2015年12月15日

母は今日出棺して火葬場でお骨にしました


母は今日出棺して火葬場でお骨にしました



我が母の出棺の日や冬の朝

冬の草母をはふりて石一つ

火葬場や石に咲きしは冬椿

冬静か二人のみして母おくる

骨となる母の亡きあとや冬景色


朝早み我に食事を用意する高校の時や母を思いぬ

我が家に姉の写真も飾りつつ母をおくりぬ冬の朝かな



遺体を焼いて骨にすると本当にその人はこの世から消える、今日は8時30分に行き焼いた、そこには一人もいない、二人で待って骨を拾った。もう一人は来ていたが用事があって帰った、でも何か静かに見送りできて良かったと思う。
今回の葬儀は一回経験しているので段取りができていたから楽だった
それでもやはり葬儀というのは何か精神的にも重圧なのである。
それで一人だったら苦しかった。一人が補佐してくれたので本当に助かった。
ともかく一人というのは病気とかなにかあるとその負担が大きすぎるのである
親戚でも借金しているような人が来ると困る、そういう人は病気であろうが葬儀であろうがなんでも借金をするためにするとなるから借金している人は罪な人になる


母の頭蓋骨はそっくり残っていた。それは珍しいとも言った。骨も丈夫だから百歳まで生きたのか?その理由ははっきりしない、とにかく母は辛抱強く頑張り屋だった。
何にも楽しみがなくただ働くだけの一生だった。
それで何か人間的に欠けてかたよった性格にもなった。
花とか美しいものを美しいと見ないのも悲しいことだった。
そういうものに価値を見いださないのも悲しい人生だったともなる
ただふりかえれば自分には尽くしてくれた、食事を70年間も用意してくれたのでそれを介護してからその苦労がわかり感謝している


映画で納棺師のことなどを映画になったが今回のフローラの人は何かそのしゃべり方までそんな感じになっている。やけに丁寧でありしゃべり方まで死者に対して敬意を払うので感心した。
これも特別な仕事なのかもしれない、そのフローラの社員は骨まで拾ってくれた。
だから前もそうだったがフローラは何かこれが必要だとか押しつけないのである。
葬儀のときは混乱しているから言うなりになるしケチられないからそうなる
フローラでは何かそういうことがない、これをやりますかということをいちいち納得させてやることを決める、そして本当に安く葬式ができることに前も驚いたが今回も10万安くできた。こんなに安く葬式ができることに驚くのである。
もちろん人も来ないからであるがそれにしても前と同じように安い、前は30万であり今回は20万だった。別にけちったわけでもないのにそうなっていた。


ともかくこの納棺師とかこういう葬式に関係する仕事はまた特殊でありこの仕事にあう人もまたそれなりの適性がないとできないと思う。
フローラの担当した人は若いけどしゃべりかたまで何か葬式にふさわしいように慇懃にしゃべるのである。
これも何か奇妙でありやはりそれは職業として成り立つものであり死者にたちあう厳粛さがあるからそれに対応するのにふさわしい言葉遣いになったのかもしれない
それともその若い人はそういう性格なのか、なにか不思議に思ったのである。


南相馬市長から百歳ということでまた一万香典をもらった、百歳はまだ少ないから意義があるがこれからは増えると希少価値がなくなる

ともかく今回は母の死をテーマにして俳句を作ったがそれが何か我ながら深遠なもの荘重なものになったのはやはり死がそうさせていたのである。
どんな人の死にもその死んだときが最もその人を示すときである。
誕生日と命日が人間にとって一番重要な日であることでもわかる
母は冬の日に死ぬのにふさわしかった。
そして静かに二人だけで送ったことが何かしみじみとして良かった。
姉のときは9月でありその時は親戚が二組とか世話した人も来て三組来てにぎやかだった
だから何かあわただしくすぎてゆっくりおくることができなかった。
その時ひぐらしが鳴いていて

ひぐらしの石にひびきて姉の逝く

今回は五本松の火葬場には二人とか三人だけだったから静かで良かった。母はおとなしい静かな女性だったからあっていたとなる
かえって人が多いと死者を偲べない、ともかくあわただしいからゆっくりと静かにおくれないのである。
今回そういう点では良かった。それで俳句を作ったがそれが何か深遠となり重厚なものとなったのはやはり死者をおくるという厳粛なものがあったからである。
ともかく葬式にかかわることは骨を拾ったりしたらそれは何か相当な縁が深い人ともなる感じがする、ただフローラの職員はそれを日頃から仕事としているし火葬場の職員もそうである。


でも火葬場の職員はそんな仕事しているから嫌われているというのも何かで人間は常に差別したいからである。
納棺から火葬にすることが一番ショックである。骨しかなくなってしまうことがショックである。
ただ母の場合は何か百歳まで生きたからすーと消えた感じもする
もう百歳も生きて苦しんだ体にはとどまりたくないとすーと消えた感じがする
死というのは若いとき経験するのは老人ではまるで違う。
老人は死に近いから自分も死んでゆく番だからそれほどショックにならない
死をもう受け入れるほかないものになるからだ
ただ死んだらその人の何が残るのか、それはその人の生きた一生が残るともなる
もう生きた形はないのだけどその人の生きた一生は残る
母の一生は自分には特に残っているし消えることはないだろう。
つまり体は見えるものは消えてもその人の一生は航跡のように残る
平凡な人間でも死んだときその人の一生を語る
すでに死ななくても老人はその人の一生を語っている
母は介護されても懸命にがんばりやで我慢強いから生きていた。
最後までトイレに行きそしてボータブルトイレには水だけしか飲まない時でも自分でしていた。
入院して小便を管でとるようになったがそれも一カ月もしていなかった。
それを凄くいやがっていた。だから介護のときも死ぬときまで何かがんばったとはなる
そのことは介護についてまたつづきとして書く











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