2015年12月28日

労働の価値は常に変わっている (女性の家事労働は機械化したから別な価値を女性に求める時代)


労働の価値は常に変わっている

(女性の家事労働は機械化したから別な価値を女性に求める時代)


この世の価値は何でも一定していない、常に変動している、変数である。労働の価値も変化している。
そして機械の時代になると人間の労働の価値が急激に低下するのは本当である。
昔は江戸時代には力ある男が一人前の男として認められた。
それでどこでも比べ石というのがある。この石を持ち上げたら男として一人前として認められたのである。
要するに機械がない時代は体力がもの言う社会だった。男で体力がない人間は生きていけないのが一般的だった。体力のない人間は商人とかになり人を相手に商売するとか帳簿をつけるとか何か頭を使う仕事をするとかで身をたてる
でも一般的に江戸時代から戦前までどちらかというと体力がやはり仕事する目安になる。農業中心だったら第一次産業中心だったらそうなりやすい。
その時、農機具が発達していないからである。例えば鍛冶屋でも刀を作るにしても熱い鉄を打つ仕事は重労働である。
ただ職人でも細かい手作業の仕事はまた器用さであり違っている。


そして現代になると細かい仕事が多くなったから器用な人が価値がでてくる。
医者でも手術がうまい人は器用な人であり歯医者などでもそうである。
あらゆる場所で力目持ちより器用さの方が価値があり重宝されるのである。
ただ体力は以前として今でも価値がある。それで自分が失敗したのは自分は体力がないから体力を使わない仕事に従事するべきだった。
自分のことがわからないから勉強もしなかった。体力のない人は知的な仕事につくとなると勉強が必要になるのである。
ただ自分は学校になじめず勉強嫌いだったがあとで学問好きなことがわかった。
人間は自分の適性すらわかっていない、医者の子供は医者になるけどみんな適性が阿わけではない、そこに危険性がある。
だから親の都合で職を決定されるのはその医者にみてもらう患者に害を及ぼすから問題なのである。
それはあらゆるものに言える、適性あって仕事についている人は珍しい方かもしれないからだ。その害は本人だけにとどまればいいが他の人に害を及ぼすから問題なのである。

「労働の価値」が下げられている絶望時代
盛んにこのサイトではでは機械によって人間の価値が下がり仕事がなくなる、もう人間は働いても金にはならない、フリーターだ派遣だとか増えて働いても金にならない、大企業に勤めていても安泰な時代が終わったというとき確かに東芝やシャープでも斜陽になり大量にリストラされるから現実化している
おそらく大量の規格製品が売れる時代が終わった。日本は世界にテレビでも電気製品でも大量の規格製品を売り出して豊になった。でもそういう規格品は中国でも韓国でもどこでも作れるようになるとき価値が低下する。
そこに新しい価値を作り出そうと努力しているがなにか鮮明な画像を作り出すとか大型にするとか技術革新をしているが新しいイノベーションが最近生れてきていないのだろう。これはという商品が生れていない、何かそういう点で技術革新は限界に来ているのかもしれない、それより何かテレビの番組が面白くない、コンテンツが面白くない
芸能人の馬鹿騒ぎを写しているのももったいないとなる、最初テレビは何でもいい写るだけで視聴率が高かった、写るということが驚異的であり何か写っていれば驚き見ていた時代である。今は写るだけでは何の面白みもなくなった。
テレビという箱の開発してもそこに流す番組が面白くなくなったら見ないとなる
価値はテレビというハードに機械にあるのではなくそこに写る番組ソフトに移行したとなる


つまり時代によって価値が常に変化している。現代はインターネットで個人が放送局になったというのもそうである。個人がテレビ局になるということはイメージすらできなかったろう、そういうふうに機械が価値を変えてしまうことがある
家事などでも機械化されて家事の価値は変貌した。家事は今やご飯をたくのも機械だし洗濯でも何でもそうである。
洗濯板でごしごし洗っている時代は一大労働だった。そこに人間の労働力は費やされてきたのである。それで戦前だと女中が主な仕事であり中産階級でも女中を雇っていた。
家事そのものもが機械化されない時代は一大労働だったからである。
今でもそれなり料理などは結構な労働なのである。惣菜でもなんでも買っていたり家でする労働は相当にへった、その代わり金を得るために外で主婦は働くようになったのである家事の労働の価値は下がった他でも機械化して価値が下がるものが多いから人間が不用になり人間が働く場所がなくなり会社でも極力人間を雇うのは金がかかるから機械化する
事務ですらパソコンで機械化されるから職を失うとか人間の働く場がなくなってゆく


