2016年01月08日

雪の花(西村計雄の絵は抽象画的に変化させやすい)


雪の花(西村計雄の絵は抽象画的に変化させやすい)

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北国の冬の窓




これはこの人の絵を変化させたものだから何かしら著作権として問題がある。
ただこんなふうにパソコンで変化させられるというのも意外である。
つまり抽象画には意外性がある。
どんなものが生れるのか自分ですらわからない
変化させてこれが面白いとなるアートである。

この人は北国の人、北海道の人だから寒々とした風景を描いているから今の時期にはあっている
まずこんなふうに変化するということは想像つかないのである。

元の絵は教会だったからである。でもなにか元の絵を見ると著作権の問題がある。
ただ月を省いて雪の花にしたときはもう元の絵はわからないから著作権は問題にならない月がでていると元の絵のことがわかるから問題なのである。







タグ:雪の花

2016年01月09日

卒塔婆峠についてコメントありましたので答えておきます



卒塔婆峠についてコメントありましたので答えておきます


卒塔婆峠は前は道として確かにあったけどその後道が埋もれてわからなくなった
江戸時代もありこの道は飯館村と玉野村を結ぶ道だった。
それは南北朝時代からつづいていた古い道である。

逃げ延びてきた十三名の落ち武者を村人が殺めるという事件があったそうで
その後、供養のため峠に卒塔婆を立てた事からその名が付いたとか??

その根拠はどこにあるのでしょうか?

南北朝の争いで霊山城が炎上したとき落ち延びた桑折氏は山王権現を信仰していた。
約十三人は宝財踊りと名付けて姿を変ずること左のごとし

柄杓廻  顔を染め短衣をつけ
子供懐抱  芋屑頭巾を冠り顔を隠し女衣つけ子を抱く
山伏  顔を染め
獅子
笊下冠
道心坊  顔隠し
座頭    顔を隠し
笛吹

このように変装したのは落ち延びるためにそうなった。襲われることを恐れて変装した。
十三名というのは落ち延びた武者のおよその数だった。だから卒塔婆峠で殺されたというのはそういう数が伝えられていたからである。
十三名が殺されたわけではないだろう。
山王権現は玉野村から山上村にも祀られている。山王権現は野馬追いの旗印にもある。
玉野村から二手に別れて落ち延びたのである。

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この旗印の武士は日下(くさか)となっている。山王権現を受け継いできた姓なのか?
日下石(にっけし)は別である。


落武者伝説は各地にあるけどこれは明確な歴史として残されている、宝財踊りで顔隠しということがあるからやはり武士としての身分を隠すものだったのだろう。
要するにそれほど襲われることを恐れていたからこういう変装をした
それで落武者が殺されたという伝説にもなる、落武者狩りなどもあったのかもしれない

その時郡山の多田野村から移った武士がいてその末裔が同級生だったことに驚いた。
南相馬市の鹿島区には只野、但野という姓の家が本当に多いのである。
その人はお浜下りのおつづら馬を担当してきたという。
つづらをのせた馬のことであり重要な役割である。
これも不思議な縁起だと思った。鹿島区の街内も古い場所であり古くから人が住み着いた場所である。自分の近くの神社に天明の碑があったことでもわかるからだ。
鹿島神社の脇の墓地には安永の碑もある。

落ち延びてきた武士を村人が殺すということがあったのか?それは戦国時代ではあった。
明智光秀などが村人に殺されたのは村人が手柄としてその首をもって報償にあづかるたである。ただ南北朝の争いは複雑であり誰が敵なのか味方なのかもわかりにくい
そういう中で村人が襲うということがあったのか?
それでもそれだけ恐れていたからこれほどの変装して霊山城を逃れてきたのである
それが祭りとして残ったのもその落ち延びる時が恐怖として残り記念として祭りとなったのである。

ここのサイトでは樅の木に注目していた。自分も隠れたように重厚な樅の木を発見した。
やはり相当な樹齢の樅の木であり貫祿があったので詩にしたりしたのである。
道のマニアとか廃線のマニアとか廃墟のマニアとかいるようです
こういうところには何かかえって魅力を感じるのも現代である。

お浜下り

参照したプログ

タグ:卒塔婆峠
posted by 老鶯 at 11:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

武田信玄はなぜ天下をとれなかったか? (天の時は地の利に如かず 地の利は人の和に如かず)


武田信玄はなぜ天下をとれなかったか?

(天の時は地の利に如かず 地の利は人の和に如かず)

武田信玄が人は石垣、人は城としたときこの原理に従って言った。人の和が一番大事だから城はいらないとした。
そして滅亡したのは肝心の人の和が家臣団の和が崩れたためだとなる。
次の代の勝頼は家臣団をまとめることができなかったためだという。
人の和というとき中国は巨大だから必ず分裂して三国志が生れた。大きすぎて一つになる、和を作れない国である。それが弱体化する原因である。
日本は一億総なにかとか一眼となってまとまるから小さい国でも強いとなる。
和の力が働きやすい国である。


でも国の興亡でも人でも家でも何でも一つの原因で決められない、様々な要因があり一つではないのである。
武田信玄には何かそれがみんなあてはまる。地の利というときこれも山国であり外の情勢にうとくなる。山に囲まれているから閉鎖的になる。それは会津ともにている。
だから直江津の港から海に出たいということで謙信と戦ったということもうなづける。
今でも直江津は船がでているし自分もその船に乗ろうとしたが乗れなかった記憶がある。戦国時代地の利というとき一番信長もっていたのである。京都に一番近い距離にあったこともそうだし海に面していたのもそうである。
京都に近いから近江にその居城、安土城を作ったのもそのためである。
歴史的人物が生れるにしても地の利というのは影響している
どんなに傑出した人間もその人の力だけではなりえない、地の利の制約を受けるのであるだから政治は地政学であり地の利を基にして考えねばならない


ロシアは武田信玄のように海にでるための港を求めた。それでロシアはシリアに固執するのは地中海の港がありそこを海に出る拠点にしようとしているからである。
その前にはだかるのがトルコになっているからEUは地政学的にトルコと組みトルコを重視すべきだったというのもわかる。
世界でも世界史でも地の利がわからなくして理解できないのである。
そして日本国内でも地の利というのが一番わかりにくいのだ。福島県自体も広いからわかりにくい、この地の利で何か必ず誤解が生れてくるのである。
一つの県から地の利がわからないのである。東北はなんとかわかるがそれだって岩手県なども広いからわかりにくい、他でも一つの県から地形を具体的にイメージできないのである。
イメージしやすいのは奈良とか近江はイメージしやすい、奈良は平地を山が囲む広い盆地であり

やまとはくにの まほろば たたなづく 青がき 山ごもれる 大和しうるはし


近江も中心に琵琶湖があって山が囲んでいるからである。そして近江は東と西の境目である。
関が原を境にそうなっている。関が原を越えると近江であり景色も何か穏やかな感覚になる。そして関が原が天下分け目の戦いの場であるというのも地の利のためだった。
必ず春にゆくと関が原は雪が残っている地帯である。
そこが西と東の境目としてふさわしいのである。東(あづま)は関が原からはじまる地域だった。ここで西の文化と東の文化が別れる地域だった。
それで伊吹山でヤマトタケルが死んだ山でありここを境にして壬申の乱があり西と東の勢力がぶつかる地点だったことでもわかるのだ。


