の母のように最期に正気になり遺言したのである。
それは証書ではないが明らかにその人の意志を実行しろということだったのである。
もし実行しなかったら自分は母に供養したり祈ったりできなくなる
「孫に金を払わなかったな」とか見られると本当に怖いと思った。
遺産ではそんなことは関係なくとれるだけとろうとするのが多いだろう
自分にもそういうことがある、でもその額が少額だから実行できたともなる
遺産でもめるのはどうしてもそこに人間の欲が露骨に現れるからである。
実際に兄弟がいると遺産は半分にへるから大きいなど思った。
遺産はまた相続すると甥子、姪子まで関係している
必ず相続の時、実印と印鑑登録所とか戸籍謄本とかが必要となるから頼まねばならないからなんらが遺産からお礼として金を払うことも必要になるからである。
それで納得してもらうことになるからだ。
もし拒否されたら遺産を相続できないからである。


相続人の署名捺印が欠けた遺産分割協議書は、残念ながら、無効です。
(有効な遺言書が残されてあり、その内容のとおりに遺産を分けるのなら、遺産分割協議書を作らなくてよかったのに!)
こういうご相談を受けると、「あぁ、有効な遺言書があればなぁ…」としみじみ思います

これも重要なことだった。署名捺印してもらうことが結構めんどうなのである。
もし兄弟とかあればその甥、姪子まで関係しているからである。

相続した者は、押印を拒否している者に対する所有権確認訴訟を提起し、
その勝訴判決(判決理由中に遺産分割協議が成立して原告が当該不動産を
相続したことの記載のあるもの)を得ることになる。

拒否されたら裁判になるのだからこれもめんどうである。
こういうことも知らないと遺産相続でももめる、もちろん遺産がある人でありそんな遺産がない人は心配はない、自分もそんな遺産はない、土地と家とかはもうたいして価値がないし金だって使っているから残っていないだろう。
その点ではそんなに心配はないとなる

ともかく人間のことはみんな法律で決められるわけではない、倫理的なもの良心とかも関係しているのが人間なのである。
特に死者が怖いのは死者には偽れないということがある。
死者は厳格でありその人を見ている、死者はその人の心を良心をみている
一旦死者になると生きている時とは違う、死者に対しては偽れないのである。
だから遺言でも証書でなくてもそれを実行しないと怖いのである。
認知症の人でも今回の母の例のように正気になることがある
特に大事なのは死期が近づいたときそうなりやすいのである。
だから認知症でもうなにもわからないとしてかたづけることができないことは注意するべきである。

2016年02月03日

認知症の徘徊で鉄道事故 91歳の妻に約360万円の賠償命令 名古屋高裁



認知症の徘徊で鉄道事故 91歳の妻に約360万円の賠償命令 名古屋高裁


認知症になると変なのだけど知的障害者をもった家族の苦しみがわかる。
家族に監督責任が課せられて家族が責められるのである。
そして回りが同情することがほとんどないのである。
人間はつくづく弱者になると世間は冷たいなと体験でわかった。
田舎でも知っていた人でも認知症になったら相手にしないし差別される
弱者になったことでそれをいいことに責めてくるのが世間の非情だった。
もっと回りで見まもるとかなんとか言っているけどそんなことをするのはまれである。
かえってなんでちゃっと見まもっていないのだと責められるのである。
火に気をつけろとか日頃親しくしていた人でも何かと責めてきたのである。
もちろん確かにそういう心配があるからやむをえないということはある。
今回でも迷惑をかけたことで責められるのは被害が大きかったからである。
でもこれも別に鉄道会社だけではない、回りがみんなそうである。
ましてや実害があったらその責任を問い賠償金を要求する


