2016年01月25日

故郷とは何か(一つの詩より考える) 土地所有(エンツェンスベルガー詩集より)


故郷とは何か(一つの詩より考える)

土地所有(エンツェンスベルガー詩集より)

ぼくがぼくの目できりひらいた土地
ぼくがぼくの今日の手で抱きすくめる土地
ぼくの土地、ぼくのはかない土地
うとましくもしたわしいこの時代のために
おまえを呪ってぼくのものとした
喜びに輝いている土地

ぼくはおえまの名を言おう、語れ
語って言葉をぼくに返せ
言葉のないおまえの口から


ぼくの土地、ぼくはおまえはいたわりはしない
ぼくはおまえを自身ははかない身で
このはかない光にかざしている それぞれが
それぞれの美しい夏の照り返しを受けて
オリーブの影のように軽やかなぼくの土地
おまえの輝きつつ息づいている
あたたかな境界をぼくはうるおす
そしてぼくは朽ち果てることにオリーブの影のようにさからって
おまえの上に休らいでいようとおもう

ぼくのかぎりない土地
ひじではかりとることのできる土地
ぼくのやさしい領分、オリーブの木影ほどの
一つの墓ほどの大きさの領分
ぼくに残されている年月のなかの
血なまぐさい瓦礫にさからって花咲いている土地


この詩は何か面白い、なかなか詩というのはいろいろあっても知らないのが多いのであるこの詩人についても何もわからなっかたし他を読んでも理解できない、詩は詩を書いていても一般的に理解しにくいのが多いのである。
この詩は原発事故などで故郷を失ったことで故郷を考えるのにふさわしい詩である。
これは別に故郷を詩にしたものでもない、一つの自分の土地を所有しことで詩にした
実際は故郷となるとこれよりずっと広い感覚の土地だけで故郷とにていないこともない
これはヨーロッパの貴族の私有地感覚なのだろう。

ぼくがぼくの目できりひらいたというとき、それは自分の手で苦労して開拓した土地とは違う。目というときそれは画家とか詩人とかが芸術化した土地のことである。
自分は石とか樹をテーマにしてそれをしてきた。それをなんとか詩集にまとめようとはしている。
オリーブの影のように軽やかなぼくの土地、、、というときこれも庭園的な感覚である。でもこの辺では故郷と言っても相当に広い、広い森があり飯館村なら森におおわれている70パーセントが森なのである。原始の暗い森におおわれているとなる
夏には暑さ知らずにそこの道は影がおおっていて涼しい風が吹く、その道は日一人くらいしか通らない、そういう道はどこの田舎でもある。
そういう場所があって安らぎがある、原町からでも鹿島からでも飯館村に行く道は森でおおわれていて暗い、だからこの詩のオリーブの影のようなよりもっと原始的な暗さの森がおおっている場である。


ただ自分は故郷を往き来しているからここは自分の領分の世界だということは共通している。ほとんど行き尽くしているがやはりかぎりない土地であり発見がある
ひじではかりとることのでる土地、、、これは目の前の小さな土地だが故郷でも相馬藩くらいになると自転車で行ける範囲であり距離的にも空間的にも計れる範囲なのである。
ただ実際は浪江辺りまでになるとまだ道の領域がある、狭くても計りきれないものがある

ぼくはおえまの名を言おう、語れ
語って言葉をぼくに返せ
言葉のないおまえの口から

これは面白い表現である。自然は大地でも山でも樹でも石でも自らは語らない沈黙の場なのである。
こんなふうに放射能で汚染されようが何されようが自然は語らないのである。
言葉はないにしてもその自然を汚せば自然は人間に復讐するのである。
原発に対しては自然が怒ったのかもしれない、それが津波となり人間を住めなくさせたた自然に言葉がなくても何もしないということではない、自然を汚すものは自らも汚されるのである。
この語れというとき語るのは詩人とかなのである。
山となり樹となり石となり大地となり詩人は語るのである。
宮沢賢治などはそういう詩人だった。斉藤茂吉などは短歌の領域をでていないから詩人とは言えなかった。