いづれにしろ武田信玄は天の時、地の利、人の和からみるとそれを象徴している人物なのである。
人の和があっても人の和が崩れ地の利が京都から離れて山国で天下を見るには不利であった。そして天の時も逃したのである。
天下をとるにしては謙信との戦いで時間を消耗した、結果的に天下とりに出たのが遅くすでに50をすぎて病気にもなり天の時を逃して挫折した。
人間は今でも個々人でも組織でもそうだろう。天の時、その人の人生でチャンスがくるのは一回しかない、それを逃すともうチャンスは永遠に来ない
ビジネスでも営業でも一回のチャンスをものにしないとあとは契約がとれないともある。それはどんな分野でもそうである。チャンスは何度も来ないのである。
恋愛でもチャンスは一回でありその時しないとあとはできない、つまり十代とか二十代の前半くらいまでしかできない、求道でも若い内しなければ年取ってからできない
若いとき放蕩したりすると老人になってもひびく、真善美を求められなくなる


結局ここの人間であれ平凡な人間であれ一つの教訓を残してみんな死んでゆく、武田信玄も英雄にしてそうだった。
死んでからこの人はこうだったああだっとかいろいろ批評する、そこには必ず教訓を残しているからである。それは平凡な一生でもそうである。
なぜその人はもっと何かをしていればよかったとかなぜもっと遊ぶということもしなかったのかとかなる。
それは時代を反映していたのだけど戦前生れだと働くばかりだったのはそういう時代だったからである。
でも戦後の団塊の世代になると遊び上手になる、近くの人が58才頃からスキーをはじめたというから驚きである。ピアノもしているとか趣味をもつようになった。
でもすでに65才くらいになっていて良くできるなと感心した。こういう人が戦後生まれには結構多いのである。そこが戦前生れと違うところである。


人間はただ長生きしただけで天の時を得ることがてきる場合がある。徳川家康は長生きしたから天下が自ずとれたともなる、武田信玄も長生きすれば違っていたのである。
才能がなくても長生きすればそれなりのことがてきる、才能があっても早く死んでしまうとできない、そういうことは個々人の人生でも家族の中でもある
母は百才まで生きたがそれが家族の中では意味ある価値あることだった。
もちろん長生きして意味がなく価値がなくなる人も多いし現代ではその方が多いから問題なのである。
でも才能を伸ばすのには長生きしていた方がいいとなる、凡庸な人間でも長生きして積み重ねるものがあればそれなりのものになりうるからである。
一方で天才的人物は別に長生きでなくても成果を残す、天才が短距離走だというとき短距離は努力してもなれない、生まれつきのものであるからだ。
マラソンはそうではないというとき平凡な人にも向いているというときスポーツでも生まれつきだけでは決められないものもある
大器晩成というけど平凡な人が長く時間をかけてやればそれなりのものになるということであり別に大器だからではないのである。
だから高齢化社会は平凡な人の才能が華開く時代だともなる
多様な才能が華開く時代だともなる、それが高齢化社会のプラスの点でもある


タグ:武田信玄
posted by 老鶯 at 17:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2016年01月10日

『百年の計、我にあり〜知られざる明治産業維新リーダー伝〜』 (別子銅山の改革に邁進した明治の偉人がいま蘇る! を見て)


『百年の計、我にあり〜知られざる明治産業維新リーダー伝〜』

(別子銅山の改革に邁進した明治の偉人がいま蘇る! を見て)

広瀬宰平と伊庭貞剛。2人は一企業のみならず、国家百年の計を見据えた改革を次々と実現、それは明治日本の産業維新とも言えるものであった--。


このドラマで広瀬が主張したのは一企業のためではない、国家のためにということがモチベーションとなっていた。
それは明治はみんなそうだった。異常なほどに国家を意識せざるをえない時代だった。
政治のみならずあらゆのる分野で国家を意識して国家をになって生きていた。
エリートは特にそういう責任感をもっていた。だから留学した人たちもそうであり英語ができなくて自殺した人もいたというときそれは国家によって派遣されていて国家意識が強いからそうなった。
明治はなににしろ国家を意識せざるをえない時代だったのである。
内村鑑三が二つのJのためにというときJAPAMが入っていたのである。この時も愛国心が大きなモチベーションになっていた。
国家が意識されるから愛国心ももっている。それは一企業でも国をになっているという意識がありみんなそうだった。まず国家の一員でありそのあとに付属していろいろなものがあった。国家が最優先であり結果として天皇が重きを成したともなる
それは明治だけではない日本は大正から太平洋戦争の敗北まで国家が最優先である社会だったのである。


産業でも絹織物が輸出産業となり全国で生糸の生産が農家で行われていた。
養蚕は農業でもあるから日本の主要産業となった。今でもいたるところに兜屋根とか二階で養蚕をした家が残っているのはそのためである。
そして戦争に負けた結果、今ではその絹織物産業で働かせられたのは国家のためでありそれは戦争のために武器を輸入するためだったとか批判されている。
絹織物産業も国家の指導のもとに行われていたのである。
その是非はともかく企業でもそもそも明治から国家なくしてはありえなかったのである。自分の母親も原町紡績で十年間働いていた。原紡としてこの辺では有名だった。その工場の門に引き込み線の写真があり鉄道で運ばれていた、原町駅は平駅と同じく機関区になっていて木材とか石とか物資が東京に運ばれていて栄えた。それは全国でそうなっていたのである。

そこで興味深かったのはフランスの技術者を呼んでいたのだがその人には設計図だけを作らせて広瀬宰平は日本で自力で作るべきだとフランスの技術を呼ばずになしとげる。そして鉱山技術を学ばせるために塩野門之助(浅利陽介)を留学生として派遣した
あとで外国の石炭を輸入すべきだというときも日本の自力で行うべきだと反対してさせなかった。それで塩野はやめたのである。
これも当時は国家を意識して日本人だけでやりとげるのだという自立心は結局明治維新を成し遂げた独立心に通じていたのである。
日本人はそれだけ西欧列強に対しても軍事面だけではない独立心をもっていた
だから明治は常に偉大な時代であり偉人の時代だったと言われるのである。
今になると敗戦の結果、国家意識は常に否定されてきた。国家という言葉さえタブーになってしまった。国家というだけで嫌悪を感じる人が多いのである。
そこに左翼系がさらに国家を忌むものとして国旗まで否定するようになった。


その変化があまりにも敗戦の結果極端なものとしてあり日本には国家はない、国家がないというときとても大きな責任感も生れない、百年の計というのも生れようがない
国家の歴史は二千年とか長いのだから百年の計がありうる、でも戦後は国家がアメリカによって否定され従属国家、植民地国家になったとき日本人は国家意識もなくなりただ目前の利を追うだけの民主主義ー民利主義になった。
国家百年の計に犠牲になるようなことは否定される
教育でも個々人の立身出世主義しかない、受験戦争は上の階級につき官僚になればただ得して楽な生活をするということしか教育にもない、他者を蹴落としてでもそうなれというのが戦後の教育だったのである。
要するに戦後は戦前からの歴史継続が断絶してしまったのである。
だから今や日本人とはなにかとなると日本人はいないアメリカ人になったともさえなる
日本人であるならやはり日本には長い歴史がありその歴史に育まれたものがあり文化がありそれに基づいて形成されるのが日本人だとなるからである。
だから盛んに無国籍人だとかが恰好いいとかなる、ハロウィンなども明らかに日本から祭りすら消失しているから新しい祭りを求めて若者が大騒ぎしているのである。
あらゆる面で国家を意識していた時代からあらゆる面で国家が否定されてきたのが戦後なのである。
ナショナリズムはファシズムと同義にもなっていたのである。