判決に対して大会社なんだから大目にみてくれてもいいだろうと言う人も多い
個人ではないからそのくらい大目に見ろよという意見も多い
第一この家族は長男が横浜にいてその妻が名古屋まで来て介護していたのである。
そしてこの認知症の男性の妻は85で要介護状態になっていたのである。
これも想像すると苦しいだろうなとなる。
二人も長男の妻がわざわざ来て介護して二人をめんどうみる
そしてここで想像するのがその先が長いことである。
そしたら夫から離れて夫も仕事しているから苦しいとなる
うとうとしていたらその隙に家を出て徘徊したという
自分か介護で感じたことは二人だったら楽だったなということである。
なぜなら交代でめんどうみれるからである。
一人だとつききりになり何することもできない
自分が遅くなったとき姉は自分が帰らないとすごく心配して隣の人にいつも帰ってこないと騒いでいたという
でもその隣の人は姉が認知症になったことを知っていて受け入れてくれたのである。
その人は本当にいい人であり今でも感謝している
そういう人は本当にまれでありほとんどいない、田舎でもいない、たいがいは差別になったり
何かと監督責任を問う人がほとんどなのである。
そういうことが今回の判決にも具体的に出たのである。

この家族は世間は冷たいなつくづく思っているだろう。
鉄道会社も大会社なのに冷たいなと思っている
それでひどいなと見ている人も多い
でも知的障害者になるとこれが現実なのである。
監督責任が問われ家族は苦しむのである。
それで認知症になる家族を介護するとき奇妙だが知的障害者をもっている人の気持がわかるとなる
共通なことが多い、でも違っているのは年寄りの認知症になった人はこれまではいろいろと尽くした人であり自分の姉はそうだったから知的障害者になってもそう扱いなかったのである。
本人も自分はいろいろ尽くしてきたということを意識しているのだ。
だからプライドをもっていて馬鹿として扱うど怒るのである。
それが生れたときから知的障害者になっている人との大きな相違なのである。
自分はそういうことを身をもって感じていたから認知症になっても普通の人と同じように家族の一員として扱ってきた。
だから気分が良くなり改善したのである。ただそこには犠牲があった。
それでも二年半くらいで死んだので救われたのである。
介護は長くつづくと限界になってくるのだ
いつまでつづくのだろうと不安になるし知的障害者とつきあうことは必ず鬱になるのである。
自分もなっていたし普通のときのようにとても暮らせないのである。
自分の場合は二年半で終わったので救われただけである。

認知症にはもう85才とか90才以上になると半分はなるとか誰でもなるものなのである。
だからこれからはますます人ごとではなくなる
でも認知症に関してはなかなか外からまだ理解しない人も多いのである。
認知症のやっかいなのはこれまでいろいろ家のためでも社会のためでも尽くした人が多いその功績をないがしろに簡単にはできない、それぞれ違っていても自分の家ではそうだった
だから馬鹿になったという扱いは簡単にはできない
自分の家の場合は徘徊とかはなかった。ただ自分がちょとでもいなくなると不安になっていた
暴力もあったし家族もばらばらになった、そういうことをプログに書き続けてきた
つくづく在宅介護というけどそんなに今は人手が家族にいないのである。
自分も二人いれば楽だったがいない、ここでもわざわざ長男の妻が遠くから来て介護していたのである。
そのことは相当に負担だったろう。介護というのは在宅でも必ず一人にまかせられる傾向かある、誰か一人におしつけられるのである。


ここでも実際は認知症の91才と介護状態の妻の二人が介護になっていたのだ
自分も一時はそういう状態になりつつあったが一人が死んで救われたのである。
二人を一人でかかえる時に限界がくる、本当は一人をみるのに二人必要なのに二人を一人でみるのだからそうなる
在宅介護でおしつけられるとこれからもこうした事件や悲劇は毎日のように起こる
実際はすでに起きているのである。
介護で家族自体が崩壊してゆくということも起きてくる
こういう判決が出るのはまさに在宅介護をおしつける国側にも問題がある。
鉄道会社は民間だから損が出れば賠償させる、それも利益追及だからとめることはできない、慈善でやっているのではないともなる
ともかくいろいろ考えさせられる事件でありこれから認知症にとを対処するから社会が問われたとなる

2016年02月04日

49日終わり母の遺骨を墓に納める (死なない限りこの世の欲から逃れられない)



