2016年01月05日

人間の最後に伝える言葉は重い (遺言は書面でなくても実行しないと怖いー認知症でも正気になることがある)


人間の最後に伝える言葉は重い

(遺言は書面でなくても実行しないと怖いー認知症でも正気になることがある)


『なくなる前にあなたにあげると言われた財産・・・』

『口頭で伝えられた場合、有効になるのだろうか・・・』

『これは私が受け取ることができるのだろうか?・・・』

遺産相続の場面でよく問題になるのがこの口頭での遺言です。遺言は書面で残すことが原則とされ、「口約束」での遺言は遺言とは認めらません。しかし、まったくの無効ではありません。


この世の中すべて法律では問題は解決しない、確かに「口約束」とか破られやすい、だから絶えず文書で証書として残すことが必要になる。
ただ人間は証書だけではない、何か人間は最後に死が近づくと何か言い残してしてもらいたいことを言う、盛んに言うことがある。
認知症の人でもそういうことがある。認知症でも死ぬ間際とか正気になるし一時的にも正気になることがある
それがまた認知症の不思議である。
人間は死に近づくときは認知症になって何もわからないから無視していいともならない
そして遺言は法律的に有効かどうかの問題だけではない、法律は別にモラルを実施するわけではない、つまりモラル的に見れば別に口約束とかでも一旦約束したことは実行しなければならない、それを証明するものがないにしろモラルはそうである。
またモラルは強制はされない、罪を犯すなといってもそれを強制はできない、良心が問題になるのであり良心にはじることはするなとなる
別に良心にはじることをしても法律的に罰せられることもないことは多い
だから法律で罰せられない人は非常に多いのである。


遺言というとき何か書面ばかりだと思っているが人間が死に近くなると何か言い残したいことがある。それが母にあった。
死が近づいたとき入院する前に大声で「いくらいくら金は孫にやれ」と言ったことに驚いたのである。
それは最後に力をふりしぼって言ったのである。
それはただ口伝いだから守らなくてもいい、正式な遺言でもない、でもその大声で言ったことに恐怖した。その最後に言い残したことは死が近づいたときに言い残したことには重みがあると思った。
そのことを言ってあと一カ月くらいで死んだからである。
その額は少ないからそのことを孫に伝えて了承してもらった。
それは別に書面ではないし法律的にも権利があるわけではない、でもその最後に言い残したことは重い、恐怖も感じた。
それを守らなかったら死者になっても恨まれるという恐怖を感じたのである。
その額は少ないしそれで孫にも了承してもらったから良かった。
自分は孫には払うつもりがなかったが払うことにした。それは孫にも事情があり払いにくいことがあったからである。

母が死んでからもその最後に言い残したことは無視することができない、つまり死を間際にしての人間の言葉は重いということである。
それが書面でどうだこうだとかではない、それを裏切ることは怖いことだなと理屈ではないものとして感じた
ただ自分としてはその額が少ないから了解したともなる
その額が大きいとやはり人間は欲があるから実行できないとなる
額が大きいものになればそれは法律的な処置が必要なのである。
いくら死ぬ間際でもそれは実行されないことがあるから書面にして残せとなる


とにかく死後の整理はめんどうである、それは金にかかわるものである。
自分の場合は兄弟とかいろいろ係累がほとんどないからむずかしいことにはならなかったこれが兄弟が一人でもあればめんどうになる
一人兄弟はいてもすでに事故で20年前に死んだ、その孫が生きているので母は最後にそのことを伝えたのである。
ただ自分には死ぬ間際にその最後の力をふりしぼって伝えたことは無視できない、それを実行しないと恨まれるから怖いと思った。
金にまつわることで何か恨まれることがあると人間は怖いと思う
だから何か良からぬことで金を得てもそれが怖いと思う、その金で誰かの恨みをかうとなることは怖いことである。


最後に自分に死ぬ間際に「ひどい娘だ」と言い残して死んだ女性がいた。
それは親戚の女性だけど家で交際していない、その女性とも交際していないから子供のときあってからもう40年とか会わなかった。そしたらその女性はまるで変わった人になっていたのである。
その「ひどい娘だ」と自分に言い残して死んだ女性は母であり別にいじめたわけでもない、良くした人だった。血のつながりはないにしろその娘には尽くしたのである。
そしてその娘が自分の家に来て叔母にあたる母に信じられないことを言って狂気のように去って行った
そのことで「ひどい娘だ」ということを自分も認識した。
でもその女性は全くいい娘だと世間に装っているし誰もそんなことを思わない
でも何か人間が最後に言い残す言葉は重いなと思った。
いくら装っても偽っても人間が最後に言い残すことは忘れられない、重くしのかかる。
だから介護でも恨まれるようなことがあると困るから苦しくても耐えねばならないということはある。でもこれも限度があるが何か人間の最後はやはり重いものとなることは確かである。

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