奇妙なのだけど国家意識がなくなり愛郷心もなくなった、その一つの原因が愛郷心も田舎で独立していた生活をしていたとき愛郷心もあった。
自給自足の生活していたとき、炭焼きをして都会の人に頼らずに生活していたとき田舎の人にもと独立心があり俺たちは別に都会の人に頼らずに自分達だけで生活できるという独立心と自負があった。
今は限界集落とかなるとインフラのために180倍の金がかかるとかそれは税金の無駄だと都会の人に言われる、もし炭が燃料だったらそんなことは言われないのである。
自分の家が故郷の木材を利用して建てたというとき故郷に土着するということで愛郷心が生れる、愛国心と愛郷心は何か共通したものがある。
広瀬宰平が盛んに日本は日本にあるもので外国に頼らないで資源でも技術でもなしとげるという自負が愛国心に通じていた。そしてそれあ成し遂げたのである。
そこには公害問題が生じたから今と同じ状況が生れたがこれも煙害を防ぎ補償金だけですまそうとしなかったのである。


これを今の原発と比べるとその相違が明確になる。原発も実は国家の事業であり一企業の東電の事業ではない、これは住友ではない一企業ではない国家の事業としてはじまったのである。国家の事業となれば百年の計のもとに成せねばならないものだった。
でももし百年の計となれば原発というのは放射性物質の処理を考えねばならないがそれも考えないから百年の計だったら原発を日本に作ることは危険だった。
そもそも日本の原発はアメリカ主導で成されたものであり別子銅山のように国家が自力で独立心が愛国心があって成したものでもない
アメリカの主導で成されたのが別子銅山とは根本的に違っていた。
別子銅山には国の援助はなかった。原発は国が予算をだして作ったのだから国家事業でありそうだったらこれこそ百年の計がなければ作れないものだったのである。
だから明治人と戦前の日本人はそもそも人間そのものがあらゆる分野で別人になっていたのである。
企業でもそうである。まずグローバル社会になれば国家を意識する、国家がない方がいいのである。それはアメリカでもそうなっている。だから世界を支配しているのはアメリカという国家ではなくロックフェラーやロスチャイルドとか武器を作る軍需産業会社だとか言われる、グローバル社会では大企業が国家であり大企業が世界を支配する
国家は大企業に従属したものとなる、会社の利益がすべてだとなる。
そしてその会社の利益にあづかるのがその幹部達でありその人たちこそ世界の富をにぎり世界を支配する人たちだとなる。
東電でも実質の富を産み出すのは東電でありそこに政治家や検察や警察の官僚が天下りしていたのだから東電を批判できなかったし今でもそうである。


ともかく戦後70年そして明治維新からすでに140年とかなるとあらゆるものを見直す時代になった。根本となる国家というのもそうである。国家というのがあちらゆる面で戦後否定されてきたのである。それは左翼により過剰に否定されてきたのである。
そのことからすでに日本にはモラルもなにもない、ただ個々人の利益の追及しかない、
自分が得する自分がもうけるためには他者を蹴落としてもいいしかない弱肉強食の社会になった。そこに日本人の義理人情もなにもなくなってしまった。
自分が弱者になったときのことを書いてきたが何の同情もない
ただ弱者になったことをいいことに攻められるだけだったから地獄だった
相手もまた金で追い詰められていた弱者だからそうなった。
日本人のモラルもなく世界が金を求めるだけしかなくなったのである。
それを否定しようにもそういう資本主義であれシステムの中に組み入れられているから否定できないのである。
別子銅山の一企業でも国家を意識して経営していた。そのためには日本の資源で日本の技術で独立心で成し遂げるという意気込みがあったからこそできた。
経済的自立、技術的自立の精神があって愛国心もあり愛郷心もあったがグローバル経済はそれを破壊したのだからそれは日本だけの問題ではないとなる。
その結果としてなぜこの辺で原発事故で住民が離散して帰らないのかという問題とも通じている。


そもそも自給自足の生活からはあまりにも離れてしまった。あらゆるものが家でも建て売りでは材料でも大工さんも地元の人でない、会社の社員が組み立てるのてあり地元の人が地元の材料で建てているのではない、それは食料でも今ではそうである。
あらゆるものが全国から外国から常時は入ってくる、だから金さえあればどこに住もうが困らないとなる。自給自足の生活だったら地元のもので何でもまかなわなけれはならないから愛郷心を自ずともつようにな。
それがないからみんな散り散りばらばらになった、故郷と言っても愛郷心が育まれような社会になっていなかった。それは国家でも同じであり愛国心はかえって戦争を奨励するものとして否定されてきたのである。
いづれにし国家百年の計などありえないというときそもそも国家意識が喪失しているのだからそうなる
国家とは地域のエゴとか個々人のエゴとかを越えた大きなものとしてあるそれが公共の概念である。それが喪失したとき社会自体がばらばらに分離離散して崩壊する
ただ弱肉強食の社会でありそれはまさにモラルもなにもない動物的社会に堕落してしまうそれはまさに地獄ではなかろうか?
確かに国家が戦争で何百万人が犠牲になった地獄を作り出したがまた逆に国家無き社会も地獄を作り出す、つまり国家を愛国心が愛郷心がない社会はまさにそうなってしまうことを原発事故でも今の社会がそれを示しているのである。



タグ:別子銅山

2016年01月11日

認知症の介護をふりかえる (脳の病気が人間にとって一番悲惨)


認知症の介護をふりかえる

(脳の病気が人間にとって一番悲惨)


認知症というのはその人によって性格などによって症状が違う。
母は95になり介護状態になり認知症になったけど別に普通の人とほとんど変わらなかったただ入れ歯をなくすとき何かあわてていたが怒ったりもしない
すぐに探して安心させたからである。そのことは前も姉のことで経験していたからである寝ていたから狭い部屋が生活範囲だから何かなくしてもすぐに見つかるからあわてる必要がなかった。
そして性格がおとなしいから介護しやすかったのである。


一方姉は激情的な人であったから症状も極端なものとなり本人も苦しんだけど介護する人も自分も苦しんだのである。
姉はいつも自分は優秀だったと言っていた。それが学生のときから優秀だった。
学校も一番であり体力的にも優れていたのである。
だから従軍看護婦となりシンガポールに四年間耐えることができた
当時は看護婦になること自体が簡単にはなれない、優秀な選ばれた女性たちだった。
それで戦争のことと自分が優秀だったことを言いつづけて死んだ。