49日終わり母の遺骨を墓に納める

(死なない限りこの世の欲から逃れられない)


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海よりそ今日東風吹きぬ早きかな


白菊と白百合の花遺影にそ向きて咲きにつ今日も暮れにき

墓の中姉の骨あり今はしも何も言わぬや母の骨も入る

人死せば争うことなし人の世はただ変わりゆきそを知らじかも


49日が終わり母の遺骨を墓に納めた。孫も来たのでその接待で疲れた。
お客さんを呼ぶのも疲れる、全部自分一人で用意しなければならないから疲れる
でもなんかホテルとか旅館で客を接待する苦労のようなものを経験で知る
今は何かされる方ではない、絶えず介護であれ何であれ自分がもてなす方になったのである。これもカルマだった。

花を買ったからもったいないからまだ遺影を置き飾っている
遺影に向いて咲いているのは白菊と白百合である
人間はつくづく死なない限りこの世から逃れられない
この世とは欲の世であり欲から逃れられない
死んだときはじめて汚れなき白菊と白百合が向いて咲くのふさわしいとなる

結局今はあまりにも金に翻弄される時代なのである。
もう人は人と見ていない、ただ金があれば人を見ないで金を見ている
だからとても介護など施設ではまともにできないだろう
ある人は家に金をくれときて本当に家捜して大金を失った。
そんなに露骨に金だけを求めるのがあるのかというとそういう時代なのである。
もう人間を人間とみていないのである。
ただ奇妙なのは金持ちが人を雇うとき手伝いさんでも気配りして親切にするのである。
でもそういうことを今は通じない、相手は金しか見ていないからである。


借金して商売した人もそうだった。自分を本当に金として見ていなかった。
何かしたらいくらとしか計算していないのである。
借金している人は相手は金をとるものでしかなくなる
殺してでも金をとるようになるから本当に怖い思いをした
これほどまでに金に支配されているのが現代だということを身をもって知ったのである。下流老人とか言われるが今は貧乏な人が増えて深刻になっているのだ。
もう殺伐とした世界でありただ金しか人間は見ていない
お前もそうかとなれば自分は金に余裕があったから相手を人間的に見て親切にしていたのである。
これも変なんだけど逆に金に余裕があれば相手人間的に接することができるとなる時代なのか?
金に余裕があれば金に左右されないとなるのも現実である。
ただ金のない人に接すると非常に危険になるのである。


ともかく墓には姉の骨は一杯残っていた。太っていて骨も太かったから7年くらいたっても残っていた、6年たって骨が土に帰ってわからなくなった人もいる
今は骨となりもう何も言わない、争ったこともあるがあるのは骨だけである。
それでも夫婦でも一緒に墓に入りたくないというのが結構ある
そんなことより骨は結局土になり何もなくなるのである。
生きているときだけ何かと争うが死んだらもう何もない
墓には骨があるが死者がいるとも思えない
生きている人が死者をいると思い墓参りしているのである。
生きている人がそう思わなければ死んだ人もいないのである。

明日が立春だからやはり今頃に海からの東風が吹く、早いとは思ったがすでに春はきざしているのである。
これからは北風と東風が交互に吹いてくる
今年は気候が変わりやすいから余計にそうなるかもしれない
ともかく納骨が終わりほっとした
何か人が死ぬときそのあとのことは一人で負担が大きかった。
一人というのは何かと老後になったら負担が大きい
病気になったときでも介護でも負担が大きかった。
ただ遺産は一人だと全部もらうから得だとはなるがその分また負担が大きすぎたのである。







タグ:49日終わる

2016年02月05日

冬鴎(相馬市の城跡へ)



冬鴎(相馬市の城跡へ)


