2015年12月06日

飯館村でも回りの市町村と関係して一体だった (自然は土地はつながっているから一体として考えるべき)


飯館村でも回りの市町村と関係して一体だった

(自然 は土地はつながっているから一体として考えるべき)

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今度の津波原発事故では様々なことが問われた。この辺は何かあらゆるものが問題となった場所である。
だから未だにこれはなんなのだろうという混乱がつづいている。
そもそも事故がなかったら故郷は何なのかなどということを問うことすらなかっただろう考えてみると故郷は何かという答えは意外とむずかしくこれという解答がない
故郷に住んでいる故郷を意識しない、家族と住んでいると家族を意識しない
家族を失ってみて家族を意識する、人間は何か当たり前にあることを意識しないのである例えば体でも病気になると異常にその病気になった部分を意識する
健康であれば意識しない、もし手足がなくなったたしたら手足を異常に意識する。
普通は手足があるものだから意識しないのである。


今回の原発事故で問題になったのは土地の問題である。明治以降私有権が強力なものとなり村で共有するという観念が実質的になくなった。
だから入会権が一軒一軒の私有になったのである。一つの山が無数に私有されて分割されたのである。
極端なのは自分の家の前の海にも私有権があると補償を要求している人もいた。
でも土地は誰ものかとなると土地というのは大地というのは自然は私有権で分割されるようなものではない、土地はつながっているし自然は広域的に一つのものとして機能している
だから飯館村は飯館村で何をしても自由だとはならない
なぜなら飯館村が千軒を家が壊されて人が住まなくなる、すると他からその土地が買われているという、それが問題なのは放射性物質の廃棄場などにされる
国で買い上げればもう人が住んでないとなると国のものになるのだから反対する人もいなくなるのだから好都合になる
でもその土地が飯館村だけとして孤立してあるわけではない
飯館村にふった雨は流れて真野川のダムにたまり南相馬市に流れてくるのである
それで一時袋に入れた放射性物質が雨で流れだして騒ぎになったことでもわかる
それは南相馬市まで流れてくるということがある
だから飯館村に住んでいる人は自分の土地だから売るのも自由だとなると迷惑になる
農地が自由に売買できないのは農地は大地としてつながっていて個々に別々のものとしてありえないからである。
水を流すにしても共同の管理が必要になり大地はつながっているから一軒の家だけで管理できないから自由に売買できないのである。

土地というのは公共財ということがあり古代から国のものとなっていた
私有できないものとして土地があった。
なぜなら土地というとき都市計画でも土地が無数に私有されていると公共的な計画がたてられない、街作りでも支障をきたすからである。
日本では一時土地バブルが起きたのは土地があまりにも私有権で保護されて高くなりすぎたのである。
原発を建てるにしても一区画の土地を所有しているものが許可して県で許可されればできるとかなっていたとすると恐ろしいことだった
原発事故は広範囲に影響したことでそれがわかった。

土地は一所有者の私権的なものではない、実際は公共財である。
だからプライベートビーチとかあるのも疑問なのである。海岸は砂浜も公共財であり私有できるものではない、猪苗代湖の一部の砂浜がプライベートビーチになっていて立ち入り禁止になっていたのも納得がいかなかった。
何か明治以降は共有の観念がなくなった。ということは共同体としてのつながりも希薄化した。
そのことが今回のように故郷にこだわり住むということがなくなり補償金をもらったら他で家を建てて新しい生活をはじめればいいとなった
たいだい農民とか漁民とか山民とかは一割にも満たない、田舎でもほとんど会社員なのである。
だから浪江の人が二本松に会社が移って南相馬市から一時通っていた人がいた。
会社が移れば人も移る、でも農民とか漁民とか山民だったら移りようがなかったのであるその土地を糧にして生活していたからである。
そういう時代の大きな変化の中で故郷はそもそも価値と意味がなくなっていたのである。だから津波や原発事故を景気として外に流出した。
そのことで一番復興をむずかしくさせたのでてある。