現代ではこうした詩人はたいがいアウトサイダー化する、異様な人間化する
なぜなら現代文明とは相いれないものだからである。
東京という大都会を見ればわかる、もうそこはすべて人工物であり自然はないからであるもちろん森におおわれた木蔭もない、クーラーで涼しさを作り出す人工空間なのである。異様な人間というとき文明人こそ異様な人間と化しているのである。
それはロボットなのか何なのかわからない、像でもって語れという人が東京に住んでいるけどその像が全くない世界なのである。
石というときビルの谷間にある庭の石でありそういうものは自然とも違う。
石とか磐とかはもともと奥深い自然のなかにありビルの谷間にあっては活きてこないのである。


いづれにしろ浪江から避難した人が高層ビルに移り住み都会の灯を見ているのも不思議である。こんなところ嫌だ、田舎の方がいいというときそうだろう。
あまりにも違った世界であり落ち着かないだろう。
上野霄里氏のように文明そのものを否定した思想家がいる、それはニーチェでもそうである。自分もそういう人に共感するのは普通の感覚なのである。
そういう感覚が喪失したのは人間があまりにも自然から離れた結果なのである。
自然という像から人間は作られるがその像がない、そこにあるのはロボット化する人間だとなる
だから大きく見れば原発事故も文明を否定しないかぎり防ぎようがないものだった。
文明を肯定していれば科学技術が宗教となり原発も必然的に作られたのである。
ではお前は電気なしで暮らせるのか?原始時代にもどれるのかという議論に飛躍することは良くない、お前も文明が必要なんだというときそれも肯定せざるを得ない
車を少なくするとか自転車をなるべく利用するとか文明の科学技術を制御する思想が必要なのである。そもそもそういうものが仏教にもキリスト教にも中国の老子などの思想にも二千年前にあり予言されていたのである。
文明から原発事故が必然的に起こることは予定されていたことなのである。


人間の共同性がグローバル化経済とか広域社会であるがそれもまた文明の過度な発展のためだともなる、世界中の物や人が自由に交流するというのはいいようでそうでもない
それはその土地土地の文化の破壊にもなりその土地固有の文化が失われて金だけが唯一の価値となり原発事故で故郷を失い、共同性を失ったようにその矛盾がこの辺に極端な形で現れたのである。文化のなかには金で計れないものがある
金より文化を重んじればそうなる、金で何でも買えないのである。
部落でもその共同性が破壊されたのは補償金をもらってどこに住んでもいい、それがいいということにはならない、不便でもなれ親しんだ仲間と一緒にいて死ぬのもいいとかいうのも価値観である。限界集落でなぜそこに不便でもいたいかとなるとそういう金では計れない価値観があるからそうなる、金や不便さより仲間と一緒にいる方がいいともなる
金はかえって人間を結びつけない、何か分解させる作用をもっていたのである。
欲望を追及していけば必ず金を求め金だけが唯一の価値となり仲間もなにもいらない、金があればいい、ここは不便になったから別な便利な場所で暮らせばいい、家族でも別々になってもいいとなり老人だけが取り残されたのである。
だから蝋燭でもいいから家族一緒に暮らせるのがいいと原発事故当初に大熊辺りの人が言ったのはまさにそういうことだったのである。
蝋燭や炭にエネルギーを頼っていたら家族がばらぱらになることがなっかたという逆説があったからである。
ただ言うは優しいが現代文明を否定するといってもそれは世界がそのシステムからの逃れられない
資本主義のシステムから田舎でも石油を使えば離れられない矛盾かある
ただ原発事故は現実問題として文明否定の方向に向かわざるを得ない具体的なものとして志向するうよになったのである。

タグ:故郷とは
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2016年01月26日

原発避難者に一方的に同情したテレビ報道の欺瞞 (もうかわいそうだというのはいい加減にしてくれ) 原発避難者に一方的に同情したテレビ報道の疑問 (もうかわいそうだというのはいい加減にしてくれ)



原発避難者に一方的に同情したテレビ報道の欺瞞

(もうかわいそうだというのはいい加減にしてくれ)


今日のテレビで小高区の人がテレビで訴えていたけどそれも一方的なのである。
避難者の一方的な発言ばかりをとりあげている、そういう面もあるにしろ現実には常に二つの側面がある、こういうことで自分も失敗した。
争いには二人の言い分があり一人の言い分ばかり聞いていると正しい判断ができないのである。
マスコミは必ず取材するとき取材者の言い分を重んじる、取材者の主張にそって取材して報道することを望む、だからこそ取材と報道に協力するのである。
もし非難めいたことを報道するなら報道するなとなって取材もできないからである。
ここに報道というのが一方的に常になってしまうのである。


第一五年も過ぎるのに未だにかわいそうだ、かわいそうだというのはもういい加減にしてくれともなる、ずいぶん遊び暮らしたのではないか?。
毎日パチンコだ、競馬だ,ギャンブルだとか遊びあきたのではないか?


