2016年01月16日

枯木の影(狭い場所で生きるのが老人に向いている)


枯木の影(狭い場所で生きるのが老人に向いている)


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海老村にここ我が家と枯野かな

海望み海老千軒は枯野かな

十数羽ヒヨドリ群れて鳴き騒ぐ

十数本寒木ここに変わらざり

壁写す枯木の影の一日かな

田舎なり時ゆるやかに枯木の影

縁切れてその人遠く氷張る

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良く見れば枝のくねりて伸ばす影根付く枯木や我も老いにき

黒々と枯木の影やこの道の親しや今日も通りけるかな

家ありて誰住むと知らじ一本の松の残りて冬の日さしぬ

一本の松の残りて何語る冬の日暮れぬ庭の跡かな


海老千軒は枯野となってしまった。津波ではそういう場所が普通にある、だんだん時間がたつにつれ忘れられてゆく、海老村は70軒くらいがあったという
磯部村は大きな村でありその跡は広い、あそこは一番悲惨だったともなる

厚生病院の前の寒木は寒木らしい、あそこに実がなっているのを写真をとってわかった。なぜ十数羽のヒヨドリが集まって鳴き騒いでいたのかもわかった
そこに実が写っていたからである。あんな何もない木に実があるとわからなかった
いつも冬は鳥は何を食べているのだろうと思うときそれなりに食べ物は用意されている不思議である。
普通は虫を食べている鳥が多い、野良猫でも結構生きているから不思議である。

寒木というときそこに変わらないというときそれはその栄養を土からとっている
その土地からとっている、だから変わらないのである。
これは当たり前だとなるがでは人間はなぜこれほど変わるのか?
それはその土地から栄養をとっているわけではない、グローバル化社会なら世界の裏側からも食料が現実に入ってきて食べている。
そういう社会は変わりやすい、移動しやすいということである。
もしその土地からの栄養分をとっているならその土地の材料で生きているなら社会は変わらなかったのである。
実際に江戸時代から戦後十年は自給自足だったのである。燃料は炭だったからである。
それが石炭になり石油になり原子力になり変動が激しかったことでもわかる
世界にも会社が移動するから人間も移動するのである
それで津波や原発事故では若い人が流出するというのもそのためなのである。


一本の枯木が通りの家の壁に影を写している、それは何でもない、まさに写生である。
でもその写す影にやはり人間をみる、何でも自然でも人間をみる
枯木はやはり一人の老人なのである。
良く見れば確かに一本の枯木でも何か枝分かれして趣がある
ただ影を写しているだけだがそれでも心にしみるものがある
つまり芸術の基本は写生なのである。
庭の跡だったところはもう誰が住んだかもわからない、人間は遂にそうなってしまうのか?やがて自分の家もそうなってしまうのか、無常だとなる
なんかこの辺は避難区域でもそういう場所が多いのである。
村や町ごと無人化しているからそうなる、それも不思議なことなのである。


年取るとなんか人間は特に自分は都会にはゆきたくない、騒々しいから嫌なのだ。
そして人間は確かに年取ると認知症気味になることは確かなのである。
狭い範囲で生活していると安心になる、つまり何か複雑な所を認識できなくなるのかもしれない、都会は複雑だからもう認識できないから困惑するから嫌だとなる
これは性格もあるだろう、自分は騒々しい所が嫌いであり一時はそれが高じて異常にもなった。
一万の町くらいでもいい、この辺はとなりに都市があるからいいとなる
孤立していたら限界集落のようになるから今の時代は住みにくくなる
飯館村はそういう場所だった、そこにまた価値があったのである。


今日も寒い、人間の縁も切れやすい、親戚でも一代こんな簡単に縁が切れる思わなかった結婚したりすると前の縁は切れてしまう、これも無常だった
ただ新しい縁もできるし人間関係もこんなに変わるとは思わなかった。
縁を大事にしろというときあまりにも簡単に縁が切れやすいからだろう
最後はあれあの人とあったなあの人誰だったのかとかすれ違っただけだとなり別れて永遠にあわなくなる、ただすれ違っただけだとなる
家族すらだんだん死んで時間がたつと忘れやすいのである。だからこの世は無常だとなる







タグ:枯木

2016年01月17日

冬深む(人は老いれば故郷と一体化する)



冬深む(人は老いれば故郷と一体化する)


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こんなに実がなっていた不思議


故郷に古木一本冬深む

one old tree

in my homeland

in the deepest winter


故郷に老いてともにし冬深む

故郷に樹々の根づきて冬深む

家の跡松一本や冬深む

縁切れて遠のく人や雪のふる


故郷のここに根を張る樹々の列今日も通りて冬の日暮れぬ

石一つ雪に埋もれて椿映ゆ正直なる女(ひと)ここに眠りぬ

誰かしる雪に埋もれて石一つここは墓なり椿散りにき


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今年も冬らしくなった。この頃は寒いのだけど自分は好きな面もある。冬は何か心を内面化しやすい、冬深むという感覚も日本的なのだろうか
温暖化したらこういう感覚も四季の感覚もなくなるから嫌なのだ。
東南アジアの人が雪を見に来るのもわかる、雪がふらない、見たこともないからだ。

故郷というとき何なのか?それを今回の原発事故などで故郷に住めなくなったことで問われることになった。
故郷とは実際何なのかわからない、ただ故郷とは長く住んだ所であることは確かである。だから子供が故郷から離れて他でなじんだ生活をすればそこが故郷になる
別に生れたところが故郷とも言えないのである。
ただ代々つづく家はやはり故郷の思いが深いとなるだろう。


