2016年01月26日

原発避難者に一方的に同情したテレビ報道の欺瞞 (もうかわいそうだというのはいい加減にしてくれ) 原発避難者に一方的に同情したテレビ報道の疑問 (もうかわいそうだというのはいい加減にしてくれ)



原発避難者に一方的に同情したテレビ報道の欺瞞

(もうかわいそうだというのはいい加減にしてくれ)


今日のテレビで小高区の人がテレビで訴えていたけどそれも一方的なのである。
避難者の一方的な発言ばかりをとりあげている、そういう面もあるにしろ現実には常に二つの側面がある、こういうことで自分も失敗した。
争いには二人の言い分があり一人の言い分ばかり聞いていると正しい判断ができないのである。
マスコミは必ず取材するとき取材者の言い分を重んじる、取材者の主張にそって取材して報道することを望む、だからこそ取材と報道に協力するのである。
もし非難めいたことを報道するなら報道するなとなって取材もできないからである。
ここに報道というのが一方的に常になってしまうのである。


第一五年も過ぎるのに未だにかわいそうだ、かわいそうだというのはもういい加減にしてくれともなる、ずいぶん遊び暮らしたのではないか?。
毎日パチンコだ、競馬だ,ギャンブルだとか遊びあきたのではないか?


国民年金だけしかもらえない人が多いし仮設から出ることが不安な人が多い

馬鹿もいい加減にしてくれよ、どれだけ補償金もらったんだよ

もっとくれ、もっと支援してくれ、俺たちはかわいそだと思わないのか

もう年なんだから死ぬまで補償してくれ

それが当然だ、それだけの被害を受けたんだ


鹿島の人はみんな買い物にしてくれたから助かったのよね

鹿島区の議員の人も援助してくれた

私たちはもっと補償される期間をのばしてもらいたいわ

浪江だとあと二年だよ、うらやましい


こんなことを一方的に報道するテレビは何なのだとなる
こういう報道すれば原発避難者をつけあがらせるだけではないか?
原発避難者に対して怒りを覚えている人も相当いるのである。

第一5年もすぎたらもう区切りでありどこまで補償せねばならいのだと国民も税金から補償金を払うのだからフクシマの人間は乞食だと批判している
福島県内でも放射能の被害があっても何にももらえない人がほとんどなのである。
あれだけ手厚い補償きれたのにさらにもっと補償してくれ、支援してくれ、それが当然だ
結局このことも現代を象徴しているのである。弱者になり集団化して補償を要求する
そういうことにはなかなか批判しにくい時代である。
そういう手法は戦争で中国でも韓国でも日本を責めるのとにている。
沖縄でもそういうことで国から金を予算としてもらうから国民から批判されるのである


そもそも小高にはもうほとんど帰るのは老人である。小高を見捨てた人が多いのである。復興しようとする人より見捨てた人の方が多いのである。
そこに住む人が復興する気がなくなったら外からいくら支援しても無駄だろう
なにかしら復興しようとするならば外からの人も協力するがそこに住む人がすでに復興する気もなくなっている
それより補償金もらって外で暮らした方がいいとしている
だから飯館村でも寄付金を募っているがその寄付金を何に使うのかというのも疑問になるギャンブルしている人のためにもう村を捨てた人のために使うのかという疑問もある
もし本当に村でも復興しようとすれば多額の補償金をもらっているのだからその金でなにかしら村を復興させようとするだろう。
現実は補償金で遊び暮らしてもっと長く死ぬまで補償金もらった方がいいとなっている
特に老人になるとそうなるからかえって今度の原発事故の避難者は得したなと外から見ている人も多いのである


いづれにしろテレビとかマスコミは一方的な報道しかしない、こんなに一方的に避難者の言い分だけとりいれることに腹がたったのである。
福島県でも会津からどこにでもいてそういう人たちを周りの人がどうみているか?
そういうことは他では文字系だと報道している、テレビは何か一方的になりやすい
インターネットだと今見た番組を批評しやすい
リアルタイムでも批判しやすい、そういう時代だからそうした一方的なテレビの報道に対して言うべきである。テレビがそうして独占して報道する時代は終わっている
常にインターネットからでも批判にされされるものとして報道するべきである。


タグ:原発避難者
posted by 老鶯 at 19:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連