その優秀なことが認知症では裏目に出たのである。なぜならその優秀であっても認知症になったら一転して痴呆になったという信じられない状態になったからである。
認知症になったことに気づいたのは最初暴力になったことである。
その時自分はショックでありどうなったのだろうとものすごく不安になった。
病気は急激に発症したと思った。その前はからそういう兆候があったが自分にはわからなかった。
それも衝撃だったが銀行に行ったのだが金をおろせなかった。それも驚きだった。
そんなことがありうるのかという驚きである。通帳とハンコをもっていけばおろせる、その自分の金をおろせないのだから驚く、そこで笑われたとか言ってその後銀行には行かなくなった。銀行に自分の金があることはわかっていても自分の金をおろせないのだから信じられなとなる
認知症になっらもう自分の金も自分の金でなくなる、金の管理はできなくなる
これも認知症の症状だった。自分の住所も書けなくなっていたから姉は最初から重症だった。
母は不思議なのは住所とか書いていたしまだわかることがあるのが不思議だった。
おそらく認知症特有の物忘れはあってもその他はある程度正常だったとなる
つまり極端なもの忘れがあってもその他は正常にある程度機能していたのである。
だからあまり悲惨な感じにはならなかったのである。

一方姉は自分は優秀だとプライドが特別高いから認知症になった結果悲惨になった。
つくづく人間は何が災いして何が幸いするかわからないものである。
優秀なことはいいことであるがそれが災いにもなる
プライドが高いということはそうして認知症になったときショックが大きいのである。
だから通帳をみて頭をたたいてわかろとしていたが理解できなくなっていた。
それが悔しいということがあり激情的な人だから他者にその不満をぶつけて暴力になったのである。
暴力的になるのは自分の頭が正常に働かせようにもできないからである。


そしてこれも悲惨だったのは例えば二階に着るものがあり自分でかたづけていてまた二階にゆくと自分の着るものがないと泣いて訴えていた。
財布なども隠してわからなくなり泣いて訴えていた。
それも悲惨なものだった。自分はそこから怒り暴力になることを恐れていたので財布がここにあるとか安心させるよう勤めた。
でも忘れるということでそれが感情的になり激情的な人は暴力になるから怖い
その時目の色とか顔まで変わることがあり一種の精神病のような状態になる
その精神病的状態になることが一番怖いことでもある
なぜなら60年も親しくしていた人が突然そうなったら本当に怖いことだからである。
いくらそうなっても60年も親しくしていたのだから態度を変えることはできない
家族として姉として自分は接してきた。それは自分の家族の特殊な事情も反映していた。自分は特別姉には良くされていたからである。
だから認知症になったときも別に姉として変わらず接していたのである。
そうしているうち症状も落ち着いてきたのである。

今ふりかえると自分は懸命に認知症の姉を介護して良かったと思う
なにかしらそれで恩返しできたとして満足している。
それだけ自分は姉には良くされていたからである。
何もしなかったら自分はなにも恩返しできないということで後悔することかあった
自分も何か姉のためにできたという満足感が今になるとある。
それは母も同じだった。つまり介護というのはやはりその人の家族の状態とかいろいろ事情が違うから介護は一様にはならないのである。


今になるとあの時懸命に認知症になっても正常のときと同じように接して介護して良かったと思う。
でもそれも短かったから助かったのである。長くなると二人介護になったからもたなかったからである。
ともかくこの十年間の介護の経験はやはりそれなりに得るものがあった。
弱者とか病人とか自分もなり弱者になるとはどういうことか身をもって知った。
実際は自分の場合は弱者化したとき何の助けもなく攻められるだけだった。
ただ自分は家族に対しては介護して尽くしたなとそれが満足感になっているのも不思議である。
弱者というとき老人はみんな弱者になる、体も弱り脳も弱りみんな弱者化するのである。つまり姉のように優秀だとか言っても認知症にな人が本当に多くなる
もう90才以上になると半分もなるとかそれが高齢化社会の恐ろしさなのである。
老人になればどんなに優秀であってもまた金をもっていたとしても認知症になったらその金も何の力にもならないのである。
金だ金だと金を第一にしていたがそれも何の役にもたたない、介護は金が必要でも金だけでは解決しない、やはり介護には愛が必要になるからである。
自分は特別世話になったということ良くしてもらったということがあり介護したからである。
それが赤の他人だったらそういうことができるかとなるとむずかしいのである。


我は助けぬ、認知症になるとて
変わらずに、家族としてありつづけ
弱りしものを、脳の病気とて
人はみな老い弱り悲しきものを
奢れるものも老い弱りゆく
悲しむものは幸いである
悲しまざる者は人間を知らぬ
我は弱りし家族を助け
我が心は今ふりかえり満足す
我も尽くすことのありと、、、
死者に心から供養するかな

介護は供養とも連続している。介護してやれば相手も満足して死にそのあと介護した人も供養できる、そうでないとなにか供養するにもうしろめたいものが残る
そういう人を知っているからいくら偽っても死者に対しては偽れない
外に装っても自分の心の中では偽れないものとなるから問題なのである。


いづれにしろ人間とは愛というとき常に与えられる愛を思っている
でも与えられる愛ばかり望んでいると不安定になる
常に愛されるのではないかということで不安になる
でももし愛する方になれば別に相手から愛されなくてもいい、そういう愛だったら愛は消えることがないのである。
なぜ離婚が多いかというと与えられる愛を望んでいて自ら愛するのではないからである。まずこの世の中で無償の愛というのは親子でもほとんどないのである
なんらかの見返りを望んでいる愛なのである。
それでおばあちゃんがいいというのは見返りを望まないからである。
自分の場合は一人はそうだったから認知症になっても尽くしたのである。
愛されるより愛する喜びの方が大きいということもある
それがキリストの教えだけどこれを実践するとなるとむずかしいからこそただ人は愛されることを求めているのである。
自分は多少介護で愛する方になり愛することにも心に満足感を覚えるものを今になり感じたのである。
そうはいってもそれも今になると介護が終わったから言えることなのである。


タグ:認知症

2016年01月12日

葬式も出せない貧乏な時代? (栄える家にはやはり何かの理由があるし逆もそうである) 葬式も出せない貧乏な時代? (栄える家にはやはり何かの理由があるし逆もそうである)


葬式も出せない貧乏な時代?

(栄える家にはやはり何かの理由があるし逆もそうである)

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金がなくて葬式が出せないと福島県でこれだけ事件があった
やはり葬式も出せないほどの貧乏人が増えているのかとなる
全国的にもこういう事件が多いからである。

どうしていいかわからなかったというとき近所つきあいなどがなくなったからだとニュースでは言っていた。
それもある、本当にどうしていいかわからなっかたのだろう
自分は一回経験しているからなんとかできたが葬式というのは何回も経験できないからわからないのである。
人間ははじめて経験することに弱いのである。
今回の母の葬式は納棺から火葬からと時間的余裕があってしたから葬式とは埋葬するとはこういうものかとわかった。
納棺→火葬→お骨(47日)→納骨となる



 静岡県警熱海署は15日、妻(60)の遺体を空き地に埋めようとしたとして、死体遺棄容疑で同市内に住むアクセサリー販売業の夫(59)を現行犯逮捕した。「葬式を出す金がなかった」と供述しているという。自力で“埋葬”することになった経緯を同署に聞いた。

 

なんかこういう事件がよく報道される、葬式を出せないほどの貧乏なのか?
それとも安く葬式を出せることを知らないのだろうか
それとも親の年金をもらいつづけるために親の死を隠しているのか?