国民年金だけしかもらえない人が多いし仮設から出ることが不安な人が多い

馬鹿もいい加減にしてくれよ、どれだけ補償金もらったんだよ

もっとくれ、もっと支援してくれ、俺たちはかわいそだと思わないのか

もう年なんだから死ぬまで補償してくれ

それが当然だ、それだけの被害を受けたんだ


鹿島の人はみんな買い物にしてくれたから助かったのよね

鹿島区の議員の人も援助してくれた

私たちはもっと補償される期間をのばしてもらいたいわ

浪江だとあと二年だよ、うらやましい


こんなことを一方的に報道するテレビは何なのだとなる
こういう報道すれば原発避難者をつけあがらせるだけではないか?
原発避難者に対して怒りを覚えている人も相当いるのである。

第一5年もすぎたらもう区切りでありどこまで補償せねばならいのだと国民も税金から補償金を払うのだからフクシマの人間は乞食だと批判している
福島県内でも放射能の被害があっても何にももらえない人がほとんどなのである。
あれだけ手厚い補償きれたのにさらにもっと補償してくれ、支援してくれ、それが当然だ
結局このことも現代を象徴しているのである。弱者になり集団化して補償を要求する
そういうことにはなかなか批判しにくい時代である。
そういう手法は戦争で中国でも韓国でも日本を責めるのとにている。
沖縄でもそういうことで国から金を予算としてもらうから国民から批判されるのである


そもそも小高にはもうほとんど帰るのは老人である。小高を見捨てた人が多いのである。復興しようとする人より見捨てた人の方が多いのである。
そこに住む人が復興する気がなくなったら外からいくら支援しても無駄だろう
なにかしら復興しようとするならば外からの人も協力するがそこに住む人がすでに復興する気もなくなっている
それより補償金もらって外で暮らした方がいいとしている
だから飯館村でも寄付金を募っているがその寄付金を何に使うのかというのも疑問になるギャンブルしている人のためにもう村を捨てた人のために使うのかという疑問もある
もし本当に村でも復興しようとすれば多額の補償金をもらっているのだからその金でなにかしら村を復興させようとするだろう。
現実は補償金で遊び暮らしてもっと長く死ぬまで補償金もらった方がいいとなっている
特に老人になるとそうなるからかえって今度の原発事故の避難者は得したなと外から見ている人も多いのである


いづれにしろテレビとかマスコミは一方的な報道しかしない、こんなに一方的に避難者の言い分だけとりいれることに腹がたったのである。
福島県でも会津からどこにでもいてそういう人たちを周りの人がどうみているか?
そういうことは他では文字系だと報道している、テレビは何か一方的になりやすい
インターネットだと今見た番組を批評しやすい
リアルタイムでも批判しやすい、そういう時代だからそうした一方的なテレビの報道に対して言うべきである。テレビがそうして独占して報道する時代は終わっている
常にインターネットからでも批判にされされるものとして報道するべきである。


タグ:原発避難者
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2016年01月27日

昭和55年の150万の保険金が倍になっていた (当時をふりかえるーバブルからバブル崩壊の時代)



昭和55年の150万の保険金が倍になっていた


(当時をふりかえるーバブルからバブル崩壊の時代)


昭和55年(1891)

1989年 38000

1980-1986 ドル 225円


グラフで株価の推移をみると1989年が3万8千円というのは驚く、まさにバブルでありそのバブルが崩壊してそれからは日本の経済は成熟になり下落していった。
その頃地上屋とかが話題になったのはバブルだった。


日本は88年には「1人当たりのGNP」が世界最上位のスイスやアメリカと肩を並べ、この時点で主要先進国に伸し上がって居たのです

バブル期の過剰融資は不良債権に変じ”負の遺産”はその後の日本経済を圧迫し、複合不況の中で”浮遊層”に代わり「ニュー・プア」というが析出し、彼等はフリーター(95年の阪神淡路大震災にビックリした後、