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我が町の古木の太く冬の虹

the big old tree

the strengthened one

in my town

a rainbow in winter

冬鴎城跡の堀に数羽飛ぶ

城下町辻を曲がりて冬の暮

城跡に木の根露に冬深む


前に夕暮れに自分の町に虹がかかった。あれはめずらしかった。
ちょうど銀杏の古木があるところにかかったのである。
どこにでも古木はある、たいがい銀杏の木みたいだ


今日も相馬市の歯医者に行った。今日はあたたかいし楽だった。
城跡の堀に三羽ほど鴎が飛んできた、あの城跡からは相当に海が遠い
松川浦は相馬市内からかなり遠い、でもやはり海があるから鴎が飛んでくる
鴎が飛んでくれば海を意識するし海が近いのである。
それで亘理駅からも一羽鴎が飛んできたのを枯野に見た
あそこも海が遠いようでやはり海があるから鴎が飛んでくる
不思議なのは琵琶湖にはいつも鴎の群れがいる
海から飛んできた鴎があそこから離れないのだろう。


今日は5日で立春だけどまだまだ東北は冬である。
ただ今年は雪祭がこれからはじまるが雪が会津の方でも少ないから困っているという。
やはり暖冬なのである。
冬は何か外に出るより冬籠もりである。
冬籠もりしていろいろ回想しているのがいい
老人になると回想が一つの仕事になる。
いろいろな所に旅したからそれを今回想して詩にしている
なかなか旅したときはその場のことがわからない
あとで回想してその場のことがより鮮明になりイメージされる
冬は何か想像力が刺激される季節なのである。

タグ:冬鴎

2016年02月06日

原発で潤った町の所得をみる (までいな村を志向した飯館村がこれからの指針となる)


原発で潤った町の所得をみる

(までいな村を志向した飯館村がこれからの指針となる)



福島県内市町村一人当たり家計所得(2000年) 

原発城下町 
大熊町 342万円 
富岡町 336万円 
双葉町 326万円 

城下町とは呼べない周辺地域 
浪江町 288万円
小高町 271万円(
飯館村 225万円 ←城下町より約100万円低い! 

県の中枢都市 
福島市 323万円(備考:県庁所在地ゆえに優良企業多し)  
郡山市 312万円(備考:別名「経済県都」) 
いわき 297万円(備考:東北第一の工業都市)    



原発の影響が明確に数字的に現れている。浪江町はやはり一段落ちている。
それから小高町はそれなりに恩恵があったのか?
はっきりしているのは飯館村は原発の恩恵を全く受けていなかったのである。
飯館村は第一原発からは遠いから働きにも行けないだろう
その点大内村は原発が見える地点にあり三分の一が原発で働いていたから恩恵があった。辺鄙な村でもそれなりに収入があったのかとなる
飯館村は原発の恩恵を受けてなかったしまでいな村として村作りをしていたのである。
だから今回の一番の被害者は飯館村だったともなる
補償金問題を別にすればそうなる、原発の恩恵は何ら受けていなかったからである。


そもそも原発とともに発展しようとする標語をかかげていた双葉町とはまでいな村という標語をかかげていたのとは正反対であった。飯館牛の村でもあったが飯館村は昔のように農林業中心の村だったともなる
飯館村には街があってもあそこにはスーパーでも昔の万屋みたいで小さいし品物が少ない今の生活ではあれではたりないから車で川俣とか原町に買い物に来ているだろう。
それから歯医者もパチンコ屋もない、小さな診療所はある。
今の時代にこういう村に住むのは嫌だろう。自分の町はそれからするとスーパーでも一軒あるしそれなりのものがある。
ただ隣が市になっているから車で近いから不便とはなっていないのだ。

なかなか遠くなると地理がわかりにくい、飯館村は浜通りでも阿武隈高原地帯にあり隔絶されている。飯館村とか丸森は江戸時代は森林資源が豊富でありそれでどちらにも木材をめぐって争いがあったように資源があった村である。
そもそも森林はもともと相当な資源でありその資源をめぐって入会権で村と村が対立してそれに加担して戦国時代の戦争に発展したという見方もある
それだけ森林資源は当時は大事なものだった。なぜなら木材は建築だけではない、炭の燃料となっていたからである。石油と同じ働きをしていたのである。
それは戦後まもなくも十年くらいは全国に森林鉄道が網の目のようにめぐらされて木材や石などを積み出していたのである。
戦国時代から江戸時代の延長として戦後十年くらいまで同じだったのである。
地方は東京へとかの資源を供給するものとして栄えたのである。
常磐炭鉱も石炭を積み出すために常磐線がしかれたのである。
そういう経済は地方が自立していて地方は地方でその財源をまかなうことができた。
そういう時代は東京の人に限界集落は無駄だとか地方は東京から税金をむしりとって暮らしているとか言われないですんだのである。