なんか土手の桜の樹の列を歩いているとそこに根付いている樹々を見るとそれがいかにも故郷に根付いた人間のように見えるのである。
故郷に根づくというときやはりもともとはその土地のもので暮らしていればまさに樹のように根付いた生活になる
だから昨日書いたように寒木が変わらず十数本立っていた。そこにヒヨドリが群れ集まり鳴いていた。
そこには実がなっていたのである。つまり故郷に実がありそれを食べていればその土地に根付いて暮らしているともなる
昔は自給自足が基本だからみんなその土地土地に根付いて暮らしていた。
今は食料でもグローバルに入ってくるからそういう感覚はなくなる
すると何か金さえあればいいとなり故郷とに愛着をもたなくなるのかもしれない
その土地にとれたもので基本的に暮らしていればその土地に愛着ももつようになる
外国から入ってきたもので暮らしていたら金がまず大事になり金さえあればどこでもいいとなってしまうからである。
この辺は補償金をもらってそうなったともいえる、そういう社会も疑問なのである。


いづれにしろ人間は長く住んでいれば自然と一体化してゆく、今回の俳句は内面的なものである。古木というときそれも人間なのである。
人間も自然の生物の一つだから自然と一体化するのである。
この句はあまりにもシンプルなんだけどそのシンプルなものに味わい深いものがある
芸術は本当は複雑なものではない、シンプルなものに深いものがある

ともかく原発事故などで避難区域の人が故郷に帰りたいというのがわかる
それは本能的なものなのである。
人間は長く住んだところで古木となり老木となりやがて朽ちてゆく、生物の一種だからそれは本能的なものである。
それを奪ったということが酷いのである。ただ補償金の問題はまた別である。
故郷に夫婦でともに老いてゆくというときそれも生物として自然だとなる
その中で心も一体化してゆくのが理想だか人間はなかなかそうはいかない
故郷でも人間関係はいびつでありいいものではない、近くでも縁が切れた


一つの石を置いた墓が雪に埋もれている、そこに椿が映えている、その女性にふさわしいものだった。前に書いた馬鹿正直な女性の墓なのである。
その墓が誰のものなのか、誰も気づかないのである。


タグ:冬深む

2016年01月18日

記憶する場や時間がなくなっている (人間は記憶されたことが人生にもなるから記憶が大事)


記憶する場や時間がなくなっている


(人間は記憶されたことが人生にもなるから記憶が大事)


人間は意外と記憶すること記録することが大事である。だから学問でも江戸時代から教育というとき暗唱することだった。
墓地になっている所は寺子屋だった。そこに碑があり「暗唱せよ」ということが記されているみたいだ。それはどこでも教育というのは暗唱がまず教育なのである。
何らか暗記することであり記憶することである、読書百編自ずから意の通じというのもそうである。
99でも暗記であり算数も数学も最初は暗記である。
ただ意味もわからず暗記するというのは子供では意味を知ることがむずかしいからである

算数でも数学でもこれは暗記するだけでは覚えにくい、今になると自分なりに工夫して割り算などは図形化する、像として覚えれば興味をもち覚えやすいとなっていた。
ただ丸暗記は限界がくる、それで試験でいい点数をとっても学問としては限界が来る
学校が嫌なのは暗記を強制するからだという面もある。
自分は学校の勉強で好きになったこともないし何か自分で考える工夫して勉強したこともない、毎日何か暗記であり試験であり強制されたということしかない
もちろん自分はどうしても秀才でもないからだった。
ほとんど試験のために勉強してきたがこれは勉強ではなかった。
学ぶはまねるからきているからこれも暗記である。studyは研究するという意味があるからまねるとは違うものがある


ともかく人間が生きることは記憶することであるということもある。それだけ記憶が大事なのである。なぜなら人生をふりかえって何を覚えているのかとなるとその記憶したことが人生だったとなる
たいがいのことを人間は人物でも何をしてきたかでも忘れるのである。
ほとんど何も浮かばないともなりそれが認知症なのである。認知症の人は今の記憶が欠落している。今が記憶できない、今ここに置いたものをすぐ忘れる、そして誰かが盗ったとしてしまうのである。
ただ昔のことは若いときのことを覚えているから戦争のことを姉から千回も聞かされたのである。
それは死ぬ直前まで戦争のことを話していた。シンガポールで従軍看護婦をしていたからである。その記憶したことが人生だったとなる

記憶がなぜ大事なのか、それは旅行するときでも記憶していないとしたら旅行に行ったことにもならない、どこに行ってきたの、そこがどういう場所だったのかとかもわからなくなる、旅行が忘れやすいのはそこが一回しか行かないとか印象に残りにくいからである。ともかくあらゆるものが記憶から消えてゆくのが老人になるとわかる。
認知症というのは病気なのだけどやはり老化が極端化した現象でもある
子供は何でも認識してゆくが認知症になると何でも認識できなくなる、過去に認識した記憶のみが生きた証拠となる


記憶するというとき金の出し入れで例えば千円をやるのに千円を炬燵の上にしばらく置いておく、するとそれが記憶になっている、でも即座に千円を払うと忘れやすいのである。払ったから払わないのか良く店で問題になるのは即座に出し入れするからである。
それでお釣りを払うとき確かめるように千円札をみせて支払うと記憶として残る
即座の金の出し入れは記憶しにくいということである。
今日一万払ったと思わなかった。それは前の記憶として5千円札が入っていたからであるつまり前の記憶と今の記憶が混同していたのである。
何かそういうことがよく人間にはある。前の日に五千円入っていたから実際はそれを使って一万入れていたのだかそれを忘れて前の5千円を記憶していたためにそうなった。
金は出し入れが頻繁だから忘れやすいのである。
これは人でも多数の人は覚えにくい、金のようにしょっちゅう出し入れしていたら覚えられないのである。大衆とか群衆化している現代とそうした人は覚えていないのである。