本当に貧乏で葬式を出せないというのも結構ある
とすると今はそれほど貧乏な人が増えた時代なのか
それにしても葬式は20万あればできるからそんなに貧乏なのかとなる
20万の金がない、融通できないとなると相当な貧乏ではないか?
こういうことに現代の世相があり貧乏な人が増えた

親の年金で生活していたような人も多いから親が死んだらその年金をもらいつづけるために死んだことを隠す、それも貧乏のためである。
だからこういう事件がこれからも介護殺人と同じように増えてくる
事件は必ず世相を反映しているからだ。


親に頼るというとき今の老人は金を持っている人はもっている、若い人はもっていない、貯金のほとんどは老人がもっている、それで若い人が貧乏になり親に頼る
それで親が裕福な人とと貧乏な人でまた経済格差が生れる
そしてもう一つ親の遺産でも差がつく、親の遺産をもらわないとどうしても貧乏になる

やはり裕福になるは一代で築き上げることはむずかしい
豊になるのは先祖の力が功績があってなる場合も多い
自分の家系を例にすれば実家には墓しか残っていない、そこには墓しかない
だからその家系に連なるものが来ても何の恩恵もないのである。
墓に来て墓参りするだけでありあとは何もない
一方で母が嫁いだ自分の家は大きな家が残っていてそこに泊まれるし金も多少やるから恩恵がある
誰もなにも恩恵がないところには普通は来ないのである
実家は祖父が事業を失敗して一家離散になったから家もなくなり墓だけが残ったのである

家もいろいろあり謎だがその家が栄えるということは何か原因がある、



積善の家には必ず余慶あり
(せきぜんのいえにはかならずよけいあり)

「易経」より

善行を積み重ねた家は
その子孫が幸福になるであろう


積不善の家には必ず余殃有り。 
(せきふぜんのいえにはかならずよおうあり)

余殃とは、
祖先の悪事の報いとして、子孫に災難が及ぶこと。



これはあてはまる,なぜ自分の実家は墓だけしか残らないのか、一家離散になったのか?
それはそういう原因がやはりあったとなる、それは複雑だから簡単には言えない
一方自分の家はなおまだ家があり財産が多少あるのか?
それはやはり「積善の家には必ず余慶あり」があり自分の父親が善行を積んだためだとなる
ただ一方で全部が善行とはなっていないが一面そういうことがありそれが家が栄えた理由なことは確かである。


ともかく実家の墓は何か悲惨なのである。若くて肺病で25才で死んだとかもう一人兄は40才で交通事故で死んだ、そして一家離散になっているから不幸な家系だとなる
ただどこの家系でもたどれば不幸な人がいる、何かそうした不幸な人がいて幸福な人がでてくる。
だから家系も実際は不可解なものであり何なのだろうとなる
ただ良い家系につかないかぎり恩恵はない、実家の墓だけであり何の恩恵もないのである

今回の母の葬式は納棺から火葬からと時間的余裕があってしたから葬式とは埋葬するとはこういうものかとわかった。
納棺→火葬→お骨(47日)→納骨となる
死者を葬るのも儀式なのである。一番のショックは火葬なのである。何もなくなってしまうことは本当にショックである。
今日実家の墓の中をみたら兄の骨壺がなく他の骨と一緒になり土になっていた
木の骨壺だったのでそうなったのか?これも娘に返すことができなくなり困ったことだった
葬式とかこうした埋葬とかやはり文化がありそれは仏教がになってきた。
ただ戒名とか死者というわけのわからないものにまた死者の恐れをいいことにそこで金儲けするのはこれも何か重い罪のように思う
カルト宗教団体が政治のために宗教を利用するのもそうである。
そうした俗世のために利用したり死者という恐れをいいことに金をとるやりかたは相当にあくどいと思う
供養だったらその人の心しだいであり心から手をあわせればいいことである。
金など必要ないからである。花くらいはどうしても必要だが他は心から供養することであり何もいらないのである。
ただ死者を葬ることは昔は村の共同体がありしていた、それがなくなり個人個人ですることは難儀である
今は葬儀屋がするのだがそれもまた違和感があり納棺師とかが話題になった
それは死者に対してどうして対処していいかわからないからそうしてこまた専門家が生れたのである。

ともかく母の死後の処理に追われている、人が死ぬとそうした因縁がいろいろとでてくる47日過ぎて納骨すれば一段落である。それまではまだ落ち着かないのである。

タグ:葬式

2016年01月13日

認知症の介護をふりかえる (苦しみと悲しみをともにせざるをえない介護)


認知症の介護をふりかえる

(苦しみと悲しみをともにせざるをえない介護)


姉が死んで7年くらいすでにすぎた、随分早いものだと思う。
それで何かこの頃姉の認知症の介護のことを思い出す
そもそも認知症とは何なのかわからない、何の病気なのか?
その正体が不可解なのである。それは老いによるボケだという見方もあり病気ではないという人もいる、そして認知症は人によって症状が違ってくるから一様ではないからどういう病気なのかも決められない、体の病気だと診断して病名がつきやすい
ところが認知症はどういう病気なのか脳とか精神が影響してわからない
それとにたものは痴呆とか精神病となるからそれなのかと思うとまた違っているとか
どういう病気なのか医療界でも決められないのである。


それは老化から来ているとしてもやはり病気である。老化は病気なのかという問題もあるが認知症は一つの病気でありアルツハイマーという病気なのだろう。
あいつはボケたとかなると笑い物になる、あんなに優秀だった姉も笑い物になったから信じられないのである。実際それを家族だった自分は差別とかを感じていきどおりも感じたそれは精神障害者を持っているものと共通したものとして差別されたのである。
ただもともと優秀であり功績があったものとして生きてきたのだからそこは生まれつきの障害者とは違う。いろいろしてくれた人だから自分は恩返ししなければならないと思って介護していたのである。


ともかく家族にそうして病人をかかえると自分も病人と同じように苦しみ悲しまざるをえなくなるのである。
認知症の場合は特殊なんだけどその度合いは他の肉体的な病気より強くなる
そして認知症になれば家族も嫌う、最大のやっかいものになる
だから殺したくなるということが殺意まで生れるのが認知症の介護であり過酷なのである認知症になった本人も相当な苦しみと悲しみを負うのである
暴力になるときそれは自分をどうにもできない無能化したことへの怒りでありその不満を他者にぶつける
特に優秀だったとか激情的な人はそうなりやすいのである


認知症になるのは本人が悪いのだという見方もある。そんな病気になるのは何か呪われているんだという見方もでるのはそれほど悲惨だからである。
姉は性格的に奢ったところがあり自分は優秀だと見下した所が在りそういう面があったことは否定できない、その奢りが罰せられたのかとも見た
認知症とは何かというのが解せないからそうなる
その本人が悪くてそういう病気になったのか、そんな過酷な病気がなぜ人間に与えられるのかというのもなぞである。
神もヨブに過酷な苦しみを与えたことも試練としてそうさせた。
では認知症とはそういう苦しみを神がなぜ与えたのだろうとなる
これも不可解なのものであるし津波の被害などで死んだ人たちもそうである。
なぜそんな過酷なことを神を人間にするのかということがそもそもわからないのである。