村の財源の70%以上が地方交付税等の外部からのものだ。 
村長、村議会議員、村役場職員の給与以外にも、 
村内の特別養護老人ホームの運営費→従業員の給与 
公共工事→村内の土建業者 

村の財源の70%以上が地方交付税等の外部からのものだ。 
村長、村議会議員、村役場職員の給与以外にも、 
村内の特別養護老人ホームの運営費→従業員の給与 
公共工事→村内の土建業者 

という形で住民に恩恵を及ぼしている。 


その後地方は公共事業で高度成長の恩恵に欲した。道路を作りダムを作りそれが地方の土木建築関係をうるおして波及効果があった。その時田中角栄の日本列島改造論が生れたのである。田中首相自体が建築土建屋だったのである。
原発も一つの公共事業だったのかもしれない、なぜならその時加藤建材の社長となった人が真野川の砂利ふるいをしていたのだがその砂を原発建設地に運び大会社になったというのもそれだけ原発は浜通りを経済的に潤したとなる
津波原発事故以後この辺は建設ラッシュになっているからまた建築土木関係は潤っている復興といっても今度は廃炉事業に頼るとか未だに原発頼りだとなる


さらにグローバル経済になった結果ますます地方の自立性は失われ巨大な経済にまきこまれてゆくようになった。
原発は別に電気を供給するだけではない、何か軍事用としてアメリカに要請されてあるとか電気のために是非必要とするものでもない、原発は先進国の象徴として技術を誇示するためにあるともなる
現実に最近石油が安くなっていることでもわかる
石油がこんなに余っているのかということにも驚く、石油がたりない、高いということは言われつづけてきたからである。石油が売れなくて困るというのが理解できないのであるそれで自分は石油の資源国に投資して失敗したのである。
石油は十分にまだたりていたとするとなぜ危険な原発が必要なのかと疑問になるからだ。
いづれにしろ飯館村のまでいな村作りというのは文明へのアンチテーゼとなっていた。
そういう趣旨に賛同して若者でも貧乏暮らしする人はいた。
そこでは様々なものがたりないのだけど足りないことに貧しいことに価値を見いだすという生活を志向していたのである。浪江のダッシュ村とかもそうだろう
そういう人たちは今までも存在したがあまりにも少数なので変わりものとなって要するにテレビのネタにされるだけのものだったのである。
でもそういう生活でも極端だから山尾三省のようにパンが贅沢だとまではしなくてもなんらか今の生活を見直すことが現実的にこの辺では迫られたのである。
大熊町の人は蝋燭でもいいから家族一緒に暮らすのがいいと原発事故で極端な志向になったのである。

自分が接した人でも個々人でも過剰な富を求めていた。借金してまで豪邸を建てるとか事業をして失敗しているのに成功を装い豊かな暮らしをしているとか一人一人を見ても何か金もないのに借金してまで豊かな生活をしていた。
そういう限りない欲望を追及する生活は限界にきているしせう経済は日本でも世界でも成長しない、となると生活のレベルを一段階くらい落とさねばならない、
パンを食べるのが贅沢とはいかなくてもそういうのは今の生活から三段階くらい下になるからせめて一段階から二段階くらいまで落とす生活がすでに強いられているのである。
それでも十分豊かでありもう高度成長のようなことは日本で起こらない、

「めでたさも 中くらいなり おらが春」 小林一茶

何かいろいろ追及してゆくと中道がいいとなる、中道というのは仏教から生れた思想である。とても山尾三省とか戦前のような極貧にはなりたくないが今の経済生活は過剰な富を求めすぎたのである。それが原発をももたらした原因なのである。