旅行でも記憶するというとき例えば電車が来るのを待っている、その時間が記憶する時間だったのである。何かバスにはそうして待っている時間があっても記憶されにくい
電車はレールが伸びていて電車を来るの待っている、その時間が記憶される時間になる
だから待つ時間も貴重なのである。今は待つ時間がない、だから旅情もないとなる
新幹線になると全く待つ時間がないから旅情もないのである。
旅をふりかえると記憶がよみがえるときそこに旅に行ったと感じるが忘れると本当にそこに行ったのかどうかもわからなくなる
だから記憶されない旅は旅にならない、団体旅行などは周りの自然でも記憶しにくい。
自然でもある時間がない限り記憶できないのである。
それである場所に何回も行った方がこれからはいいかもしれない、なぜならもう新しい場所を旅するより一度行ったところで記憶を確かめる、一回行った所でもそこは新鮮である季節も変わるし見方も変わるからである。
なるべくそこに長くいることがまた記憶することになる。


現代とは何か記憶することがむずかしい時代である。電車であれ車であれ便利なものを利用していると記憶しにくい、五感で感じるものがなくなる、車だったら外の空気とか風でも感じない、冬でも寒さも感じない、そのことがまた記憶しにくくしている。
坂だって峠でもそこが峠ということも感じにくい、だから空間でも記憶しない、まず都会とかなると記憶しにくい、混雑しているから余計にそうなる
東京などほとんど何も記憶していない、どこに行ったかどこを通ったかも記憶していない記憶する空間ではないしとても人間の記憶する範囲を越えているからそうなる
だから人間も集団でありマスであり大衆であり群衆であり一つ一つの顔として人間として記憶されないのである。
ただ人間というより物にしか見えない、そうなると人間は危険になる
人間が物ののようにしか見えないということは大量殺戮になっても感じない
殺していることも感じない、空爆すれば人間を人間と見ないからできる
空から見ればそこに見えるのは建物だけであり人間はいないのである。
パリのテロで130人が死んだというとき何かその悲惨さが具体的に感じる
でも空爆だったら何も感じないとなる怖さがあるのだ。
もし人間同士が見えて殺していたら殺すことにちゅうちょすることがあるだろう
パリでも最初は無差別に殺したがあとで人質にした人は殺さなかったのは何かしらそこに人間がいることを感じて躊躇したのだろうと生き残った人が言っていたのもうなづける
人間とみる時間がそこに生れていたからだともなる


今や都会では人間は無数の影のように消えてゆく、存在感がないものとなっている
都会には仕事があり田舎にはないとか田舎を常にネガティブに言うが人間の存在感は田舎の方にある。
俳句にしたように一本の木でも存在感がある、そして大地に根付いていかにも充実していると最近見る。
それはそもそも当たり前でも大地に根付いているからである。大地があるからその樹も不動であり存在感がある。
都会だと大地というのが関係ないのである。養分は大地からとっているのではない
すべて外から外国からでも食料はとっているし大地というのは都会にはないのである。


そしてそこは何か記憶する場がない、希薄な生が消耗する場となる
記憶というときそれは記憶される場が必要なのである。日本の神社はその場の記憶としてあるという見方もある。神社にとって場が大事なのである。
場の記憶だともなる、都会にはそうした記憶する場が消失している。
特に東京に巨大になるともう記憶する場が消失している
都会に生きることは記憶も消えるということにもなる
都会では生は記憶されない、無数の大衆群衆として消えてゆくだけだともなる
例えばもし東京が廃墟になったら何か記憶されているのかともなる
なぜ現代が廃墟趣味になるかというと廃墟になるとそこ人間的なものが残る
廃墟の中に何か人間的なものを感じる、それが廃墟でないときは巨大なビルとして人間を圧迫するものとして感じていたが廃墟になるとそれがやはり存在の無常を感じる
それが何か愛おしいものにもなる
ああ、ここに人が生活していたんだなとなつかしくなるのである。
それが現実に活きている時は圧迫するものとしてあった
めまぐるしく人間が動き交差して人間は無数の顔なき群衆にすぎなかったのである。


2016年01月19日

終末期鎮静(クローズアップ現代) (人間は意識があれば生きている)


終末期鎮静(クローズアップ現代)

(人間は意識があれば生きている)

終末期の鎮静 後編「本音」


このサイトはNHKに出演した医者のサイトだった。そこでは医者が終末期鎮静を選ぶ葛藤が記されている。医者も終末期鎮静をどうしていいかわからないのである。
だからこれは非常にむずかいし問題になる。
痛みに苦しむのをみて家族が楽に死なせたいというのもわかる。
一方でそうして死なせたとき家族でも後悔が残ったとかいろいろある。
そもそもなぜそうなるのか、それは個々の人間の相違によるのである。
家族の相違にもよる。それは医者でもその家族の関係がどういうものかわからない
家族といってもその人の生い立ちでも複雑なのがある
まず自分の家族も外から見てわかりようがない、ただ一人自分だけがその事情を知っていてその家族の責任が最後に自分に負わされたのである。
家族の宿命みたいなものがありそれを最後に自分が負わされたのである。


最初に自分は姉の認知症の介護をした。その時母は92才とかなりまだ元気だったがすぐに母も介護状態になった。姉はその前に死んだから助かったのである。
姉の認知症は最初から暴力になったりせん妄になったり重症だった。
でも自分は必死になって姉の認知症の介護の介護をした。
自分は姉には一番良くされたし家も支えてくれたからである。
でも脳出血で入院したときは苦しんでいたから早く死んだ方が本人も楽だろうなと何度も思った。
ともかく苦しみがひどいと本人でも他から見ていてもそう思うのである。
苦しい状態を見ていられないともなる
それなら一層鎮静で楽に死なせてやりたいとなるし本人も望むことがある
姉の死にざまは最悪だったかもしれない、姉は意識不明になったとき鎮静させて死なせるべきだった。目も死んでいたし完全に脳も死んでいたのである。
意識不明の状態でありもう回復することは不可能だったから意識不明になったとき鎮静するべきだったともなる、ただもうその時は死んでいたが一カ月で本当に死んだ。