例えば田植えでも機械でできてい縁(へり)を人間が田植えしているという、そこは機械でしにくいからである。
そのことは中国でコンバインで麦刈りをすると人力の千倍もの力を発揮する、これまでは出稼ぎ者が人力でしていた。そこでもコンバインでてきない土地の起伏のある場所は人間がしていた。
いくら機械化しても何か機械にはできないものが残る、そこに仕事がある
そして人間の価値は変わる、機械化によっても変わる、記事でもインターネットでコンピューターで書けるとかなり新聞とか雑誌やただニュースの事実をだけを流すものは機械化される、そうなると今の新聞などはいらいなとなる
そして何かインターネットの読み方と新聞の読み方は違う。雑誌でも網羅的に書いていて一つのキーワードから記事の内容を深める読み方はできない
あるキーワードとかテーマごとに調べるとなるインターネットの方が優れているのであるそれでもすべてはインターネットでもできないしコンピューターでもできない
例えは受け付けなんかロボットでもたいして代わりないように見える
同じようなことを案内しているだけだからである
機械と人間を比べて変わりないものは機械化される、そういう仕事が結構まだある。
スーバーのレジなんかそうだろう、てもお釣りが自動にでてくることで一部が機械化されると人力が省かれるので仕事がなくなる
人手不足の時代になるといかに機械化できるかが問題になる


自分も経験したことだが今は別に家事を手伝ってもらう必要ないのである。
自分はほとんど家事はしている、ただ手伝ってもらうというときその女性は何か話がうまい、土地のことを良く知っている、同じくらいの年で経験も豊であり話が合うのである。その人はほとんど家事はしない、でも金を払っている、その人の女性として魅力は外見ではほとんどない、不細工なのである。
でもその人の価値は自分にとって相当に大きい、何かと家事ではなくても必要なものになっている
だから今は家事ができるということに価値はほとんどなくなっているかもしれない
女性でもそうである。その女性は別に中卒であり教養というものもない、でも何かいろひいろ苦労したりして話して面白いというか他にはない女性の特徴がある
その女性はそういう点で価値あると自分が認めて金を払っているとなる
なかなかこういうことをできる女性は少ないと思う


掃除なら今なら誰でもできるだろう、ロボット掃除機もでている、でも話術に巧みだとか何か機械にはできないなごみと癒しがあるとかになると人間しかできない
介護の仕事は新しいから評価されないけどロボットにはできない、優しさとか老人と話できるとかそういう要素がこれから大きくなってくる。持ち上げるとか何か力のいることは機械化される、すると何が価値あることになるのかとなり精神的なものが大事になる
そういう価値は家事が機械化したとき高いものとなるかもしれない
なぜなら家事自体が機械化されていて家政婦などがきても家事をすることもないとしたら何をするかとなるからだ。もし子供がいたとしたら子供をあやすのがうまいとか別な価値によって雇う方も雇うようになる
もし教養があるとしたら短歌でも俳句でも作れるなら学者とか何かそういう場所で重宝される、するとこれから大事なのは女性は教養を身につけることの方だ大事だとなる
いろいろな知識をもち学者やいろいろな職の人と話ができるには女性も教養が必要になる自分の母親は全然そういう余裕がなくただ家事だけをする女性だった
それは時代でしかたなかったのである。でもこれからの女性の価値は別なものであり家事にはないのである。
男も比べ石で一人前として認められた時代があり女性も家事ができることが価値だった。それが機械化すると人間の価値は変わる、そういう肉体労働は機械化がすすみ必要なくなってくる、そこで価値ある人間とは別なものになってゆくのである。
もしかしたら株が毎日変わるように人間の価値も変わっている、それに気づかないこともある。その人は時代に取り残された人となってしまい底辺化ししてしまう

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こんな募集になるかもしれない、家事が必要がないというときこれは何なのだとなるだろう
これからそういうことがありうる、家事は機械化してする必要がない
でも女性にしかできないもの女性しかもっていないものが活きる仕事はある
それはロボットで代行できないからである。





タグ:労働の価値
posted by 老鶯 at 19:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題