認知症だと何か悪魔にもてあそばれているような感じになる、覚えることができなくなり二階に自分でかたづけた着物がないと泣いていたり財布を隠して見つけられず泣いていたりと本当に悪魔にもてあそばれている感じだった。
どうして神はこんな病気にしたのかという疑問が最初からあった。
もしそういう病気に最愛の人がなったらどうなるのか?
その病気と同じ苦しみ悲しみをともにせざるをえなくなるのである。

「財布がない、財布がない」
「財布はあるよ,安心しろ、大丈夫あるよ、ここにあったよ」

何かこうしてよりそって安心させる、すると精神が狂気になるのをおさえられのである
忘れるということから狂気になるのが認知症だからである。
認知症はともかくいろいろ症状があっても安心させることが一番大事なのである。
忘れるということで感情的になりそこから狂気になる
だからともかく安心させる、心を落ち着かせることが肝要なのである。


認知症が何なのかというとき、不可解だとなるがそれは病気なのだろう
老いでもあるが単なる老いからくるのではなく病気なのだろう
病気だとすると直すことかできると医者が言う
例えは自分の母は100才になり死ぬ間際になるまで病気がないという、軽い認知症はそれでもなっていたのである。でもそれは体の病気とはならなかったから病気がないと医者に言われたのである。それもだから不思議なのことだった。
ところが認知症は病気とされない場合がある
精神の病はそれだけむずかしいからそうなる


今ふりかえると認知症は悲惨な病気であり介護する方も同じように苦しみ悲しむ、それを自分は経験してきた。
人間はつくづく悲しみものと苦しむものとともに悲しみ苦しむことが愛である。
楽しむものと快楽をともにするものとが本当の愛にはならない
悲しむ苦しむものとともにするときそれが本当の愛である。
でもそんなこと誰もしたくない、自分の場合はそう強いられただけなのである。
誰もそんな苦しみとか悲しみをともにしたくないのである。
そういうことは口で言うのは簡単なのである。
実際に自分がそういう身になったときしかわからないのである。


「悲しむ者は幸いである」このことは何を意味しているのか本当に不可解である。
ただ人間が悲しむものと苦しむ者と共感するときが本当の愛である
たがいに楽しむばかりならそこに愛はない、楽しくなくなったら離れるのは愛ではない、悲しいときも苦しいときもともにあるのが愛だからである。
神はなぜ人間にこうして過酷な悲しみとか苦しみを与えるのかとなる
でも逆に悲しみも苦しみもない楽しいだけの人生というのはまたそれだけでいいのかともなる
つまり人間は苦しみや悲しみをともにしてのりこえるとき真に愛で結ばれることがありうる、自分はなんとか姉に対してそうしてきたから最後はわかってくれたと思う。
そういうことで自分はふりかえると満足している
自分も何かしてやることができたという満足である。
何もしてやれなかったら自分は家族とすらなれなかった。自分が苦しみと悲しみをともにしたことで本当に家族になったのである。


ただなぜこんな酷いことは人間に対して神はするのか?それはヨブ記のように不可解なのである。人間は悪魔のようにもてあそばれるだけの存在なのか?
神などないというとき津波の被害者はそう思った。それもあまりにも過酷な現実だったからである。
何か世界でもそうした過酷なことがありどうしてそんな苦しみが与えられの不可解なのである。ただそういう過酷なことにも何か意味がありその解決を望んでいる

汝の悲しみの涙は真珠となる
汝の悲しみ苦しみは無為には終わらない
それは一つの神の試練なれや
汝はふりかえり今幸いを感じる
悲しむ者は幸いとはそのことや
今ふりかえればそれはあるにしても
思い出すとやはり悲しくなる
ただ汝はその時懸命に家族を支えていた
そして今も支えているのかもしれない
死んでも家族を支えている
介護になってからは自分が支える身
私自身が家族を支える
私が愛する故に家族はありつづける
その家族は永遠に消えざれ
我が愛のあるかぎりはこの地に゛゛゛

要するに家族とは何なのかともなる、今までは自分はただ良くされるだけであり愛されるだけだった。でも介護になってからこちらが愛する方になった。
その時ふりかえると自分は真の家族の一員となるべく奮闘していたのである。
これも家族から故郷とか大きな共有の世界に拡大するとき故郷のために何かするというとき故郷の一員となる、何もできないなら故郷の一員ともならないとなる
この辺は津波や原発事故で混乱した。その中で若い人が故郷から放射能を恐れて去って行った、そして老人だけが取り残されたのである。
でも老人でも親であり祖父母であった、家族であったはずである。
するとそこには家族の愛すらなかったのかとも疑問になる
補償金もらってそれで外に出て新しくはじめた方がいいとなった。金がかえって復興をさせなくさせてしまった皮肉がある
金によって家族がかえって分離した、補償金で市町村が分断されたということもそうである。家族であれ故郷であれそんなに愛着あるものではなかったともなる
それが時代を反映したものでありしかたないとなっているがそれでいいのかという疑問と通じていたのである。


タグ:家族とは

2016年01月14日

抽象画(海辺の街-seaside towns)



抽象画(海辺の街-seaside towns) 


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海辺の街


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海からの風(春)


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海からの風(夏)


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春の山々を走る高速道路



やはり抽象画も名前からタイトルからイメージする場合がある。
これはなんだろうという何か抽象画は困惑する
でもこれは海辺の街だとタイトルがあるとそうかなと見る
自分自身がタイトルを海辺の街だとして納得した
青い色は海の色だからである。
青だったら必ず海とか水とかイメージするからである。


タグ:海辺の街

2016年01月15日

人間の奢りにはなんらかの罰が課せられる (個々人でも原発事故も認知症もそういう面があった)


人間の奢りにはなんらかの罰が課せられる

(個々人でも原発事故も認知症もそういう面があった)

「高い者は低くされ、低い者は高くされる」エゼキル

「貧しきは高められ、富む者は低められる」(ヤコブ1章9−11節)

そもそも人間が堕落したのはエデンの園から追放されたのはなぜなのか?
知恵の実なるリンゴを食べたからだとある。
それで善悪を知るものとなったと聖書にある。
神が全能で知恵を司るものだったが人間が神をしのいで自分で知恵あるものとなったことが奢りでありそれでエデンの園から追放されたのである。

人間が神をしのいで知恵あるものとなったというときそれが文明を作り出したのである。それは最初から神しか全能でないのに人間が全能を目指しているのが文明なのである。
その一つが科学技術なのである。科学技術は万能であるということが信仰にまでなっている、科学技術がすべてを解決するというふうに現実に信仰までなっているからである。
癌が直らないとしても新薬が発明されて直るようになるというとみんな信じるだろう。
そんなことを宗教では今はできないから科学技術が万能として宗教になっているのが現代である。

つまりそれこそが人間の奢りでありその奢りが神によって打ち砕かれる
原発事故もそうだった。原子力はまさに人間の知恵が科学技術が作り出したものであり
原子力文明となるものだったのである。それが事故になり打ち砕かれてそこに住めなくなったというのもそうである。それは明らかに人間に対する罰だったのである。
人間の奢りに対する罰だったのである。
ギリシャ神話のプロメテウスが火をゼウスから盗んだというのもそうであり何かしら人間は人間が生れ時から罰がある、その罰からは逃れられない、仏教で言えばカルマになる。人間は生きている限りカルマを積んでいる、カルマを積まないで生きられるものはいないのである。日々食べることでも肉食すれば動物を犠牲にしているのだからカルマを積んでいる。
何かしらカルマを積まない人間などいないのである。