ただ自分が姉の死や母の死を看取ったとき大事なことは家族のことや個々の人間のことは医者も看護師もわからない、家族のことはその家族しかわからないことがある
自分の家族は自分しかわからない、そして自分が家族の宿命を一身に背負ったのである。その時なんの援助も誰の助けもなかったのである。
むしろそうして弱者化したとき借金とかいろいろ責められただけだったのである。
でも姉が脳出血で入院して苦しんだが最後に母を病院に連れて言ったとき首を下げてうなづいた。そこに家族の和解が最後にあった。
そのあと姉は意識不明になり意志が通じなくなった。

認知症でも本当に正気になることがある、それは最期を迎えたときに正気になる

これだけは知っていた方がいい、これは人間の不思議というほかない
母は最期に孫に金をやってくれと一カ月前頃に大声で言ったことには驚いた。
力をふりしぼるようにして言ったのである。
そのあとはやはり入院して一カ月くらいで死んだ。
母の場合は死の三日前くらいまで意識があった。
自分が来たよと言うとわかっていたのである。
姉は一カ月は全くわからず意識不明でありもう脳は死んでいたのである。
人間は意識があるかぎり生きているのだ。
いくら癌で痛いといっても意識があれば生きている
そしてにこっと笑って死んだというとき家族が救われた感じになることもある
それは本当である。自分も認知症でわからなくなったと思っていたが
最期にうなづいてわかってくれたなと思い救われたのである。
なぜらな家族が和解したということであとも一緒の墓には入るのだから自分が供養するのだから救われたとなる
夫婦でも夫の墓に入りたくないというとき子供が困るのである。
和解していないで死ぬと子供が供養しなければならないのだから親が別々になると困るのである。


こういうふうにともかく週末期をどうするか、どう死を迎えさせるかは本当にむずかしい自分は悔いのない死を迎えさせたということで何かほっとしている。
安楽死とか週末期鎮静には何か悔いが残ることはありうる
だから医者の判断だけでは簡単にはできない、それは家族とか個々人がみんな違っているからなのである。それを簡単に理解はできないからである。
自分の姉は姉といっても25才も離れているから姉というものでもなかったからである
こういう関係は他からとても理解しにくいのである。


そして人間の最期の時は重い、最期に何かその家族とか人生の決算のようなことが起きてくる。だから母が遺言のように最期に言い残したことを守らないと怖いと本当に思った。別に法律とは関係ない、人間の最期の言葉は重いのである。それを無下にすることはできないのである。
だから親戚の女性が恨みの言葉を自分に残して死んだがそれも怖いことだと思った。
何であれ最期にそういう恨みを残して死んだらこれから生きる人への影響が大きい
それ故に人間の最期はどう迎えるのか迎えさせるのかはむずかしいのである。

タグ:週末期鎮静

2016年01月20日

2016年の抽象画(2016abstract)



2016年の抽象画(2016abstract)


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極彩色の翼


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今年は去年母が死んだからまだ49日が終わっていない、49日が終わり納骨すれば一区切りである。
だから年賀はないが一応2016年のはじまりとして出した。

今年は10年の介護が終わったからこれも区切りの年になる
今年は悪い年にはならないがどうも株価などで幸先がよくない
個人的にはまたそれぞれ違っているだろう。
これからは前のように自由でありどこにでも行ける
でもなんか旅行はしにくい、ホテルがとれないとか日本人が日本を旅行しにくい時代になった。
ただ今自分が見たいのは富士山である。
富士山を見ないで死んでゆくのかとさえ思った。
しかしこれも何か外国人が増えたから嫌だとなる
東北とか北海道辺りだとなんとか旅行しやすいのかともなる


抽象画は変化の芸術である。変化させてゆくとき前の原画は何かわからなくなる
だから原画がいくらでもインターネットにあるからその変化も無限になる
特にホトショップを使うといろいろなバリエーションが増えた
ともかく2016年のはじまりとして出した。
タグ:2016

知らなかった過去の事件 (イスラム国とにていたテロリスト集団のアメリカの金持ち誘拐事件)


知らなかった過去の事件


(イスラム国とにていたテロリスト集団のアメリカの金持ち誘拐事件)

1974年

彼らはパトリシアの身柄を解放する代わりに、「カリフォルニア州の貧民6万人にそれぞれ70ドル分の食料を与える」ことを要求した。
同年4月15日、SLAのメンバーはサンフランシスコ北部にあるハイバーニア銀行サンセット支店を襲撃。この際、銀行の防犯カメラに誘拐されたはずのパトリシアが犯人グループと共にライフル銃を持って強盗を行っている様子が写る。この映像はマスコミを通じて広く報道され、全米は騒然となる。
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テレビで今日この事件のことを解説していた。こんな事件があったのかと驚く
それもずいぶん古いから40年前にもなると本当にそんなことがあったのかとなる
老人になるといろいろ過去を振り返ることが日課のようになる。
ところが過去といっても個人的体験と社会的に起きたことは別である。
また当時のメデアでもその頃まだ外国のことがそれほど報道されなかったかもしれない、四〇年前なると当時がどんな時代だったのかわからなくなる
アメリカで起きたことだから余計にわからないのである。


その頃SLAという過激派集団がいた。その人たちは貧乏人の味方であり金持ちに反発して金持ちを襲う事件を起こしていた。資本主義に反対する共産主義的集団だともなる
テロリストは身代金を要求して食料を貧民に配れとして本当に配った。
その時アメリカにそんなに貧民がいたのかとなる、つまり食料に困っている貧民が相当数いたとなる。その貧民は暴徒化して店を襲っていたのである。
アメリカはみんな金持ちの国だと思っているけどその時もそんなに貧民がいた。
たからこそそうしたテロリスト集団が生れる、格差が大きい所ではそういうテロリスト集団が生れやすい、それを今問題になっているイスラム国とにている
イスラム国はアメリカとかヨーロッパの外部に生れたものだけど人質をとって政府に巨額の金を払わせる、イスラム国がテロリスト集団なのである。


