2016年01月17日

冬深む(人は老いれば故郷と一体化する)



冬深む(人は老いれば故郷と一体化する)


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こんなに実がなっていた不思議


故郷に古木一本冬深む

one old tree

in my homeland

in the deepest winter


故郷に老いてともにし冬深む

故郷に樹々の根づきて冬深む

家の跡松一本や冬深む

縁切れて遠のく人や雪のふる


故郷のここに根を張る樹々の列今日も通りて冬の日暮れぬ

石一つ雪に埋もれて椿映ゆ正直なる女(ひと)ここに眠りぬ

誰かしる雪に埋もれて石一つここは墓なり椿散りにき


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今年も冬らしくなった。この頃は寒いのだけど自分は好きな面もある。冬は何か心を内面化しやすい、冬深むという感覚も日本的なのだろうか
温暖化したらこういう感覚も四季の感覚もなくなるから嫌なのだ。
東南アジアの人が雪を見に来るのもわかる、雪がふらない、見たこともないからだ。

故郷というとき何なのか?それを今回の原発事故などで故郷に住めなくなったことで問われることになった。
故郷とは実際何なのかわからない、ただ故郷とは長く住んだ所であることは確かである。だから子供が故郷から離れて他でなじんだ生活をすればそこが故郷になる
別に生れたところが故郷とも言えないのである。
ただ代々つづく家はやはり故郷の思いが深いとなるだろう。


なんか土手の桜の樹の列を歩いているとそこに根付いている樹々を見るとそれがいかにも故郷に根付いた人間のように見えるのである。
故郷に根づくというときやはりもともとはその土地のもので暮らしていればまさに樹のように根付いた生活になる
だから昨日書いたように寒木が変わらず十数本立っていた。そこにヒヨドリが群れ集まり鳴いていた。
そこには実がなっていたのである。つまり故郷に実がありそれを食べていればその土地に根付いて暮らしているともなる
昔は自給自足が基本だからみんなその土地土地に根付いて暮らしていた。
今は食料でもグローバルに入ってくるからそういう感覚はなくなる
すると何か金さえあればいいとなり故郷とに愛着をもたなくなるのかもしれない
その土地にとれたもので基本的に暮らしていればその土地に愛着ももつようになる
外国から入ってきたもので暮らしていたら金がまず大事になり金さえあればどこでもいいとなってしまうからである。
この辺は補償金をもらってそうなったともいえる、そういう社会も疑問なのである。


いづれにしろ人間は長く住んでいれば自然と一体化してゆく、今回の俳句は内面的なものである。古木というときそれも人間なのである。
人間も自然の生物の一つだから自然と一体化するのである。
この句はあまりにもシンプルなんだけどそのシンプルなものに味わい深いものがある
芸術は本当は複雑なものではない、シンプルなものに深いものがある

ともかく原発事故などで避難区域の人が故郷に帰りたいというのがわかる
それは本能的なものなのである。
人間は長く住んだところで古木となり老木となりやがて朽ちてゆく、生物の一種だからそれは本能的なものである。
それを奪ったということが酷いのである。ただ補償金の問題はまた別である。
故郷に夫婦でともに老いてゆくというときそれも生物として自然だとなる
その中で心も一体化してゆくのが理想だか人間はなかなかそうはいかない
故郷でも人間関係はいびつでありいいものではない、近くでも縁が切れた


一つの石を置いた墓が雪に埋もれている、そこに椿が映えている、その女性にふさわしいものだった。前に書いた馬鹿正直な女性の墓なのである。
その墓が誰のものなのか、誰も気づかないのである。


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