2016年01月12日

葬式も出せない貧乏な時代? (栄える家にはやはり何かの理由があるし逆もそうである) 葬式も出せない貧乏な時代? (栄える家にはやはり何かの理由があるし逆もそうである)


葬式も出せない貧乏な時代?

(栄える家にはやはり何かの理由があるし逆もそうである)

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金がなくて葬式が出せないと福島県でこれだけ事件があった
やはり葬式も出せないほどの貧乏人が増えているのかとなる
全国的にもこういう事件が多いからである。

どうしていいかわからなかったというとき近所つきあいなどがなくなったからだとニュースでは言っていた。
それもある、本当にどうしていいかわからなっかたのだろう
自分は一回経験しているからなんとかできたが葬式というのは何回も経験できないからわからないのである。
人間ははじめて経験することに弱いのである。
今回の母の葬式は納棺から火葬からと時間的余裕があってしたから葬式とは埋葬するとはこういうものかとわかった。
納棺→火葬→お骨(47日)→納骨となる



 静岡県警熱海署は15日、妻(60)の遺体を空き地に埋めようとしたとして、死体遺棄容疑で同市内に住むアクセサリー販売業の夫(59)を現行犯逮捕した。「葬式を出す金がなかった」と供述しているという。自力で“埋葬”することになった経緯を同署に聞いた。

 

なんかこういう事件がよく報道される、葬式を出せないほどの貧乏なのか?
それとも安く葬式を出せることを知らないのだろうか
それとも親の年金をもらいつづけるために親の死を隠しているのか?

本当に貧乏で葬式を出せないというのも結構ある
とすると今はそれほど貧乏な人が増えた時代なのか
それにしても葬式は20万あればできるからそんなに貧乏なのかとなる
20万の金がない、融通できないとなると相当な貧乏ではないか?
こういうことに現代の世相があり貧乏な人が増えた

親の年金で生活していたような人も多いから親が死んだらその年金をもらいつづけるために死んだことを隠す、それも貧乏のためである。
だからこういう事件がこれからも介護殺人と同じように増えてくる
事件は必ず世相を反映しているからだ。


親に頼るというとき今の老人は金を持っている人はもっている、若い人はもっていない、貯金のほとんどは老人がもっている、それで若い人が貧乏になり親に頼る
それで親が裕福な人とと貧乏な人でまた経済格差が生れる
そしてもう一つ親の遺産でも差がつく、親の遺産をもらわないとどうしても貧乏になる

やはり裕福になるは一代で築き上げることはむずかしい
豊になるのは先祖の力が功績があってなる場合も多い
自分の家系を例にすれば実家には墓しか残っていない、そこには墓しかない
だからその家系に連なるものが来ても何の恩恵もないのである。
墓に来て墓参りするだけでありあとは何もない
一方で母が嫁いだ自分の家は大きな家が残っていてそこに泊まれるし金も多少やるから恩恵がある
誰もなにも恩恵がないところには普通は来ないのである
実家は祖父が事業を失敗して一家離散になったから家もなくなり墓だけが残ったのである

家もいろいろあり謎だがその家が栄えるということは何か原因がある、



積善の家には必ず余慶あり
(せきぜんのいえにはかならずよけいあり)

「易経」より

善行を積み重ねた家は
その子孫が幸福になるであろう


積不善の家には必ず余殃有り。 
(せきふぜんのいえにはかならずよおうあり)

余殃とは、
祖先の悪事の報いとして、子孫に災難が及ぶこと。



これはあてはまる,なぜ自分の実家は墓だけしか残らないのか、一家離散になったのか?
それはそういう原因がやはりあったとなる、それは複雑だから簡単には言えない
一方自分の家はなおまだ家があり財産が多少あるのか?
それはやはり「積善の家には必ず余慶あり」があり自分の父親が善行を積んだためだとなる
ただ一方で全部が善行とはなっていないが一面そういうことがありそれが家が栄えた理由なことは確かである。


ともかく実家の墓は何か悲惨なのである。若くて肺病で25才で死んだとかもう一人兄は40才で交通事故で死んだ、そして一家離散になっているから不幸な家系だとなる
ただどこの家系でもたどれば不幸な人がいる、何かそうした不幸な人がいて幸福な人がでてくる。
だから家系も実際は不可解なものであり何なのだろうとなる
ただ良い家系につかないかぎり恩恵はない、実家の墓だけであり何の恩恵もないのである

今回の母の葬式は納棺から火葬からと時間的余裕があってしたから葬式とは埋葬するとはこういうものかとわかった。
納棺→火葬→お骨(47日)→納骨となる
死者を葬るのも儀式なのである。一番のショックは火葬なのである。何もなくなってしまうことは本当にショックである。
今日実家の墓の中をみたら兄の骨壺がなく他の骨と一緒になり土になっていた
木の骨壺だったのでそうなったのか?これも娘に返すことができなくなり困ったことだった
葬式とかこうした埋葬とかやはり文化がありそれは仏教がになってきた。
ただ戒名とか死者というわけのわからないものにまた死者の恐れをいいことにそこで金儲けするのはこれも何か重い罪のように思う
カルト宗教団体が政治のために宗教を利用するのもそうである。
そうした俗世のために利用したり死者という恐れをいいことに金をとるやりかたは相当にあくどいと思う
供養だったらその人の心しだいであり心から手をあわせればいいことである。
金など必要ないからである。花くらいはどうしても必要だが他は心から供養することであり何もいらないのである。
ただ死者を葬ることは昔は村の共同体がありしていた、それがなくなり個人個人ですることは難儀である
今は葬儀屋がするのだがそれもまた違和感があり納棺師とかが話題になった
それは死者に対してどうして対処していいかわからないからそうしてこまた専門家が生れたのである。

ともかく母の死後の処理に追われている、人が死ぬとそうした因縁がいろいろとでてくる47日過ぎて納骨すれば一段落である。それまではまだ落ち着かないのである。

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