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極端になると実践できないが中道になると実行しやすい
それでも人間の欲望をおさえることはむずかしいのだ



posted by 天華 at 17:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2016年02月07日

冬の川子の高台(詩) (太平洋が見えるビューポイント)


冬の川子の高台(詩)

(太平洋が見えるビューポイント)

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冬の川子の高台


長々と寒雲の垂れ
太平洋の沖に一艘の船
川子の高台より見ゆ
なお津波の跡の生々し
その傷痕深く悲しみ癒えず
寥々としてなお残る樹
津波は塩崎の船着までも来たらむ
そは古代の港なりと、、、
万葉の歌にも知られし港と、、、
その時ここは入江にて船の来たりしと
津波は証しぬ古代はここは海なりと
川子の高台の墓地
北風鳴りて冬の陽は
阿武隈の山脈に没りて静まりぬ


川子の高台の道は良く自転車でゆく、電動自転車だから坂を上りやすい
あそこは歩いて上るほかない急坂だからである。
そこから海が見える、見晴らしがいいからビューポイントである。
意外と地元の人でないとビューポイントはわからない
旅をしても観光地でもわからない、あそこには墓地があり山を向いている

そして塩崎がありあの鉄道のトンネルをくぐって船着というところの近くまで津波が来たことには驚いた。船着とは古代に船が来たとして地名化した。
あんなに奥に船が来たというのも謎になる
それで万葉集の陸奥の真野の草原(かやはら)の草原は萱ではなく港の名前だという説を出したのが自分だった

陸奥(みちのく)の真野(まの)の草原(かやはら)遠けども面影(おもかげ)にして見ゆといふものを 笠女郎

陸奥の真野の草原遠けれど、、、となっていても草原を面影に見るということがありうるのか?それをインターネットで解説した。


ともかくまだ津波の傷跡は生々しく五年過ぎても癒されない、十年たってようやく多少癒されるのか?神戸では二十年たっても以前としてその傷をひきづっている
それだけの大災害だったということである。

川子の高台は森になっているがあそこもダンプがひっきりなしに通るようになったので森の静寂が消えた。この辺はいつまで工事がつづくのかわからない
津波の跡もそのままであり復興というのはない、毎日除染でありダンプがひっきりなしに通るから嫌なのである。

あの高台からはいつも太平洋を行く船が一艘見える、太平洋フェリーの船である。
あれには何回も乗ったからなつかしい、六号線でも太平洋フェリーのトラックが来ていた。
何か荷物を運び太平洋フェリーで運ぶのだろう。
あれは名古屋行きであり名古屋にも何度か行った。
北海道の苫小牧には十回くらい行っているのである。
それも介護になり十年以上は行っていない、今になると介護も終わりどこにでも行ける
でもなんか旅も億劫になってしまった。
何か人が混むところに行きたくない、ただ富士山だけは見たいなと思っているから
近々常磐高速道路をバスで東京まで行き新幹線で静岡まで行ってみたいとは思っている


タグ:川子の高台

南相馬市で朝に地震を感じた (震度⒈にもならなっかのかー小さい地震も連続すると危険)


南相馬市で朝に地震を感じた

(震度⒈にもならなっかのかー小さい地震も連続すると危険)


平成28年02月07日19時30分 7日19時27分頃茨城県南部M4.6震度4
平成28年02月07日11時42分 7日11時38分頃宮城県沖M4.0震度1
平成28年02月07日10時17分 7日10時11分頃茨城県北部M3.9震度1
平成28年02月07日10時13分 7日10時09分頃茨城県北部M4.3震度4
平成28年02月07日01時51分 7日01時46分頃父島近海M4.2震度1

朝にかすかな地震を感じた、何時ころだったか?朝の10時か11時か、10時だと茨城県北部の地震が影響したのか?
この辺ではあまり感じなかったろう。たまたまゆっくり座っていて二階で感じた。
自分の二階は一階よりゆれを感じやすいからだ。

