2015年12月29日

呉歴 「秋景山水図巻」の鑑賞ー自作の詩を添える


呉歴 「秋景山水図巻」の鑑賞ー自作の詩を添える



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呉歴 「秋景山水図巻」 (部分) 清・康熙32年(1693) 重要美術品


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これは秋ではない、あくまでも絵は参考であり自分の作ったのは
また別であり、冬をテーマにしている




冬日奇岩

深山幽谷
奇岩一徹
冬日陰濃
隠棲茅屋


絶えず清涼の水の尽きず
不動の岩間を流れ響きて
奇岩反りて茅屋一軒在り
誰か今日尋ねや隠さる径
今日亦岩に対し冬日暮る


この絵をインターネットで発見した。岩を追及している自分だからこの絵は鑑賞できた。芸術は写生でもこれは構図として作られたものである。
自然の写生ではなく石の配置でも構図的に作られている。重厚な岩がありそそり立つ岩があり岩を見事に現している
並ぶ岩は相黙す岩でありその間に人がいる。そういう風景が自分の好みだったのである
岩とか石を見るときそれは深く沈黙する石や岩として見なければならない

中国となると政治的なことが話題になるが何か文化的なことは表面にでてこない
漢詩はやはり中国と日本の歴史的な文化交流の精華として残された
そして明治維新後中国は政治の面のみが取り上げられ文化的なことはないがしろにされてきた。
中国には山水画とか漢詩とか奥深い文化があるが何かそういう文化的交流はなく政治的な対立ばかりが取り上げられた不幸がある
そういうことは江戸時代まではなかったのである。
日本と中国は確かに古代に韓国で争ってもその後は争っていないのである。

ただ明治に一番漢詩が興隆したのは江戸時代までそういう蓄積があったためである。
欧米化した結果、日本は漢詩とか中国文化は遅れたものとみなして断絶してしまったのである。
日本人が漢字を使っているかぎりやはり中国文化の下にある、韓国はハングル語にしたときそういう文化を失ったのである。
漢字には漢字の奥深さがあり漢字一字でもそうであり中国と日本では違って解釈されているのである。


中国とは政治経済科学技術分野では交流したが文化面では何か見逃され、それは現代が科学技術の世界、グローバル化経済の世界だからそうなった。
政治経済だと争うが文化面だったら争うことはなかった。
東洋というときアジアというときイスラエルまでアジアであった。
そのアジアが欧米化に席巻されたのが二〇世紀だったのである。
今度はアジアが興隆する、その先達が日本文明がになったのである。
アジアとは何か今はわからないがアジアの新しい文明が起こる時が来た
欧米文明は行き詰まっている、それがアジア的文明に変わる過渡期が現在である。
欧米文明は暴力的であり強欲であり征服的であった。
これほど世界大戦の犠牲者が出たというのもやはり欧米文明、アーリア人とかの暴力的な侵略文明が世界を席巻して日本もアジアも巻き込まれたためだった。
アジア文明だったらこんなに戦争にならずにすんだかもしれない、だから欧米文明は今見直される時期に入っているし崩壊する危機にさらされているともなる



抽象画(炎と水ーflame and water)


抽象画(炎と水ーflame and water) 

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抽象画は最近葬式とかでしていなかった。これは暇つぶしにいいんだ、多少は創作的なものがある、創作的に楽しめるというのがいい、ただテレビとか見てていても創作になりにくい
つまりテレビでも本でも何かしら自分なりに解釈して創作するとき有効な時間を過ごせる
介護も終わって何か暇にはなった、前は暇で暇でしょうがなく時間を無駄にしていた。
人間は本当は無駄にする時間はなかった。
それが今度は介護で十年間追われて自由な時間を奪われ時間の貴重さを知った。
もう自分の時間は限られている、自分も死が近づいている
だから無駄な時間を過ごしたくない


ただこの十年の介護の重圧から解放された、これから自分はどうするのか?
これまた一つの問題だけどそれより自分には残された時間がそんなにないことは確かである。
また自由な旅もできたとしてもそうである。
ともかく重荷から解放されたことは確かである。

つまりdischrgeされたのである。

タグ:.炎と水゛

冬の雲(大正生まれは希少価値がある)


冬の雲(大正生まれは希少価値がある)

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母の好物は干し柿だった

それで伊達のあんぽん柿を供えた

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このご飯入れが霊前にあっていた


家古りて動かぬものや冬の雲

田舎には老人多し冬の雲

この土地に根づき開かむ冬芽かな

姉と母残せし家に冬ごもり

金屏風座敷にたてて松に菊


一年を仮設の食堂すぎにけり我が通いつつ年のくれかな

百歳の母は逝きにき淋しきや大正生れも世に消えるかな

大輪の真白し菊に塵つかず我は遺影を家にまつりぬ


年号というのは後で大事になる、江戸時代の年号が残されているけどその期間が十年とか短い、その年号の時に何があったのか、年号からイメージする、元禄は栄えていたときだとか文明は飢饉のときだとかイメージする、これは日本独特の歴である。
これが西暦だとそういうイメージは湧いてこない、日本は年号によってその時代をみる
今回の津波でしきりに慶長津波のことが話題になった。
結果的に慶長という時代が脳に刻印された。そして津波の前と津波の後で時代を違ったようにみた。それは明治時代と同じである。
明治時代と江戸時代は全く違ったものとしてみている。
慶長時代もそういうふうに見るようになった。それだけ年号というのは意外と日本では歴史をみるとき大事なのである。


それで大正生れもやがて消えてゆくから貴重だなと思った。母は大正四年生まれであり大正一五年間あるとしても短い、でも何か大正生れは希少価値がある
大正生まれでも百歳をみんな生きるわけではないからやがては消えてゆく
そして「降る雪や明治は遠くなりにけり」大正は遠くなりにけり、、、とかなる
九〇才以上は大正生れだから長生きだからまだ当分は大正生れは生きているがそれでも消える日は近づいているのである。

四七日はまだ家にいるというのも何かいわれがあるしそんな感覚になる
なぜなら人間は特に女性は家とともにあったから離れがたいともなる
この辺では雪はほとんどふらない、冬は北風が唸る、残されたのは自分一人である

霊前には何かこの白い大輪の菊があっていた。

金屏風に松と菊

ここに松と菊の金屏風がでている、他にも金屏風と菊のキーワードで画像検索でいろいろでている。
松は主であり座敷に置けば何か日本的な正月の風景である。ただ四七日であり今年は正月はない、参考として出した

ご飯を入れる碗が何か仏前にあっていた。米を備えたがこのお碗が霊前に備えるのにあっていた。正月とかは日本的な文化でありそれにふさわしいものがある
いろいろとまた現代風にもなる

末永く松こそあれや金屏風菊の映えつつ座敷にありぬ

こういうのが日本的なものなのだろう。今の家は座敷とかはない、個別の欧米風の家になった。座敷かあるということはやはりそこでその家の主に重きを置くということがあった主は殿様のような感覚があったのかもしれない、大名屋敷でもそういう造りである。
欧米化したとき兄弟でも何でも平等であり個別の部屋をもつようになったから座敷はなくなる、そこで主の重みもなくなるし家を継ぐ長男の重みもなくなったのである。
やはり家の造りにもそうした文化の反映があったのである。



タグ:大正生れ