そしてその手法がSLAとにていた。恐怖でもって洗脳していたのである。現実にイスラム国でもイギリス人とか他のヨーロッパ人やアメリカ人もいたことが問題になった。
それはやはり洗脳されていたのである。
そのやり方は恐怖を植えつけて巧妙に洗脳していた。
恐怖というときイスラム国も同じである。あれほどの恐怖を植えつけられたらもう逃げられないとなり従うほかないとなるだろう。
それはカルト教団とにているのだ。カルト教団も恐怖でもって洗脳する
宗教だと罰が当たるとか洗脳して恐怖させてやめさせないようにする
罰が当たるということを恐怖している人が相当にいる、創価などは社会に容認されたカルト教団であり今の政権と一体化しているから批判できない
政治に宗教をもってくるとこれはイスラム国でも同じだが危険なものとなる

つまりイスラム教でもイスラム国はカルトなのである。キリスト教でもカルトがあったし仏教でもカルトがある。カルトとは宗教を利用した洗脳集団である。
社会には不満をいだいている人が常にありそういう人たちで集団化して時の政権をおびやかす存在になる、もちろん時の政権と一体化することもある。
創価とか統一教会はそうだろう。現代はそもそもカルトの時代である。
もちろんカルトというときそれはナチスからはじまっていたのかもしれない
天皇教も一つのカルトだったかもしれない、だからカルトと本来の宗教は区別すべきなのである。

ともかくSLAとイスラム国がにているのは貧民が大量にいてその不満がアメリカの大金持ちに向けられたのである。そうした格差社会がSLAやイスラム国が生れる温床なのである
なぜ中東があのように混乱して悲惨になっているのか?
その原因が例えばサウジでも王族が石油の富を独占しているとか貧富の差が大きい
アメリカも貧富の差が大きい、そういう所ではどうしても社会が不安定であり争いが生れやすい
貧富の差が大きいということは社会不安をもたらす、実際にこの事件では貧民は喜んでいたというのでもわかる。金持ちはそういう大きな格差社会では危険が増大する。
日本がそういう社会になっているというとき同じような事件が生れかもしれない
ただ日本の場合は大金持ちは少ない目立たないから標的にはなりにくいだろう。
公務員を標的にしても大金持ちではないからである。


そもそも宗教というのもあまりに偽善的だから反発される、釈迦とかキリストのように家もない何もない生活していた、それとは正反対なのが宗教を説くものになっているから矛盾しているのである。
自分でも株でもうけようとしているとなると矛盾なのである。
この世ではどうしてもそうした不満層、貧民とか頼るべきものがない層が生れる
その人たちはどうしたって時の政権に対して対抗するようになる
この社会はそういう支配者がいて上級国民だとして不満が社会に鬱積する
それがやがて怖いのが爆発するのがテロなのである。
そういう不満が解決しない限りテロ集団が生れてくる。


つまりこういう事件は人間の歴史がはじまって以来常にあった、なぜなら貧富の問題は人類は解決していないからである。
ますます資本主義ではグローバルに格差問題が起きているのでイスラム国が台頭してきたのである。世界的格差が戦争にもなるのが現代である。
格差は共産主義でも解決できなかった。だからこれは人類の普遍的テーマであり人類的課題なのである。
この事件をふりかえる人間はやはり同じようなことをくりかえしてきたのだと思う。
歴史は繰り返すというとき人間の根本問題として貧富の差が以前として解消されないから同じ事件が繰り返されているのである。
だから格差を解消できない資本主義は危機にさらされているともなる
ただ今の資本主義はまた違っている、格差を生むのは機械化とかその他の要因もあり資本家と労働者という単純な色分けはもう今ではできないだろう。
大企業に入っているならその人たちは資本家と同じだともなる
どうして格差が生れ格差が解消できないのか?


とにかくこういう事件があったということは歴史であり人間は同じようなことを繰り返してきたのだと思う。
アメリカで起きたことだがまさにその貧富の差がグローバル化してイスラム国など中東に起きてきたともなる
サウジなどでも王族が石油の富を独占してもそれを貧民層に分けることをしているうちはいいがそれができなくなる、昨今の石油安になるとそれができなくなり危険をましてくるもしかしたら石油の富というのも意外ともろいものだったのか?
自分はカナダとか石油がとれるからいいとか投資したのが裏目にでた。
オイルマネーというけど石油が富でもなかったのか?
今の事件だけではない、過去の事件にも注目する必要があることは確かである。








タグ:テロリスト

2016年01月21日

冬籠る俳句十句(老いをともにする場は田舎がいい)



冬籠る俳句十句(老いをともにする場は田舎がいい)

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土地の人毎日来たりて冬籠る

故郷の人と老いるや冬籠る

母死して四九日や冬籠る

残さるる大きな家や冬籠る

薪積みて貯ふ蔵や冬籠る

野鳥にも糧のあかし冬籠る

石六つ飯館村や冬籠る

曲屋や只見の遠く冬籠る

冬籠る津軽や遠く暮らしかな

みちのくの大地に根付き冬籠る

故郷や墓を守りて冬籠もる

故郷に老いをともにし冬籠る

樹々の列ここに変わらず冬籠る

寒雲に二両の電車や昼の月


中里のタクシー運転手あわれかな冬の厳しく終着駅かな

中里のタクシー運転手仙台に住む息子あり冬の淋しも

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冬籠るというときそこに暮らしがないと季語が活きてこないということがある。
昔だと本当に冬籠るということが生活そのものでそうだった。
自給自足だから冬籠るというとき生活そのものが薪を積んで薪を燃やして貯えたもので暮らしていたのである。
現代は都会だと冬籠るという感覚がない、生活的にも別にいつもと同じであり不自由しないのである。
冬籠もりというときまだ会津の方には曲屋が残っている、そういう所では自給自足だった雪に埋もれているのだから余計に雪国は冬籠るになってしまう
もう外に出るのも容易ではないから家にもこもってしまう
でもそういうの不便で嫌かというとそうでもなかったかもしれない
もちろん不便なのだけどそこに味わい深い時間があり空間があったともなる
冬は何か回想するのに向いている。薪をくべて燃やしたりしていたら余計に想像力が刺激されるのである。