そして大きく人類史的にもそうなのだが身近な個々人でも奢りは罰せられる
姉はいつも自分は優秀だと最後まで死ぬ間際まで言っていた。
そのことにこだわったのはやはり自分が認知症になり馬鹿になったということがあり自分が優秀だったということにこだわったからそういいつづけたのかもしれない
でも優秀だったということが全く認知症になってもろくも崩れ去った驚きである。
銀行からは金をおろせない、財布を隠してわからなくなり泣いている。
今ふりかえると本当に悲惨でありこんなことをなぜ神がするのかと自分はいきどおりを感じた
それは津波の犠牲にも感じた、神も仏もあるものかと呪う人もいたがそれもわかる。
なぜこんな酷いことを神はするのだろうかということが解せなかったのである。
それはやはり人間の奢りに対する厳しい罰だったのである。

ただ認知症とは何なのか未だわからない、それは病気であり罰とは関係ないということもある
ただ姉の場合は一面そうした奢りがあったことは確かなのである。
だからといって姉は自分に一番良くしたのだから必死になって介護したのである。
それはプログでその経過を書いてきた。自分は姉を愛していたからそうしたのである。
人間は必ずいい面と悪い面があるから姉を奢りがあったとしても責められないのである。

第一優秀なことが悪いことがないのである。誰でも優秀な人に頼るだろう、医者でも大工さんでも看護師でも何でも優秀な人に仕事をまかせる、だから優秀なことが悪いはずはない、みんな必死になって優秀な人になるために勉強もしているし努力をもしているのである。
だから優秀な人がいなかったらこの社会は成り立たないのである。
ただ優秀な人は普通の人でも大工さんでも看護師でも他でもいる。それは特別な人ではないのである。
そういう優秀な人は奢りに陥りやすいのである。
事業に失敗した人も一級の免許をもっていて常にみんなに優秀だと言われてきた。
そして事業に失敗しても自分は成功していると装っていたのである。
その人も相当に奢りがあったのである。
でも実際にそういう優秀な人には何か奢りが生れる、そして優秀でない人を見下すのである。
自分はそういう人たちをみて常にうらやましく思っていたのである。
自分には優秀なものがないと思っていたからである。

優秀な人は何か冷たい人多い、自分は優秀なんだというとき他者を見下してしまうからだでもその優秀なことが悪いわけではないのだ。
どうしてもそこに奢りが生れるから危険になる。だから何か優秀でないというか平凡でも愛のある正直な人間はいる。
そういう人は優秀な人ではない、姉の場合は優秀なのだけど見下していたことそのことが罰せられたのかもしれない、ただ認知症にな人は多いのだからみんながそうとはいえない自分にとってはどうあれ姉は家に尽くした人だから懸命に認知症でも介護したのである。

人間でいましむべきは奢りと偶像崇拝である。だから若いとき裕福で何も苦労をしらないとか地位があるとかなると危険である。
自分も一時はそうだった。それが打ち砕かれたから謙遜になった。
ただその後30才以降は楽していたのである。
若いとき頭がいいとかなんとかほめられるばかりだった人はどうしても奢りになる。
若いときから社会でほめられる人間は危険である。
有名になることも金持ちになることも地位があったりしたら余計危険である。
その気になっていると神が罰を与えることになる


ネブカドネザル大王が王がエホバの言によって「人から離れて牛のように草を食い、 髪の毛が鷲のように、爪は馬のようになって」はじめて神を認めたという。 

これとなにか認知症とがにている、本当にこれは神の刑罰だった。認知症は多くの人がなるからこれとも違っているだろう。でも王として傲慢になった結果の刑罰だったのである聖書では人間の力で成したというとき何でも危険なことになる、すべては神が成したのであり人間ではない、人間が成した誇るとき厳しい罰が課せられているのだ。
奇跡でもそれは人間が成すことではなく神が成したことなのである。
文明の危険性は原発でもそうだが人間が人間の力で成したことを栄光としているからである。だから今回の原発事故のように明らかにこれは神からの罰だったのである。

いづれにしろ強い者が強いとは限らない、アメリカだって今は強いとしてもいつまでもそうではない、強いものも神の前にもろくもくずれさるときがくる
高いものは必ず卑くくされる、だから高い地位にあるもの、強いものは、権力をもち奢るものは危険なのである。
そして逆に卑(ひく)いものが高くされる、それで天国には平凡でも愛のある正直な人たちがいるというのはそのことなのだろう。

聖書の言葉でもこれは誰でも言うことは簡単なのである。では実行するとなると本当にむずかしい、高い地位をもとめ金持ちになることを求めて日々懸命に働いているのが現実である。
だから「悲しむ者は幸いなり」と大金持ちが貧乏や低い地位のものに語るほど矛盾したことはない、あなたたちが貧しいのは幸いなのだ、あなたたちが悲しむのは幸いなのだと言っていたらこれほど矛盾したことはない
あなたたちは貧乏でいい、苦しんでいなさい、それが神に従うことだ、そんなことを金持ちが地位ある人が言っていたらこれほどのブラックユーモアはないのである。
現実にそういうことをアメリカでは黒人奴隷にたいしてしてきたのである。
またそういうことがこの社会では普通にあるから矛盾なのである。
ともかくこの世の中で何か人に教えようとするときその人自身が矛盾してこない人はいない、悔い改めなさいとか牧師が言ったとしてその牧師が罪がないとはいえないからであるそういう人が罪を問うこと自体矛盾である。だから牧師ではなく神に直接対して懺悔せよとしたのがプロテスタントだったのである。
そしてまた自分が悪いことをしていないと威張って言う人も多い、おそらく悪いことをしてきたからそれを認めたくないからそう言っている。
継母だった女性が最後に目が見えなくなりそのことを反省した。
目が見えなくなることも罰だったのである。
人間には必ずカルマがあり罰がある、それは悪いことではない、その罰がなければ神があることも知ることがない、ネブカドネザル大王は罰を受けて神を認めたとあるからである。



タグ:神の罰
posted by 老鶯 at 14:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 聖書の言葉と詩など

海老千軒と津波に家を流された人が言う (海老の発掘された跡は800年前のもの?)


海老千軒と津波に家を流された人が言う

(海老の発掘された跡は800年前のもの?)