今日は日本で四回地震が起きている。19時30分のゆれは実感では相当ゆれて怖かったらしい、直下型地震だから余計に怖かったらしい、その感想を2chで読んだ
なんか気象庁の震度4としてもそれぞれ感じ方は一様ではない
今回は直下型で震度4でも怖いとみんな感じて書いている
関東大震災級の地震が来るとも騒いでいる


要するに大きな地震でも必ず前触れがある、それがあとになってわかる
大きな地震が来てその前触れがわかる
3、11の津波の地震でも頻繁に小刻みに地震が頻発していたのである。
ただ実際は津波が来てからそのことを分析していたのである。


南相馬市辺りでは今朝の地震を感じた人はまれではないか?
その地震が夜の震度4の地震につながっていたのだ
つまり朝のかすかなわずかの揺れの地震が大きな地震の前触れだったのだ

なんか地震がつづいているから関東では東京では不安になっている
やっぱり地震でも前触れがあるからそれを見逃すわけにはいかない
震度1でも大きな地震の前触れのことがあるかもしれない
大地震でも5年後くらいにまた大きな地震があったことが記録されている
そろそろまた大きな地震が来るのか?
それはどうしても関東地方であり東京に来るのか?
やはり注意すべきときが来ているのか?
小さな地震でも連続するときは注意すべきだろう。

タグ:地震
posted by 天華 at 21:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 津波、災難の対処

2016年02月08日

老人は金があっても消費する力がない (消費は今は生産的なものになっている)


老人は金があっても消費する力がない

(消費は今は生産的なものになっている)


老人が金を持っていても使わないから不景気になるとか良く言われる。アイナス金利政策も貯金しても金利がマイナスになったりするからなんとか金を使わせよう、投資させようとする政策なのだろう。
ではなぜ老人は金を使わないのか?そもそも老人は何に金を使うのかとなる
自分も老人の一人だとすると最近買ったものが有効に使えないのである。
自転車からビデオで撮ろうとして最小のビデオカメラを買った。これも前していたから今度はいいカメラでしようとした。
でもビデオカメラ自体使いこなすのがめんどうなのである。
二十年から三十年前にも自分はいち早くビデオカメラを使っていた
それは今と違ってもつだけ重いものでありデジタルではなかった。
これもとってみたがビデオカメラは使いにくい、編集にしてもあまりにもめんどうなのでやめた
人間は買っても使えないのが結構多いのである。特に老人になると道具を買っても使えこなせないのが多くなってくる。

自転車のロードなどはもどんなものかと試しに買ったがたいして乗らずに終わった。
自転車旅行とかをはじめたのは40代であり遅かったこともある。
それまでは鉄道の旅だったのである。それから海外旅行は50代でありそれも遅かった。
そんなことをしているうちに時間は過ぎて今の年になった。
人間は何かをする時間がつくづく限られていてないことを痛切に感じた。
遊ぶ時間すら限られていて意外とできない、まずビデオの動画の編集など相当に時間を食う手間のかかるものだから使えこなすことは若いときでも大変な労力が必要になる


老人が消費しないというとき消費できないのである。消費というときただ消費するのではない、ビデオカメラを買ったらそれを使いこなすとなるとそれ自体もう消費ではない、遊びでも生産的消費なのである。パソコンを使いこなすこともそうである。
こういうのはもう消費とは言えない、生産的消費となっているのが現代である。
ただ金を使って浪費しているだけではないかとはならない、そうしたものビデオカメラでも自転車でもすでに使いこなすこと自体が生産的消費となっているのが現代である。
フラワーアレンジメントをするにもこれも手間であり確かに花を買うと高いがそれを利用して使いこなすことがまたむずかしいのである。
常に消費は生産的消費、創造的消費と結びついている。


旅でもこれも消費だけではない、旅は見聞を広めることであり多様な自然や文化にふれることである。だから実際は相当に集中しないと旅でもあとで何も残らないだろう。
旅もふりかえればそれなりに労力が必要であり生産的消費になる
現代は遊ぶこと自体が一つの生産的消費でありそれなりに手間と労力がかかるものであるだから旅すら年取るとめんどうになりしたくなくなるのである。
もちろん厚い本なども読めなくなる。意外は本がこんなに読めないものかと驚く
本は確かに山積みになっているがどれだけその内容を読んだかとなるわずかになってしまう。
つくづく人間のやれることは本当に限られている、そのうち時間切れで終わるのである。これしかできなかったのかとふりかえり終わる