奥会津では今も曲屋が残っている、あれも馬がいたし一つの城のようになって冬籠る
何か冬籠るというとき老人にふさわしいのかもしれない
毎日土地の人がくる、それは老いた女性である。でも六〇代は今や老人とは言えない
限界集落のようにな所で息子や娘が都会に住んでいて一緒に住めといってもその土地を離れたくないというときその気持がわかる
都会には冬籠るという感覚がないし季節感も希薄なのである。
もちろん田舎でも実際は都会化している、昔のような自給自足の生活とはほど遠い
都会と同じように便利な生活をしているのである。


人間が本当に自然と一体化するというときそれは野生の動物や野鳥のように生きるときそうなる、冬でも野鳥を養う実があり動物も生きている。何かしら糧があり生きている。
人間もやはり野生の動物とかとたいして変わりない生活をしていたときがそうなる
現代はそういう生活をとはかけはなれてしまった。
自分は不便でもなにかこうして冬籠るという季節感のある田舎で暮らしたいとなる
便利なものだけがいいのではない、不便さがあってそれもいいなともなる


旅を回想すると只見の方に自転車で行ったことがあった。そこにも曲屋があった。
そして津軽にも春に行った。そこの津軽鉄道の終点の中里駅の一軒のタクシー運転手のことが心に残っている不思議である。
いか。にも最果ての地のタクシー運転手だとなる。
津軽鉄道は中里駅まで行きそこから十三湖を見て帰るのが旅情を味わう旅になる
仙台に息子が住んでいるというのも青森では仕事が少ないからそうなる
その津軽だって雪国の暮らしがあったのである。


飯館村は石が六つくらいあいの沢にある、そこに人が住んでいればまさに冬籠もるにふさわしい場所だったのである。
標高が高いしいかにも冬籠もる村としてふさわしい場所だったのである。
どっちかというと雪に埋もれた所は冬籠もるにふさわしい場所である。
なんか最近はあまり歩きたくない、遠くにも旅もしたちない、一カ所にじっとして冬籠もり回想しているのが老人にはふさわしいとなる
そして老人は墓守りであり老いともにする場として田舎はふさわしいのである。
それで原発の避難区域で老人が故郷に帰りたいとういう気持だけは自分にも共通しているからわかるのである。
補償金問題は別にしてその気持はわかるから同情するのである。
故郷は老いの場所であり死ぬ場所としてみている人は少ない
若い人が故郷を出るというのに抵抗がないのもわかる、でも老人は住み慣れた場所を出るのは苦しいと思う
復興団地に津波の被害にあった老人がここは嫌だというのもわかる
その人は広々とした海岸の家に住んでいたからである。
団地は何か牢獄に閉じ込められた感覚にもなるだろう。庭もないし広々とした家に住むのとは相当違ったものとなるからだ。

故郷は何か老いをとにするのにはふさわしい、老人になればやはり都会より田舎への回帰が起きてくるだろう。もちろんそうでない人もいる
そもそも東京とかなるとそこはもう自然からかけはなれ場であり非常に危険な場所でもある
地震とかで車が渋滞になって身動きとれないとかなるのは怖いことである。
そして水も燃料も食料も得られなくなるかもしれない
津波でも裏山の清水をくみ薪を燃やして米をたきとかしのいだ人がいたがそれもできない都会というのは災害に弱い、その時便利なものが車でもビルでも何でも障害になって人間を殺す凶器になるのだ。
そういう自然から離れた生活は本当は相当に危険をはらんでいる。
もちろん津波では田舎でもその危険を察知できなかった。
でも都会はイメージすれば本当にその怖さを知ったら住んでいられなくなるだろう。
何か都会にはそうした大災害が関東大震災のようなものが起きる不安かある
その時裏山の清水を飲み薪でももやししてしのぐことはできない
水も食べ物も燃料も得られなくなるから怖いのである。


タグ:冬籠る

2016年01月22日

死者は後世に何を残すのか? (母は忍耐強く生きたことを残したー四九日まであと一〇日)


死者は後世に何を残すのか?


(母は辛抱強く生きたことを残したー四九日まであと一〇日)

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母の死に顔は不思議だった。やはり死んだ直前だと死に顔はまだ生きた時の総決算のようなものが現れて語っているかもしれない
ただ一日から二日三日とたつと顔でもすぐ崩れてゆくから死んで一日くらいは生前の面影を残している。
母の一生は辛抱の人生だった。だから死んでも歯をくいしばっているような感じに見えるそして派手な人生ではなく目立たない地味な人だった。
それは姉とは対称的な性格でありそれがいい悪いでは判断できない
人間の性格はいい面も悪い面になるし悪い面もいい面として時と場合によって働くのである。
母は何かいろいろ世間的名古とはてきなくても辛抱強いということは評価できる
大正生れの人とかはみんな苦労しているから辛抱強いのである。


それで介護しているときも最期の一週間は家で水しか飲まなくなった。その時もポータブルトイレに行っていたのである。
要するに自分のことを自分でしようとしていた頑張り屋だったのである。
最期までオムツをしなかったのも本人にとっても楽だったし介護する自分にとっても楽だったのである。
入院して小便を管でとるようになったとき相当に嫌がっていたことでもわかる。
介護する方にとっても楽だったというとき母はそれだけ頑張り屋だったからである。
他の人もなんとか世話されるから自分でできるようにするよう努力したという話を聞いたなんでも頼りきりではなく世話になるから自分も世話されやすいようにするというのも
やはり介護される方の心がけとしてはいいと思った。
そういう人はやはり介護する方も好かれることになる
つまり他者への介護する人への気遣いがまだあるからそうなる
認知症になるとそれができないから嫌われるのである。姉は最期は重症の認知症にてり無惨だった。
それまでは優秀だとして世間的にも通っていたのだからそのギャップが大きかったのである。だからつくづく人間は最期まで見ないとわからないものだと思った。
柩に納まってはじめてその人がわかる、評価てきるというのもそのためである。