なぜ150万の保険金が倍になっのか?それはバブル時代と重なったためである。
余剰金が生れ配当金がついてそうなった。
経済が下落傾向になってもバブル時代とかに蓄積された金が今日まで計算すると倍以上になっていたのである。
それはさらに40年前とかに貯金した人は金利が高く今になると倍以上に増えた
だから老人は金を持っている、その景気のいいとき貯金しないものは増えない
今は金があっても金は貯金では増えない、かえって物価高とかで目減りしているのである
人一人が死ぬと残された財産とか金が問題になる。それもまたその人の歴史だった。
母は大正生れであり百歳まで生きたから金の計算をするとそれもその人の一生だった。
特に戦前から戦後に大変化があった。前の夫が事故で死んで多額の補償金をもらったが戦争になりその金が紙屑になったのである。
ただわずかの土地を買った分だけが残されたのである。
だから金の価値も変動するし金も紙屑になることがある


高度成長期は小さい店でもどこでも繁盛して金を残すことができた。貯金していると金利が高いからそれが30年とか過ぎると倍以上になっていたのである
不思議なのは金利というのは高い時があっても不景気になったからと低くはならないのである。金利は高いまま30年とか同じだから倍にもなるのである
だから今いくら金をもらっても金利がゼロだから10年20年貯金しても増えないのである。増えないことは確実に目減りしてゆく、物の値段にしても1980年とかその前になると安かったが今は家の値段でも当時の3倍、4倍になっている。
自分の家は築45年くらいだがその時建てたのは400万だったのである。
家を建てるなら今だよと言われて姉と母が建てた家である。
その時の大工の手間賃は本当に安かった。そのあとに急に手間賃があがった。
グラフでも最低賃金が3倍4倍と上がっていった時代だったからである。
そうなると400万では建てられない、早めに建てたので安かったのである。
木材も地元のものを利用して建てていた。
まだ外材は入らない時代だった。


ただ時間が過ぎるのも早い、神戸の大地震から20年もすぎたとということでもわかる
あれは最近起きたような錯覚がある。時間というのはたちまち過ぎる
そして過去をふりかえることになるのだがそれもまた明確ではなくなる
そんなことあったのとみんななってしまうのである。
今の老人が金をもっているというときその老人の功績ともならない
高度成長で運が良くて金利が高いから金が増えたのである。
その恩恵は母の場合は何も使わない、食べ物は贅沢しても他は一切使わない、貯金して残すだけだった。その一部は盗まれたりしたから何のためにためたのかもわからないのである。
ただ遺言したのが孫に金をやということであり遺言書はなくてもやることにした。
それはたいした金ではない、相手もそれで納得してくれた。


ともかく死ぬといろいろな整理がありこれも49日まで納骨するまであり手間だっと思っただいたい49日間は整理にかかる、自分の場合、母の貯金があったがこれも相続人が自分と孫だけなので良かった。
兄弟が多いとわずかの金でも相続することが大変になる。
自著してもらい実印をおしてもらい印鑑登録証明書をもらうとか離れているとめんどうになるのである。
49日の納骨はこれもやはり大きな区切りになる、まだ49日は家にいるというのも死者と語り死者がいるという期間としては適当だった。
こういうのは長い伝統がありそこに何かしら意味がある。
伝統的なものには必ずなにかしらの意味がある、これは別に仏教とも関係ない、日本的な風習でありそれが仏教化したともなる、仏教の教えは死者については何も語っていないからである。


要するに死者に対する伝統的文化が喪失するとき、その伝統なしで葬儀を行ったり死者を送るということを新たにしなければならなくなるとする本当に負担になる
火葬場で死体を焼いたりするのは葬儀屋でするがそれは機械的なものであり納棺師とか最近生れ専門家である。だからなにかしっくりしないのである。
違和感を覚えたのである。
死者を送る文化とか地域が喪失したときではそれを専門家が簡単にになえるのかとかなるのである。
社会や時代が変化するとき葬儀でも変化するのだが死者に対する考え方も変わるのだがそれを簡単にはできないのである。
長く伝えられたものには必ずなにかしらの意味がありそれが新たに意味を作り出すことは時間がかかるし容易ではないのである。
確かに機械的に物として死者を焼いたり骨にして墓に入れたりするのは物理的には負担にはならないけど何か精神的には疲れたなと体験してわかったのである。