老人は金があってもその金も使いきれない、それを何に使うのか?孫にその遺産を残して使わせるとかなってしまう。
そして最近の世界経済を見ると世界的になぜこんなに経済が低迷してきたのか?
なぜ原油安になっているのか?そもそも原油安ということはありえないことだった。
資本主義は今資金も膨大に余っている、原油も余っている。その使い道がないということで老人ともにている。
余った金がどこに流れるのか、中国のような巨大な発展する国もないからますます金もあまり石油もあまってくるのである。


だから現代の資本主義がもう発展する国もないから投資する国もないから停滞してくる。何か大きなもうけをだす国もないし発明もないのだろう。
何か飽和状態になりゆきづまっている。資本主義を維持するものがなくなってきている。そうなるとどうなるのか?資本主義は社会主義的要素が強くなるかもしれない、格差が大きいというとき全体の経済発展でもグローバル的にも無理がきているというとき金をどこに回せばいいかといったらそれは格差解消となると金のない貧乏人に回せとなる
それは福祉的政策でありそれも批判されてきて民主党では経済発展できない、不景気になるとして経団連の指示する自民党に変わりアベノミックスで株価をあげたのである。
それもゆきづまっているのは世界経済の影響がある。
世界全体が経済成長する資本主義が限界にきているからそうなる
全体の成長を先にしてそさから下々に金が回すというやり方がうまくいかなくなっている銀行だって有望な成長する投資先がないからこそ金をもっていても有効に働かないのである。

そして老人が金をもっているというときなぜ使わないかとなると生産的消費する力がないことと老後が長くなっているから将来の不安のために貯蓄していて使わないのである。
老後というときあと十年くらいで終わりだなとなれば意外と金の見通しがつく、これがあと二十年もつづき自分のように国民年金だとすると金が確実になくなり下流老人化するという恐怖になるから金を使わずに貯金するようになる
老人が金が使うのは結局病気と介護に最期は使いなくなる。
なぜこんなに薬屋が多いのか?この辺でも病院が街の中心でありその回りに薬局をとりまいているのである。
つまりそれだけ老人が医療に金を使い国でも使うからそうなっている
何か社会が歪(いびつ)になっているのである。


介護はそれなりに意味があっても生産的ではない、子供だったら若い人だったら健康な人だったら料理して出したらみんな食べるけど介護される人はうまそうにも食べない、いやいやながらやっと食べている、そういうものを見ていると料理する方もやりがいがないのである。うまいうまいと食べてくれればやりがいもあるがそれもないのである。
もう老人は介護状態になったら食べ物すら消費できないのである。
でも別に介護状態にならないなら何か自分は旅しないから最近いろんなレストランに回って食べている。
この辺ではいろいろないにしろそれなりに味も違い雰囲気も違う。
この辺ではレストランなどは外部の人が多いから結構繁盛している
老人でも意外とこうした料理には金を払う人が多いかもしれない、食べる楽しみが意外と介護状態にならない限りかえって金をかけることがある
病気とかにならないためにも料理が大事になってくる。すると食べ物に気をつけるうよになる、特に野菜はなるべく肉類などより食べるようにしているのが老人なのである。



タグ:老人の消費

春の蝶(抽象画)



春の蝶(抽象画)

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芽吹き
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春野


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抽象画でもやはり具象画がベースにある
これは蝶のようだと思い蝶にしあげる
これは意図的に具象画的にしたのである。

抽象画は何か作るのに疲れることがある
何度もソフトを操作することで疲れる
それで嫌になることがある

それでもしているのはなにかしら創作的なところがあるからである
花とか蝶はテーマとして作ってきた。
そういうものをまとめる時期にきている
タグ:春の蝶