2015年12月13日

百歳で死んだ母の安らかな死に顔 (自然と一体化すると荘厳な死になる)



百歳で死んだ母の安らかな死に顔


(自然と一体化すると荘厳な死になる)

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昨日の状態

まだ顔がこわばっている、何かまだこの世に生きようとしている
口の感じからそうなっているのか?


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今日の夜は昨日の顔のようにこわばっていない
何か力がこの世に執着する力がぬけてきているからだろうか?
何か微笑んでいる感じにも見える、死者としての怖さがない不思議がある
母の死に顔は何か安らかなので人に見せてもいいと思った。
なかなかあとは記録していなとこうした写真はとれないだろう。
死者を冒涜しているという人もいるがやはり一つの記録として貴重となる


静粛に母の死に顔冬の水

我が家に母を安置し冬の菊

我が家に母の遺体や朝の霜

死に顔に白百合向きて咲きにけり

しとしとと母は死にき冬の雨


母はともかく辛抱強い女性だった、死に顔をみると唇をしめて何かまだまが辛抱している感じに見える
一方でやっと安らかになった、苦しみから解放されたような顔にも見える
何かほっとした解放された感じに見える
死に顔もまたその一生を物語っているのだろうか?
がまん強い感じはまだあるがそれと同時に安らかな面持ちにも見える
顔はやはり何かその人の一生を語るのか?
やはり死んでも何かを語っている、そこに死に顔の不思議さがある
顔はやはり死んでも精神を表現している
ただそれも一日二日でありあとはすぐ死体は腐乱してゆく
つまり一日二日はなお死人でも生きている感じになる

良く成仏にこだわるけど母の場合はその一生を死に顔に凝縮させている感じである。
唇をしめて辛抱強い、そして性格が柔和だから何かその苦しみから解放された面持ちになっている
人間の死に顔もまたそれぞれの一生や個性を語っている
自分は何か冷静に見ている。その前にずいぶん悲しんだから涙もでない
それで母の死に顔を冷静に見ている
葬儀屋の人に聞いたがみんなが安らかな顔ではないという、事故死とか自殺死は安らかにはとてもならない、だから商売でもそういう人に接するのは嫌になるし
不気味になり、何らかの精神的影響を受けることもある
死に顔から死体は完全に死んだというのではなく何かそこから発するものがまだある


「徐々に霊体は手足から抜け出し、頭の方に凝縮する。やがて頭頂から後光(ごこう)が現れ大きくなる。次第にそれは形を現し、ついに抜け出した肉体と全く同じ形になる。霊体は高く上がり、一個の美しい霊が私の前に立つ。他方、肉体は下に横たわっている。だが一本の細いコードが霊体と肉体をつないでいる。このコードは次第に薄れていき、やがて消滅する。こうして霊は永久に地上と縁を切るのである。」

スピリチャルではそう言っている。だから死んでまもなくの状態はまだ生きているのだ。生の延長がまだ残っている、生前の生が凝縮されて残っている
確かに母の顔にはそれを感じる、だから完全にこの世を去っているように見えない
今も歯をくいしばりこの世に残り生きようとする顔である。
もともと辛抱強い人だったから顔もそうなっている。
昨日死んだのだが今日の午後からの死に顔を見るとさらに安らかになっている。
やはり徐々に顔も変わり体もかわりやがて体から霊がでてゆくのかもしれない。
いづれにしろ人間は神秘的存在であり死んだからすぐ終わりではない、死後まもなくはまだ生きているのだ
だから生きている人のように語り一緒に寝る、死んだ人に思えないからだ。
顔の中にその人の心が以前として残っているのである。


俳句とか短歌でも死をテーマにしたとき荘厳なものとなる
死ぬということは平凡な人でも何か厳粛なものを感じるからである。
そして死というのは自然に映えるとき荘厳なものになると思った。
自然の中での死が理想的である。死ぬとき本当に自然と一体化する
自然の厳粛さと人間の死が一体化して自然はさらに重さを加える
つまり自然も人間の死によって一段と深い意味を価値を帯びることにもなる
だから都会の死には自然がないから荘厳な死がないのである。
ビルの谷間で死ぬのだから何か機械の部品のうような死にもなる
人間は自然の中でこそ意味と価値を帯びるのであり都会にはそれがないから死はただ部品が一つ消えるという感じにすらなる
それで常に言っているように人間の死すら自然によって価値と意味を与えられている
そういう価値観をもつ時田舎に生きるということの方がいろいろたりないものがあってもいいとなる。
つまりそういう価値観は物質的豊さとは違ったものでありそういうものを見直すことが新しい文化を作り出すのである。
それは経済的豊さとかとは違ったものであり原発とかに頼るものとも違う価値観に生きることなのである。
自然の中に荘厳に死ぬということは別に経済的に豊でなくてもできるからである。

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