原発事故以降はかえって福島県でも中通りでも被害があったから被害者として連帯したというのも不思議なのことだった。
地理的に福島県は広大であり浜通りと中通りは阿武隈高原に阻まれて一体感がなかったからである。
だから白河まで放射能の影響があったことに驚いたのである。
もし原発事故がなかったら離れていて事故になったらこんなに他のことも考えないのである。
一地域のものとして終わっていたかもしれないのである。
自分も30キロ離れているから原発のことをあまり意識していなかったのである。
もちろん飯館村でも福島市でも二本松市でも郡山市でも白河市でもそうだった。
それで原発に無関心だったということがあった


いづれにしろ故郷は何かというとき故郷に愛着する人は昔のようにはない
ただ老人は長年住んでいるからなれ親しんだ所に住みたいということがあり帰りたいとなる
他の人は現実問題として補償金をもらえればかえって便利な所に住みたいとなり流出したのである。それは津波の被害地でもそうでありそれが一番の問題になっていたのだ。
例えば三陸なとでは宮城県の海岸とか岩手県でも水産業が福島県よりは盛んであり十倍の生産量があった。
それで三陸津波とか百年前にあり今回と同じような大被害になったがほとんどが水産業で生活していたからまた便利な港近くに住むようになった。
それは生活が水産業に頼っていたからそうなった。
確かに今でも水産業は大きな産業であるがすべてではない、そして他に移り安い時代であるからもうあれだけ荒廃すれば住みたくないとなり流出したのである。


でもそうして故郷を捨てた人たちは故郷に住む権利を放棄した。
それは何を意味しているのか?それは故郷を愛していないということである
だから故郷は誰か他の人が移り住んだらその人たちのものとなる
または国のものとなり自然に還るから元の自然にもどるともなる
そうなっても故郷を捨てたのだから何も言えないのである。
でもまたその回りの市町村でも放射性廃棄物の処理場となることは影響している
大地はつながっているからである。
結局もう30年50年とかはもう回復は復興は無理である。
50年くらいすぎてまた住む人が出てくるだろう
その時またそこに住む人が故郷ととなる


要するに時間が解決するのでありもういろいろ言ってもどうにもならない
ただ公務員は職を失うから困ることはあるだろう。
住民がいなければ公務員は必要ないし職業として成り立たないからである。
放射性廃棄物の管理とか何か事後処理の仕事があっても町や村はないのだから
仕事が成り立たないということである。
それで住民が帰ってくれと言ってももうどうにもなないだろう。
それは南相馬市でも回りの市町村でも影響しても困るのだけどどうにもならない
自分としては飯館村は一つの精神的世界のアイディンティティを作る世界であり
一つのミクロコスモスを形成するものとして詩などを書いてきた。
だからそこの村がなくなることは残念である。
かといって土地自体はなくならない、放射能に汚染されても土地自体は以前として残っているのである。
そこに石や岩が残り以前としてその石や岩をイメージして心の安らぎを得るとなる
ただ村がないということは人が住まないということは何なのだろうとなる
そのことは何か未だ理解しがたいことなのである。゛


ともかく最初に述べたように明治以降私的所有が強固なものとして認められた。
結果として共同的に考えることが失われた。
個々の利益を追及するのが資本主義でありさらに戦後の民主主義でも極端なものとして
現実化した。
だから故郷という共同意識も希薄して何か共同で何かする、共同の意識がないから
ただ原発事故では個々の補償金のみを追及して共同で何かをする志向そのものがないのである。
個々の利益の追及であり個々が利益になればいいという社会になった。
そういう社会が今回の原発事故にも影響して分離分散して故郷の共同性は失われた
そして政治的配慮にも欠けていた。
故郷に住んで残るものと外に出て家を建てて帰ってこない人たちはに分けて補償金を払えば良かった
同じように補償金を与えればそれなら故郷に見切りをつけ出てゆくことが促進されたのである。もし外に出る人は半分の補償金だとなれば残る人ももっと増えたかもしれないのだ十津川村では十津川村に寄付金が与えられたのでありそれで北海道で一致団結して新しい村を作ったのである。
ここで個々人に多額な補償金が与えられたから個々に分散して町や村が成り立たなくなったのである。

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タグ:原発補償金
posted by 老鶯 at 19:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連