2015年12月08日

飯館村考(もう30年50年とかたたないと復興はできないだろう)



飯館村考(もう30年50年とかたたないと復興はできないだろう)


世界は世界観はどこでも空間と時間から作られる。それは縦軸は時間であり横軸は空間である。人間の思考は空間認識と時間認識で作られている
時間認識は歴史となり空間認識は地理となる。だから地歴という科目になったのである
それは空間と時間は切り離せないからである。
一つの場がありそこに人間の営為があり時間が積み重ねられて歴史となる
故郷とはそういう場と時間によって作られた場所である。
故郷というとき相馬藩内とか一つの場として形成されたアイディンティティ化されたものがある
その範囲は狭いからアイディンティティが形成しやすい場所であった
伊達藩とかなると大きいからアイディンティティを形成しにくい、それは政治的に大きくなり政治的境界を作ったからである。福島県でも浜通りは一体感があるが中通りとなるとない、阿武隈高原にさえぎられてなくなる


会津は会津藩であれ歴史的にも地理的にもそうである。
そして相馬藩内でもその土地土地によって村々によって住む場所か違っている
海側の漁村と山側の山村に住むのでは相当に感覚的に違ってくる
だから飯館村の大倉村と佐須村が隣り合って近いのに民情が違うから明治になって合併することに反対したのである。
江戸時代になるとその場その場で村々で自給自足していたから別な場と時間を生きていたのである。だから江戸時代の方が多様な世界に生きていたとなる
それは言葉でも隣り合う村でも微妙に違って方言化していたことでもわかる
隣村でもそんなに交流しないからそうなる


明治以降そうした江戸時代の土地に根ざして生活していたアイディンティティが失われたそれは交通の発達も原因していた。鉄道の発達が全国を交流させた。関所もなくなり気軽に切符一枚でどこにでも行けるようになったのである。
江戸時代から生きて鉄道に乗った人は驚きだったろう。一気に異空間に旅たてるようになったのである。そこには相当な恐怖感とか違和感があった。
見知らぬ土地へ行くときは常に恐怖がつきまとっていた。

佐保さほすぎて 奈良の手向たむけに 置く幣ぬさは 妹いもを目離めかれず
相見あひみしめとそ  長屋王


峠は故郷と異郷とを分かっ結界である。人が未知の世界へ分け入
る山の神や渡津の神が人の生命を奪うとする思考は、境界の意識と
る境として神威への畏怖を感じ神を奉斉して通る場所である。

峠を越えることは相当な恐怖だった。別世界異界に行くことだった
親しい愛する妻と別れることはとなりの村辺りでも何か遠い感じになるからこの歌ができた。歩いて峠を越えたということをイメージしなければならない、今だったら車であり妻と離れるのが解放された気分になるだろう。
自分も故郷の閉鎖された環境から離れることは解放感になったから旅ばかりしていたとなる
それだけ閉鎖された所で長年生活するということはその土地に密着して生きることになる
飯館村とか川内村とかは都市から原町でも福島市でも離れている、そして標高が高いから八木沢峠のような急峻な坂がつづく、その坂を越えたとき確かに別世界に入り空気も違っているものを感じるのである。

そうした土地に密着した生活から時間軸と空間で場で作られてきたのが村であり町であるその村や町が失われることは何かその場で培われた時間軸と空間の一つの世界が失われることにもなる。
それは飯館村だけではない、日本全国の限界集落などがそうである。
そういうところが今は価値がない、都会からするとインフラに税金がかかるから消えた方がいいと今は盛んに言われる
でもそれが都会の人にとって回りにとっても損失なのである。
経済的な面から見ればそうなるが精神的な面から見れば飯館村があることによってそこがオワシスのように癒しの場となっていたのである。
高原の空気は澄んでいたし森につつまれた癒しの空間だったのである。
例えそこに人が住んでないくても森があり山があることで癒しの空間を作ってきた。
それは人間にとって欠かせないものとして山があり森がある
都会にはそうした空間がないからビルだけになっているから殺伐としたものとなる


までいな生活というのもそれは飯館村の価値観を作る他とは違う村作りを目指していた。そして山菜料理を食べているというときそれは自給自足の延長としてあった。
それは買うものではなく自ら山に入りとる縄文時代の延長としての生活があった。
だから補償金をもらっても何でも買うとなると米まで買うとなると不安になるというのもわかる。
そもそもそういう自給的な生活がなくなったら飯館村に生きる価値がない、その生活は都会と同じだとなってしまう。確かに菊地製作所とかは今でも残っていて通っている
それが村を支えているとなるがそれだけではもう他と変わりないのである。
つまり自給自足的な生活がなければ本当は村に生きる価値がなくなっていた
都会に出れば何でも買えて贅沢はできてもそうした自給自足のまでいな生活はまた別な価値があった。
放射能汚染でそれができなくなったときさらに帰ることを絶望的にしたのである。
除染しても効果がない、補償金一億円もらって他で新しい生活をしたほうがいいとなった都会の方がぜいたくできるし便利だとなるからだ。
結局人間は何か得るものがあれば失うものがある、時代的にもそうである。
江戸時代は貧乏で嫌だといってもそこには今にない価値観があり得るものがある
そして現代とは互いに田舎でも信頼できない社会である。
田舎といっても今は昔とは全く違う金の力がもの言うのは同じである。
なぜアメリカに投資してアメリカのことが気になりカナダに投資してカナダのことを気にしている自分にも言える
何かそこに人間的な規模を越えた非人間化した社会で生きているのである。