死んでからいろいろ整理がある、財産とか金の整理が具体的一番問題になるがではその後死者をどうするのかとなるとこれもまた大きな問題でありそれは一個人するのは大変である。各個人自由にしろと言っても簡単にはできない
こうして現代はいすいろいろ面で伝統的なものを失っているから葬儀とか墓がどうだこうだとか問題になる
でも旧来の葬式の方法も合わないことも確かである。
なんとか納骨が終わればまた死者を葬る大きな区切りになる。
今回と家から出棺して火葬して家で49日骨を安置したので良かった。
姉のときは忙しく葬儀場から出棺してすぐに墓に骨を納めたようである。
49日間置いた記憶がないのである。なにかあわただしくしてしまった。
今度は順序良くできたので良かったと思う。




タグ:保険金

2016年01月28日

最近の南相馬市の風景(写真で伝える)


最近の南相馬市の風景(写真で伝える)

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 ノスリ

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ここは菊畑だった

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野馬追いに出るために飼っている馬

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山を崩し土を運んでいる

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プレハブの宿泊所

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風車



最初にノスリが六号線の脇に見つけた。ノスリはノネズミが増えてノスリも集まった。
ノスリはどこでも見かける鳥になった。
それも津波原発事故以来この辺が原野化してノネズミが増えたからである。
小さなカヤネズミというのが増えた。畑で野菜を作っている人はそのことを言っていた。

次ぎに菊畑だったところがソーラーパネルになっていた。
菊畑の方が情緒があって良かった、何かソーラーパネルは景観を破壊するのである。
これも自然破壊になっていたのである。
原発もそうだがなんらか自然に反してこうしたものはできるから自然エネルギーでも自然破壊になっている。
ただ農業より土地代で稼げるからソーラーパネルにするのだろう
でもどれくらい利益があがるものなのか?それも問題である。
ソーラーバネル発電は税金が加算されているから実際はエコでない、国民にとっては高い買い物だというときそうなのだろう。
他のものよりコストが高くついているのはエコではないのである。


次ぎに野馬追いにでる馬を飼っている所である。これもこの辺にふさわしい
野馬追いに出るためにだけ飼っている馬がこの辺ではいるからだ

次ぎに山を崩して土を運び所である。これもこの辺ではあちこち山が崩されて土を運んでいる
相当な土が必要になっている。どこでも暇なしダンプが通って危険でもある
こんな工事がいつまでつづくのかと思う。
何か工事で活気があっても嫌なのである。


次はプレハブの宿舎であるがこれも増えつづけている、いたるところがプレハブの宿泊所になっている、まだまだそれだけ他から人が入ってきて泊まるところがないからそうなる
そして風車がある家にでる


これらの一連の写真を見ると如実にこの辺が今どうなっているからわかりやすい
写真がまさにこの辺を語っているのである。

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2016年01月29日

死者を葬ることはそれぞれの文化だった (もともとは郷土に葬られていたから死者も郷土と一体化していた)



死者を葬ることはそれぞれの国や地域の文化だった

(もともとは郷土に葬られていたから死者も郷土と一体化していた)


死者というのが葬儀でも墓でも問題になっているのは社会が変化して家族関係でも人間関係でも変わってしまったからである。
不思議なのはそもそも家族墓は江戸時代にはなかったのである。
武士でも、、、家というは墓はない、苗字名前があっても、、、家という墓はない
個人墓が基本である。、、、家というときそれは江戸時代から連続しているようでも江戸時代は個人墓であり、、、家の墓はない、一家の墓になったのは明治以降なのである。
それでも個人墓から夫婦墓となり家族の墓になった。
それは明治政府の意向でそうなったのであり政治的なものとして明治以降に作られたものだった。
家を中心にして家庭を作り国造りの基盤にしたためである。
だから最近家族墓から個人墓に逆戻りしているというときそうなっても不思議なことではない、前にもどっただけだとなる


