2016年01月24日

津波原発事故による地域の崩壊 (広域社会は金にたより外へ流出させる)


津波原発事故による地域の崩壊


(広域社会は金にたより外へ流出させる)


津波原発事故での最大の問題が人口の流出でありそれも若い人の流出して市町村が維持できなくなることだった。
女川町では20パーセントとか流出したとか他でも人口が流出して町自体が維持できない状態になった。
そこで若い人が流出して老人だけが取り残されるのは同じだった。
老人はその土地とか仲間とかに執着する度合いが強い
住み慣れた所に住みたいというのがある。それで限界集落でも子供が出て行っても老人は以前として残っている。そこに長い間ともに暮らした仲間がいて安心なのである。
一見孤独のように見えてもそうした限界集落では長年つきあった仲間がいて安心なのである。
だから離れたくないという気持がわかる、一方で若い人がいなと村でも町でも維持できない問題がでてくる。特に現代は便利な社会だから余計にそのインフラを維持するだけで費用も労力もかかるから老人の言い分だけを聞いているわけにはいかない
つまり東京の人がそうして文句を言うのは地方交付税とかで税金がとられそうした限界集落でも田舎でも今は財政でも地方交付税の額が大きい

南相馬市だと

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どこでも一割とか二割は地方交付税になる。それから県からの財政の支出も5割とか多い
道路とかはほとんど県からの支出だし公共事業もそうである。
その県へも国からの金でまかなうということがある。

県の財政も半分くらいは国の財政から出ているのである。

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。特に震災以後は福島県ではその割合が大きくなった。県であれ市町村であれ自主財源は半分以下なのが普通である。
その国から支給されるのが国民全部の税金だから地方は金を無駄にしているとか限界集落はインフラに金がかかるから税金を使うべきではないと言われる
広域社会というときすでに国のシステムでもそうなっている。

江戸時代とか明治以降でも戦前から戦後十年くらいはそもそも燃料は炭であり水道もないし道路は舗装されていない、インフラに金などかけていない、医療でも福祉でもそんなに金をかけない、かけられない社会である。
そうすれば他からの苦情もない、炭焼きして自分たちは自分たちでまかなうという誇りがあった時代である。材料にしても家でも地元の木材で建てていたし地元の大工が建てていた。今はみんな外部頼りであり津波で家が壊されたとしても外部の会社が来て建てているのである。
経済でも広域社会になれば外部頼りになる割合が大きくなる。
外部頼りになるということは世界経済になれば金が頼りになる社会になってしまう。


前にも書いたがこういう広域社会グローバル化社会は地域の独自性とか独立性まで破壊してしまう。第一炭から石炭から石油から原子力発電というエネルギーの変化を見れば経済がすでにグローバル化している。
石油なしで田舎だろうが成り立たない、すると中東の紛争など関係ないと田舎でも言うことはできない、もし自給自足だったら炭でやってゆくから石油はなくてもいいと言える
それが限界集落だろうがそこでは電気も石油も使っているから言えないのである。
自分の矛盾もカナダが石油がとれるから投資するにはいいと投資した。
結果は石油安で裏目に出たというすでに田舎でもそうしたグローバル経済にシステムに組み入れられているのである。


その結果として何が起きたのか?

●家族の破壊

●地域の破壊

●共同性の破壊

家族といっても核家族化したときからはじまっていた。それまでは大家族だったのはそういう生産のために農業中心であれば労働力が必要であり大家族だった。
それが戦後は工業化社会であり核家族化になったのである。


だから原発事故でば何かそうした社会の矛盾が極端なものとして現れた場所となったのである。
三世帯とかで暮らしていた家族が若い夫婦は親や祖父母から分離して別々になる。
若い人は故郷から流出してゆき、老人だけが取り残される
別に金さえあればどこに住んでもいいというのが広域社会だからそうなる。
そして農業は土地に執着するが工業社会は土地に執着しない、会社は工業だと部品を作っているのだからどこでもいいのである。
その土地とはほとんど関係ないのである、会社が移れば人も移るとなってしまう。
そして人々の心は金さえあればいいということが強いものになっている
その土地とか仲間より金だとなっているのが現代である。

一方で矛盾しているのは老人になると長年住んだ土地と仲間とかの執着が強くなるから離れられない、それでもどりたいという気持がわかる
限界集落でも老人が離れられないのはそのためなのである。
若い人は特に子供などは別に故郷に執着しない、新潟に一カ月くらい避難した人が言っていたが一カ月くらい学校にいても別れるのが嫌だったとか子供はすでにそんな期間でも親しくなるのである。
子供はすぐに環境に適応しやすいから生れた場所が故郷ではないのである。
たがらすでに故郷から離れて一年でも過ごせばそこに友達ができてそこが故郷ともなってしまうのである。そしたらますます生れた故郷には帰らなくなるのである。


いづれにしろ津波原発事故で起きたことはそれだけが原因ではない、社会の矛盾が極端な現象として現れたのでてありその社会を形成していたもろさが一挙に露呈したのである。小高でも塚原とかの人は帰らないという、そこは部落として結束の強い場所だったがそれも崩壊した。津波のせいもあるがやはり共同性が結束が保てない
補償金をもらったら地元の復興とかより金をもらって便利な生活をしたいとなる
つまり金があればどこに暮らしてもいいというのが現代だから当然そうなる。
仲間があったとしてもそれより金だというのが現代の広域社会だったとなる
共同体の結束が弱体化しているから津波原発事故で崩壊したとなる
何かその共同体が崩壊するとき内部の原因も大きい
ローマ帝国でもインカ帝国でも崩壊したのは内部的要因であり外部的要因ではないというそういうことがこの辺でも起きたのだと思う。
すべてが津波原発事故のせいとはいえないのである。

タグ:地方交付税
posted by 老鶯 at 14:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連