2015年12月31日

今年も終わり(奇岩のことなど)


今年も終わり(奇岩のことなど)

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雪舟

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冬の日や奇岩の影を濃くしたり

茶室あり枯木の古木影濃くす

世を離れ奇岩の影や冬籠もる

閑亭に石をあしらふ冬の月

三軒ほど一人暮らしや冬灯かな


宇多川の橋をわたりぬ枯芒城跡あわれ暮れにけるかな

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宇多川の橋は大きくないから人間的になり情緒がある




今年も終わりになった。ともかく自分の場合、この十年間は何だったのかと思う
人生にはやはりこんな動乱がある、平和でも必ず病気とか事故とか老いとかがある
天変地異もある、そういうのがこの十年間に一度に起きたのである
他の人も避難生活になり津波では家族も死んでいるからそれはそれで苦しいものとなったただ何でも原発でも津波でもそうだが自分たちだけが苦しんでいると思って
何か同情しないと諫めるようなことになったけど
自分でも他の人でも苦しんでいた人はいたのである。
別にそういう人はどこでもいるが同情もされないのである。
ただ放置されているだけである。
そして介護疲れで殺人になったとかニュースででるが回りの人も同情などしていないのである。
まず原発事故の避難民はかえって楽だったということがあった。
補償金で遊んで暮らせたということである。
ただ津波の被害で家族を失った人たちはそれなりに苦しいとなった


人間は一生の間にそれぞれ何か追及している、芸術でもそうである。
自分の場合は石とか岩をテーマにしてきた。
奇岩というとき世から離れた奇岩なのである。
世を離れるというけどこれもむずかしい
そもそも今の生活から人間は離れられない
電気なしで暮らせるとか車なしで暮らせるとかなる
そういうシステムになっていて人間はその時代の子であり
その時代を否定しては生きていけないようにできている
ただ世にどっぷりと交わるのではなく世を離れた奇岩を貫き通す意志をもつ
それが奇岩の意味なのである。


この辺で組で一二軒とかあっても四軒は一人暮らしとかになると一人暮らしが増えている一人はまだ六〇代の女性である。
一人暮らしはこれからも田舎でも増えてゆく、そういう時代なのである。
自分も本当に一人暮らしとなった。そして介護もしないからまた前のように自由になったその自由も身寄りもない自由だから不安だとなる
でも介護はもう限界だった、十年もすればもう嫌だとなる
だからこれからも前のように自由に旅もできる、ではそうなるのかというとわからない
どうも今は外国人の旅行者が増えて旅しづらくなった。
ホテルも泊まれるのか、高くなったとか何か不安なのである。
まず日本人が日本を余裕をもって旅できないということは日本が貧しくなったということである。日本人優先ではなく外国人優先となってしまったからである。


まだ四七日はすぎてはない、これも結構長いと思った。でも来年は確かに旅に出ることはまちがいない、前のように長い旅もできる、それも何か自分には不思議に思うのである。


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