2016年01月21日

冬籠る俳句十句(老いをともにする場は田舎がいい)



冬籠る俳句十句(老いをともにする場は田舎がいい)

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土地の人毎日来たりて冬籠る

故郷の人と老いるや冬籠る

母死して四九日や冬籠る

残さるる大きな家や冬籠る

薪積みて貯ふ蔵や冬籠る

野鳥にも糧のあかし冬籠る

石六つ飯館村や冬籠る

曲屋や只見の遠く冬籠る

冬籠る津軽や遠く暮らしかな

みちのくの大地に根付き冬籠る

故郷や墓を守りて冬籠もる

故郷に老いをともにし冬籠る

樹々の列ここに変わらず冬籠る

寒雲に二両の電車や昼の月


中里のタクシー運転手あわれかな冬の厳しく終着駅かな

中里のタクシー運転手仙台に住む息子あり冬の淋しも

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冬籠るというときそこに暮らしがないと季語が活きてこないということがある。
昔だと本当に冬籠るということが生活そのものでそうだった。
自給自足だから冬籠るというとき生活そのものが薪を積んで薪を燃やして貯えたもので暮らしていたのである。
現代は都会だと冬籠るという感覚がない、生活的にも別にいつもと同じであり不自由しないのである。
冬籠もりというときまだ会津の方には曲屋が残っている、そういう所では自給自足だった雪に埋もれているのだから余計に雪国は冬籠るになってしまう
もう外に出るのも容易ではないから家にもこもってしまう
でもそういうの不便で嫌かというとそうでもなかったかもしれない
もちろん不便なのだけどそこに味わい深い時間があり空間があったともなる
冬は何か回想するのに向いている。薪をくべて燃やしたりしていたら余計に想像力が刺激されるのである。

奥会津では今も曲屋が残っている、あれも馬がいたし一つの城のようになって冬籠る
何か冬籠るというとき老人にふさわしいのかもしれない
毎日土地の人がくる、それは老いた女性である。でも六〇代は今や老人とは言えない
限界集落のようにな所で息子や娘が都会に住んでいて一緒に住めといってもその土地を離れたくないというときその気持がわかる
都会には冬籠るという感覚がないし季節感も希薄なのである。
もちろん田舎でも実際は都会化している、昔のような自給自足の生活とはほど遠い
都会と同じように便利な生活をしているのである。


人間が本当に自然と一体化するというときそれは野生の動物や野鳥のように生きるときそうなる、冬でも野鳥を養う実があり動物も生きている。何かしら糧があり生きている。
人間もやはり野生の動物とかとたいして変わりない生活をしていたときがそうなる
現代はそういう生活をとはかけはなれてしまった。
自分は不便でもなにかこうして冬籠るという季節感のある田舎で暮らしたいとなる
便利なものだけがいいのではない、不便さがあってそれもいいなともなる


旅を回想すると只見の方に自転車で行ったことがあった。そこにも曲屋があった。
そして津軽にも春に行った。そこの津軽鉄道の終点の中里駅の一軒のタクシー運転手のことが心に残っている不思議である。
いか。にも最果ての地のタクシー運転手だとなる。
津軽鉄道は中里駅まで行きそこから十三湖を見て帰るのが旅情を味わう旅になる
仙台に息子が住んでいるというのも青森では仕事が少ないからそうなる
その津軽だって雪国の暮らしがあったのである。


飯館村は石が六つくらいあいの沢にある、そこに人が住んでいればまさに冬籠もるにふさわしい場所だったのである。
標高が高いしいかにも冬籠もる村としてふさわしい場所だったのである。
どっちかというと雪に埋もれた所は冬籠もるにふさわしい場所である。
なんか最近はあまり歩きたくない、遠くにも旅もしたちない、一カ所にじっとして冬籠もり回想しているのが老人にはふさわしいとなる
そして老人は墓守りであり老いともにする場として田舎はふさわしいのである。
それで原発の避難区域で老人が故郷に帰りたいとういう気持だけは自分にも共通しているからわかるのである。
補償金問題は別にしてその気持はわかるから同情するのである。
故郷は老いの場所であり死ぬ場所としてみている人は少ない
若い人が故郷を出るというのに抵抗がないのもわかる、でも老人は住み慣れた場所を出るのは苦しいと思う
復興団地に津波の被害にあった老人がここは嫌だというのもわかる
その人は広々とした海岸の家に住んでいたからである。
団地は何か牢獄に閉じ込められた感覚にもなるだろう。庭もないし広々とした家に住むのとは相当違ったものとなるからだ。

故郷は何か老いをとにするのにはふさわしい、老人になればやはり都会より田舎への回帰が起きてくるだろう。もちろんそうでない人もいる
そもそも東京とかなるとそこはもう自然からかけはなれ場であり非常に危険な場所でもある
地震とかで車が渋滞になって身動きとれないとかなるのは怖いことである。
そして水も燃料も食料も得られなくなるかもしれない
津波でも裏山の清水をくみ薪を燃やして米をたきとかしのいだ人がいたがそれもできない都会というのは災害に弱い、その時便利なものが車でもビルでも何でも障害になって人間を殺す凶器になるのだ。
そういう自然から離れた生活は本当は相当に危険をはらんでいる。
もちろん津波では田舎でもその危険を察知できなかった。
でも都会はイメージすれば本当にその怖さを知ったら住んでいられなくなるだろう。
何か都会にはそうした大災害が関東大震災のようなものが起きる不安かある
その時裏山の清水を飲み薪でももやししてしのぐことはできない
水も食べ物も燃料も得られなくなるから怖いのである。


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