ともかち人間は何を後世に残すのか?骨なのか墓なのか何なのかわからない、でもその人の一生をどう生きたかを残すということは確かだろう
この人はこんな性格でこんなふうに生きたということか後世の人に影響する
母は目立たない地味な人だったが辛抱強く生きたということでは評価できる
それは見習うべきものだろう。今の人はまず辛抱がたりなすぎるということがあるからだ大正生れとか戦前の人は辛抱強い、いろいろな苦労しているからそうなる
大正生れとなると貴重であり余計にそうなるから貴重だとなる
ただ欠点としてとは貧乏だから遊びを知らない世代だったともなる
だから働くことだけであり花にも興味をもたない索漠な人生だったともなる


ともかく人間は誰でも死ねば平凡な人でも何かを語りそれが重いものとなる
母は何か死に顔が母の一生を語っていたように見えるのだ。
死んでも歯をくいしばっているようでありそして苦労から解放された顔である。
死ぬ三日前頃まで病院にゆくと自分のことがわかっていた。
自分のことをじっと見ていたのである。そして三日前頃から目が半開きになり自分が来たことを認識できなかった。
その時半分死んでいたのだと思う、人間は意識がなくなったとき死んでいるからである。でも三日前頃までは認識していたのである。
姉の場合は一カ月前に意識不明になり死んでいた。ただその意識不明になる前にうなづいていたから正気になり正常な意識になっていたのである。
どっちも認知症にはなっていたが認知症は死ぬ前に一カ月前であれ正気になることは注意せねばならない
人間の最期を看取ることのむずかしさは簡単に死なせることができないのはそういうことにあった。
これだけ苦しいのだから死なせた方がいいというのもある。


認知症だから馬鹿になったのだから死んだ方がいいとか自分も思ったしみんながそういうでも認知症でも死ぬころになると死ぬ前に一時的にも正気になることがある
正気になったことで自分は救われたのである。
何にもわからないわけではないのだなとその時思ったからである。
人間は死んだらもう何か言い残すことも謝りたいとかあってもできない
継母だった人は母に最期は謝って死んだから良かったのである。
もしそうしなかったら永遠にできない、死んでから謝ることもできないのである。
そして呪って死んだ人もいる、その呪いの言葉を自分に残ししてすぐに死んだ女性がいたもうそうなる呪いだけが残されたから怖いとなる
生きている内なら何かできるが死んだらもうできないからである。
それで死んだときみんな後悔している、介護も苦しいんだけどあの時もっと良くしてやれば良かったとみんな後悔しているのである。
それもまたやむをえいなところがあるが人間は死んだ時点でまた見方が変わってしまうのである。


ともかくあと一〇日くらいで四九日が終わる、納骨するからそれでまた一区切りである。つくづく親の死であれ看取ることもその後の火葬とか葬儀とかは何か負担が大きい
自分は一人だったので余計に負担が大きかった。
一人の人間を看取ることは相当な負担なのである。
今は介護も長くなる、二人を介護してすでに十年過ぎていたからである。
老人の介護と死は結びついている、供養も介護の延長としてある
四九日というのもやはりこれも時期としては意味ある期間だった
故人を家で回想する時間だったとなる










タグ:人間の一生

2016年01月23日

寒雲(相馬市へ行く)




寒雲(相馬市へ行く)

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寒雲に北風鳴りて五本松

山脈に寒雲の影橋わたる

寒雲に二両の電車や昼の月

宇多川の橋をわたるや冬芒

城下町軒を並べて寒さかな

城下町相馬六万石冬の暮

大手門狭しやあわれ冬の暮


相馬市の女性の医院に飾りたる花の絵にそほのぼのとしぬ

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浜街道の五本松の端の一本は枯れてきていた、すると五本松ではなくなる
何か松は枯れやすいのである
相馬市については前にもいろいろ書いたけどなぜ情緒があるかというとそれは意外なものである。
あそこには高いビルとかない、低い家並であり城跡もあるがそれもここが城なのかということも明確でもない、大手門にしても狭いし小さいからここが大手門なのかと思ってしまう。
それだけ小規模の城だった、でも野馬追いがあるから大きな城があるように外からだと見える不思議がある。あれだけの行列があると何か大きな城があるように錯覚するのである実際は相馬藩は六万石の小藩にすぎないのである。
ただ入り組んだ城下町特有の町割りになっている。それも気づきにくいだろう。
だからよそから来ても見るところがないとなってしまう。

宇多川も細い川でありこれも何かぱっとしない川である。
でも橋が何か情緒がある、その橋が短くて小さいから人間的に見えるからである。
それは昔ながらの木の橋のようであり情緒があるとなる
今はみんな大きな橋になっているから人間的でなくなる
要するに現代は何か人間的なスケールを越えているから情緒がなくなる


相馬市は原町とずいぶん感覚的に違うのである。原町市にはこういう情緒はないのである情緒とかは歴史的なものとか自然とかとの融合などから生れる
意外となんでもない平凡な所に情緒がある
パソコンのソフトで写真を絵にしたら何かその雰囲気が出ていた。
写真だけではなかなか情緒を出せないこともある
雲というのは春の雲なのか秋の雲なのか冬の雲なのか区別がつかないのである。
漢字だったら冬の雲と寒雲では違う、寒雲の方がいかにも寒い雲の感じになる


歯医者にも行った、あそこの歯医者は女性でありめずらしい、前に行っていたからまた行った、その医院に花の絵が飾っていたのは女性らしいとなる。
なぜ相馬市と原町ではこんなに感覚的に違うのが不思議である。
よそから来た人にはこの区別はなかなかつかないだろう。
街には街の作り出す雰囲気がなにかある、それが外から一回くらいきてもわかりにくいのである。