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字山地やまちの稲荷神社は、楢崎千軒なの鎮守神であったが山津波で一夜にして流され、現在の阿弥陀堂の地に移した。しかし再び水害にあい現在地に移建されたという。楢崎千軒の消滅について、旅の行者の制止を無視して大道おおみち沢で毒もみ漁を決行したからとの伝承がある。


琵琶湖岸を南北に走る賤しずヶ岳たけ山系の西野山丘陵に立地。西野山西麓湖岸阿曾津あそづに、往古阿曾津千軒とよばれた大集落があったが地震によって一村全滅し、逃れた村人は当村、松尾まつお(松野)・熊野くまの・東柳野ひがしやないの・柳野中やないのなか・西柳野・磯野いそのの七ヵ村(七野)に分住。


広島県福山市の市街西方を流れる芦田あしだ川。草戸千軒町くさどせんげんちょう遺跡は、その芦田川河口付近にあります。「草戸千軒」の名は江戸時代中期に福山藩士が著した地誌「備陽六郡志」に「草戸千軒と云町有りける」と記されていたことに由来します。同書によれば、寛文13年(1673)の洪水で中州(中島)にあった草戸千軒は町ごと流失、その後、中州に民家が再建されなかったため、中洲は廃墟になったといいます。


福島県会津若松市の「千軒道せんげんみち」です。「日本歴史地名大系」は次のように記します。

滝沢町妙法寺前たきざわまちみようほうじまえ通より西の方紫雲寺前しうんじまえ通に至る、長さ一町五六間・幅二間。昔はこの辺りに家数一千軒があったのでこの名がついたというが、化政期には寺院のみで他の居宅はないという(新編会津風土記)。


過ぎし日の繁栄を物語る「千軒」地名

昔、八幡の町は「上千軒、下千軒」と呼ばれ、大いに繁昌していたが、そのころの事である。1軒の酒屋があり、こさじという下女がいた。この酒屋へ顔が赤く全身に毛が生えた猩々(しょうじょう)が来て、酒を飲ませよと仕草をし、酒を出すと飲みほし、盃に血を残して立ち去った。猩々の血は高価なものであった(または、残した血が銭になった)。強欲な酒屋の主は猩々を殺して血を採り大金を得ようとたくらみをした。それを知ったこさじは、猩々を憐み、次に訪れたときその事を告げた。猩々はそれでも酒が欲しい、もし殺されたらその3日も経たないうちに大津波がおしよせるから、そのときは末の松山に登って難を避けよという。猩々が酒屋を訪れると、主夫婦は大酒をすすめ、酔いつぶれた猩々を殺し、全身の血を抜き採り、屍を町の東にある池の中に投げ棄てた。その翌日、空は黒雲に覆われてただならぬ様子となったので、こさじは猩々が語ったことに従い、末の松山に登って難を避けた。この津波で繁昌していた八幡の町は、家も人もすべて流されてしまった。猩々の屍を棄てた池はのち「猩々ヶ池」と呼ばれるようになった。

多賀城ー末の松山ー伝説



海老村の人で津波に家を流された人とあった。ちょうど海に面した角の家だった。
その人は船に乗って魚をとっていた。烏崎の港で船に乗っていた。
右田とか海老村でも烏崎の港で船に乗っていた人がいた。
海老村でもいたのである。ここは前は港であり帆掛け舟が出ていた
ここで津波の跡に発掘をしていた、その跡は広く古くからここには家が建ち栄えていたとなる
その場所は右田より高い場所にあり住むには適地だった。海老村の方が右田より古いことがわかる。
海老という地名が蝦夷(えみし)蝦夷に由来しているということを書いた
海老はエヒであり古い地名なのである。だから800年前というのも本当なのか?
文化財課に問い合わせたらまだ調査中であり3月に概略がわかるという。
海老村については自分も津波のことでいろいろ調べた。
海老村の大工が津波の後に中村城の天守閣の建築にたずさわった伝説が鹿島町誌に記されている
その伝説と本当に不思議なのである。何らか津波があったことを示唆しているような文である。これを解明すれば400年前の慶長津波のことを知る唯一の手がかりになるかと思った。
なぜなら時代が一致するからである。慶長津波のすぐあとに中村城の天守閣の造営がはじまったからである。それはなぜかとりやめになった。

その人が海老千軒だとか言うときそれもこうした遺跡があることは根拠がないととんいえない、千軒という地名は各地にあり何かしらで栄えた町が災害などで消失したためにそういう地名が残っている。
つまり津波だけではない、洪水もあるし、鉱山で栄えていた地域もあり家が繁華に建ちかつて栄えていた。それが消失したというとき今回の津波と共通しているのである。
草戸千軒は遺物が発見されているから確かである。それも最近発掘されたのである。
だからあそこの遺跡も津波の手がかりになるのかもしれないと思った。
何も津波の手がかりになるものがないから時代がわかればもしかしたら慶長時代の津波とかでやはり千軒が消失して海老も海老千軒とか言われたのかもしれないとかなる
津波で消失してまたそこに家が建つようになったのだろうか?
そういうこともありうるだろう。時代は全部の遺跡で同じではないということは時代的に継続して住んでいたのだろう。海老は高いから津波が来ないと思っていたからである。

千軒で有名なのは多賀城である。ここには明確に津波の伝説が残っているし末の松山はあまりにも有名である。
だからコサジの伝説があるけどこれは何を意味しているのだろうか?
猩々(しょうじょう)とは架空の動物のことである。
何かそれは神の使いのようなものかもしれない、その神の使いをだましたことで津波が襲った。そういう縁起を語っているのかもしれない、津波のことを明確に語っているのは珍しいのである。
自分も津波がくる半年前に犯罪にあいそのことで半年くらい激しくその人を呪った。
そしてあの津波が襲ったのであり不思議なのことだった。ただその前に原町で女子高生の殺人があった。それは津波のすぐ前だったのである。
その女子高生の死体は発見された。津波のような災害はやはり何か特別でありそれが何かと縁起が語られるたのだろう。他にもそういう人をだますとか何か悪いことをして津波がきたということは語られている
人は何かむごいをことをしたということでそれが縁起となり語られることが伝説にはある

この津波で繁昌していた八幡の町は、家も人もすべて流されてしまった。猩々の屍を棄てた池はのち「猩々ヶ池」と呼ばれるようになった。

これも何か悪いことをした罰として津波が襲ったことを生々しく語られている。
とにかく人間には明らかに罰が与えられるのである。原発事故は人間の奢りの結果であることはまちがいないからだ。
末の松山とはそれだけ津波を伝えた伝説が歌になって残っていたのである。
末の松山波こさじかも、、、というのが今回の津波で思い知らされたのである。
こさじという名前はこさじから来ていたのか?
海老村に残された天守閣造営にたづさわった大工の伝説の意味がわかれば何か大きな手がかりとなる
発掘された遺跡のことで何か津波のことでもわかったりしたら凄いと思うがなかなかむずかしいだろう。時代特定はできれば海老村の歴史をさらに掘り下げることができる

その海老村で家を流された老人はこの辺まで防災林になる、右田で木を植えた。
松は津波には弱かった、だから混生林にするといい、でも木が育つには50年とかかかるからもう見れないなと言った、子供は見れるだろうと言ったら子供はいないよ

「ここまで防災林にする」
「そうか、でも木が育つには50年はかかるからな」
「まあ、俺たちはみれないな」
「そういうことになるな」
「松原がなくなって木陰なくて夏は困る、あの松原はいい松原だった,松が太く古い松だった」
「家もなにもなくなった」
「子供はその防災林が成長したのを見れるだろう」
「子供はここにはいないよ、みんなここから出て行ったよ、帰らないよ
もう親が帰らないし子供も他の土地でなじんでしまうから」
「そうか、他の土地に移る人が増えたのはここも同じか」
「そういうことだな」

津波とか原発事故周辺では人口の流出、それも若い人の流出が最大の問題なのである。
移動が容易な時代はどうしても便利な所に移ってしまう、一旦移ると子供もそこが故郷になってしまうのである。そして親も帰らない、子供も帰らない、老人だけが取り残されるそれは原発の避難区域でもそうでありそのことが一番の打撃だったのである。




タグ:千軒
posted by 老鶯 at 23:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係