家族墓が一家の墓が後継ぎなどがなくて維持できないというのも江戸時代でもそんなに一家の墓を維持しようとしていないし墓は個人墓であり墓がないのが庶民では普通だったのである。
それで江戸時代の後期になると農民でも生活に余裕ができて個人墓を作ったのである。
そもそも庶民には墓はなかった、村では共同で埋葬する場がホトケッポなどがこの辺ではあった。でも家族の墓とか個人の墓とかはそこになかったのである。
つまり村人が死んだらホトケッポとかに葬られて墓はない、お参りはそのホトケッポに村人がしていたとなる
それが共同墓地だったとなるから共同の墓地をまた志向しているのは江戸時代にもどるということである。
ただ村というものではないからその形は同じでも内容はまるで違ったものとなる


いづれにしろ死者をどうするかは一つのその国ごとの地域地域の文化である。
先祖が春になると山から里におりてくるというときそれは稲作文化が作り出したものである。山からは絶え間なく水が流れて大地をうるおして稲ができるからである。
そして先祖は山に眠り村人を見まもってくれるというのはそうした稲作文化から生れた死者の見方であった。
死者をどう扱うかというのは本当にどうしていいかわからないものである。
そもそも死者が何かとなると一つの解答などないからである
骨にあるのか?名前にあるのか、墓に死者がいるのかとなるとこれもわからない
骨は土になり個人の骨が一緒になりわからなくなった。
するともう骨から個人は識別できない、骨はその土地の土になったともなる


現実に骨はその土地の骨となるということもある。自然だったら木がその土地に根づきやがて老木となり朽ちてその土地の土に帰り養分となる
人間も生物だからそういう生物的感覚として葬るということもある
そしてそれが自然なのかもしれない、現代はむしろ不自然なことが多くなったから死者も不自然に葬られるのである。
いろいろ葬儀の仕方が志向されるのもかえってそれが不自然になることもある
だから今回自分で母の葬儀をして49日間は死者は家にいるという死者への対処の仕方は意味あるものだと思った。
ちょうど49日間というのが時間的に何か家に本当にまだいるのだという時間感覚だったのである
だからこういう死者への文化は何か意味があり簡単に新たに作れないのである。
これは別に仏教とは関係ない、日本古来の風習なのである。
ホトケとは仏教でいうお釈迦様のことではない、ホトケとは死者のことである。
もともと日本語なのである。神仏習合したものとして伝えられて来たのである。


自然だというとき今は地域が喪失して地域の文化が失われた。
死者を葬るというとき何か供物でも土地でとれたものお菓子でも地元で作られた菓子などを供え物とすることがふさわしい
今ならいくらでも外から食料が入ってくるが仏様には土地でとれたものがふさわしい
そして仏様はその土地の人とかかわるから郷土と密接に関係していたのである。
郷土史と深く関係していた。
自分が墓に興味をもって郷土史を研究したように墓は郷土と密接に関係していた。
なぜなら墓は単なるものでない、死者の魂が眠っているとなれば郷土に生き続けているのが墓だともなるからである。
要するにその土地と一体化して存在し続けるともなる


人が死ぬということはまたどう生きたかとういうことも問われる。
するとどこに長く生きたのかということも問題になる。
転々として転勤して生活しているようだと何かどこに生きたかわからなくなる
そういうことも今では多くなっている。
そういう人は遊牧民であり死んでその土地の土になるという感覚はなくなる
千の風になってとかなるだろう。
ただ墓地であれ墓であれそれは家より寿命が長い、家は一代二代でなくなるが墓は容易にその土地にあってなくならないものとしてある
だから墓地は具体的に郷土史を知るものとして自分は興味をもったのである。
そして死者を生者が見まもるということもあるが逆に生者が死者を見守るということがある。
それは近い方がいいのである。自分はすぐ近くに墓があり毎日その前を通っているから手を合わせたりしているから死者とともに生活しているとさえなる。
でも墓から離れて暮らす人はそうはならない、都会では別に墓を求めて遠くに墓参りするがそれは別荘みたいなものであり近くの人か関心があるわけでもない
墓とかもやはりその土地で長く暮らしていたら継続してそこにあり生者に見まもってもらいたいとなる
生者ー死者には双方向の関係が必要なのである。