保証人が必要だっていうのは、 
それだけ、世の中は信用できない人が多いってことなのかな。 
戦後の昭和史を見た限りでは、就職に『保証人』が必要な企業なんて、 
金融関係以外はほとんどなかったみたいです。 
会社にわざと迷惑をかけるような悪い社員がいることも事実みたいだから、 
会社側からいえば、仕方ないんやろけど。 

自分も身寄りがなくなってこのことで嫌になった。何でも保証人なのである。
その保証人がないために親戚でも脅してきたのである。
入院しても手術するにも何でも保証人なのである
就職するのにも保証人であり保証人のない人は部屋も借りられないとか
老人ホームにも入れないとかもう生きていけなくもなっている
保証人がいないということはホームレスになり野垂れ死ねということにもなっている
それだけ人間と人間が信頼できなくなったのが広域的グローバル社会である。
それいい点があったとしてもまたそれによって失われたものも大きい
もう江戸時代の五人組で保証される、連帯責任の方がいいともなる
時代が変わるとかつて封建的なもので平等でないとか差別されたことにもそれなりの
その社会でのいいものとして機能していたものがあったともなる
原発事故の避難区域で金しかなくなったのもそういう社会になったためでもある
金さえあればどこでも暮らしていいという社会になっていたからである。
今の市町村にはかつての村のような連帯とかつながりがすでになくなっていたのである。

今は贅沢で便利であるが失ったものもある。
例えば原町と小高とか鹿島とか新地になると不便になる
医者も二軒とか買い物でもスーパーは一軒とかイオンに行くと一割りは物価が安くものが豊富にあるとか差が大きい、現代の標準的生活をするとなるとまず4,5万の都市の規模が必要なのである。
それでも敢えて不便な所に住むというのも別な価値観に生きるということがある
それが意識できないとなるとそこにはもう生活できないとなり補償金をどれだけ高くもらうかしか今や関心はなくなったのである。


そして何か補償金をめぐってここの人間のエゴがむきだしになった。それは飯館村だけではない、もう金しかないと極端化したのである。もらうだけはもらうしかない
飯館村の人も福島市でギャンブラーになったとか荒廃した。
飯館村でも別に馬券売り場とかありギャンブルしていた人はそれなりにいた。
でもそういうことが目立つことなく隠されていたから良かったのである。
別に自分は村の人と交流もなにもなかった。
別に村の人と交流がなくてもその生活が隠されていたときそこは別世界になっていたのである。
それが原発事故後はその人々のエゴが剥き出しになり求めるものは金しかなくなった
隠された人間の醜さがむきだしになって現れてしまったのである。
そこで語られるものが補償金しかないのである。
村長がさらに寄付金を募るというのもまたそうである。これ以上金が必要なのかとなる
その金で何をするのかとなる、まさか村民に配りその人たちがギャンブルにまで使うのかと思ってしまうのである。
小高の人は鹿島の競輪場の券の売り場ち通っている、そんな生活に何の実りがあるのか、そんなことをしていれば精神を荒廃してゆくだけである
いづれちしろ残念だけど飯館村は住めないとしたら元の森に埋もれて30年後とかた50年後とかの時間をまてば放射能もへりまた住む人がでてくるだろうと願うほかない
放射能汚染をとめることは時間をかけないとできないのである。
だからもう飯館村でも時間が解決するほかない、今は補償金だけが関心であり村民も住むのは無理である。


第一津波の被害地でも店をはじめようとしたが買う人がいないとなりやめた。
原発の避難区域でも外に出る人は半額にして残る人に多く補償金を出せばいいと書いたが考えてみればそういう場所に残っても金が一億もらってもそれを今度は有効に使えないとなる、つまり回りには金を使えるものがない、荒野に一億円もっていても使いようがないのである。そして水さえ飲めない環境では本当に価値あるものがなくなったとなる
だから外に出る人をとがめることもできないとなる
小高とか他の地域とは飯館村はまた事情が違っているからである。


とにかく現代の町とか村は第一次産業主体だとすると崩壊しやすい、解体しやすくなっていたのである。それは自給自足の生活とは違う、田舎でも山村でもグローバルな世界に生きているからである。
国さえも捨てて外国に住むという人もいる社会である。
菊地製作所が残ってそこが働く場所として飯館村を支えているというのもそうである。
エネルギーにしても江戸時代からしたら何千倍か何万倍か知らないけと消費している社会である。
炭焼きとかがエネルギーだった社会とはあまにりも違ってるのだ



posted by 老鶯 at 13:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連