タグ:寒雲

2016年01月24日

津波原発事故による地域の崩壊 (広域社会は金にたより外へ流出させる)


津波原発事故による地域の崩壊


(広域社会は金にたより外へ流出させる)


津波原発事故での最大の問題が人口の流出でありそれも若い人の流出して市町村が維持できなくなることだった。
女川町では20パーセントとか流出したとか他でも人口が流出して町自体が維持できない状態になった。
そこで若い人が流出して老人だけが取り残されるのは同じだった。
老人はその土地とか仲間とかに執着する度合いが強い
住み慣れた所に住みたいというのがある。それで限界集落でも子供が出て行っても老人は以前として残っている。そこに長い間ともに暮らした仲間がいて安心なのである。
一見孤独のように見えてもそうした限界集落では長年つきあった仲間がいて安心なのである。
だから離れたくないという気持がわかる、一方で若い人がいなと村でも町でも維持できない問題がでてくる。特に現代は便利な社会だから余計にそのインフラを維持するだけで費用も労力もかかるから老人の言い分だけを聞いているわけにはいかない
つまり東京の人がそうして文句を言うのは地方交付税とかで税金がとられそうした限界集落でも田舎でも今は財政でも地方交付税の額が大きい

南相馬市だと

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どこでも一割とか二割は地方交付税になる。それから県からの財政の支出も5割とか多い
道路とかはほとんど県からの支出だし公共事業もそうである。
その県へも国からの金でまかなうということがある。

県の財政も半分くらいは国の財政から出ているのである。

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。特に震災以後は福島県ではその割合が大きくなった。県であれ市町村であれ自主財源は半分以下なのが普通である。
その国から支給されるのが国民全部の税金だから地方は金を無駄にしているとか限界集落はインフラに金がかかるから税金を使うべきではないと言われる
広域社会というときすでに国のシステムでもそうなっている。

江戸時代とか明治以降でも戦前から戦後十年くらいはそもそも燃料は炭であり水道もないし道路は舗装されていない、インフラに金などかけていない、医療でも福祉でもそんなに金をかけない、かけられない社会である。
そうすれば他からの苦情もない、炭焼きして自分たちは自分たちでまかなうという誇りがあった時代である。材料にしても家でも地元の木材で建てていたし地元の大工が建てていた。今はみんな外部頼りであり津波で家が壊されたとしても外部の会社が来て建てているのである。
経済でも広域社会になれば外部頼りになる割合が大きくなる。
外部頼りになるということは世界経済になれば金が頼りになる社会になってしまう。


前にも書いたがこういう広域社会グローバル化社会は地域の独自性とか独立性まで破壊してしまう。第一炭から石炭から石油から原子力発電というエネルギーの変化を見れば経済がすでにグローバル化している。
石油なしで田舎だろうが成り立たない、すると中東の紛争など関係ないと田舎でも言うことはできない、もし自給自足だったら炭でやってゆくから石油はなくてもいいと言える
それが限界集落だろうがそこでは電気も石油も使っているから言えないのである。
自分の矛盾もカナダが石油がとれるから投資するにはいいと投資した。
結果は石油安で裏目に出たというすでに田舎でもそうしたグローバル経済にシステムに組み入れられているのである。


その結果として何が起きたのか?

●家族の破壊

●地域の破壊

●共同性の破壊

家族といっても核家族化したときからはじまっていた。それまでは大家族だったのはそういう生産のために農業中心であれば労働力が必要であり大家族だった。
それが戦後は工業化社会であり核家族化になったのである。


だから原発事故でば何かそうした社会の矛盾が極端なものとして現れた場所となったのである。
三世帯とかで暮らしていた家族が若い夫婦は親や祖父母から分離して別々になる。
若い人は故郷から流出してゆき、老人だけが取り残される
別に金さえあればどこに住んでもいいというのが広域社会だからそうなる。
そして農業は土地に執着するが工業社会は土地に執着しない、会社は工業だと部品を作っているのだからどこでもいいのである。
その土地とはほとんど関係ないのである、会社が移れば人も移るとなってしまう。
そして人々の心は金さえあればいいということが強いものになっている
その土地とか仲間より金だとなっているのが現代である。

一方で矛盾しているのは老人になると長年住んだ土地と仲間とかの執着が強くなるから離れられない、それでもどりたいという気持がわかる
限界集落でも老人が離れられないのはそのためなのである。
若い人は特に子供などは別に故郷に執着しない、新潟に一カ月くらい避難した人が言っていたが一カ月くらい学校にいても別れるのが嫌だったとか子供はすでにそんな期間でも親しくなるのである。
子供はすぐに環境に適応しやすいから生れた場所が故郷ではないのである。
たがらすでに故郷から離れて一年でも過ごせばそこに友達ができてそこが故郷ともなってしまうのである。そしたらますます生れた故郷には帰らなくなるのである。


いづれにしろ津波原発事故で起きたことはそれだけが原因ではない、社会の矛盾が極端な現象として現れたのでてありその社会を形成していたもろさが一挙に露呈したのである。小高でも塚原とかの人は帰らないという、そこは部落として結束の強い場所だったがそれも崩壊した。津波のせいもあるがやはり共同性が結束が保てない
補償金をもらったら地元の復興とかより金をもらって便利な生活をしたいとなる
つまり金があればどこに暮らしてもいいというのが現代だから当然そうなる。
仲間があったとしてもそれより金だというのが現代の広域社会だったとなる
共同体の結束が弱体化しているから津波原発事故で崩壊したとなる
何かその共同体が崩壊するとき内部の原因も大きい
ローマ帝国でもインカ帝国でも崩壊したのは内部的要因であり外部的要因ではないというそういうことがこの辺でも起きたのだと思う。
すべてが津波原発事故のせいとはいえないのである。

タグ:地方交付税
posted by 老鶯 at 14:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連