49日は家にいるというときそれは家には最も長くいたからである。
それもまた都会のように家を転々としていればそうはならない
一定の土地に定着しないで転々としていればその土地に愛着をもてないだろう
その延長として墓もまたどこにあるべきともなる
墓なんか一層ない方かいいとういふうにもなり海に骨をまいたり樹木葬となったりするのかもしれない。死者は千の風になるとかになる
啄木の墓は函館にあるのがふさわしい、波が打ちよせ雪に埋もれてあった。
何か荒寥として放浪の詩人の墓にふさわしい場所だったとなる
外人墓地などもあるから墓にもいろいろある。
ただ基本的には長く暮らした場所に故郷にあるのがふさわしいとなる
そこでは生者と死者は以前として関係して生活が継続されるというのが何か自然だなと感じる。
ともかく現代はあるゆることが不自然だというとき自然から離れてしまったからそうなる自然村があるというとき縄文時代だったらまさに自然村であり自然と一体化した村だっただからそこではなんでも自然の中で自然なものとして生も死もあったとなる
樹木葬とかでも何か無理して自然に帰ることを作り出さねばならなくなったのが現代なのである、自然からかけはなれた生活になったからそうなったのである。


タグ:死者と郷土

2016年01月30日

雪ふる城下町(雪のふるなかに相馬市へ行くー蠟梅に雪)



雪ふる城下町(雪のふるなかに相馬市へ行く)

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宇多川の橋を渡るや小雪ふる

小雪ふり大雪ふりて夜となる

水仙に小雪のふるや土手の道

軒低く雪ふり暮れぬ城下町

鴨数羽城跡の堀今日も暮る

細雪夕暮れ静か五本松

道の駅雪のふり暮れ五本松


我が庭に石のありつつ小雪ふり母亡き後や蠟梅の咲く

我が家に母を介護すその部屋に蠟梅の咲き母は死ににき

百歳を生きにし母や今朝見れば雪の積もりて蠟梅の咲く

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昨日は歯医者もあり用事があって相馬市へ自転車で行った。最初は小雪だった、次ぎにだんだん大雪になっていった。
雪にもいろいろ種類があるが浜通りは雪はほとんどふらないから雪のことはわからない
ただ昨日は最初は小雪だったのである。
だから小雪だと春雨にぬれて帰ろうとか小雪にふられて宇多川の橋をわたるというのも風流だとなる
その小雪がたちまち大雪になっていった。

相馬市がなぜ原町市などと違うのか?それは何度も書いてきたが高いビルがないくこじんまりとしているからである。
ただそれだけのことで情緒が生れていることの不思議である。
そうなると昔はみんなそんな状態だからどこも情緒があったとなる
橋でも木の橋であり大きな橋はめったにない、宇多川は細い川だから橋も短いから情緒がある
日本画では良く橋がでてくるのは今の橋とはまるで違っていたからである。

浜街道の五本松の写真は絵になっていた、ちょうど雪が大雪になりはじめたころでその時がシャッターチャンスとして良かった。
これは写真そのものが絵になっている、そういう写真は今はいくらでもある
写真と絵の見境がつかないのが多くなったのだ。
細雪(ささめゆき)というとき何か日本的繊細な感じでいい、最初は小雪であり細雪だったのである。
今は鉄道の駅ではなく車の道の駅になり時代が変わった。


庭には蠟梅が咲いていた。この花は春の先駆けとして咲く、冬の内にも咲く、雪の中に咲くのがふさわしい、庭には石が一つあり母を介護した部屋に向いている。
何か人間は死んでも継続がある、ここに母がいてとかなり何か死んでも人間はそれで全部が無とはならない、何かが継続されてゆく、家でも跡を継いで住むものがあれば継続されているのだ。
だから空家とかなると生が継続されないからそこは本当に死んでしまうのである。
そのことは原発の避難地域にもそういえる
人間の生は代々継がれることに意味がある、それが人間が人間たる所以なのである。
動物はそういうことがない、人間は面々と生が受け継がれてきたことに意味がある。

明日は49日であり遺骨を墓に入れる、なんかこれも大きな一つの区切りとなった。
東京から母の唯一の孫がくる、新幹線は普通に運行しているが仙台から相馬までの高速バスがちょっと遅れていることが心配である。
でも一応運行しているから良かった。